ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

171日目 素晴らしすぎる街並みが残る醤油発祥の地

2017-05-14 00:16:11 | 近畿(奈良・和歌山)
平成28(2016)年12月30日(金)


↓ややもすると終点の御坊(ごぼう)駅まで「お逝きなさい」状態だったのを、黄泉の国の入口で寸止めできた湯浅駅。

初めから下車する予定の駅ではありましたし、この日の町巡りで一番の楽しみにしていたのが、何を隠そうここ有田(ありだ)郡湯浅町(ちょう)なのです。

さて、湯浅と言ったら何といっても「湯浅醤油」で全国に知られているように醤油の町、どころかその発祥の地
そして醤油・味噌醸造の建物や土蔵、瓦葺きの町家が見られる国指定重要伝統的建造物群保存地区が最大の見所の町。

一早くその街並みを拝見したところですが、まずはルーティーンをこなさなければなりません。
↓戦前っぽい長屋を尻目に駅東側に伸びる熊野古道を歩きます。


(634)和歌山県有田郡湯浅町役場
つい最近まで駅近くの街中にあった役場ですが、今では新しい場所に引っ越してしまっていて、お蔭でここまでの行って戻ってのおよそ2.5km程余分な労力を費やすことハメに(怒)。

地名は「海が今よりずっと中まで入り込み、水(ゆ)が浅く広がっていたことから、或いは、古名「温笠(ゆかさ)」から転じた(町のHP)」ようです。
古くから熊野詣での宿所で、江戸時代に紀伊徳川氏が支配するようになってから有田地方の中心地として賑わいを見せるようになる。

手前には、たわわに実るミカンの木がありますが、この辺りはイヤでも柑橘類畑が目に入ってきます。
和歌山に来た事を実感できる風景。

どちらかというと、かまぼこ板なんだけど・・・→
この踏切を越えると、いよいよ待ちに待った街並みです。

↓古民家や商家たち。
      
古い街並み好きにとっては天国のような、実に心地よい楽しい場所。
広い通り(といっても車がすれ違うので精一杯)でも細い路地(現地では「小路小路(しょうじこうじ)」というそうです)でも肩を寄せ合いひしめき合う建物の姿がとても素敵。

江戸後期の町家を改修した休憩所・お休処立石茶屋→

旗があまり似つかわしくない感のある深専寺→

↓この門前(左側)には「大地震津なミ心え之記(ママ)」の石碑があります。

嘉永7(1854)年、安政東海地震とその僅か32時間後に起こった安政南海地震と、マグニチュード8.5近くの大地震が連チャンし激しい揺れが和歌山を見舞い、この地域周辺が大津波に襲われて大きな被害となったことを受け建立された石碑。
この碑には地震と津波の様子や被害、津波が起こったときの避難経路なんかが書かれています。
もし、湯浅観光なんかで来ていて津波に襲われそうな状況になったら、このお寺さんの前を東へ通って山に向かえ!だそうです(お寺さんから遠くにいた場合は知らん)。
こうした先人の教えは大事にしないといけませんね。なお、この地震に伴う津波については次編でも扱うつもりです。

おもちゃ博物館→ 
入りたかったけどお休みじゃ・・・。

↓甚風呂(じんぶろ)
 
幕末から昭和60(1985)年まで営業していた銭湯。勿論お休み。
ここも入りたかった・・・(入浴じゃなく見学)。

せいろミュージアム→
蒸籠の中に湯浅ゆかりの古民具などを入れて、各家々の軒下に飾られています。

↓ハイライトはこの「北町通り」。
 

↓江戸後期築・太田久助吟製(おおたきゅうすけぎんせい)

江戸末期から戦前までは醤油醸造業を営み、現在は金山寺味噌を製造し、販売中。

角長(かどちょう)→
天保12(1841)年創業の醤油醸造業者で、当時は新参者でも今となっては老舗どころか、湯浅ではたった一軒しか残っていない貴重な醸造業者。

↓角長の職人蔵(慶応2(1866)年築)
 
昔の道具が展示されてますが、この価値観皆無なアホな私には我楽多にしか見えません(スミマセン)。
因みに醤油の起源ですが、ここは敬意を表する意味で角長さんのHPを載せますので、そこをご覧下さい。

大仙堀→
「醤油堀」とも呼ばれたかつての醤油の積み出し埠頭。
因みに私が立っている場所は以前の積荷輸送を担った有田鉄道線路跡の道路。

それにしても北町通り周辺には独特の匂い(もちろん醤油の)が漂ってます。
私にとっては慣れないせいか、あまり「いい匂い」ではなかったのですが、すれ違った現地の小学生達の会話「あ~、湯浅の匂いがする」を聞くに、やっぱり湯浅は醤油の町であることを実感する。

いいなあ、湯浅。
夕暮れになると街が吊行灯の灯りに包まれるというので、その時間までブラついていたいくらい。
でもそういうワケにもいかず、次に電車に乗らずとも行ける隣町・広川(ひろがわ)町へ。
↓その途中、湯浅町観光地図に載っていた広川町との境をなす広川の「弁天財堀」にも寄ってみる。

ここには平安時代の石垣積みの波止や紀文丸像があるというのですが・・・。

↓上の写真の右にある、ぱっと見、成れの果て感あるこれがその像なんだと。

うーん、何とも言えません・・・。おまけに案内板は何書いているのかサッパリ読めんし。
石垣はこの背後にあるヤツでしょうか? わざわざ来てみましたが、ここはよう分かりません。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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