ただ生きるのではなく、よく生きる

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モデルを探し、モデルに学びなさい     日野原重明

2017-08-19 18:39:53 | 人生の生き方


この夏、聖路加国際病院には毎週入れ替わりで全国各地から述べ259人もの
医学生たちが実習に訪れました。医学の知識や技術は大学での講義や教科書でも
学べますが、それを患者さんに実際にどのように実践すべきかは、病院で実地に
学び、身につけるほかかりません。来春卒業を控えた彼らは、卒業後2年間をどこの
病院で研修するかを、この夏期の実習の経験を踏まえて年内中に絞り込むのです。

私の回診を見たいと集まって来た若い医学生たちに、私は、毎回、
「将来はどんな医者になりたいのか」
とたずねました。外科医だとか内科医だとか口々に答えが返ってきましたが、
「で、どこのどんな外科医?」
と突っ込むと、とたんに彼らは答えに窮してしまうのです。
 
外科医や内科医というのは単に医師という職業の専門の呼び名でしかありません。
私が聞きたかったのは、医師としてどんな生き方をしたいのか、どこの誰のような
医師になりたいのか、です。
「君たちに心に定めたモデルがあるならば、実際にその医師に会って話しを聞かせて
もらいなさい」
と、私は彼らに助言をしました。

スポーツや芸術の世界に生きようとする人はみな、誰それという具体的なモデル
をもっています。自分の師と決めた人のもとに入門し、弟子入りを請います。
師弟が昼夜をともに生活するなかで、知識や技術というもの以上に、師の生きる
さまを弟子たちは学ぶのです。師匠の衣を借りてただそれを羽織るのではなく、
師の生き方に触発されて自分のいきかたを想像していく、それは何もスポーツ
や芸術の世界にかぎって求められるものではなく、医師を含めてどんな職業も
当てはめて言えることです。人が真剣に生きていくとは、 そもそもそういうこと
ではないかと思います。
「モデルを探し、モデルに学びなさい」
と私は若い人たちに助言しますが、そのモデルとて、自分と関連づけることができ
なければ意味がありません。

複数の人が同じ一人の人物をモデルに定めたとしても、みなの目に一様にその
モデルが見えているわけではありません。それぞれに境遇や目的意識がちがう
のですから、目に映るモデルもそれぞれにちがってくるものなのです。自分とは
別の人間であるモデルを自分の内側に引き入れて、そのモデルに息吹を
与えるのは自分です。自分と関係づけることができたときにはじめて、モデルは
人生の道なき道を照らしてくれます。

─『続生き方上手』日野原重明 ユーリーグ株式会社

■日野原先生は、内科医のウィリアム・オスラー(1849~1919)の生き方
をモデルにしている。直弟子であった医師らの話や伝記から学んだと述べている。

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