九想話

(クソバナシ)
ブログ以前から書き始めて14年目になりました。


奥坂まや

2012年06月04日 | Weblog

それにしても私が、毎回必ず参加していたパンカーラの「フォークソング祭り」をやめて、
「余白句会100回記念会」に行ったということは無謀でした。
でも、長野の山の中で暮らしている私としては、
都心で行われる俳句好きな人たちの集まるところに自分を置いてみたい、と思ったのです。
ここのところ私は、自分の“俳句力”に自信を失っていた。
以前は、九想庵のトップページに出来るだけ俳句を載せていたが、現在はしていない。
なんか自分が作る俳句がみんなつまんなく思えて、俳句をひねる気もしないのです。
そんな自分に俳句的な刺激が欲しかった。
4月初旬、「新・増殖する俳句歳時記」に余白句会100回記念会へのお誘いのメッセージがあり、
私はすぐ参加申し込みをメールで送った。

昨夜も書きましたように余白句会100回記念会にいても、
私はそれを外野席から覗いている観客の1人のような気持ちでした。
会場のど真ん中に坐っていたんですけどね…。
私の左隣の女性と右隣の男性が楽しそうに話している。
女性は、女性の隣の俳人の方とも熱心に話している。
(私は、この男性が俳人ということは知っていました)
私は、それらの会話を聞くともなく聞いていた。
(あぁ…、おれとは別の世界だ。ここはおれなんかが来るとこじゃねぇ)
と気持ちが萎えた。
こうなると私は飲むしかありません、ひたすらビールを探したが、ない。
ビールをくれ〜と、私は心の中で叫んでいました。

投句成績発表があり、私は前に出て挨拶をして席に戻ると、隣の女性が話しかけてくれた。
「わたしもあなたの句に投票しようと思ったんです」
「………」
「でも、『春愁』が…ちょっと、ひらがなで『しゅんしゅう』だったらとったかも…」
というようなことをいってくれた。
「そうですね。私もちょっと『春愁』はどうかな、とは思ったのですが、
 ほかの季語が思い浮かばなかったんです。ひらがな、か…それはいいですね」

  春愁や白い一日白いまま

というのが私の投句したものでした。

そんな会話から女性と話し始めた。
その人は、「奥坂まや」という人でした。
会が終わる頃、互いに自己紹介をして初めて知った。
奥坂さんは、名前と住所・電話・メールアドレスが書いてある素敵な名刺をくれた。
私は、職場の名刺は恥ずかしいので渡さなかった。
奥坂さんは、会が終わると予定があるといって二次会には参加しないで帰って行った。
家に帰ってインターネットで「奥坂まや」と入力して検索してみた。
たくさんのサイトがヒットした。
あの人は俳人でした。
無知というのは、かなしいですね。
私は有名な俳人といっぱしに俳句を語っていた。

5月19日(私の誕生日の前日)に、家の玄関ドアの粗末な郵便受けに荷物が刺さっていた。
本のようだった。
厚紙の封筒の裏を見ると「奥坂まや」と書いてあった。
中から「妣の国」という句集が出てきた。
私は、誕生日プレゼントをいただいたようで嬉しかった。

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余白句会100回記念会

2012年06月03日 | Weblog

私は、余白句会100回記念会のことを書くと、
九想話に書いておきながら今日まで書いてない。
あのあと風邪を引いてしまったので書けなかった。
しかし、そのあと、体調が元に戻っても、書かなかった。
いろんなことが面倒になってしまったのです。

あの日私は、余白句会100回記念会をやる会場まで迷った。
軽井沢の田舎にいると東京が分からなくなります。
なにしろ軽井沢にいると人に会いません。
ところが東京ではどこにいっても人・ひと・ヒトです。
飯田橋駅前もすごい混雑でした。

 

