ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

120日目 地名の成り立ちとは奥深いもんだ

2015-05-20 23:39:47 | 南四国
2015年5月2日(土)


早朝の「道の駅ひなの里かつうら」→
6時半頃すぎから始動です。

(493)徳島県勝浦郡勝浦町(ちょう)役場
「勝浦」と聞くと、関東の人なら千葉県の勝浦市となるでしょう。カツオや朝市、タンタンメンで知られてます。
一方の関西はというと、和歌山県の超有名観光地・那智勝浦町。
それぞれお互い遠く離れた同じ勝浦、一説によると元々は徳島・勝浦の住民が黒潮に乗って和歌山・千葉に移住したといいます。
そう言えば徳島の旧国名は「阿波」、千葉県南端の旧国名も「安房」。同じ「あわあわ」ですしねぇ。
ただ、東西漁師町の本家本元の知名度のなさが悲しい。

町を流れる勝浦川左岸にあたる西側の商店街へ行ってみます。

勝浦川の横瀬橋→
この三角のお山がよく目立ちますが、何という山名か知りません。どなたか教えて下さいな。

橋からの眺め→

↓JAの敷地に来ると、たくさん飾られている「五月人形」に出会う。



「武者人形祭り」というお祭り絶賛開催中(注、今年は4月19日から5月6日までで既に終了)。
ここ勝浦町では「ビッグひな祭り」という一大イベントが行われます(今年は2月22日から4月5日まで)が、女の子のお祭りだけやるというのも男女平等のこの平成の世に反していると思ったのか、ガス抜き的にやっている感のあるお祭り。
というのも、規模といい、開催期間といい、男物はささやかなもんです。
これが逆だったら、差別しているなどと女の人から難癖つけてきそうだけど。
先に述べた3つの勝浦は同じ地名なためか、結束力も強く?、それぞれでビッグなひな祭り(名称はそれぞれ違いますが)を開催します。これも最初に開催したのは徳島の勝浦から。
因みに道の駅の写真の「よってネ市」の看板の後ろにある建物が、ひな祭りの会場・人形文化交流館。

商店街をブラブラします→

↓各家々の軒先にこんな感じで五月人形が飾られています。


↓車に乗り、昔の趣きが感じられる「道の駅」近くの旧道へ。


↓ここは20番札所・鶴林寺へ向かう遍路道でもあります。


↓この遍路道を進み、山を越えて阿南(あなん)市に入ると、那賀川(なかがわ)のほとりに来ます。ここを河口側に向かって少し走らせると、バス停名にもなっているこういう集落に着きます。

十八女?!
ちとエロティックな感じのするこの地名、字面だけ見れば、18歳のピチピチした女性がいっぱいいる所?それとも女の人が18人しかいない所?と考えてしまう。
まあ、田舎なんで、どちらかと言うと18人しかいないのが当たっているかもしれないけど。
そもそも、一体どう読むんだろう?

さかり

言い得て妙な地名。「鬼も十八 番茶も出花」と言うしな。実際この年齢になるとサカってくるし

どうしてこのような奇妙な地名ができたかというと、ある伝説によれば、元々「坂里(さかり)」と呼ばれていたこの地に、幼き女帝・安徳天皇が都落ちしてきたという。
安徳天皇とは壇ノ浦の戦いで僅か8歳で亡くなったあの天皇です。
ある庄屋さんがお姫様(安徳天皇)をかくまっていものの、僅か18歳で亡くなってしまったのだという。
この伝説から「十八女」という字名にしたらしいです。
あれっ、関門海峡にて8歳でお亡くなりになったんじゃないの? なんですけど、あくまで伝説なので・・・。

そもそもここに来た用件は?
地名に惹かれ、何となくやって来ただけです。結局、私を怪しげに見ていた相当昔、いや遥か昔に18歳だった男の人一人に会っただけでしたが・・・。

十八女大橋から見る那賀川→
清流四国一と、国の某お役所のお墨付きを得ている那賀川。日本三大清流の一つ・四万十川なんか目じゃありません。さすが四国一、綺麗すぎ!

今度は逆に川を山方向に遡ります。

↓那賀町(なかちょう)の「道の駅鷲の里」には8時20分すぎに到着。


ここでのお目当てがあるのですが、それは次回にて。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→


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