ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

159日目 真田氏ゆかりの信州上田巡り(2)

2016-08-21 11:28:29 | 甲信越
2016年7月17日(日)


前日は日焼け止めを塗ったにもかかわらず、塗り方が下手っぴだったためか、思いっきり真っ赤に変化した部分があってとてもヒリヒリしていて、お湯を浴びたり着替えたりするたび、悲鳴を上げたいくらいの苦痛。
おまけに旅に出れば毎度の事なのですが、足裏に数箇所水膨れができてしまい、一歩踏み出すたびに激痛が走る。
こんなズタボロの状態の中、この日の上田観光はほぼ城攻めに終始。

県立上田高校→
よく城跡なんかには学校があったりするけど、ここは「上田藩主居館跡」。
関ケ原の合戦後に上田城が破却され、再建も許されなかったので、真田信之はここでしぶしぶ(?)上田を統治することとなる。

(606)長野県上田市役所
上田藩主居館跡のお堀越しのアングル。
古くは国府が置かれた信濃国の中心地で、明治~大正期は製紙業が地域経済を牽引したものの衰退し、今では輸送関連機器や精密電気機器などの機械金属製造にとってかわる。
平成18年に上田市・丸子町・真田町・武石村が新設合併をし、新しい上田市が成立。
人口は約16万人。

↓市役所に面した道を西に行くと、上田の一大観光地・上田城があります。


二の丸橋から下を覗く→
二の丸堀跡である「けやき並木遊歩道」で、かつて電車が走っていた所。

↓中へ入ると、用意よろしく「信州上田真田丸大河ドラマ館」があります。


まだ開館時間前なのだけど、この行列→
なので、先にお城から見ることにします。

上田城は天正11(1583)年に真田昌幸によって築かれ、少しの兵力の昌幸が徳川の大軍勢を撃退すること2度。
壊わされた後は小諸から入封した仙石氏によって再興され、宝永3(1706)年からは兵庫の出石(いずし)から松平氏がやって来る。

この日は7月17日です→
観光客は大勢来ているのだから、さっさと直さんと。記念撮影できんじゃないか(?)。

↓東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)と北櫓(右)。

門は平成6年に復元。門の左にも南櫓があるのだけど、二つの櫓は別の場所に移築されていたものが昭和18(1943)年から24年にかけて再移築される。

門の右にあるのが「真田石」→
高さ約2.5m、幅約3m。

2度目の上田城での合戦で「にっくき真田」の思いをたぎらせた徳川秀忠の嫌がらせで真田信之が松代(長野市)に移封となり、それに激怒した信之は藩政に関する書類を全部焼き払い、城の灯篭・植木を持って行ったとされるのですが、ついでにこの石も、と思いきや、ビクともしなかったらしい。

門をくぐると眞田神社があります→
歴代の城主を合祀しています。因みに「眞」は誤字じゃありません。

真田井戸→
神社境内に残る直径2m・深さ16.5mの井戸。
この井戸は抜け穴になっており、城北の山麓や上田藩主居館につながっているという伝説があります。
いくら何でもそれはどうだろうねえ。

西櫓→
寛永5(1628)年に仙石氏によって建てられ、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物との事。
ここに入るには有料で、それ自体いいのですが、結構な数の人が吸い込まれていくので、いつかまた来た時に落ち着いて見ればいいかと思い、入らずじまいであったところ、何と解放されるのは今年だけみたい。大失敗。

櫓手前からの眺め→
築城当時の眼下には千曲川が流れていたので天然の堀と化していました。
そしてここを「尼ヶ淵」と称していたので、上田城は別名「尼ヶ淵城」と呼ばれるようになったようです。

特に何もない本丸跡→

↓お堀は素掘りで、掘り出した土で盛っていった部分が城を取り囲んでいる土塁。


ようやく人が引けた「ドラマ館」→

かわいいお姉さんが記念撮影してくれます→
勿論兜を被って写してもらい・・・。んなワケないし。

↓撮影が許されるのは、張りぼての「真田丸」のある所だけ。




まあ当然なのですが、ドラマ撮影の小道具や衣装の展示なんかがメインで、はっきり言ってつまらん。
おまけに中は狭い上に芋を洗うような激混みでかなり息苦しい。
耐え切れなくなって、わずか10分程で出てきてしまう。
それに対する対価は¥480。ちと高価だったな・・・。

真田の郷・旧真田町や「信州の鎌倉」の異名を持つ別所温泉・塩田平周辺も行きたいところですが、今回は泣く泣くパスして、これにて観光客で活況を呈する上田を去ります。

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158日目 真田氏ゆかりの信州上田巡り(1)

2016-08-18 23:00:29 | 甲信越
2016年7月16日(土)


大河ドラマ効果で願ってもないお金儲け観光客誘致の超絶好機を迎えている上田市がこの日最後の訪問地。というか宿泊地。

↓しなの鉄道で上田駅には17時22分に到着。

因みに使っている切符はJR東日本が出している「週末パス(¥8,730)」。
これは「しなの鉄道」も乗れるので特段の出費はなし。


駅舎壁面のブツブツは何を意味するか、説明するまでもないですね。
夜になるとライトアップされます。

↓当然ですが、駅ナカと言わず駅前と言わず、至る所「真田丸」だらけ。
   

ホテルに入り、やっと休める、一安心。
と思いきや、日没まで1時間半もあるのでボーッとしているのは勿体ない。
なのですぐに再び出動。

↓駅近くの天神商店街に面したこのホテル(私の宿泊場所ではない)は、今や全国バリバリ展開中のルートインホテルズ栄えある第1号店。


これより緑色の道を中心に歩いてみます→

駅前から真っすぐ伸びる坂道の商店街→
左に辛うじて写っている石造りの建物は、趣きのあるいい洋館なのですが、100年の歴史を誇る信州銘菓「みすゞ飴本舗」の本店。

↓昭和60(1985)年から1年間放送されたNHK新大型時代劇・真田太平記の記念館が右手にあります。


↓これって、ブラタモリに出てきてませんでしたっけ・・・?