日本出版クラブ会館にやっとたどり着いて受付でお金を払い会場に入った。
会場に入って私は戸惑った。
どこに坐っていいか分からない。
会場を出て受け付けの人に、
「どこに坐ったらいいのでしょうか?」と訊くと、
「お好きなところにどうぞ」という。
(そんなことをいわれても)と私は途方に暮れた。

その日の余白句会100回記念会で知っている人は何人かいるが、
話したことのある人は、清水哲男さんだけです。
あとで何人か「増殖する俳句歳時記」のパーティーで、
会ったことのある人がいることを知ったのですが、そのときは知らなかった。
(ええい、どうにでもなれ!)と居直って、私は会場の中央のテーブルの席に坐った。
会が始まって、私の右隣の席に坐った人は男性で、左隣は女性だった。
その2人がいろいろ話し始めた。
私は、ただ黙って正面のステージのようなところを見ていた。
そこには、事前に投句された句が貼り出されていた。
私の両隣の人間が、私がいないかのように楽しそうに話していて居心地が悪かった。
そんなときは飲むしかないのだが、ビールが少なかった。
乾杯のとき私のグラスはほとんど空だった。

「余白句会 第100回記念会 式次第」があるので書きます。
一、受付−選句(1時30分までに投句一覧の中から選句・投票をお願いします)
一、開会の辞(井川博年)
一、乾杯(奥坂まや)
一、余白句会創立会員鼎談(井川博年、中上哲夫、八木幹夫)
一、スピーチ(詩人、俳人のみなさま)
一、投句成績発表(三宅やよい)−講評(八木忠栄、今井聖)
一、閉会の辞(清水哲男)

私は、黙ってなんとか都合つけたビールを飲みながらそこに坐っていた。
ステージで話される話を聞いているのは楽しかった。
坐ったテーブルのみなさんがワインを飲み始めたので、私も飲んだ。
出来れば私は日本酒が飲みたかった。
少し私の心が落ち着いた。
こんなとき煙草が吸えたらいいな、と考えた。

  

いよいよ「投句成績発表」になった。
私の句には5票入っていた。
天の人には13票入っている。
とてもじゃないが天・地・人には入れなかった。
それでも5点句ということで前に出て挨拶するようにいわれた。
そんな晴れがましいところで挨拶なんてしたことのない私は、名前だけいって席に戻った。
すると両隣の人が私に話しかけてきた。
嬉しかった。
あ…、やっと「余白句会100回記念会」の出席者になれたと思った。

午後4時頃、会はお開きになった。
それから時間の都合のよい人は二次会に行った。
当然私も、みなさんのあとについて行った。
大きな居酒屋の地下が二次会の会場だった。
私たちのグループが最初に入ったので一番奥の席に坐った。
その席にあとから来た清水哲男さんが坐ってくれた。
久しぶりに私はじっくりとお話が出来た。
といっても私には何も文学的な教養がないので実のある会話は出来ません。
それに日本酒も入ったので、もうダメです。
今ではそこで何を話したのか覚えていません。
そこに坐った女性の方たちの写真を撮ったので、あとで送るといったのですが、
写真に写っている人のメールアドレスが分からない。
メールアドレスを教えてもらったのですが、顔と一致しない。
困った男です。

その頃、北軽井沢のパンカーラでは「フォークソング祭り」で盛り上がっているんだろうな、と思った。

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コンビニ戦争

2012年06月02日 | Weblog

あ…、あの写真を撮っておけばよかったと後悔している。
1つの敷地にセブンイレブンが2棟建っていたのです。
その“ツーショット”の写真を撮ろうと思っていた。
その前の道路は、私が軽井沢から佐久の勤務先に行く通勤路なんです。
先週古いセブンイレブンから新しいセブンイレブンに商品が引っ越した。
今週写真を撮ろうと決めていた。
ところが、今週月曜日から3日間私は仕事が休みだった。
木曜日に出勤するとき店が2つあったセブンイレブンの前を通ると、古いほうが壊されていた。
……悔しかった。
もう壊しちゃうのかよ、とほぞをかんだ。
きっとあのくらいの店など1日で壊してしまうのでしょうね。

