1歳ムスメ闘病日記

1歳の誕生日を迎えた娘を待っていたのは
特発性血小板減少性紫斑病。
闘病について、書き記していこうと思います。

入院4日目

2006年02月03日 | Weblog
1月16日(月)


今日は血液検査の日。
治療の効果があらわれているかを調べる、
大事な検査の日だ。


私の熱は下がったものの、まだ微熱があったので
午前中は私の両親に病院へ行ってもらい
私は血液検査の結果が出る午後に
病院へ向かった。
娘は私の姿を見つけるなり、
「待ってたよ!」と言わんばかりに泣き始めた。


午後1時には検査結果が出るというので
私は緊張しながらその時刻を待っていた。

担当の先生は外来の診察が長引いて
病室に顔を見せたのは午後2時頃だった。

検査の結果を聞きたいような、聞きたくないような、
何ともいえない複雑な気持ちで
先生の言葉を待った。


血小板の数値は24万まで上がってきているので
十分に効果が表れていると思う。
しかし、入院時には6400と正常だった白血球の数値が
1800まで落ちている。

原因として

①発熱による減少
②骨髄の以上による減少
③細菌感染による減少

などが考えられる。


血小板の数値さえ上がれば問題が無いものと思っていた私は、
予想もしなかった結果に、しばらく言葉が出なかった。


38度の熱があるから、その影響での白血球減少かもしれないが
明日も少し採血して調べることになった。
まだ細い腕に何度も何度も針を刺されるのは
かわいそうでたまらない。

幸い、点滴の管を着けながらでも院内散歩の許可が出たので
ベビーカーに乗って少し病棟内をウロつくことができた。
少しはストレスの軽減になるようで、
娘は足をバタバタさせて喜んでくれた。


どうか明日には数値が戻っていますように・・・










入院3日目

2006年01月15日 | Weblog
1月15日(日)

今朝も早くから、旦那が病院に行ってくれた。

私はというと、相変わらず38度の熱が下がらず
面会は控えるように家族から言い渡されてしまった。

月曜日からは旦那が仕事に戻るし、
私が1日中いてあげないといけないから
とにかく私が元気を取り戻す必要があったのだ。

様子を見に行ってくれた私の両親からの連絡が
私が日中娘の様子を知るための唯一の手段だった。



娘は初日よりも少し眠れたらしく
表情に少し元気が出てきたらしい。

しかし、38度近い熱を出してしまったという。

私はとても後悔した。

入院する前から私が風邪をこじらせてしまってために
毎日一番近くで接触していた娘に
風邪をうつしてしまったのだ。

ただでさえ苦痛な入院生活。
親と離れて寂しく眠る夜。
それに熱まであったら、どれだけつらいのだろう。


明日は血液検査。
血小板の数値はどうだろうか。
グロブリン注射によって回復したのだろうか。

もし効果が表れなかったら2回目をうち、
それでも数値が戻らなければ骨髄穿刺。
赤ちゃんにとってかなりの負担があるため
骨髄穿刺による検査は本当に必要がなければやりたくない。


先生の色々な言葉が頭の中によみがえる。


娘の様子を見られない私は
不安を抱きながら1日を過ごすしかなかった。

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昨日の夜に気になったことがあったので
先生への質問をメモにして
旦那に回答をもらうように頼んだ。

①顔や体に今までみられなかった浮腫みがみられるが、
病気の成果、薬の副作用か、大泣きしたためか。

回答:点滴で栄養を入れているので、そのための浮腫みである。


②ホームドクターでの血液検査の結果では血小板:12000程度だった。
翌日の入院時の結果では8000だった。
この差は誤差なのか、1日で急激に減少したのか。

回答:この程度の誤差はどうしても生じてしまう。


③検査を受ける前にも転倒して頭部を打っているが
内出血の恐れはないのか。
また、そういった検査の必要はないのか。

回答:よほど大きな衝撃をうけたのでなければ、
   脳内出血の恐れはまずない。
   赤ちゃんにCT検査をさせるリスクの方が高い。


④9ヶ月健診でおでこのアザがきになる(ぶつけただけないのにいつまでも痕が残 る)ことを先生に相談したが、問題ないとの回答だった。
 この時すでに血小板が減少していたのでは?