↓柳町地区





上田市が出している「信州上田観光情報」というサイトによれば、「旧北国街道沿いの家並みが残る通りです。柳の木が多かったこの通りに旅籠屋や商家が軒を連ね、呉服屋だけでも25軒あったといいます。面影を残す街並みは白い土塀に格子戸のある家、古道具屋、杉玉のある造り酒屋などがあります。」

↓引き返して、市中心部にあたる「海野町(うんのまち)商店街」へ。

海野町とは、天正11(1583)年に真田昌幸が上田城を築いた際に作った城下町の元町。

↓思いがけず見つけた小じんまりと佇む「海野町高市(たかいち)神社」。

町を作った時に商売の守護神として請願されたと伝えられている神社。

海野にあるからか?、祠の左に「運の石」というのがあって、右から左へ撫でると悪運を払い、その逆に撫でれば良運が開けるという。
勿論やってみました。が、未だご利益あった感なし。お賽銭100円ぽっちじゃ全く足らんかったらしい。

↓この商店街から細い路地を入ると、飲み屋が所狭しと軒を連ねています。
 袋町という界隈。

旧北国街道沿いの常田地区→
城下町の入口付近のこの辺りは、時代を偲ぶような旧家の古い格子や土蔵が立ち並びます。ここから踏入を過ぎ宿場町へと続きます(信州上田観光情報)。

常田地区にある科野大宮社→
いつだったか、ドラマの終わりに流される「真田丸紀行」でも紹介された神社です。
上田城築城以来、城の鎮守となる。
やたらでっかい木と鮮やかな赤が印象的。

↓平成24年に国の重要文化財に指定された「旧常田館製糸場」。

明治33(1900)年創業の機械製糸工場。
製糸業界の資料が保存・展示されているようです。

暗くなってきましたので、散策は終わり。ようやくゆっくりできますわ。
やっぱりいつ来てもいいな、信州は。

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158日目 遊子は城下町小諸で諸々見物

2016-08-16 00:50:05 | 甲信越
2016年7月16日(土)


↓脇目も振らず乗り通せば、小淵沢から2時間半程度で着く小海線の終点・小諸(こもろ)駅に9時間あまりかけてようやく到着。


小諸駅のあるここ小諸市は名所旧跡がとても多いので、それらを無視して去る訳にはまいりませんが、かなり疲れていますし、この後もう一か所町巡りするつもりでもありますので観光は最低限に留めます。

まずは、駅の中→ 
小諸周辺が舞台だったというこの「あの夏で待ってる」というアニメに関するものが飾られております。
人も呆れる位アニメ音痴中の音痴の私には、どういう内容で、いつ放送されたか全く知りませんが、一応紹介しときます。
右の桃色の変なぬいぐるみ(?)は「りのん」といってアニメに出てくるキャラらしい。

↓一番上の駅前写真の右側にある「停車場ガーデン」。

まったりカフェでお茶しながら、色とりどりの花を愛でられる所(ついでに行き交う電車も)。

↓小諸観光の拠点たる、その名もまさに「小諸観光交流館」。

明治後期~大正時代に建てられた、かつては繭問屋だった建物。
一応下調べはしてあるので用はないけど。

小諸城の正門である大手門→
白鶴城や酔月城とも呼ばれたお城。
佐久を手中に収めた武田信玄は、山本勘助らに築城を命じ、天文23(1554)年に完成。
天正19(1591)年には仙石秀久が入り、慶長17(1612)年にこの大手門が築く。
8年前に解体復原の修理がなされたとの事。

くどいけど、また大手門→
ではなかった・・・。これは駅の西側にある「三の門」。因みに大手門が「四の門」。
元和元(1615)年に創建されるも洪水によって流失、今あるのは明和2(1765)年に再建されたもの。

明治になると廃城となり、荒れ果てていく姿を憂えた旧藩士たちはお金を集めて公園として整備し、掲げられた額にあるように「懐古園」と命名する。
額は徳川家第16代当主が書いたもの。

ここでは懐古園散策・動物園に入れる券(¥300)を買います。
先に左側の動物園から→
動物園は大正15(1926)年にでき、長野県では一番、国内でも4番目に古いようです。

↓浅間山の南に広がる小諸ならではの有効活用。

小諸城は城下町より低い位置に築かれた珍しい穴城で、浅間山の火山灰でできているため水堀がなく、その代わりに崩れやすい断崖を守りとした点が特徴。

↓さてさて、園内。
  
門番・川上犬のさくらさんは恥ずかしがって引き籠っているし、外に解放されたペンギンは大勢の人に取り囲まれていて触れられないし、ライオンは色気よりも食い気に走っているし。
ま、これと言って珍しい動物はおりませなんだ。