4月、セブンイレブンの隣に同じような建物を建てていた。
私は、いったいどういうことだろう?と疑問に思っていた。
最初の頃はセブンイレブンとは関係なく工場のようなものを建てていると考えていた。
しかし、あの煉瓦が見えてきてあれはセブンイレブンだと確信した。
それならば、なんで新しい店など作るのだろうと疑問だった。

それは、新しい店がオープンして分かった。
店のまわりののぼりの1つは「新装オープン」でもう1つに、「酒・煙草年齢確認実施中」と書いてあった。
それで納得した。

じつは、セブンイレブンの隣にセーブオンというコンビニがある。
セーブオンで煙草を売っていたので、あとから開店したセブンイレブンでは煙草を売れなかった。
それで煙草を売れるようにということで、セーブオンから店を離して新しく建てたのでしょう。
今、「たばこ販売許可申請」というサイトを見たら、
市制施行地の市街地だったら150メートル離れていればいいようだ。
たしかに新しいセブンイレブンの建物は、セーブオンより150メートルは離れている。
経営者は少しでも売り上げを伸ばすために必死なんですね。

セブンイレブンは、これまでの敷地の隣の畑を借りてそこに新しい店舗を建てた。
これまで煙草を買う客を欲しいままにしていたセーブオンは、今は地団駄を踏んでいるのだろう。
あのあたりは、ダンプや大型トラックがよく通る。
コンビニに行くのは、弁当を買うか煙草を買うかだ。
これまでそういうドライバーはセーブオンに行ったと思う。
私だって、煙草を吸っていた頃は、ほとんどコンビニで煙草を買っていた。
煙草を買って、ついでに弁当やドリンクを購入した。
煙草が売ってない店には、間違ってもよらなかった。

今日なんか見ていても、敷地が増えて広くなった駐車場に大型トラックやダンプが沢山停まっていた。
その分、隣のセーブオンには車が少なかった。
トラックなんて1台も停まっていなかった。
セブンイレブンで煙草が買えるのなら、セーブオンには行かないと思う。
あれだけテレビでもラジオでもCMを流しているセブンイレブンのほうに、客は入るだろう。

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ガソリン価格

2012年06月01日 | Weblog

現在、軽井沢のガソリン価格は147円、
これは私がいつも入れている追分のガソリンスタンド宇佐美です。
軽井沢でも、中軽井沢から旧軽井沢のほうに行くと少し高くなる。
4月は、156円もした。

5月28日、私は女房の家に行った。
女房の家は東京にあるのですが、その前に年金請求のための戸籍謄本を取りに所沢市役所に行った。
年金請求のために揃える書類は大変です。
このへんもう少し楽に出来ないのですかね。
不正受給とかする人がいるからしょうがないのかな。
所沢市役所には3年ぶりに行った。
せっかくだから最上階に上がった。
そこには展望室がある。
左が所沢航空記念公園、右のほうが所沢駅のあたりです。
ずいぶん高層ビルが多くなったもんです。

 

久しぶりに図書館によってみようかな、と考えたら月曜日は休館日だったのでやめた。
私はこの図書館にはお世話になった。
今のところこれまでの人生で一番好きな図書館です。
なにしろ文芸雑誌が沢山置いてあった。
佐久の中央図書館には1つもない。
御代田には、小説現代だけがある。

ウラトコ(浦和所沢)バイパスを行くと、出光のセルフガソリンスタンドがあった。
そこの価格表示が1リットル132円だった。
一般の人は134円だが、出光カードは引き落としのときそこから2円を引く。
私は、出光カードを持っている。
当然私はそこに入った。

埼玉の他のスタンドのガソリン価格は、136円から139円というところだった。
軽井沢は高い。
どうして?
運搬賃がかかるからかな?
でもそんなに変わらないと思うのですがね。
しかし、ひところよりガソリン価格が下がって嬉しい。


 

 

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誕生月が終わる

2012年05月31日 | Weblog

私の大好きな5月が終わる。
それにしても今年の5月は不安定な天気が多かったですね。
竜巻もあった。
これからの5月の天気はこうなってしまうのだろうか?

