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平穏がありがたい・・

突然の別れ

2016年09月17日 00時33分15秒 | あの日のこと

あの日、私はいつも通り出勤して更衣室で制服に着替えていた。
そこへ義理母からの電話。

義理母「もしもし、昨日兄ちゃん(義理母が夫のことを言う時の呼び名)変わった様子はなかった?」

私「うーん?特に変わった様子はありませんでしたけど・・何かありました?」

義理母「会社から連絡があって、取引先で倒れて意識不明だって!!」

私「えっっっ?????」



あまりに突然の出来事すぎて理解が出来なった。
頭の中が真っ白で、ただ泣くことしか出来なかったので、義理母に「しっかりしなさい!!!」と活を入れられてしまった・・


そして制服のまま慌てて会社を飛び出して、車でまずは義理実家に向かい両親を乗せて3人で病院に向かう。
途中何度か病院から「かなり危険な状態なので早く来てください!!」と連絡があった。

病院は家から30キロも離れている、渋滞も激しい。
一分一秒がとても長く長く感じられた。
やっとの思いで病院に到着し、全速力で救急病棟に向かった。

すぐに先生のところに通され、まずは説明を受ける。
たぶん時間にして3分程だったのかもしれないが、私は一刻も早く夫の顔が見たくて「説明はいいからとにかく早く会わせてください!!」と言った。
でも先生は話をやめなかった。
もう説明なんてちっとも耳に入ってこない。
ただ最後に「色々と手を尽くしましたが、残念なことに・・」

「は??? 残念て何??」

状況を理解できないまま、処置室に通された。
そこにはいつも通りの安らかな顔で眠っている夫がいた。

信じられなかった。

だから大声で呼んでみた。でも返事はない。まだ身体は温かいのに・・

状況を受け入れることが出来ずただ呆然としてしまった。


死因:致死性不整脈


倒れてから発見されるまで20分ほど経過してしまったため蘇生が出来なかったとのこと。


ありがたいことに発見してくれた取引先の方が一緒に救急車で付き添いをしてくださり、私たちに状況を説明すべく待っていてくれた。


突然死だったので、警察官が事情聴取に来た。
あとは職場や身内への連絡、病院の手続き、葬儀社への依頼等、悲しみに浸っている時間はなかった。


夕方になりやっと葬儀社の車が迎えに来てくれた。

一人にしてごめんね・・一緒に帰ろう・・・  そう思った。

帰り道の車から見る景色は、色なんてなかった。全てがグレーに見えた。



まだ5歳と2歳の娘に何て伝えればいいのか・・そればかり考えていた。



義理の実家に到着。

先に病院を出て、保育園に迎えに行ってくれた義理父と娘2人も丁度着いた時だった。


見慣れない大きなワゴン車を見て、まだ何も知らない娘は、きっとこれから人がたくさん集まって楽しい事が始まるのだろうと、目をキラキラ輝かせていた。
私は娘たちをただ抱きしめる事しかできなかった・・

担架で家の中へと運ばれて行く父の姿を見て長女は状況を察したのであろう。。私に飛びついて泣いていた。

ごめんね・・ごめんね・・・  それしか言葉が出て来なかった。



その後は葬儀の打ち合わせ、各方面の連絡、駆け付けてくれた方への対応に追われた。


その夜は一睡も出来なかった。











 

ある日突然・・・

2016年09月15日 00時48分18秒 | あの日のこと

あの日からもうすぐ2年。

最近やっとあの時のことを冷静に振り返れるようになってきた。

そしてあの時の気持ちや感情を記録に残しておこうと言う気になってきた。








あの日の朝、一本の電話で私の人生が変わってしまった。

前の日まで笑い合って過ごした夫との突然の別れ。

これを晴天の霹靂って言うのかな、とにかくごくごく平凡に暮らしていた私と娘二人は突然、谷底へと突き落とされてしまった・・