富士見台→
その名のとおり、富士山が見える展望台。辛うじてかすかにしか見えなかったけど。

旧馬場→

懐古神社→

鏡石→
神社と鏡石のある所あたりが本丸跡。

二の丸跡→
近々大河ドラマで登場すると思いますけど、関ケ原に向かう途中の徳川秀忠が真田昌幸・信繁親子の術中に嵌って足止めを食らったのですが、ここは秀忠が逗留していた場所。

次は北国街道を歩いてみます。
小諸は中山道や北国街道、甲州街道の交わる要衝地だったので、あちこちの物産品が集散・流通したので商業で大いに栄え、さらには宿場町だった一面もあります。

↓旧本陣と旧脇本陣、古いポスト。
  

↓この通りには昔ながらの商家が建ち並んでます。





美しい町並みだけど、現代造りの建物が目障り。

そんな中、私が気に入った建物がこれ→
昭和初期に建てられた「ミルクホール」。
ただ戦後まもない昭和25(1950)~26年頃に閉店したらしく、その後ずっと仕舞屋?。
勿体ないのぉ。

(605)長野県小諸市役所
面積約100km2の、約43,000人が暮らす町。
ところで、小諸と言えば島崎藤村の「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」の「千曲川旅情のうた」なのですが、夏だしお城には観光客もそこそこいたしで、歌のもの悲しさをあまり感じられなかったのですが、寧ろ寂れ感溢れる駅前商店街の方に歌はマッチしていたような気がするんですわ・・・。

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158日目 サクッと佐久歩き・ぴんころ詣で

2016-08-13 23:42:37 | 甲信越
2016年7月16日(土)


中込駅近くも相変わらず千曲(ちくま)川が寄り添っております。
野沢橋(下流方向)→
ずっと眺めていたい景色。ただし日差しがきつくなければ。

↓夏の川の風物詩、釣りに勤しむ太公望多数。

ここらは鮎釣りの絶好ポイントであるみたい。
でも、間近にある堰に上がって歩かぬよう・・・。
その堰、足を滑らせ落っこちたら最後、もはや自力で這い上がれないくらいの吸い込み力があるらしい蟻地獄のような恐ろしい場所なんだとか。ヒエ~。

橋を渡りきるとこの集落→
ここは長野県ではあるのですが、漬物や温泉で有名なあの野沢ではありませぬ。

↓さらにその先はというと、商店が軒を並べています。

野沢はかつては街道が交わる宿場で、物資が行き交って商いが盛んだったようです。

↓やがて右手にこのような門が現れます。

野沢成田山薬師寺への参道入口です。
門をくぐるとお店が連なっていて、毎月第2土曜日には「のざわ山門市」が開催され多くの人で賑わうそうです。

参道を進むとここへ→

↓この左には、小首を傾げたかわいらしいこの方がいらっしゃいます。

見ていると、微笑ましいというかほっこりするというか心癒されるわ。
厚労省が平成25年に発表した都道府県別の平均寿命ランキングで男女とも堂々1位が長野県。とりわけ佐久は「長寿の里」を売りとしている地方で、その象徴とも言えるお地蔵さん。
平成15年に地元商店街によって建てられました。

お地蔵さんの由来はこう→
私もかくありたい、「のんびりゆっくり旅」を完遂するために。
そして資金面は新屋山神社にお願いする。

横の井戸水は飲めます→
ありがたく佐久の水を戴きます。
ちとぬるかったけど。

なお、お地蔵さんや野沢商店街などについては、のざわ商店街振興組合のHPをどうぞ。

さらに奥は成田山不動堂→
本堂だと思っていたけど、そうでなかったことを後で知る。

再び川を渡ります。
中込交差点近く→
ふと目を向けた自販機。
暑いし、普段愛飲しているキリン一番搾りだし、飲みたいなあと思ってよ~く見ると、500ml缶よりでかい缶(上段右から3番目、700~800mlくらいだったかな?、よく覚えていない)があったり、水筒のような形をした缶(下段の一番左)があったりする。
長野仕様か?、初めて見たわ! 

↓市役所へ行く途中に重要文化財・国史跡旧中込学校があるので寄ってみます(観覧料¥250)。


 
何といっても、日本に現存する洋風学校でも一番古い学校建築物。
同じ長野県にある有名な松本市の「開智学校」よりも若干早い明治8(1875)年に創建。

建設当時にはガラスを窓に使用したことから「ギヤマン学校」といったよう。
ギヤマン? 初めて聞いた単語なのですが、ガラスの古い言い方なのだと。

(604)長野県佐久市役所
まあ、いろいろ宣言している都市だこと(笑)。
平成17年にそれまであった佐久市と臼田町などの3町村が合併、人口約10万人。
前編で紹介した五稜郭や日本で一番海から遠い地点、さらには日本一のパラボラアンテナが見られる臼田宇宙観測所、お地蔵さん・中込学校など見所は多くあるのに、いずれも知名度が低いので甘んじているのは甚だ残念。

↓北中込駅から15時3分発の列車に乗ります。


佐久平駅→
在来線が新幹線を跨ぐ珍しい駅。
新幹線がやってくる前は民家が数軒しかなかったという駅周辺は、今では市内でも屈指の繁華街に変貌。

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158日目 サクッと佐久歩き・信州にもある五稜郭

2016-08-09 23:39:46 | 甲信越
2016年7月16日(土)