何も努力しないて60歳になってしまいました。
私のようなダメな男がなってもいいんですかね?
もう少しまともな方だけ60歳になって、
私のような者はなれなくてもしかたないのじゃないか。

ま、そんなことをいってもなってしまったものはしかたない。
嗤われたり、後ろ指を指されないような60歳になりたいものです。

………………………………………………………………………………………………

5月の九想話

5/1   軽井沢風越公園
5/2   年金のこと
5/3   埼玉県
5/4   パンカーラGWライブ
5/4   GW渋滞
5/5   子どもの日の中軽井沢
5/6   ショパン
5/7   竜巻                   
5/8   懐かしい歌                 捨てたいが愛おしくもあり春二十歳
5/9   休日だらだら
5/10  入ります
5/11  当然です
5/11  久しぶりに焼き肉
5/11  ご無沙汰のトンボの湯
5/11  三波春夫
5/12  イラ・イ・アルカ ライブ
5/12  我慢
5/13  金環日食
5/14  虫の目
5/15  4月の句会の結果
5/16  身体の疲れ               プールでは頭からっぽアホになる
5/17  軽井沢のクマ
5/18  グループサウンズ
5/19  ラジオ文芸「雪明かり」
5/20  還暦          
5/21  金環日食
5/21  金環日食とそのあと
5/22  花は咲く
5/23  健康診断
5/24  60歳の水中ストレッチ
5/25  迷惑な腕時計
5/26  遠い世界に
5/27  孫に会えない
5/28 スポーツクラブ
5/29  あんパンダまん
5/30  インカ帝国展
5/31  誕生月が終わる                              

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インカ帝国展

2012年05月30日 | Weblog

マチュピチュ『発見』100年 インカ帝国展」は国立科学博物館で開催されていた。
私は、ここに入るのは初めてです。
インカ帝国展の入口で私と女房は音声ガイドを借りた。
私は、ここのところ展示会に入るとこれを借りることにしている。
一昨年のゴーギャン展、去年の法然・親鸞展のときにも借りた。
展示物だけではよく理解できないので、音声ガイドはありがたいです。

インカ帝国展は、プロローグから始まり、
第1部インカ:帝国の始まりとその本質
首都クスコとその歴史
黄金帝国インカの神々と王
インカの農耕
インカの建築技術
インカの芸術と工芸
インカの人々と日常生活

第2部インカ:帝国の統治
インカの行政と社会経済システム
 〜インカと乾杯〜
 〜ミトマク(ミティマエス)〜
 〜インカ道〜
インカ帝国の広がり
 〜鉱山資源をもとめて、コリャスーユへ〜
 〜チャチャポヤの文化〜
 〜インカのツール・チムー王国との戦争〜

