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89章解説【1】

2011年04月05日 | ジュズ・アンマ解説
بسم الله الرحمن الرحيم
89章解説
1. 暁において、
2. 10夜において、
3. 偶数と奇数において、
4. 去り行く夜において(誓う)。
5. 本当にこの中には、分別ある者への誓いがあるではないか。
6. あなたはアッラーが、如何にアード(の民)を処分されたかを考えないのか、
7. 円柱の並び立つイラム(の都)のことを、
8. これに類するものは、その国において造られたことはなかったではないか。
9. また谷間の岩に彫り込んだサムード(の民)や
10. 杭のぬしフィルアウン(のことを考えないのか)。
11. これらは(凡て)、その国において法を越えた者たちで、
12. その地に邪悪を増長させた。
13. それであなたの主は、懲罰の鞭をかれらに浴びせかけられた。
14. 本当にあなたの主は監視の塔におられる。
15. さて人間は主が御試みのため、寛大にされ恵みを授けられると、かれは、「主は、わたしに寛大であられます。」と言う。
16. だがかれを試み、御恵みを減らされる時は、「主はわたしを、軽視なさいます。」と言う。

 アッラーがしもべを善と悪で試し給うことにおけるアッラーの慣行の解明と共に、道を外し腐敗した過去の文明に対して発せられた警告がこの章の中で述べられます。審判、その時のアッラーの威厳さ、その恐ろしい日の人々の帰り処…至福か罰か…についても述べられます。

 アッラーはまず、被造物を発明し給うた素晴らしさ、御自身の物事の進め方における叡智を示す数々の重要な事柄に関連させた誓いの言葉で章を開始し給います:

 「暁において、10夜において、偶数と奇数において、 去り行く夜において(誓う)。本当にこの中には、分別ある者への誓いがあるではないか。」

 「暁において」:アッラーは朝の光において誓い給いました。なぜならそれはかれの驚異的な創造の一つだからです。夜が過ぎて、昼の到来が来るように、「10夜において」と、至高なるアッラーは徳のある10日間においても誓い給いました。この10日間は、人々の導きとしてクルアーンの降下が始まったライラトゥルカドゥルが遭遇するラマダーン月の最終10日間であるかもしれないことで、暁との関連、つまり暁が夜の暗闇を分散させるように、クルアーンは無知と不信の暗闇を払いのけることに関心を向けさせます。また、ズ・ル・ヒッジャ月の祝福された最初の10日間であるとも言われます。なぜなら巡礼の儀式で忙しい日々であり、その時に人々が罪から浄化されるからです。アル=ブハーリーの真正ハディースに次のようにあります::《この日々(ズ・ル・ヒッジャ月の最初の10日間)に行われる善行よりもアッラーが好まれるものはない。》

 「偶数と奇数において」存在するすべての偶数と奇数においてアッラーは誓い給うていますが、それで被造物と創造主を指しています。おひとりのアッラーは「奇数」、被造物は雌雄に分かれる「偶数」です。

 「去り行く夜において」過ぎゆく夜においてもアッラーは誓い給うています。その後には昼が訪れます。夜と昼の交代は、アッラーの御力を示すしるしの一つです。「本当にこの中には、分別ある者への誓いがあるではないか」つまり、これまでに述べられた事柄は、理性ある者を説得させる誓いではないだろうか?という意味です。誓われる事柄は省略されており、「これらの事柄の主(アッラー)は必ず不信仰者を罰するだろう」であると推測できます。次に続く言葉がそれを示しています:

 「あなたはアッラーが、如何にアード(の民)を処分されたかを考えないのか、円柱の並び立つイラム(の都)のことを、これに類するものは、その国において造られたことはなかったではないか。また谷間の岩に彫り込んだサムード(の民)や 杭のぬしフィルアウン(のことを考えないのか)。これらは(凡て)、その国において法を越えた者たちで、その地に邪悪を増長させた。それであなたの主は、懲罰の鞭をかれらに浴びせかけられた。本当にあなたの主は監視の塔におられる。」

