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80章解説【1】

2011年12月22日 | ジュズ・アンマ解説

بسم الله الرحمن الرحيم

1.彼(預言者ムハンマド)が眉をひそめ、背を向けた。

2.かの盲人が彼の許に来たことのために。

3.そして、彼(かの盲人)が清まるかもしれないと何がお前に分からせるか。

4.あるいは、(おまえの言葉によって)彼が留意し、その訓戒が彼に益するかもしれないと。

5.自足した者(クライシュ族の有力者)については、

6.おまえは彼に没頭(熱心に応接)した。

7.彼が清まらないことは、おまえに責めはないというのに。

8.一方、おまえの許に足労して来た者については、

9.彼(その者)が(アッラーを)れて(来て)いるのに、

10.           おまえは彼をなおざりにする。

11.           断じて(その様に振る舞ってはならない)、まことに、それ(クルアーンの章・節)は訓戒であり、

12.           ――それで望んだ者はそれを思いに留めるが良い――

13.           高貴なる諸書のうちにあり、

14.           高く揚げられ、清められた、

15.           記録者(天使)たちの手による(諸書のうちにあるが)、

16.           (彼らは)気高く、敬虔(である)。

17.           (不信仰の)人間は殺された(呪いの言葉)、彼はなんとひどく恩知らずなことか。

18.           どんなものから彼(アッラー)が彼(不信仰の人間)を創り給うたことか。

19.           一滴の精液から彼を創り、それから彼に割り当て給うた。

20.           それから、その道を易しいものとなし給い、

21.           それから、彼を死なせ、墓に埋めさせ給い、

22.           それから、望み給うた時に彼を甦らせ給うた。

23.           断じて、彼(人間)は、彼(アッラー)が命じ給うたことをまだ果たしていない。

 

この章は、人間や植物の創造におけるアッラーの御力の証拠について語っています。また審判の日とその恐ろしい光景についても語っており、また預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対するアッラーからの叱責の言葉もあります。

 

 まず初めに、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と盲目で貧しい教友アブドゥッラー・イブン・ウンムマクトゥームの間で起きたある出来事の想起が述べられます。アブドゥッラーが預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の許を訪れた際、彼はちょうどマッカのクライシュの有力者と貴族との会合で彼らをイスラームに誘うための話をすることに忙しくしていました。なぜなら預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は彼らが帰依することで彼らを追従する人たちも一緒に帰依することを切望していたためです。アブドゥッラーは次のように言いました:アッラーの使徒さま。アッラーがあなたさまに教え給うたことを私に読み、お教えください!と。アブドゥッラーは何度も何度もお願いの言葉を繰り返しましたが、彼は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が人の集団の応対に忙しくしていることを知らずにいたのでした。しかし預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はアブドゥッラーの言葉を遮ってしまい、眉をひそめてしまいました。その時に次の節が啓示されました:

 

 「彼(預言者ムハンマド)が眉をひそめ、背を向けた。かの盲人が彼の許に来たことのために。そして、彼(かの盲人)が清まるかもしれないと何がお前に分からせるか。あるいは、(おまえの言葉によって)彼が留意し、その訓戒が彼に益するかもしれないと。自足した者(クライシュ族の有力者)については、おまえは彼に没頭(熱心に応接)した。彼が清まらないことは、おまえに責めはないというのに。一方、おまえの許に足労して来た者については、彼(その者)が(アッラーを)慴れて(来て)いるのに、おまえは彼をなおざりにする。」

 

 預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は盲人に対して眉をひそめ、彼を制してしまいました。クルアーンでは、三人称代名詞が使われています:「彼が眉をひそめ、背を向けた」。アッラーは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する優しさから、「おまえは眉をひそめ、背を向けた」とは仰せになりませんでした。

 

 アッラーは続けて預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に語り給います:「そして、彼(かの盲人)が清まるかもしれないと何がお前に分からせるか。」つまり、ムハンマドよ、おまえが眉をひそめたこの盲人がおまえから受ける導きの言葉で罪から清められるかもしれないことをおまえに教え、知らせるものは何なのか。「あるいは、(おまえの言葉によって)彼が留意し、その訓戒が彼に益するかもしれないと。」もしくはおまえから聞く導きの言葉が彼を訓戒となり、彼に益するかもしれないと。「自足した者については、」信仰やおまえが持つ導きの言葉を不要とし、「おまえは彼に没頭(熱心に応接)した」そのような者におまえは自ら進んで応接し、その者の指導を重要視した。「彼が清まらないことは、おまえに責めはないというのに」彼が不信から清められてイスラームに帰依しなくてもおまえには何の責任もないのに。「一方、おまえの許に足労して来た者については、彼(その者)が(アッラーを)慴れて(来て)いるのに」善を求めて急ぎながらおまえの許にやって来たアッラーをおそれる者については、「おまえは彼をなおざりにする」おまえは彼を軽視して、彼以外のことで忙しくした。

 

