20年前に卒業した母校で、著者が後輩の高校生たちに語る、脳科学の「最前線」。切れば血の吹き出る新鮮な情報を手に、脳のダイナミズムに挑む。かつてないほどの知的興奮が沸きあがる、4つの講義を収録。
出版社:朝日出版社
脳科学に関する著作だが、そういうのは抜きにしても、読み物として単純におもしろい作品だった。
そう感じたのは、著者の語りによるところが大きいのだろう。
『進化しすぎた脳』でも感じたが、池谷裕二は本当にしゃべりが上手だ。そして他人に物事を教える才能に恵まれている。
脳のふしぎさや特異さをいかにおもしろく、しかもわかりやすく伝えるのか。著者はそのことを常に意識して話しているように見える。それだけでも著者の人柄が感じられるようだ。
中身は高校生向けの講義スタイルということもあり、高校程度の生物と、ざっくりとした脳の知識さえ持っていれば、何の問題もなく、理解できる。
そこで語られる内容は本当に刺激的だ。門外漢なので知らないことばかりで驚くポイントは多かった。
ピンク色の斑点実験や、人間は相手の顔の左側を見て、顔を認識しているという話。
直感が大脳基底核という手続記憶にかかわる部分から生じており、学習と結びついているらしいという話。
自分の行動に合わせて、その行動理由を無意識のうちにでっち上げる「作話」の話。
心が痛む、と呼ばれるような社会的な痛みを、実際の痛覚システムが感知しているという前適応の話、など。
どれもおもしろく、かつ勉強になるものばかり。
その中でも特に印象的なのは、自由意志、脳内時間、ゆらぎの話だ。
自分が何か行動をするとき、と、たいていの人は以下のように考えるんじゃないだろうか。
「動かそう」と脳が意識する
→ 脳が動かす「準備」を始める
→ 脳の「指令」が行く
→ 「動いた」と感じる。
しかし実際は以下の通りであるらしい。
脳が動かす「準備」を始める
→ 「動かそう」と脳が意識する
→ 「動いた」と先に脳が感じる
→ その後で脳の「指令」が行く。
これはちょっとビックリしてしまった。
つまり、動かそうと人間が考える自由意志は、脳の活動に引きずられ湧いてくることになるからだ。
しかも意志は、後から理由付けされていることにもなる。
それだけでなく、脳が行動を意識するのは、脳が行動を指令する前なのだ。
つまり人間はまだ動かしていない、自分の行動の未来を知覚していることになる。
脳内時計はこんな風に動いていたの!? と本当に驚いてしまう。人間の感覚ってわからない。
また脳のゆらぎの話もおもしろい。
ゴルフ・パットをはずすか否かが、脳のゆらぎでわかってしまうというところは驚いた。
そんなもので決まってしまうの……、と呆然としてしまう。
またそのランダムな脳のゆらぎから、ある種のパターン性が生まれ、秩序だった動きに変わるという話や、そこからエネルギーを得るという話もおもしろかった。
また「創発」も楽しい理論だ。ランダムな動きから、意志すら感じさせる動きが生まれる様はすごい、と思う。
ひょっとしたら、人間の何かをしようという考えも、そういうあいまいなところから発生するのかもしれない。
脳はふしぎに満ちている。そして恐ろしく不可解でもある。
人間が大層なものと考えているような、意識や自我のようなものは、つきつめれば、とってもあやふやなものなのかもしれない。
そんなことを思い知らされ、いろいろなことを考えさせられた。
何はともあれ、良書である。それは断言してもいいだろう。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
そのほかの池谷裕二作品感想
『進化しすぎた脳』
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