夏の日差しが全力フルモードに入りつつある頃、寄りによって列車を降りなければいけません。しかも八千穂からたったの10分。休むヒマもありませぬ。

11時38分、佐久市の臼田駅到着→

ずっと木陰に隠れていたい駅前→

いざ覚悟を決めて外に出たものの、やはり直射日光は寝不足の体に厳しすぎ。
↓フラつきながら駅北側にある踏切を渡って、東方向に歩きます。


しばらく歩くと・・・→

どれどれ→
一番目立つ看板が「日本で海から1番遠い地点」。
ホンネを言えば、ここへこそ行きたい。ですが、あと10kmあるし・・・。
歩いて行ったら確実に行き倒れになります。

長野県魅力発信ブログ」というものにこれが詳しく出ていたので、せめてそれを見て行った気分になりましょう。

場所 → 北緯36度10分36秒、東経138度34分49秒、標高1200m

海までの距離(海岸線までの球面距離)
1.静岡県富士市田子の浦港まで  114.853km
2.新潟県上越市直江津まで    114.854km
3.神奈川県小田原市国府津まで  114.861km
4.新潟県糸魚川市梶屋敷まで   114.866km

なんだとか。ここへ行くと佐久市観光協会から「認定書」が貰えるとの事。

因みにこういう所だそうな→
鬱蒼とした感じが海から遠く離れた奥地である事を一層感じさせる。

日本唯一の場所に行けなくても、二つしかないものの一つを見るだけでも十分じゃないか、というワケで龍岡城へ。
五稜郭公園→

 
あたかも函館に来たかのような錯覚
日本に二つしかない星型稜堡の西洋式城郭の一つがここ龍岡城。
松平乗謨(のりかた)が三河から信州への本領移転許可が下りたことにより築城を開始し、3年かけて慶応3(1867)年に完成するも、その5年後には解体の憂き目に遭う。哀れなるかな。
佐久市出身の彫刻家・川村吾蔵氏の作品と資料を展示されている「川村吾蔵記念館」も園内にあります。

ではでは、肝心の城跡へ。
城北側の黒門から見るお堀→

↓大手門前にはこういう建物があって、中ではお城についての資料が見られます。


上空写真→
確かに星型ですよ、五稜郭ですよ!
写真真ん中下の凹部分が大手門、その右斜め上が黒門。

↓大手門から中に入ってみましょう。ご心配なく、人は入れますので。

果たして写真に載っている建物は何でしょう?、ワクワクします。

と思いきや、学校だし・・・→

↓築城時の建物遺構はこれ、お台所のみ。


函館のよりも小振りだし、お城を覗き見る展望台もないし(近くの山から全容は見られるらしいけど)、何よりマイナーだし、だけど貴重な遺構には変わりありませんし、何しろ首都圏から(函館に比べれば)ムチャクチャ近い。
それに落ち着いてのんびり手軽に見られますので、多くの人にここを知って欲しいと思ってます。

満足して駅に戻って再び列車に乗るも、またもしてもすぐに降りる。
↓中込(なかごみ)駅→



↓なかなか小洒落た印象の駅前商店街です。


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158日目 高原列車に乗って海へ(?)その2

2016-08-06 23:58:31 | 甲信越
2016年7月16日(土)


眠い目をこすり、多少フラつきながら小海町の散策開始。
小海駅舎→

駅前→
モニュメント下にある、顔を描いた丸太は街中至る所で見られました。
はて、これらの正体は?

↓一応町のゆるキャラらしいです、伝説の森の妖精プティリッツア。

豊かな自然環境と全ての生命を大切にする温かい心のある土地にしか住めないと言われている妖精なんだそうですが、じい様の妖精なんて初めて見たわ。寧ろ仙人って感じ。
それにスボン(?)の色が戴けない。露出○の怪しい爺さんにしか見えんし。

駅前商店街北側→

↓千曲(ちくま)川に架かる「清流ふれあい橋」の下流方向。

最初に訪れた町が自然溢れる小海町で良かった。
寝不足のままコンクリートばかりの中を歩くのはさすがに滅入るのでね。

(602)長野県南佐久郡小海町役場
地名に「小」がついているだけあって、人口5千人を下回る小ぶりな町。名は体を表すという事か。役場の標高は855mだそうです。

駅の南東側へ。
小海駅の構内→

実に長ったらしい学校名(笑)→
ゴミ処理場やら上下水道なんかでは特別地方公共団体としての組合は見たことありますが、学校は初めて。
でも過疎地なんかでは案外多いのかも知れない。

↓学校近くにある土村公園の小高い山より町を一望。


近くにはこういうものもあります→
力強く実にリアル!
男があれば当然女のもあるのですが、そこは歩いていくには遠すぎるのでパス。
こうみ=子産み、というワケで、町には「子宝」「安産」「子育て」に関する史跡も多いようです。

↓2時間ほど滞在した小海町を去って、次に向かいしはまたしても「海」が付いた佐久穂町の「海瀬(かいぜ)駅」。


↓海瀬駅付近集落と商店街。




そして千曲川(下流側)→

(603)長野県南佐久郡佐久穂町役場
平成17年に佐久町と八千穂村が合併してできた町。なので、新町名の由来は至極分かりやすい。
さらに突っ込むと、八千穂村は畑八+千代里+穂積で、畑八は畑+八郡だそうだから、今となっては古えの元の地名は何が何だかわからん状態。
キャッチフレーズは「水と緑のうるおい 人の営みが奏でる未来のふるさと」という、11,600人が住む町。
因みにこの役場庁舎は旧佐久町にあります。

↓町の西側には小高い丘があるので、ここでも登って一望。

キャッチフレーズどおりの景色に見えますか?

