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85章解説

2011年09月13日 | ジュズ・アンマ解説
بسم الله الرحمن الرحيم
1. 星座を持つ天にかけて、
2. また約束された日(審判の日)にかけて、
3. また証言者と証言されるものにかけて、
4. 坑の民は滅ぼされ、
5. (つまり)燃料をくべられた火(のある坑の民は)、
6. その時、彼らはその(坑からたち上がる火の)側に座り、
7. そして彼らは彼らが信仰者たちになすこと(焚殺)に立ち会っていた。
8. そして彼らが彼ら(信仰者)を迫害したのは、ひとえに彼ら(信仰者)が威力比類なく称賛されるべきアッラーを信じたからにほかならなかった。
9. 彼にこそ諸天と地の王権が属す御方。そしてアッラーはあらゆることに対し、証言者であらせられる。
10. 信仰する男たちと信仰する女たちを試練にあわせ、その後で悔い戻らなかった者たち、彼らには火獄の懲罰があり、彼らには燃焼の懲罰がある。
11. 信仰し、善行をなした者たち、彼らには下に川々が流れる楽園がある。それは大きな成就である。
12. まことにおまえの主の捕らえ方(懲罰)は強烈である。
13. まことに、かれこそは(創造を)開始し、繰り返し(復活させ)給う御方。
14. そして、かれはよく赦し給う、博愛ならびない御方。
15. 玉座の主、寛大な御方、
16. 御望みのことをなし遂げ給う御方。
17. おまえに軍勢の話は達したか、
18. (つまり)フィルアウンとサムード(族)の。
19. いや、信仰を拒んだ者たちは(預言者やクルアーンを)嘘と否定することの中にいる、
20. そしてアッラーは彼らの背後から取り囲んでおられる。
21. いや、それは栄光あるクルアーンで、
22. 「護持された書板」の中にある。

 昔も現代にも、憎悪と盲目から生まれる宗教的迫害を原因とする悲劇よりも醜く酷い出来事はありません。

 クルアーンはイスラーム以前に起きた宗教迫害の知らせの一部分を知らせてくれています。それは、「坑の民」の物語の中にあります。その中でクルアーンは、アッラーを信仰していることを理由に先輩信仰者が受けた嫌がらせや拷問を描きました。この物語は、アッ=タバリーなどの歴史家が伝えたように次のように要約されます。ユダヤ教を信奉していたヒムヤルの王、ズー・ナワースに、ナジュラーンの民がキリスト教を信仰するようになったとの知らせが届くと、それを悪いことだと捉え、ヒムヤルとイエメンの諸部族から彼らに軍を送り込みました。ナジュラーンの民を集め、彼らにユダヤ教に入るよう呼び掛けると、彼らに死かユダヤ教に入るかの選択肢を与えたのです。人々は殺されることを選びました。軍は数々の坑を掘り、ある人々を焼き殺し、他の人々を刀で殺しました。死者は2万人に上ると言われています。

 ムスリム正伝集には、次のように要約出来る話があります:ある不信仰な王の民がアッラーを信仰するようになったため、王は彼らに坑を掘り、そこに火を点けて言いました。「元の宗教に戻る者は放っておけ。新しい信仰にどうしても留まる者は火に放り入れろ」そして多くの信仰者が焼き殺されました。

 イスラーム布教初期における宗教迫害の知らせの一つに、イスラームを信仰するようになった人たちが受けた迫害や嫌がらせを受けた人々の話もあります。その人たちに:ビラール・イブン・ラバーフというウマイヤ・イブン・ハラフの奴隷だったお方がいます。ウマイヤは昼過ぎの暑い時間になると、ビラールをマッカの砂漠に連れだして、そこに仰向けにさせ、大きな石を彼の背中に載せて、「アッラーにかけて。おまえが死ぬかムハンマドを捨ててアッラートとウッザー(偶像)を崇めるまではやめないからな」と言いました。ビラールはこのような苦しみの中、「おひとり、おひとり(つまりアッラーは、おひとりだ)」と呟くのでした。

 信仰のために苦しめられた人たちの一人に、アンマール・イブン・ヤースィルとその両親が挙げられます。マフズーム家は彼らを昼過ぎの暑い時間に彼らを外に連れ出し、非常に暑い砂の上に彼らを放り投げて苦しめました。また彼の母親は拷問のため、亡くなりました。

