ただ生きるのではなく、よく生きる

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分を超えぬ心がけ

2017-05-09 16:03:37 | 知恵の情報
三菱財閥の始祖岩崎弥太郎が、小樽の支店を巡視したときのことである。そこの
支店長は三年前に帝大を卒業後雇い入れた加藤という男で、彼は岩崎が三年前に
見たと同じ薄汚れた洋服を着て、まめまめしく働いている。岩崎はその仕事ぶりに
大いに感服し、持っていた金側の懐中時計を取り出して、「べつに土産とて持って
こなかったのでこれを進ぜよう」

と加藤に差し出した。加藤は恐縮して、いったんそれを受けておしいただいたが、
「まことにありがとうございます。しかし、ご覧のとおりの服装ですから、これに
金時計は不釣合いです。私が出世するまで、これはお預かりおきくださいますよう」
そういって加藤は金時計を岩崎へかえした。この態度に岩崎はすっかりほれ込んみ、
東京へ帰るやさっそく加藤を本店へ呼びもどし、イギリスへ留学させた。帰朝の
上は自分の娘と結婚させ、枢要な地位につけた。この加藤こそ、後に外務大臣と
して第一次大戦後の日本外交に重きを成した加藤高明その人である。

日本で指折りの富豪となった岩崎も、もとはといえば貧乏な土佐の下級氏族で
る。佐賀の乱に軍事輸送を引き受けて巨利を得たのが、成功へのきっかけ。
以後とんとんと調子よく事業を拡張したのであるが、この人の母親が偉かった。
息子が金持ちになるにつれて贅沢におぼれるのを強くいましめ、その手本として
屋敷内では自分が手作りにしたワラゾウリをはいた。昔の貧乏時代を忘れるな、
と身をもっての教訓である。

岩崎が大臣官邸や官庁へ出かけるとき、母堂(すどう)はどきどき自分のはく
ワラゾウリを出して、「今日はこれをはいて行きなさい」とさし出す。岩崎は素直に
礼装姿にそれをはいて平気で出かけた。この素直な孝心が彼の人柄でもあった。

─『一日一言 人生日記』古谷綱武 編 光文書院より