ここを登ってきたのにはもう一つ理由がありまして・・・。
こんな田舎町でも堂々日本一のものがあるというので、見ないワケにはいかないじゃないですか!

ところが、それの在りかが全く分からん。
ここら辺である、とだけの大雑把な情報だけで行こうとしていたのですが、スマホなど持っていないので、やはり案の定辿り着けません。

↓ノラ仕事をしていたおっちゃんに聞いて、どうにか目的物をようやく発見!


申し訳ないけど、畦道を使わせてもらって接近。
北沢大石棒→
またしても張形です(笑)。
横にある案内板によると、縄文時代(!)に動植物の豊穣と人間の甦りを祈願するために作られた、高さ2.23m・太さ約25cmの日本一の大石棒。ですが、力感は断然小海町の方に軍配が上がる。

長野県は全国でも有数の教育県で名を馳せていますが、そっちの方の教育も抜かりないようです

多少時間があったので、海瀬駅から南2.5kmの八千穂駅まで歩いてみます。
八千穂は昔ながらの落ち着いた町並み。
黒澤酒造酒の資料館・ギャラリーくろさわ→
こうした酒蔵はあちこちにあっても、酒を嗜む時間を確保できないのは悩ましい。

奥村土牛(とぎゅう)記念美術館→
現代日本画壇の最高峰の画伯なんだとか。知らなんだ・・・。

八千穂駅11時27分発の列車に乗ります→

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157・158日目 高原列車に乗って海へ(?)その1

2016-08-01 23:35:32 | 複数地域
2016年7月15日(金)・16日(土)


出発したこの日(15日)とその前日は、我が稲毛界隈はお祭り。
そんな賑やかな街を逃げるかのように(?)正月以来の久々の列車旅に出ます。
今回はそのお話し。

19時頃のJR稲毛駅海側出口→
露店が多く出るので、特にたくさんの小中高生がこぞって集まってきます。

↓14日の午後と15日の午前にはゲリラ豪雨に見舞われたので、お祭りを楽しみにしていた人は勿論の事、とりわけテキ屋にとってはヤキモキしたことでしょうが、クライマックスを迎えるこの日の夜は多くの人の願いが通じる。

これより先にある京成稲毛駅付近では道幅が狭くなって、ただでさえ蒸し暑い時期なのに押し競饅頭をしないといけません。
突っ込んでいったら相当のエネルギーを消耗するのは必定。保身のため深追いせず。

以上は旅とは全く関係ないんだけど、たまには稲毛の宣伝をしとこ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

3時間半後の稲毛駅→
だいぶ落ち着いたものの、ゴミがそこら中に散乱。
おまけにしばらくは、路面に落ちたりこぼれたりした食べ物や飲み物なんかで街中が臭くなります

22時36分発の快速電車で稲毛駅を発ち、約1時間かけて新宿駅へ。
↓この時間に来たならば、乗るのはこの列車しかありません「ムーンライト信州81号」。

かつて「特別急行あさま」に使われた車両が、臨時列車としてこんな「あさま」しき姿で走らされるとは・・・。
当時の威容を知る者にとっては切なすぎる姿。

↓さすがは東京、お隣・中央線ホームはこの時間にもかかわらず、この人の多さ。

落っこちるなよ(=ダイヤを乱すなよ)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓3時すぎのまだ真っ暗な小淵沢(こぶちざわ)駅(山梨県北杜(ほくと)市)で下車。

降りたのは私の他、1人だけ。

この旅最大の試練はのっけから訪れます。
次に乗る列車は6時14分発なので、それまでひたすら待たねばなりません。
おまけに外はお決まりの「雨」。しかもかなり寒いし。

駅舎の中→
暖かくてありがたい。
1人だけ先客がいます。「ムーンライト」を降りた人ではなく、チャリダー。

3時間もの間、待つ以外何もする事がないので、駅のベンチで少し寝ようと横になったのですが、保守作業の人が大勢いて落ち着かない。
おまけにクモやらコバエやらといった虫が私の腕を這ったりしてるし、駅舎は古いためかミシミシ言っているし、4時頃になったらチャリダーが起きだして騒々しくドタバタ出発の準備を始めたりで、どだいここで寝ようというのがムリでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

すぐに夜は明けます→

↓そして、待って待って待ち詫びた列車に乗る時間となりました。

小海(こうみ)線でございます。
標高の高い所を走る路線で知られ、「八ヶ岳高原線」の愛称が付けられていて、夏になると避暑客で激混みします。

リゾート地として有名な清里の駅前→

これまた知名度高い野辺山(のべやま)駅→

↓この駅近くには、長野県南佐久郡南牧村(みなみまきむら)の役場があるのですが、今回ここはパス。

ところで、小海線は山の中を走っているにもかかわらず、沿線には他には「海尻」や路線名の元となった「小海」などと「海」の付いた地名が多いのも特徴。

昔の人は案外いい加減で(?)、池や沼だろうと湖だろうと、要は水がいっぱい溜まっていれば「海」と言っていたらしく、たまたまこの沿線には「水溜り」がいっぱいあったようです。

八ヶ岳が崩壊して千曲川を堰き止め、湖ができたものの干上がって平地となったのですが、その北側を「海尻」、南側を「海ノ口」と称した、との事。

横に添い続ける千曲川(ちくまがわ)→
川が新潟に入ると、信濃川と呼ばれます。

7時半前に小海駅に到着→
曇ってはいるけど、雨はあがりました。やれやれですよ、全く。

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156日目 蒸し暑かったこの日はお隣さんへ

2016-07-30 23:19:46 | 南関東
2016年7月13日(水)