 彼ら以外の多くの信仰者が、暴力や空腹や渇きに遭いました。彼らのうち誰も、その受けた害の激しさのために座っていられないくらい、苦しんだのです。

 そんな暑い中、この星座章が啓示されました。この章は信仰者たちを慰め、彼らの受けた害を軽減し、彼らの心を信仰にしっかりと据え、迫害に抵抗するよう呼び掛け、信仰者を苦しめる不信仰者には来世で罰があると警告しました。

 まず、天とそこにある星座にかけた誓いの言葉で章が始まります。「星座を持つ天にかけて」この言葉で天にある素晴らしさや、それが示す創造主の偉大さと無限な御力に関心を向けさせます。この星々の創造が可能な存在は、極悪人たちを滅ぼしたり、彼らに復讐することも可能なのです。

 またアッラーは、審判の日にかけても誓い給います:「また約束された日(審判の日)にかけて」その時に、アッラーは人々の行為を清算し給います。約束された日、と言われるのは、疑いなくその日が来ることをアッラーが約束し給うたためです。

 またアッラーは、審判の日が被造物に対して行う証言と、その時に起こる恐怖にかけても誓い給います。「また証言者と証言されるものにかけて」証言者とは、金曜日で、証言されるものはアラファの日とも言われます。また、証言者は、審判の日にご自分の共同体に対して証言するムハンマド(平安と祝福あれ)であるとも言われます。

 坑の民に対する呪いの確定のために、アッラーは以上のように誓い給いました。彼らは不信であり、大地に坑(縦長の穴)を掘り、その中に火を点け、そしてその中に背教を拒む信仰者たちを投げ入れました。アッラーは仰せになります:「坑の民は滅ぼされ、(つまり)燃料をくべられた火(のある坑の民は)、その時、彼らはその(坑からたち上がる火の)側に座り、そして彼らは彼らが信仰者たちになすこと(焚殺)に立ち会っていた。」

 アッラーは信仰者に降りかかったこのような迫害を非難し、それを犯す人たちについて「坑の民は滅ぼされた」つまり、彼らは激しく呪われた、と仰せになりました。呪いとは、イブリースの場合のように、永遠にアッラーの慈悲から追放されることです。この呪いは、信仰のために信仰者を迫害し拷問する全ての人に適用されます。

 アッラーは、過去の信仰者たちが受けた迫害の原因を解明し給います:
 「そして彼らが彼ら(信仰者)を迫害したのは、ひとえに彼ら(信仰者)が威力比類なく称賛されるべきアッラーを信じたからにほかならなかった。彼にこそ諸天と地の王権が属す御方。そしてアッラーはあらゆることに対し、証言者であらせられる。」

 迫害された人たちは、「威力比類ない」つまり強く、全てを負かす「称賛されるべき」つまり被造物に対するその慈善のために称賛されるアッラーを信仰した以外に何の罪もないのです。「諸天と地の王権が属す御方」迫害者たちにはこの権力者から逃げられる場所はありません。「そしてアッラーはあらゆることに対し、証言者であらせられる」かれは被造物の行為に対する証言者であるため、報いを受ける彼らの行為のどれもアッラーに隠されることなど決してないということです。

 聖句内の「証言者」という言葉は、迫害を受けている信仰者たちを落ち着かせます。彼らはアッラーが自分たちの苦しみを御覧になっていると知ることで、感じている全ての害を忘れ、そして全ての嫌がらせは軽く見えるようになります。なぜならアッラーは遅かれ早かれ彼らのすべての苦しみに対して報奨を与え給うからです。またそこには彼らを苦しめる者たちに対する警告も同様にあります。

 これまでの聖句は、私たちの心に、拷問される信者たちに対する同情の気持ちを湧かせ、アッラーの道のために自分たちの命を犠牲にした彼らの立場を尊大に思う気持ちを湧かせると同時に、かの迫害者たちに対する怒りを持たせました。しかし出来事はここで終わったわけではありません。来世では公正な清算がそれぞれのグループを待っているのです:

 「信仰する男たちと信仰する女たちを試練にあわせ、その後で悔い戻らなかった者たち、彼らには火獄の懲罰があり、彼らには燃焼の懲罰がある。」

 つまり、信仰する男たちと信仰する女たちを、彼らの宗教から遠ざけるために苦しめ、火で焼いてその後、自らの不信から悔悟しない者たちは、彼らには来世で地獄の罰があり、その中にある燃焼の罰がある、ということです。

 続いて、アッラーの道において苦しめられた信仰者たちの報奨が解明されます:

「信仰し、善行をなした者たち、彼らには下に川々が流れる楽園がある。それは大きな成就である。」

 つまり、アッラーの唯一性を認めて、かれに仕える者たちには、来世におけるアッラーの下で、川が下を流れる園があり、これこそが偉大な成功である、ということです。

 聖句は、この全体的な意味のところで言及を停止すると、信仰者の心をいたわり、罪深い不信仰者を警告することに帰ります:「まことにおまえの主のバトゥシュ=捕らえ方(懲罰)は強烈である。まことに、かれこそは(創造を)開始し、繰り返し(復活させ)給う御方。そして、かれはよく赦し給う御方。玉座の主、寛大な御方、御望みのことをなし遂げ給う御方。」

 バトゥシュ(البطش)は:暴力を伴って捕らえる、という意味です。アッラーのバトゥシュが激しさで描写されることで、バトゥシュはさらに大きくなります。かれのバトゥシュは暴君や加害者に対するものです。彼らを懲罰と厳しい報復を伴って捕らえます。かれこそは、「開始し、繰り返し給う」御方です。つまり、創造を始め給うてそれが死んだ後、審判の日には清算のために、生きた状態に戻し給うということです。かれこそは、「博愛ならびない御方」つまり、かれに従順な者を愛し給う、ということです。アッラーの愛を得られた人間は、最高の幸福を享受したことになります。またかれは、「玉座の主」つまり、誰もかれの王権を奪うために争うことは出来ないといういみです。またかれは、「寛大な御方」つまり、寛大さと崇高さにおいて大きな余裕を持ち給うているという意味です。またかれは、「御望みのことをなし遂げ給う御方」つまり自由意思を持ち給い、お好きなものを選び、地上ではお好きなことを成し給います。そのため、信者が受けるどのような迫害も、彼らの信仰心に対する試験なのです。アッラーがかれらの援助をお望みになれば、かれの御力の前に歯向かえるものなど何もありません。以下の聖句にもある通りです:「われはおまえたちの中,努力し,耐え忍ぶ者たちを区別するためにあなたがたを試みる」(ムハンマド章31節)

 そしてアッラーが溺死させ給うたフィルアウンの民や、落雷で罰し給うたサムードの民の話を引用しながら、不信仰者と罪悪人を待ち受けている悪い結果について述べ給います:「おまえに軍勢の話は達したか、(つまり)フィルアウンとサムード(族)の」。

 つまり、ムハンマドよ、過去に存在した悪の集団の知らせが届いたか。彼らは使徒たちと預言者たちに敵対するために軍装しました。彼らは、フィルアウンとその一族や、サムードの村の人々で、自分たちの罪や背信のため、アッラーによって滅ぼされました。

 続いて、ムハンマド(平安と祝福あれ)の預言者性を嘘だとしたマッカの不信仰者たちの話でこの章は終わります:

 「いや、信仰を拒んだ者たちは(預言者やクルアーンを)嘘と否定することの中にいる、そしてアッラーは彼らの背後から取り囲んでおられる。いや、それは栄光あるクルアーンで、「護持された書板」の中にある。」

 つまり、マッカの不信仰者は、過去の共同体の不信仰者たちが蒙った出来事から何も学ばないどころか、嘘の中に居続けている。しかしアッラーは彼らを取り囲んでおられる、つまり彼らは、逃げ場所を失くした者のように、アッラーの手中にあるということです。「いや、それは栄光あるクルアーンである」つまり多くの現世と来世の益がある、作りと内容において、書物の中でも最も高位にあるということです。「「護持された書板」の中にある」つまり、アッラーの御許、天にある「護持された書板」の中にある、という意味です。「護持された書板」とは、アッラーが知り給う過去と未来の知識が保管されているところです。その実体は、人間のレベルを超えています。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP73~80)
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