第3部インカ:滅びるインカ、よみがえるインカ
征服されるインカ
インカの反乱
よみがえるインカ

第4部インカ:マチュピチュへの旅
マチュピチュ「発見」100年

最後に「マチュピチュへの旅」3Dスカイビューシアターがあった。

展示会場に入って音声ガイドを起動させるとナレーションのBGMに、
ケーナのメロディが流れた。
これで私はあっという間にインカの世界に入ってしまった。
正直なところ私はインカ帝国のことをほとんど知らなかった。
昨日はいろんなことを教えられました。
そもそもインカはアンデスでは少数の部族だったが、
おおよそ100年程度で現在のペルーからチリにまで至る大帝国を築きあげた。
そしてインカはその広大な領土を行き来するために、
「インカ道」と呼ばれる交通網を整備し、チャスキと呼ばれる飛脚が情報を伝えた。
文字は使わずキープと呼ばれる結び縄による数字表記があって、
近年になって、このキープが言語情報を含んでいる事が研究によって明らかにされているようです。
ミイラが5体展示されていた。
これを目の前で見られたことがすごかった。
沢山の陶器の器・瓶が良かった。
金や銀などで作られたそれらは、スペイン人が征服したときに鋳つぶしてしまったそうだ。
もったいないことをしたものだ。
聖母マリアがインディオを攻撃している、という絵が面白かった。
あの聖母マリアが指の先から砂を出してインディオをやっつけているんです。
最後に見た「マチュピチュへの旅」3Dスカイビューシアターが素晴らしかった。
女房が「これを見たらマチュピチュに行かなくてもいいね」という。
「いや、おれは行きたいよ」というと、
「あそこに行ったらあんな角度から見られないし、詳しく見られないよ」と女房。
私はへんに納得してしまった。

インカ帝国展に、女房も私も満足しました。

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あんパンダまん

2012年05月29日 | Weblog

今日、女房が有給休暇をとれたので2人で「インカ帝国展」に行った。
私としては、1人で行こうと以前から予定していた。
若い頃は、だいたいこういうものに行こうと女房を誘うと、断られることが多かった。
女房と東京の街を歩くというのは久しぶりです。
池袋駅まで西武池袋線・地下鉄有楽町線をつかい(女房の定期券のため)、
池袋から山手線で上野駅まで行った。

常磐線で人身事故があったと車内アナウンスがあった。
私は、人間が1人亡くなったことが“人身事故”という言葉で簡単に処理されてしまうことが哀しいと思う。
しかし、「さきほど常磐線で人が“電車に飛び込みました”」というのもへんだ。
そんなことを考えているうちに上野駅に着いてしまった。

上野駅の前は人がたくさんいた。
今日は火曜日の平日です。
なんで東京というところはこんなに人が多いのだろう。
上野駅の目の前に東京文化会館がある。
ここには20歳の頃よく来た。
4階の資料室でクラシックレコードを聴いたのです。
フランス・ブリュッヘンのリコーダーコンサートを聴いた。
都響の定期演奏会に何度か行きました。

喫茶店がやっていたので中に入ると、そこにこんなもがあった。

今日は眠たいので「インカ帝国展」のことは明日書きます。

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スポーツクラブ

2012年05月28日 | Weblog

先週、女房と電話で話したときに、
「私、今日1000メートル泳いだんだ」と嬉しそうにいった。
「ゆっくり泳いだんだ。そうしたら楽に泳げたよ」
女房は、東京のスポーツジクラブの法人会員になっている。
女房の会社がそのスポーツクラブと提携しているとかなんとかいう。
西武池袋線の練馬高野台駅・ひばりヶ丘駅・東久留米駅などにあり、会員はそのどこへでも行けるという。
(今、ネットで検索したら日本中にある大きなスポーツクラブだった。長野の松本にもあった)
今あの人は毎日のように行っているようだ。

今度私が東京に来たときに招待券が1枚あるから行こう、といわれていた。
そこに今日行った。
女房は残業がなく定時で仕事をあがれた。
午後6時半にひばりヶ丘駅で待ち合わせた。
私は30分で行けるだろうとたかをくくっていたのでのんびりしていたら、
家の近くのバス停の発車時間が6時17分というのになってしまった。
女房の家には時計がない。
私は現在、腕時計を持っていない。
それで時間の把握を間違ってしまって遅れた。
それでもひばりヶ丘駅には6時37分に着いた。
駅の階段を降り、ゴミゴミした細い道を歩く。
「おい、これはKの家に行く道じゃないか?」
「そうよ」
なんだよ。まるで孫のMに会いに行くようだ。
7・8分でスポーツクラブに着いた。
あと数分歩けば孫に会える。