私の住んでいる稲毛からそこそこ距離があるので、別世界にある感じの町。
だけど有料道路を使って車を飛ばせば30分程度で行けてしまうので、そういう意味では遠いどころかとっても近い。
そんな遠くて近い千葉市の東側に隣接する大網白里(おおあみしらさと)市に、仕事ができたので車で行ってまいりました。
もちろん、町中をうろついたのは仕事が済んだ17時頃から。

(601)千葉県大網白里市役所
東西に細長い自治体で、人口は約5万人。
つい最近、平成25年になったと同時に晴れて町から市に昇格。
「町」に長い間慣れていたので、どうもにも「市」に違和感があります、正直。
この間なんか郵便の宛先を「町」で書いてしまっていたし。
ところで、私がここを訪れた前日に亡くなった大橋巨泉さんの最後の居住地がここ大網白里市だったという。ふむう。

JR大網駅→
奥が千葉方向で、左は外房、右は東金の方。
駅ホームは二手に分かれている変わった作り。何でこんな風になっているかというと・・・。

↓東金方向の線路に沿って大網駅から北東へ4~500メートル程度行くと、こんな場所があります。

ここはかつて大網駅があった所(奥が東金方向)。
私の記憶ですと、そう遠くない頃にまだ昔の駅舎・ホームが放置されていた気がします。
昔の外房行きの列車はここでスイッチバック。それを解消するために外房線の新線を作り駅を今の場所に移したワケです。

旧駅からちょっと大網駅寄りにある踏切→
右のちょん切れた線路が外房への旧線。

旧駅舎跡地は今は公園→
因みに千葉駅も大網駅と似た感じの構造なのですが、千葉駅も房総半島へ向かう列車のスイッチバック解消のため、現在地に移転した経緯があったりします。

↓旧駅近くの、恐らく昔は大網の中心をなしていた商店街。

駅が近くから消えた(?)せいか、すっかり廃れてしまっています。

再び大網駅前→
大網シンボル(?)の高層ツインビルが迎えてくれます。

県道20号線を跨ぐ外房線の高架線→
この高架線を向こう側に、これまた最近まで旧外房線の線路があって踏切もあったのですが・・・。
今はですっかり一掃されて、そのカケラも見当たりません。

↓高架線をくぐると、ロードサイト店舗っぽいのが立ち並んでいたりイオンがあったりと、今では市の中心部っぽい様相を呈しております。


でも、ちょっと離れるとこうなっちゃう→
商売って厳しいのお。

さて、県道20号線を東にひたすら進むと海に辿り着きます(途中で県道83号線になりますが)。
せっかく車で来ている事だし、行ってみます。10km程度なんで。

海までの途中にある増穂地区→
ここらは住宅・商店が広がっていますが、それ以外は田んぼばかりの地区。

ところで察しはつくと思いますが、「大網白里」は「大網+白里」、つまり2つの自治体が合併してできたものと思うでしょう。
でも正解は「大網町+白里町+増穂村」。昭和29(1954)年に合併して、前身の大網白里町が誕生する。
「大網白里増穂町」ではさすがに長すぎる。そこで唯一村だった増穂にご退場いただいたのでしょうが、弱肉強食は世の常ですな。

↓正面の壁っぽいのをくぐると、そこは地の果て。


その名は「白里海岸」→
全国に通じる名前で言えば九十九里浜
白里地名の由来は知りませんが、九十九里浜に面している集落。
仮に「九十九里=百マイナス一(いち)里=白里」(白寿が九十九歳であるのと同じ理屈)だったとしたら、昔の人の洒落っ気に感心するワケです。

↓2つ上の写真の壁は「九十九里有料道路(通称・波乗り道路)」の盛り土。

ただ、かさ上げ工事のため今年の4月から来年3月いっぱいまで閉鎖中。

↓夏は海水浴場客で賑わう海岸ですが、この日は人っ子一人いません、当たり前か。

あれから2週間あまり、梅雨も明けたし暑くなったしで、いよいよ夏本番!
そして「海の家」で働く人は多くの人が来てくれないかと、こう歌っているハズ(?)。
♪ああ神様お願い~

ぱやぱや。

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155日目 神奈川の陸の孤島へ上陸

2016-07-26 23:51:17 | 南関東
2016年6月11日(土)


山を下りてくれば、その後は普段見慣れている関東平野の平坦地へ。

(599)神奈川県愛甲郡愛川町役場
町内には鉄道も駅もないけど、相模原市など大きな都市と接しているためか、人口はかなり多い4万人あまり。
このまま順調に増えれば市への昇格もあり得たのですが、近年は頭打ちのようです。
「愛」を二つも持っている町、というワケで、♩きっとここから愛なんだ~、と思わず歌いたくなる所(私だけ?)。

役場前の道路(県道65号線)→

↓役場前にある、よくありがちな商売広告の地図。


よーーーく見ていると、面白いもの発見!→
内陸にありながらおかしな地名。
もしかして大昔、ここらはそういう場所で今では地面を掘ると多くの貝殻なんか見つかるんかなと。

