小野田寛郎さん(2)
英語教育とは関係ありませんが、文ではなく、語り方や表情で伝わることについて、一言。
小野田さんの語り口
2005年の、戸井十月によるインタビュー中心の番組から。
http://www.youtube.com/watch?v=I55pGrmbX1c
「みんな豊かになったからそれでいいんじゃないの、って。と云うのは、もう結局、そう言って自分に言い聞かせているだけですよね。」
小野田さんの語り口には、「ですよね」が目立ちます。英語の、Qustion tag、付加疑問に対応する表現です。仏語を学んでいる時、「おしつけがましい」から連発するなと教えられましたが、不思議と、小野田さんの「ですよね」には押し付けがましさが感じられません。
「心理的にはね、だれも命のかかることはやりたくないんですよね。」
「日本の天皇と、よその、外国の天子とは、ずいぶんかっこう、ちがいますよね。だから、自分たち、民族が作った1つの、あのお…、国の形、いわゆる、国体というか、1つの国の形なんですよね。」
このように、「ですよね」という語尾が目立ちますが、「ですよね」を連発した、かつてのニュースキャスター、のKの押し付けがましさが感じられません。
Kの言い方はこうです。「僕はそれが本当に全然わからないんですよね。」(K)、「 やっぱりお金ってある種使うためにあるような気がするんですよね。」(K)。「僕が」、「気がする」という主観的な気分を述べる文脈で、「ですよね」と使 うのは、語法として変なのですが、ある種の感情(ナルシズムでしょうか)に捉われているので気がつかない、とういう印象を受けます。
小野田さんの、「ですよね」には、「当然であるので言うまでもない」、しかし、「私は当然だと思うが、人がそう思わないのなら、それはそれで結構です よ」、という気持ちを伝える姿勢が現れています。あえて自分を語ろうとはしなかったが、求めたら淡々と語ったという、突き放したような小野田さんの姿勢の 現れではいないかと思います。
小野田さんの発言の語り口や、表情自体が表現が豊かです。ですから、上のように文字にしてみると、伝わらない部分が残ってしまいます。01:38:23 で、ブラジルに来るとどういう気持ちかと問われて、「ほっとする」と述べていますが、、関西のイントネーションで答えている、その時の表情は、文字では伝 わらないものを伝えています。(東京のイントネーションで「ほっとします」と言わないと失礼になるのですが、関西弁だと自然です。)