回答:傷のあとひとつでこの病気を判断するのは非常に難しい。
   特に他に変わった症状がなければなおさらである。






入院2日目

2006年01月14日 | Weblog
1月14日(土)

風邪をこじらせて熱にうなされる私に代わって
旦那が朝早くに起きて、娘のもとへと出かけていった。

本当なら私も行きたいし、きっと娘もママに会いたいはず。


しかし周囲から止められ、私は午後の少しの間だけしか
娘の顔を見ることができなかった。



初めての入院。
初めてのひとり寝。


何もかもが娘にとってストレスになるようで、
病室に入って娘の顔を見た私は
しばし言葉を失った。


あまりに泣くものだから
顔中には、そばかす状に内出血が広がり、
目の下にはクマができている。
目の周りの内出血は特にひどく、
目をふちどるように黒ずんでいた。


きっと誰もいなかったら
娘の体を抱きしめて泣いただろうと思う。


娘は私の姿を見つけると、泣き顔になった。


ママ、抱っこして。

まだ言葉の話せない娘だが
顔を見て、わかる。
わかるくらいに、悲しそうな顔をするのだ。



γグロブリンの点滴は終了したらしく、
水分と栄養補給の点滴のみが
娘の腕につながれ、
足には相変わらず
心拍のモニターがつけられていた。




旦那が1日中娘を看ていると言ってくれたので
私は実家の両親の車に乗って
帰宅した。


もっといてあげたい。

でもいたら風邪がうつる。

こんな時に風邪をひいてしまった自分に
腹が立った。





誕生日(午後)

2006年01月13日 | Weblog
入院が決まっても私はなんだか信じられずにいた。



お昼頃、先生が病室にやってきた。

症状の経過を、イチから順に、先生に話す。
先生も看護士さんから一通り話をきいているのだろうが、
確認するかのようにしっかり聞いているように見えた。


母子手帳をめくりながら、
”あ。9ヶ月検診、僕が診てますね。”


あぁ・・・
そういえば、この先生に診てもらった。
小児科医なのに無表情だった記憶がある。
決して悪く言っているわけではない。

血液検査の詳しい結果はもうしばらくで出るというので
それまで娘を抱っこして待っていた。







午後2時すぎ、先ほどの担当の医師2名に連れられ
病室から15メートルほど歩いて、面談室へ入った。



面談室は太陽の光が差し込んで明るい。
私の不安な気持ちとは
皮肉なことに対照的だ。



”ではご説明いたします”


私と旦那は娘を胸に抱き、固唾を呑んだ。


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病名は「特発性血小板減少性紫斑病」(ITP)という。

血液中には赤血球・白血球・血小板とある。
娘の血液には、赤血球・白血球は正常値であるものの
血小板が8000しかない。
通常、血小板は10万~30万必要といわれるなかで
この数値は非常に危険で、
すぐに治療を始める必要がある。

血小板を増やすには
①ステロイド
②γグロブリン血液製剤
どちらかを使用するのが有効である。

ステロイドはゆっくりと数値が回復するのに比べ、
γグロブリンは即効性がある。

娘の場合は、急いで数値を1万以上に上げないと
もし脳内で出血を起こした場合に
取り返しのつかないことになるため
後者を使用して治療をすすめていく。



ただしこの治療で効果が上がらない場合もある。
その時は、同じ治療をもう一度する。
万が一それでも効果が見込めない場合は
骨髄に異常があると考えられるため、
骨髄穿刺をして、再度検査をする。

血液検査の結果では白血球値に異常は見られないので
白血病の可能性は低いが、ゼロとは言い切れない。


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私たちにも分かるような言葉を使いながら
先生は説明をしてくれた。
今グロブリンが日本赤十字より搬送中との事で
同意さえ得られれば、到着次第、治療を開始するという。



もちろん同意するに決まっているのだが
もうすぐ私の両親が病院に来るので
治療方針について話をしてから同意書を書きたかった。




両親が到着し、満場一致で旦那が同意書にサインをした。




すぐに治療が始まった。


γグロブリンは静注で13時間以上かけて
娘の血液に流れ込んでいく。
心拍なども監視するため、足にモニターがつけられ、
娘の体は長いコードと点滴の管で動きが取りづらくなった。



18時。夕食の時間。
お膳には離乳食がたくさん並べられている。
娘は昼食を取っていなかったので
比較的よく食べたが、
いつもの食べっぷりとはほど遠かった。
私の気持ちが、そのように記憶させたのかもしれないが。




本当なら今日の晩ご飯は
家族3人で食卓を囲むはずだった。


バースデーケーキにはろうそくを1本たてて
3人で一緒にフーと消す。


プレゼントを開けて
娘の喜ぶ顔を見て
私と旦那は
普通の幸せを
普通に喜ぶはずだった。



それが、どうして病院で・・・。



とりあえず持ってきたケーキを前に
ハッピーバースデーの歌を小さな声で歌い
それが娘にしてあげられた
唯一の誕生日プレゼントだった。



病院に泊り込むこともできたのだが
・看護士さんが完全看護してくださる
・私の風邪を治すことが先決である
・病院から自宅まで近い
以上のことことから、
娘が眠ったのを見届けてから、
私たちは娘を病院に預け、帰路についた。


その晩、私は眠れなかった。
39度近い高熱と咳で眠れなかったのもあるが、
娘の命に何かあったら・・・
考えないようにしていてもチラリと頭をよぎる不安で
涙がこぼれた。