興味があったので帰宅して調べてみる。
まずは読み方は普通に「かいてい」。
と思いきや何と、おぞこというらしい。
かつては手漉き和紙の産地だったという。

さらにはタコやカニなんかしか使ってくれなさそうな海底橋などという名前の橋もあるという。ただ、今は壊れてボロボロになっているようですが。

↓明治16(1883)年に豪農によって建てられた、国登録文化財「古民家山十邸(やまじゅうてい)」に興味があったので、ちょっと顔を出してみます。

終戦後の東京裁判の公判中、東条元首相のハゲ頭を叩く(叩きたくなる気持ちは何となく理解できなくもない)など、奇行が目立ち○チガイ扱いされたA級戦犯大川周明が、昭和19(1944)年にここを買い、昭和32年に亡くなるまでここに住んでいたという。

辺りには誰もいないようですが・・・→
実はお役人様らしき4~5人が、一生懸命掃除しておりまして・・・。
休日出勤、お気の毒と思ったのですが。

翌日のこれに備えていたのです→
古めかしい佇まいの中、ワケ分からん奇抜なコスプレ連中がゾロゾロいるとしたら、それはそれで非常に違和感ある。

でも町肝煎りのイベントのようで、「明日、是非来てください!」と懇願されたのですが、「千葉から来てましてね、今日中に帰るんです・・・」と私が答えると、非常にガッカリされる。スマヌ。
それでも「わざわざ遠い(?)所からよくお越し下さいました」と非常に感謝される。
で、結局、このイベントは盛大のうちに終わったのかな?

↓建物内部



今年3月放送のドラマ「さよならドビュッシー」のロケに使われたようです。

さて、話しは変わりますが、「あやせ」をご存知でしょうか?
女優なら知ってるよ!、でしょうが、ここでの問いは地名でして、恐らく首都圏に住む人にはかなり聞き馴染みがあると思います。
「東京都足立区」「千代田線」をイメージする人もおるかと思いますけど、今回はラジオなんかでよく耳にする方。

愛川町の次に来たのは海老名市や厚木市といった知られた町をすっ飛ばして、やや離れた綾瀬市なのですが、それには理由があります。

さて、綾瀬の名所と言えば・・・→
大東亜戦争終結後、マッカーサー元帥が偉そうに威風堂々とパイプ片手にタラップを降りてくる写真が撮影された基地。そう、有名な海上自衛隊厚木基地の正門。
名は「厚木」なので、厚木市にあるかと思えば、どういうワケだか綾瀬市とお隣・大和市に跨る航空基地だったりする。
所在地は「神奈川県綾瀬市無番地」なんだとか。

↓ひょっとしたら一番知られている名所かも知れない(?)東名高速「綾瀬バス停」。

「綾瀬バス停を先頭に○○キロ渋滞」ラッシュ時や行楽・帰省シーズンなんかのこうしたお決まり渋滞情報にイライラした人も多かろう、とっても恨めしい場所。
東京に向かって登り坂になっているために引き起こされる車の溜まり場であります。

(600)神奈川県綾瀬市役所
人口約85,000人。
それなりに(首都圏では)耳にしていても、実際どこにあるのか知らない人がほとんどなのでは?

東海自動車道を走っていると「神奈川県のほぼ真ん中 綾瀬市」の横断幕が飾られております。
実際に地図を見てみると、どうしたって真ん中ではないので、「ほぼ」を「ド」と言えないところが切ないんだけど、アピールに一所懸命な市の姿が伝わってきます。

役所敷地内にある「防火たぬき」→
「かちかちやま」をヒントに防火を呼びかけるためのもの。

役所のウラ側は一面畑→
日没時間になったので、一層寂しい場所と化しております。
この道の先には、「東山ふれあい展示即売所」があって、かなり美味との噂の綾瀬名産「高座豚」が売られているらしいのですが、16時で閉店・・・、無念なり。

↓最後に、市の南部に東海道新幹線が走っているのでそれを見に行きます。

暗くなった中、光を放ちながら颯爽と駆け抜ける姿が美しい。
新幹線はわずか1.5キロほどしか市に掛かっておらず、20秒程度顔を出すだけ・・・。

私が今回わざわざ綾瀬市に来た理由ですが、車で「ゆっくりのんびり~」旅をする際は、務めて優先的に鉄道駅のない自治体を廻るようにしております。

そう、鉄道が走っていながら、駅のない市、それが綾瀬市なのです。
もっと言うなら、高速道があってもインターチェンジがない上に、渋滞で謂れのない恨みを買い(?)、さらには基地騒音はあるし・・・。
ちとお気の毒。

↓帰りに寄った「大黒PA(横浜市鶴見区)」。

昔も今も変わりなく、車でギッシリ(ガラの悪そうなのが多いのも同じ)。

これは変わってもーた・・・→
ベイブリッジが見えんし。そこの白いの、バカヤロー!!

この日の走行距離、ちょうど400km!

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155日目 神奈川県民の命を守るでっかい水がめ

2016-07-23 23:51:43 | 南関東
2016年6月11日(土)


引き続き国道413号線で山ん中をひた走り、神奈川県入り。
↓神奈川とは思えん景色が続きます。
 
おまけに相模原市というれっきとした政令指定都市だったりする。

突如目の前に橋が現れる→
「虹の大橋」という、両側のフェンスに虹が描かれているという橋(ここも相模原市)。

橋からの眺め→
川ではありませぬ、相模原市・愛川町・清川村に跨る宮ヶ瀬湖という面積4.6km2で、県人口の9割に水を供給しているというダム湖。

真下をアップ→
地肌が露わになっているし・・・。

今年の関東は、水がピンチ!と、この頃あたりからマスコミが大騒ぎしていたのですが、あれから1カ月半、パタッと聞かなくなりました。
その間話題が盛りだくさんだったというのもあるかとは思うけど。
でも最近取水制限3割にするとかという、こっそり書かれたような小さな新聞記事も見た気がするし・・・。

水は一体どーなってるの?というワケで、本日の貯水率(利根川水系のですが)を見てみると、約60%でたいして変わり映えない感じですが、注目すべきは前年同時期比較。
約90%となっているので、実は楽観的に構えていても(当面は)いいんでないかい?
いつ間に降ったんだろうね?

