私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『チャイルド44』 トム・ロブ・スミス

2009-11-10 22:37:08 | 小説(海外ミステリ等)

スターリン体制下のソ連。国家保安省の敏腕捜査官レオ・デミドフは、あるスパイ容疑者の拘束に成功する。だが、この機に乗じた狡猾な副官の計略にはまり、妻ともども片田舎の民警へと追放される。そこで発見された惨殺体の状況は、かつて彼が事故と遺族を説得した少年の遺体に酷似していた……。
ソ連に実在した大量殺人犯に着想を得て、世界を震撼させた超新星の鮮烈なデビュー作!
田口俊樹 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)



この作品を僕は楽しく読んだのだが、その最大の要因はやはり舞台設定に尽きる。

スターリン支配下のソビエトを舞台にしている本作だが、社会主義の理論では、「犯罪は貧困と欠乏がなくなれば消滅する」ことになっている、という点がおもしろい。
もちろんそんなことを信じている人間はいないのだけど、社会主義の世界ではその前提の元に人びとは動かなければならないのだ。そのため異常な連続殺人事件が起きたとき、警察は決してそれを認めることはない。その結果、殺人犯がのうのうと生き延びる事態になってしまう。
この設定の発想は実に鮮やかだ。

しかもスターリン支配下のソビエトという点もここでは重要な要素だ。
粛清が頻繁に行なわれた恐怖政治の時代だけあり、そこでは密告もあるし、逮捕された人間は拷問にかけられ、でっち上げられた罪を認めざるをえない場面も出てくる。

当然、政府の下した決定に逆らうことはできないし、逆らえば、社会的な地位はおろか命さえも失いかねない。
そんな中で、仮に社会主義の前提をくつがえすような事件を追ったりすれば、その困難は計り知れないものとなるだろう。


主人公のレオは結果的に、そんな困難な犯罪を追うこととなる。
それは社会システムに抵抗するようなものなのだが、その過程で、レオはそれまでまったくわかりあえていなかった妻と向き合い、社会の矛盾とも向き合い、自分の過去とも向き合っていくこととなる。

わかりやすく言い換えるならば、社会の一歯車でしかなかった男が、社会正義を貫くことで、結果的に自分自身のアイデンティティを取り戻していく、っていうことなのだろう。
それはアメリカ人作家らしい発想だとは思うけれど、構成としては実に鮮やかだ。

そして個人的に心に残ったのは、そんな風にしてアイデンティティを取り戻しながらも、レオはあくまで社会の中に踏み止まろうとしている点だ。
結果だけを見れば、レオが社会のシステムの一部に収まるということ自体に変わりはない。
だけど、ラストのレオは以前のように、システムのただの歯車として生きていくわけではないのだ。

そのシーンを見ていると、本当に重要なのは、社会に対して安直に反抗するのではなく、どんな場面であっても、自分自身を見失わないという一点にあるのだと気づかせてくれる。
もしも本気で社会を変えようとするならば、社会の中で戦うしかない、ということなのかもしれない。深読みかな。


ともあれ、エンタテイメントとしても、一人の人間の戦いとしても、非常にすばらしい作品である。
プロット自体も綿密に練られていて、達者であり、読み応えもある。満足の一品だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


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