夜眠るときはおっぱいにかじりついていた娘。
ママのおっぱいが大好きな娘。
抱っこが大好きな、甘えん坊な娘。



ママがいないと
泣いてはいないだろうか。
パパがいないと
寂しがってはいないだろうか。




お部屋で毎日一緒に遊んだ笑顔
転んで泣いた顔
おもちゃを取られて怒った顔



何を思い出しても
涙が出てしまう。




この日は結局、ほとんど眠れなかった。




誕生日(午前)

2006年01月13日 | Weblog
2006年1月13日。

娘が初めて迎える誕生日。

初めての誕生日ということで、旦那は休暇を取ってくれた。
せっかくだから一緒に検査結果を聞きに行こうということで
予約の入っていた9時半に小児科へ向かった。

朝早いので、他の患者さんはおらず
受付をすませるとすぐ、診察室に通された。


”結論から言っちゃうとね”


とりあえず先に結論から述べる・・?
イヤな予感がした。

”血小板の数値がものすごく低いの”


・・・。


血液関係の病気が疑われていると、すぐにわかった。

先生の説明によれば
通常は10万~30万と言われる血小板の数が
娘は1万2000程度だという。
ただ、血液の成分である赤血球、白血球、血小板のうち
赤血球と白血球の数値には異常がないという。

”血液のこわい病気だといけないので
紹介状書くから、この足で今から行ってきなさい”

そんなに急を要するものなのか?

旦那とともに不安を抱きながら一旦自宅へ帰り
急いで車を走らせた。

国立成育医療センター。

子供の医療に関しては国の中心的な医療機関が
幸いにも自宅から15分ほどの距離にある。
実はこの病院で、娘は生まれた。
設備が整っていて、お産で何かあった時に安心だからという
周りのすすめもあって、
この病院でのお産をしたのだった。


生まれてちょうど1年後に、
生まれた病院に来るとは思わなかったね・・・

旦那とこんな会話をしながら救急外来で順番を待った。

ここの救急はトリアージといって
受付順に診察を受けるのではなく、
緊急性の高い順に先生が診てくださるため、
長時間待たされることは覚悟していた。

ところが、比較的早めに名前を呼ばれた。

そして診察室へ。

症状の経過をひととおり説明して
再度採血となった。

”お父さんとお母さんは外で待っていてください”

そう言われて待っていると、
押さえつけられることに敏感に反応する娘の
ものすごい泣き声が聞こえた。

病院に行くたびに聞く、わが子の悲痛な泣き声。
もうちょっとの辛抱だから我慢して・・!

ほどなくして私と旦那が診察室に呼ばれると
娘は採血されただけではなく
左のヒジから下を板と包帯で固定され、
そこからは点滴の管が垂れ下がっていた。

”血小板が8000しかないので
いますぐ入院の手続きを取ってください”


先生、今なんと??

私と旦那は先生の言葉を聴いて呆然としてしまった。

入院せずに帰りたいんですけど。今日、誕生日だし。

もちろんそんな事は言葉にしなかったけど
どうすれば良いのかわからず、
とりあえず我に返って入院の手続きを済ませた。

手続きが済むとすぐに病室の手配が済み、
病院を訪れて1時間半後にはすでに病室にいた。

初めて足を踏み入れる、小児病棟。

具合の悪い乳児って、こんなにいるんだ・・・
もちろん、娘よりももっと小さい赤ちゃんもいる。
胸が痛かった。






誕生日1日前

2006年01月12日 | Weblog
1月12日。明日は娘が初めて迎える誕生日。
バースデーケーキも予約したし、プレゼントも用意したし、
晩ご飯の献立だってばっちり考えた。

でも娘には最近気になる症状が体に出てくるようになった。

それは、体に内出血やアザが急激に増えてきたこと。

2005年11月頃にお腹に内出血が現れはじめた。
娘はよく裸になるとお腹をポリポリ掻いていたので、
それで内出血するものと思って疑わなかった。

そして2005年12月。
クリスマスを目前にした頃、転倒して上の歯茎のヒダを切ってしまい
小児科と小児歯科に連れて行った。
娘は大暴れのギャン泣き。

無事に処置が済んで帰宅し、夜お風呂に入れるときのこと。
目の周りを中心に、内出血がそばかすのようにできている。
泣き過ぎて内出血??と思いつつ、あまり気に留めなかった。

そして2005年末。
机に側頭部をぶつけたらしく、大きなアザとたんこぶ。
見た目がすごいことになっているので驚いたが
これだけひどいアザになるならギャーっと泣くはず。

でも泣かなかった。

この子はアザができやすい体質なのだと思ったのは
この時だった。


そして年が明けて2006年。

抱き上げるためにわきの下に手を入れるだけなのに
それすらアザになっていることに気づいた。

おかしい。

多すぎる。

小児科に行ってみよう。


足を運んだのは、1月12日のことだった。


”怖い血液の病気だといけないから血液検査しましょう”


もしかして大変なことになってるのかな・・?
でも私の娘だもん、大丈夫。

何が私を自信過剰にさせていたんだろう。


明日の朝一番に結果を聞きに来て下さいとの事で
今日は病院をあとにした。