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112章解説

2011年09月03日 | ジュズ・アンマ解説

(2011/9/3訂正・加筆)
بسم الله الرحمن الرحيم
112章解説
1. 言え、「かれはアッラー、唯一なる御方。
2. アッラーは、自存者。
3. かれは産まず、産まれもしない。
4. かれには匹敵するもの何一つない。」

 この章は、多神教徒たちが神様とは一体どのような御方なのか表現してほしいとアッラーの使徒(平安と祝福あれ)に向けた質問に対する答えとして啓示されました。

 ムハンマドよ、アッラーについて言ってやれ。「かれはアッラー、唯一なる御方」と。彼は御自身においてもその属性においてもその行動においても崇拝されることにおいても、唯一なる御方。アッラーが唯一なる御方であることは、イスラームを構成する信仰箇条であり、アッラーによって啓示されたすべての宗教も同じようにこの信仰箇条によって構成されました。また次のアッラーの御言葉が全預言者と使徒の宣教の基礎でした。「アッラーに仕えなさい。かれの外に、あなたがたに神はないのです」(23章32節)

 アッラーの被造物に見られる跡が、かれが御一人であられることを証言してくれています。このお話を聞いてくださっている皆さん、この世界について深く考察してみてください。そして世界を覆っている規則正しさや叡智や物事の運び方をよく眺めてみてください。さまざま形や距離を違えたものたちが一つになり、調和している姿にも注意を払ってみてください。よく考えてみれば、一つの運営者からそれらが発せられているのが分かるはずです。まさに、“すべてのものに宿るしるしは、アッラーが御一人であることを示している”のです。


 御一人であられる崇高なるアッラー以外に神は存在しません。自然の力や他の被造物の力をかれと配してしまったのなら、それはとてつもなく大きな不義です。その罪の大きさは、次のアッラーの御言葉が示している通りです:「「アッラーは三(位)の一つである。」と言う者は、本当に不信心者である。」(5章73節)

 もし、アッラーにその神性において仲間がいたならば、仲間同士で世界の運行や創造や秩序において相違が起こったことでしょう。やがてこの相違は宇宙の腐敗を招き、不均衡をもたらしたはずです。アッラーは天地創造について言及し給うた直後にこのことについて仰せになられました:「もし,その(天地の)間にアッラー以外の神々があったならば,それらはきっと混乱したであろう。」(5章22節)

 崇高なるアッラーは御一人であられます。そのアッラーに仲間がいたとしたら、他の仲間は他の仲間を追い越そうとして相違が起きてしまったでしょう。そしてそれぞれは自身が創造したものを支配しようとしたでしょう。こうなるともはや宇宙は落ち着くことはなく、規則も守られなくなります。このことについてクルアーンは次のように示しています:「アッラーは子をもうけられない。またかれと一緒の外の神もない。そうであったら,それぞれの神は自分の創ったもので分裂しお互いに抜き出ようとして競い合う。アッラーに讃えあれ。(かれは)かれらの配するものを(超越される)」(23章91節)

 続いてクルアーンは、アッラーの唯一性を表わした後に「アッラーは、自存(صمد)され」という言葉でアッラーの性質を表わしました。サマド(صمد)の意味は、かれの御許しなしにはどのような事柄も遂行されることのない御方、です。かれのみが事柄の遂行者であられます。かれこそは私たちが災難や不幸で苦しんでいるときに、幸せを見出させ給う御方であり、苦悩のときの避難所であり救済者となる御方なのです。またサマドには、“他に必要とされるが、自身は何ものも必要としない”という意味があります。すべての被造物はアッラーを必要としますが、アッラーは何も必要とし給わず、自存し給います。

 私たちが苦しみにあるときにアッラーを求め、かれに避難しようとすることは、アッラーが人間に植え付けた天性の一つです。まことに各宗教の歴史やその哲学がそのことを確証しています。人間は確実に、災難に遭うと、主に帰り主を求めるものなのです。このことはクルアーンにも出てきます:「 人間は災厄に会えば主に祈り,梅悟してかれに返る。」(39章8節)

 続いてクルアーンはアッラーを描写して次のように述べます:「
かれは産まず、産まれもしない」つまり、かれから子は発生せず、かれが何かから発生したことはない、ということです。これはアラブの多神教徒たちの、天使たちはアッラーの娘であるという言葉と、ユダヤ人たちの、ウザイルはアッラーの子である、という言葉と、キリスト教徒たちの、メシアはアッラーの子であるという言葉に対する返答でした。

 もし至高なるアッラーが何かから生まれた、と仮定してみると、それは無からの発生ということになります。これでは私たちを含めた全生物と同じ立場になってしまうどころか、「かれを存在させた存在」を要するという結果にたどりつきます。この思考により、存在を与えてくれる神を必要とする存在に神性は不相応であることが分かります。

 最後にクルアーンが述べるアッラーの属性は:「
かれには匹敵するもの何一つない」つまり、かれの本質と諸属性と諸行為においてもかれの神性においても、かれと同位にあるものは存在しないということです。「かれに比べられるものは何もない。かれは全聴にして凡てを見透される方である。」(42章11節)

 多くの人たちが、想像によって創造主を描写し、理性が受け入れられない形を作りあげては迷ってしまいました。これを逆手に取った無神論者は、宗教と対立しました。

 代わってイスラームは、この問題を正し、アッラーの本質についてはっきりとした言葉をもたらしました。かれは、すべての完璧の属性を持ち給い、そしてかれは被造物が持つすべての属性から離れています。アッラーは御自身について、次のようにクルアーンの中で描写し給いました:「天と地における,(考え得られる)最高の姿は,かれに属する。かれは偉力ならびなく英明であられる。」(30章27章)

 また預言者(平安と祝福あれ)は次のように言われました:《まことにこの章は、クルアーンの三分の一に相当する》(ムスリム)

(参考文献:①ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ アンマ/ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーン(P196~198)

②アッ=タフスィール・アル=ワスィート/ワフバ・アッ=ズハイリー薯/ダール アル=フィクル(第3巻P2957~2960)

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