クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

クータンの側で

2006-05-31 05:37:23 | Weblog
朝、僕がこのブログを書いたり、メールを書いている時に、クーが側に居る事が多い。以前にも書いたが、「お父さん、何書いているの」と覗き込んだり、モニターの上でお休みモードに入っていたりと。時には、プリンターの上においてある、スキャナーの上で寝そべったりと。言葉が浮かばない時には、クーの頭や体を撫でる。すると不思議に、一番適した言葉が出てくるのだ。
朝の忙しい時間、クーと一緒に居ると静かな気持ちで、焦らずに、仕事に向かう心の準備が出来る。
クータン明日の朝も、ここに居てね。

お母さんの自転車

2006-05-30 05:28:04 | Weblog
早起きのクーは、今朝3時半頃僕が目を覚ますと、すでに起きて、寝室の洋服箪笥の上に正座していた。ご飯を食べ終わったクーは、4時15分頃から僕の耳元に来ては「ミャー・みゃー」と。僕を玄関へと引っ張って行こうとする。「クータンまだ早いよ」と言っても聞かない。仕舞には僕の踝を噛み付いて来た。一寸だけ外に行きご機嫌を取ったが、これがいけなかった。外は曇りだが、多くの小鳥がお向かいのお宅の小枝に止まって、大合唱中であった。
”ニャンニャンブログ”を、にゃんぱち君から、はっちゃんと次々に見ていると、またパソコンの横に立ち上がり、先程より大声で「ミャ~ア~」と。今にも僕の耳たぶを噛み付きそうな勢い。抱いて外に出る。小鳥はやはり歌を歌っていた。久しぶりにお母さんの自転車の籠に入れてみる。この籠はクーがオチビだった頃良く入れた。そして網の蓋を閉めると、そこからは出ようとしない。今は体も大きくなり、簡単に飛び出てしまう。要警戒。しかしクーは子供の頃を思い出したのか、箱座りで大人しい。そして小鳥の歌声にうっとりとしていた。数分が過ぎ、家の中に連れ戻すと、すごい剣幕で怒り、クーパンチを出して来た。それも、左右ワン・ツーと言ったジャブだ。
「クータンごめんね。今度晴れの日で、時間のある時に、自転車に乗せてあげるよ」

何も知らなかった

2006-05-29 05:36:30 | Weblog
以前にも書いたが、クーが家族になった時僕は猫に付いて何も知らなかった。家と外の往来が自由で、汚いまま家に入り込む動物と言った偏見だけであった。また、街で出会う猫にしても、「おいで」と呼んでも、僕の事を無視して行ってしまう。
クーは違った。息子の後追いを始めた時に抱き上げると、ちっとも嫌がらなかった。そして温かだった。可愛かった。あの数分の事は、僕に大きなインパクトを与えた。その夜帰宅して、クーの姿が見えなかったら、僕は家内と大喧嘩をし、探し回った事だろう。
クーが来ても猫の知識は0だった。グルグルと言う喉を鳴らして喜んでいる事さえ知らず、僕は病気かと怯えた。排泄の事、高い所が好きな事、家族以外にはなつかず心を開かない事等。知らなかった故に、毎日が新鮮だった。それが可愛さに繋がった。
クーは、仏壇の横の箱の上にも、家に来た直後から上がった。そこは亡き両親の写真がある。クーは「おじいちゃん、おばあちゃんクーちゃんです。」と言うように。そこは暗くクーが休むのに心地よい場所なのだ。そんな所をクーは直ぐに見つけた。夕方はここに居る事が多い。また来客があると、この場所に避難して、様子を伺っている。

クータンのお手伝い

2006-05-28 10:45:26 | Weblog
昨夜の事だ。風呂から上がり、パジャマに着替えようとしたところ、ズボンのゴムがプツン。家内がゴムを取り替え始めると、クーがテーブルに上がり、家内の手元で「ミャー」「クーちゃんもお手伝いする」と言った。クーのお目当てはゴムの束で遊ぶ事だ。クーはじっと家内の手元を見詰める。ゴムが通って行くのが珍しい。時々ゴムに手を出して押さえる。「手を離して」と家内。動くものを追いかけるのが猫の習性。切れたゴム紐をテーブルの取っ手に結ぶと、直ぐにじゃれて遊び始めた。和室の奥からダッシュして、ゴムを咥えようとしたり、座って両手で捕まえようとしたりと工夫して遊ぶ。
パソコンテーブルの上の段の端には、クーが座れるように空けてある。その直ぐ側には、物干し竿にクーの玩具と、デジカメのUSBコードが下げてある。クーは時々これで遊ぶのだ。時には、写真のように物干し竿につかまり、コードを咥えたり、ゆすったりして遊んでいる。僕がパソコンを使っている時、箱座りをして「今日は何を書いているのかな」と見ていたりする。

クーとお話し

2006-05-27 05:43:14 | Weblog
僕は、犬のポッ子(小学3年から18年間一緒だった小型のスピッツ)とは良く話しをした。学校で嫌な事があったり、悲しい事、母に叱られた時、ポッ子の前に行き「ポッ子聞いてよ」と話し掛けたものだ。ポッ子は僕の涙を舐めてくれた。分かってくれたのかと言う事ではない。ただ聞いて貰いたかったのだ。
クーとも毎日話をする。写真のように、パソコンの前で書いている時に、クーがモニターの上で見ている時に話しかける。クーは単語ぐらいしか分からないだろうと思っていた。それは大きな間違いだった。先日出勤前に台所から「クータンお窓閉めるけど良いの」と声を掛けた。モニターの上で箱座りで休んでいたクーは「マォー」「だめだよ」と一言いうと、ダッシュしてクータンのお窓に上がった。僕はびっくりした。文節のある言葉を完全に理解していたのだ。猫はただ人の言葉を話せないだけなので、返事は猫語で短く言うだけだ。しかし良く分かっていたのだ。犬のポッ子も、僕の言う事を分かり、涙を拭いてくれたのだろう。
4~5歳位の理解力はあるのだろう。そう言えば、クーが側に居る時に、クーの悪口を言うと嫌な顔をする。反対に、留守番をさせた後「クータン言い子だったね」と言うと、嬉しそうに「ミャ~オー」と返事が返ってくる。
クーが低く太い声を出す時は、嫌な時やNO。高く澄んだ声は、YESか嬉しい時である。もう一つおねだりをする時は、僕の近くに来て「クー」と言う。これはクーだけが言う言葉だ。
今日もクータンと色々お話をする事にしよう。

