ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

171日目 「稲むらの火」の舞台となった防災意識の高い町

2017-05-16 23:56:04 | 近畿(奈良・和歌山)
平成28(2016)年12月30日(金)


この広川に架かる広橋を渡ったのであっさり広川町に→
紛らわしいのですが、川の名前は「ひろわ」なのに、町名は「ひろわちょう」。
尤も昭和25(1950)年に発足して以降、平成8年までは「ひろかわちょう」だったようですが、どちらかと言えばその方が言い易いとは思うんですけどね。

広橋を河口方向を見る→
なぎ大橋が架かっており、上に行けばさぞ見晴らしがよかろう。

というワケですぐさま行ってみます→
うん、なかなか眺め良し。ただ、いつの間にか曇ってしまったのが実に恨めしい。

養源寺堀→
写っていませんが、堀の右には養源寺というお寺さんがありましてそれが由来のようです。

なぎ大橋の山側を背にして左側は役場。
(635)和歌山県有田郡広川町役場
町の産業としては、漁業はシロウオ漁が名物で、農業はご多分に漏れず蜜柑栽培が中心ですが、他の種類の果物や花卉の栽培も盛んなようで、紀州三大窯の一つ・南紀男山焼の産地。
人口は約7,200人。

さて、役場の前からこのような土手が伸びています。

無論イヌが立ち小便するために作られたワケでもないし、石田三成が忍城攻めの如く築いたのでもありませんし、向こう側に川や海があるワケでもありません(海は右側)。

では何か?
ここからさらに歩くと説明板があります→
「広川村堤防」じゃないのか?
ですが、これができた当時は広村で、広町となった後に2つの村と合併して広川町となります。
高さ5m、根幅20m、長さ640mで、安政2(1855)年に着工し安政5年に完成。

前編でも触れました旧暦の嘉永7(1854)年11月5日に発生した安政南海地震で、広村は大津波によって大きな被害を受け、それを目の当たりにした濱口梧陵(はまぐちごりょう)さんという方が私財を投げ打って築いた堤。
彼は『こんこん昆布つゆ昆布をぎょうさんつこてるの♪』のCMで有名なヤマサ醤油の7代目に当たります。

近くには防潮扉→

こちらの防潮扉は赤門と呼ばれてます→

土手から海を見る→
築堤後、いくたびかの押し寄せる魔の手から町を守ることに成功しています。

GoogleMapでは「名も無き神社」と表示されている神さま→
そういう神社名なのか、本当に無名の神社なのかどっちなのだろう?

土手の隙間から耐久中学校が覗けます→
ちらりと古臭い建物が写っていますが、それは「耐久社」。
濱口梧陵らが江戸時代末期に開設し剣術と漢字を教えていた私塾で、その後身が現在の耐久高校・中学校。

この先で土手は終わります→

↓湯浅町ほどのインパクトはないのですが、ここらへんの街並みもなかなかどうして、見応えあります。
 

↓そんな住宅街の中にあるのが、開いちゃあいませんが「稲むらの火の館」。

ここのHPの言葉を拝借すれば、先に触れた地震津波の折、濱口梧陵が村民の命を救ったその偉業と精神、教訓を学び受け継いでゆくために建設された施設で、平成19年にオープン。
濱口梧陵記念館と津波防災教育センターから成っています。

そして濱口梧陵が村民の命を救った物語が「稲むらの火」。
これは、かの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が英語での作品を出し、その後、耐久中学校卒業生である中井常蔵によって書き改められもの。
昭和12(1937)年から10年間、国語の教材として採用されていたそうです。

私がこのお話しを知ったのは、情けないのですが、あの東北地方太平洋沖地震直後。
今でもこれを学校の題材に使っていれば、あの時助かった人もいたんじゃないかと思ったくらい、価値のある物語に思いました。
ところで、実際あったことと物語とは違うようで、それについてはコチラをどうぞ。

「世界津波の日」と定められた津波のあった11月5日は、広川町では濱口梧陵さんの功績を讃え、町の安全を祈願するため「津浪祭」が行われるそうです。

このように常日頃から防災意識の高い広川町ですが、肝心要の役場は海に近いし低地にあるしで大丈夫なの?

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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