 至高なるアッラーは仰せになります:ムハンマドよ、アッラーが「アードの民」に何をされたか知らないのか、という意味です。遠い昔に滅びたアラブ系の民であった彼らは、オマーンとイエメンの間にある砂丘に住んでいました。「イラム」アードの部族の一つか、アードが住んでいた都の名前です。「円柱の並び立つ」高い円柱という言葉から、アード人は背が高かったのではないかと言われています。また:テントの柱ではないかとも言われます。彼らは牧草地を転々とし、旅する度にテントを張っていたためです。また、円柱を立ててその上に城を建てていたとも言われます。「これに類するものは、その国において造られたことはなかったではないか」つまり、彼らのような力強さ、たくましさと身長の高さを持つ民など創造されたことはない、という意味です。「サムード」過去に滅びた有名なアラブ系の民です。彼らはヒジャーズとタブークの間に住んでいました。「岩に彫り込んだ」つまり、山の岩を取って来て、彫り込み、自分たちの家とした、という意味です。「谷間の」村の谷です。「杭のぬしフィルアウン」つまり、フィルアウンを強化する軍隊を持つフィルアウンです。また:フィルアウンはかつて杭を使って人々を苦しめ、死ぬまで縛りあげていたとも言われます。「これらは(凡て)、その国において法を越えた者たちで」つまり、不正と敵対において限度を超えたということです。「その地に邪悪を増長させた」その地に不正、殺戮といったあらゆる悪を増やしたということです。「それであなたの主は、懲罰の鞭をかれらに浴びせかけられた」激しい罰を指します。「サッバ」は本来、飛び散らせながら水をかけることを意味します。「サウト(鞭)」は、よく知られた叩くための道具です。鞭が体に浴びせられるという表現で、痛みがどれほど激しいものなのかがよく伝わってきます。「本当にあなたの主は監視の塔におられる」あなたの主はすべての人間の行為を見張り給うている、という意味です。そしてアッラーはその行為に報い給います。

 続いてクルアーンは、豊かさと貧しさ、それらが魂に与える影響についての話題に移ります:

 「さて人間は主が御試みのため、寛大にされ恵みを授けられると、かれは、「主は、わたしに寛大であられます。」と言う。だがかれを試み、御恵みを減らされる時は、「主はわたしを、軽視なさいます。」と言う。」

 裕福な人たちの多くは、豊かな財産は、アッラーが自分たちを満足し給うていることの証拠であり、他の人たちを除いて、自分たちだけ特別に恩恵を与えてくださっているのだと思い込んでいます。そして多くの貧しい人たちは、貧困はアッラーが自分たちを軽視し給うている証拠だと思い込んでいます。この二種類の人たちに対してクルアーンは次の節の始まりで、「断じていけない(全く違う)」と言っています。つまり、その二つの状態は、人間が思い込んでいるようなものではないということです。アッラーが糧を豊かにしてくださったということは決してその者に対してアッラーが寛大に接し給うたのでも、その者がアッラーの御許で尊い存在であると証明しているわけではありません。また糧を少なくされたということは、軽視され、アッラーの御許で位を低めらていることを指しているのでもありません。アッラーは人間に対する試練として、糧を豊かにし給い、また少なくし給うのです。だからこそアッラーは豊かさについての話と貧しさについての話を扱ったこの節を「主が御試みのため」という言葉で開始し給うているのです。御試みは、試験を意味します。

 豊かさは、恩恵の誘惑にどの程度立ち向かえるかの見極めのため、アッラーから人間に与えられた試練です。貧しさも同様に、苦しみにどのくらい耐えられるかはっきりさせるための試験です。恩恵や不幸は与えられた人にとって良いこととなる場合があります。恩恵にどっぷり浸ることが不正、欲望追従、崇拝行為の放棄に繋がるように、貧困がアッラーへの回帰のきっかけになることがあるということです。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP101~107)
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