プールに入る前に私のゴーグルを買おうと女房がいう。
自分のが壊れたから私のをくれという。
それで私に度付きのゴーグルを買ってくれるということだった。
私は面倒だからいいといったが、彼女は一度いったらきかない。
ゴーグルを買ってからそのスポーツクラブのことを女房が説明してくれた。
ロッカーのこと、風呂のこと、プールの位置、タオル下着の置くところ…。
はじめてのところは分からないことばかりでオタオタする。

私は「歩くところ」のレーンで水中ウォーキングをしていた。
女房は、「初心者」のレーンでゆっくり泳いでいた。
私もなんどか「初心者」のレーンでクロールをやったが息継ぎがうまく出来なくて「歩くところ」に戻った。
20分ほど歩くと、プールの隣にあるバブルのお風呂に入って休んだ。
ここは“ひばりヶ丘温泉”といおうかな。
ちょっと、駒場屋内プールのS会のみんなのことを考えた。
女房が1000メートル泳ぎ終えて2人で“ひばりヶ丘温泉”に入る。
プールに入って1時間たっていた。

プールを出てお風呂に入る。
ここはカランがあり、ボディシャンプーとリンスインシャンプーがあり、これは完璧なお風呂だった。
湯船と寝湯があった。
お風呂を出て服を着て、女房に教えられていたマッサージ機械の上に寝た。
小諸のあぐりの湯にあるものとほぼ同機種だった。
それが無料で使えたのには感動です。
所沢にいた頃、こういうスポーツクラブに通えばよかったかな、なんて思った。
でもその頃、こういうことに興味はなかった。
家に帰ると楽家にばかり通っていた。
居酒屋に行って酒飲んで世間話をしているより、
スポーツクラブで運動していたほうがどれだけ建設的な生活を送れたか。
ま、それを反省して軽井沢で健康的な暮らしをしよう。

しかし、ほんの目と鼻の先には孫がいる。
会いたいな。

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孫に会えない

2012年05月27日 | Weblog

明日、東京に行く。
女房に、
「火曜日、Mに会いたいから、遊びに行ってもいいかKに聞いといて」
と昼休みに電話した。
(Mは、孫の名前、Kは息子です)
夜、女房からの電話。
「平日は疲れているから土日に来て」だって。

それはよく分かる。
平日に親に来られたら迷惑だろう。
しかし、私は土日は仕事です。
東京に行けるのは、休館日の水曜日前後なんです。
孫に会いたいな〜

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遠い世界に

2012年05月26日 | Weblog

「遠い世界に」五つの赤い風船 永遠のフォークソング名曲集



私が高校3年の冬でした。
昭和46年の1月だったか2月だったか…。
私の吹奏楽部の定期演奏会があった。

今、あらためて考えてもへんな定期演奏会だった。
1部と3部は吹奏楽の曲の演奏をした。
行進曲・映画音楽のメドレー・クラシックの曲などを演奏した。
あたりまえですよね、吹奏楽部の定期演奏会なんですから。
ところがなんと、2部は、フォークバンドの歌だったのです。
吹奏楽部のフォークの好きなメンバーでバンドを作った。
3年生3人、2年生2人ぐらいだったかな?
私はギターとヴォーカルでした。
そのときこの五つの赤い風船の「遠い世界に」を歌った。
その他に2曲ほど歌ったと思う。
顧問の先生が大学を出たばかりの若い先生だった。
私は、ゼッタイ自信を持っていえます。
定期演奏会でフォークソングを歌う吹奏楽部なんて他にないと思う。
その先生の指導は良かった。
夏の合宿のときには、先生が卒業した大学の吹奏楽部の後輩を呼んで私たちを指導させた。
そのせいか、吹奏楽コンクールに初めて出場して銅賞を受賞した。
私は楽しい吹奏楽部を経験しました。

そのときのテープを今でも持ってます。
しかし、オープンリールなので聴けません。
出来るなら聴いてみたいです。

あのとき、親父が定期演奏会に来ていた。
親父はどんな思いでいたのかな…。

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