 預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は盲人に対する指導を制止する立場ではなく、イスラーム宣教のためにもっとも大切であると判断した事柄において奮闘努力する立場にありました。しかしアッラーはこの叱責の御言葉から、貴族の特権を無効にし、障害者も含む善い意志を持つ人たちに対する賞賛し、どんなに社会的地位高くても真実の言葉を軽蔑する人たちに彼らは優ると仰せになりました。だからこそかの盲人の弱さと貧しさが預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のしかめ面や軽視の理由となってはならないのです。どんなに盲人がミスしてしまってもです。本当に彼は敏感で、善良な魂の持主なので、どのようなアッラーのしるしを聞いても訓戒を得ることが出来るはずなのです。

 

 続いて。この盲人はしかめ面をされたことを知らず、また見てもいません。しかしそれは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が優先すべき行為ではありませんでした。そのためにアッラーはその預言者をかの御言葉で叱責し給い、また盲人たちに教育を施し、敏感な彼らの気持ちを傷つけてはならないことを信徒たちに教え給いました。またその中にはアッラーからいただいた導きの教えを進んで学ぼうとする盲人たちに向けられた賞賛も含まれています。

 

 またアッラーからの叱責の言葉は、クルアーンがアッラーの啓示であること、ムハンマド(平安と祝福あれ)の預言者性の信憑性を示す大きな根拠の一つでもあります。もし預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が預言者ではなく単に有力で偉大な男性たちの一人でクルアーンは彼の書いたものだとしたら、きっと自分が叱責されたことに関する言葉が公表されることなどけっして許さなかったでしょう。またこの叱責の言葉が啓示であると言うことにも満足しなかったはずです。

 

 叱責の後、アッラーは仰せになりました:

 「断じて(その様に振る舞ってはならない)、まことに、それ(クルアーンの章・節)は訓戒であり、――それで望んだ者はそれを思いに留めるが良い――高貴なる諸書のうちにあり、高く揚げられ、清められた、記録者(天使)たちの手による(諸書のうちにあるが)、(彼らは)気高く、敬虔(である)。」

 

 カッラー(断じて):抑制の意味があります。つまり:ムハンマドよ、もうかのようなことをしてはいけない、という意味です。「まことに、それは訓戒であり」この章またはこの諸節は訓戒であるということです。「それで望んだ者はそれを思いに留めるが良い」アッラーのしもべの中で望む者はそれを思い起こして熟考すれば良いと言う意味です。「高貴なる諸書のうちにあり」このクルアーンはアッラウフ・ル・マハフーズからコピーされたものであり、偉大とされた諸書の中にあります。「高く揚げられ」実際に高いところにあり、位も高いです。「清められた」汚れ、余分なもの、不足から清い状態にあります。「記録者(天使)たちの手による」使徒とアッラーの間の遣いとされた天使たちの手です。「(彼らは)気高く、敬虔である」アッラーの御許で尊い存在であり、信心深く、善良です。

 

 以上の真実が述べられた後、アッラーは彼の恩恵を否定し、命令に背く人間を批判し給います。

 

 「(不信仰の)人間は殺された(呪いの言葉)、彼はなんとひどく恩知らずなことか。どんなものから彼(アッラー)が彼(不信仰の人間)を創り給うたことか。一滴の精液から彼を創り、それから彼に割り当て給うた。それから、その道を易しいものとなし給い、それから、彼を死なせ、墓に埋めさせ給い、それから、望み給うた時に彼を甦らせ給うた。」

 

 「人間は殺された」つまり呪われた。不信仰者を指します。呪いの中でも最も酷いものです。不信仰の度の高さに対する驚きが込められています。「どんなものから彼(アッラー)が彼(不信仰の人間)を創り給うたことか。」彼がどのように創造されたのかの質問です。そして彼の存在に重要性がないことを表して、「一滴の精液から彼を創り、それから彼に割り当て給うた」。一滴とは数え切れないほどの精子を含んだ精液であり、その一つが卵子と受精することで、胎児の誕生のきっかけとなります。そして血液の一固まりとなり、次に肉の塊、そして最終形態に変化していきます。「それから、その道を易しいものとなし給い」母親のお腹からの脱出を、出産という形で実現し給うたということです。また:それから、彼をイスラームに導き給い、それを容易にし給うた、ともとれます。「それから、彼を死なせ、墓に埋めさせ給い」それからアッラーは彼を死なせ給い、尊厳の表しに大地の中の墓を彼の居場所にし給いました。「それから、望み給うた時に彼を甦らせ給うた」そして審判の日になると、清算を受けさせ、そして行為の報いを受けさせるために生きた状態に戻し給います。

 

 ここである質問が浮かびます:人間はこの終わりのための準備をしたか?答がアッラーから返ってきます「断じて、彼(人間)は、彼(アッラー)が命じ給うたことをまだ果たしていない。」主の恩恵を忘れている不信仰な人間はけしからん、彼は清算の日の準備となる義務の遂行を全くしていない、という意味です。

 

  続く

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP3841

 

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