クータンのお椅子

2006-05-24 05:59:17 | Weblog
写真のクーが座っているのは、『クータンのお椅子』と呼んでいるクー専用の椅子である。木製のブックエンドを90度引っ繰り返し、立て掛けた物だ。台所の調理台の脇に置いてある、ワゴンの中に入っている。
クーが我家にやって来てまもなく、クーは家内が食事の支度を始めると、自分も付いて行き、ワゴンの中にあった、スプレー缶等を入れたカートンの上に座り、料理が出来るのを見ていた。家内にとっても、料理をしながらクーと話が出来る場所となった。ところが、クーが成長すると共に、カートンは体重を支えられずに、へたってしまった。そこで、家内は街でこのブックエンドを見付け、カートンの替りに置いたのだ。
調理台の隣にはガス台があり、魚をグリルに入れ、焼き始めると、僕が今で呼んでも、クーはこの椅子から動こうとしない。「お魚焼けろ、クータンも食べたい」と言う様に、鼻をピクピクさせながら待つのだ。朝は、僕が煙草を吸い始めると、この椅子に座り「ミャー」「煮干頂戴」とおねだりをする。
今日掲載した写真にアートワークから取り込んだ、クリスマスリースをクーの胸にはめ込んで、クリスマスカードを作った。教会の方々からは喝采を受けたものだ。

我家はクータンだらけ

2006-05-23 05:47:09 | Weblog
我家の壁や扉には、クータンの写真が一杯飾ってある。これはぼろ隠しと言う事でもあるが、家内の趣味だ。今日掲載した写真は、玄関への扉に飾ってある。クーの幼い頃の写真だ。左上の写真は、東京新聞の『わたしのペット体験』欄に家内が投稿し、04年5月19日の夕刊に家内の文章と共に掲載された。
台所にもメモの掲示板の下には、クーやマイクの写真、そして猫のカレンダーが2枚も飾ってある。
真に猫だらけだ。家内にとっても初めての猫体験。しかし、その魅力に虜になり、この様になってしまった。

クーの縄張り

2006-05-22 05:45:49 | Weblog
昨日ブログを書き終わった後クーを抱いて外に行った。我家の生垣のバラが切れる所迄来ると、突然クーが歯を剥き出しにして「フゥー」と威嚇を始めた。「ここはクーちゃんのお家じゃない」「お父さん帰ろうよ」と言っているのだった。以前はそんな事が全く無く、息子達の部屋にも上がり、階段も上り下りしていた。マイクが来てから、抱いて息子の家の扉を開けるだけで「フゥー」であると言う。庭に入り家内を見付けると少し落ち着いた。
土曜日の夜、外で息子と知子の声が聞こえたので、僕達も外に出ると、クーは出窓で、僕達の様子を眺めていた。また、マイクも洗面所の窓から外をみて「みんな何をしてんの」と言う顔をしていた。クーはマイクに気付かない。壁はあるが、その距離3㍍程だ。カメラを取り、並んでいる様子を撮ろうとしたが、残念な事に入らなかった。その後息子の部屋の玄関でマイクを抱いた。マイクはクーより少し重いが、ふわふわの毛が気持ち良い。マイクは外が苦手な完全な家猫だ。抱いて外に連れて行こうとしたが、するりと僕の手から下り、奥に行ってしまった。その縄張りは家の中だけ。
僕はクーとマイクと孫が、我家の廊下で遊んでいる様子を撮りたいと願っている。

バラが咲いた

2006-05-21 11:32:18 | Weblog
今日は久しぶりの五月晴れ。近くの公園からは子供の声も聞こえてくる。数日前とは打って変わって、半袖でも暑さを感ずる。バラも咲いた。昨日の夜まで蕾だったが、今朝は咲いた。花弁の奥には、水玉が光る。クーを出窓に抱いて行き、外から写真を撮った。クーは「クータン写真を撮るからこっちを向いて」と呼ぶと、直ぐにポーズを取ってくれる。
家内は庭掃除に精を出す。雑草取りや、昨日の風で折れた枝を取っている。今日は梅の実も収穫した。この梅の木は58歳だ。母が僕を身ごもった時に食べ、種を庭に放ったら、芽が出たと言う木だ。世田谷からこちらに引っ越す時も連れて来た。だから僕と同じ年。早春白い花を咲かせ、今実を付けた。中型のボールにすり切り一杯分の実が取れた。庭を見ると昨日の嵐でだいぶ落ちたようだった。後で2粒くらい日当たりの良い場所に埋めようとも思う。秋に生まれる孫の成長を願って。収穫した梅の実は、今年も梅酒にすると言う。粒は小ぶりだか、味の良い梅なので来春味見するのが楽しみだ。
クーは何時ものように、何時もの場所でお昼寝の支度をしている。廊下は暑くなるのに平気なのか。僕の手を一寸舐め「おやすみ」と。