神奈川県は首都圏の中でも水不足には案外強いのですが、それはこの巨大な湖があるからと思われます。
でも有名な箱根の芦ノ湖は神奈川県にありながら、その水は静岡県民が専ら使い、神奈川県民は使えないのは意外。

いったん湖を離れます。
(598)神奈川県愛甲郡清川村役場
左の茶色い建物が役場で、目の前のは昨年11月に登録されたばかりの、県内3番目の道の駅「清川」。
何と、全国都道府県で人口第2位の神奈川にも「村」があったりする。
そして人口はわずか約3,000人。重ね重ね神奈川とは思えん所です。
村のキャッチフレーズは「水と緑の心の源流郷」。

↓道の駅の中にある売店には、村のゆるキャラを動員したにもかかわらず、このとおり大量にアイスが売れ残っています。

気の毒になったので買いましたが。

特に見たい所なし(ダム以外)→
なので、この周辺を宛てなくブラブラします。

強烈な香ばしい匂いが辺りに漂っています。
ここがその源→
ウチの愛媛の田舎の近所にもブタ様を飼っている施設があったので、故郷を思い出す懐かい匂い、と思いたいけどただ単に臭いだけ。

のどかな村です→

↓右の看板は注意を喚起しているコヤツに破壊されてしまったとの情報が・・・。

あるワケないし。
でも、こんな人里にコヤツが出てくるなんて、考えただけでも恐ろしや。

再び湖畔に戻り、15時すぎに「宮ヶ瀬ダム・水とエネルギー館」の門を入ります。
↓そしてしばし、ダムを堪能します。





宮ヶ瀬ダムは平成13年にできた比較的新しいダムで、重力式(ダムの重さで水を堰き止めるタイプ)のダムとしてはコンクリート使用量日本一、高さは国内6位の156m、総貯水量は1億9300立方メートルを誇っており、水・電力の供給、治水等の役割を担ってます。

そして周辺は一大リゾート地となっており、湖畔遊園地では年末になると巨大なクリスマスツリーが飾られるので有名。
因みにダム辺りは清川村と愛川町の境界線が走っております。

渇水の影響?→

見晴らしよろし→

↓遠く横浜みなとみらい地区の摩天楼もかすかに見えます。

夜景はきっと素晴らしかろう。

下を覗く→
こえ~。高所の超苦手な私が、へっぴり腰になってどうにか収めた一枚。

↓下へ行くには、無料のエレベーターと有料のインクラインを使う2通りありますが、まずはエレベーターを使って下へ。

ここは完全に愛川町。

見上げる→
観光放流がされる日があるのですが、通常4~11月の水曜、第2・4金曜、第2日曜の11時と14時。曜日も時間も完璧に外してしまってます。

↓貸し切り状態のインクラインでゆっくり4分かけて上へ。


首都圏にある超大型ダム。車でないと行きづらい所ではあるのですが、特にダム萌えの方、ぜひ迫力をご体感あれ。

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155日目 5回目金運神社参拝と山梨の横浜村

2016-07-19 23:48:44 | 甲信越
2016年6月11日(土)


以前も予告しましたが、毎度お馴染み・新屋山神社参拝へ今年は日帰りで行ってまいりました。これまでの参拝→1年前2年前3年前4年前

5時半に出れば渋滞にハマらずに済むだろうと思いましたが、そうは問屋が卸さず(?)、恒例行事の中央自動車道の渋滞に飲み込まれてしまう。
↓渋滞の巻き添えを食らって、合体してしまったお気の毒な車もあったし。


↓千葉から100kmの藤野PA(神奈川県相模原市緑区)で小休止。

2時間半もかかりました。中央道イヤすぎる。

「緑のラブレター」がPA目前にあります→

尻隠して頭隠さざる富士山→
手探りで適当にデジカメをいじって写したら、奇跡的にうまい事撮れておりました。
この後富士山は、ガスを全身に覆っての隠遁術で二度とお目にかかれず・・・。

↓9時にやっとこさ河口湖ICを降りて、まずは新屋山神社本宮へ。

昨年から祝詞台にも入れなくなったばかりか、お祓いすらもしてくれずにけんもほろろな扱いだった神様でしたが、今年はお祓いして戴けました。
でも一方で、富士山型の羊羹やお菓子のお配りはなくなった模様。

次に奥宮へ。
↓一週間前の6月5日に起こった、マイクロバスとワゴン車との衝突事故現場。

危ないんだよな~、ここらへんの交差点。
実際、別の場所ですが、以前、脇から出てきた車にヒヤリとしたことがあったし。

新屋山神社奥宮→
超霊力たっぷりの環状列石(ストーンサークル)が今年の5月31日に撤去されてしまっていました。
それでもがめつく、跡地でグルグル3度廻って拝んできましたが(ご利益あるよね?)。

参拝後にはイギリスの例の件があってイヤ~な感じでしたが、この間の参院選で与党が圧勝したし、近いうちに金融緩和しそうだし、秋になれば経済対策と称してお金を蒔いてくれそうだしで、何となく気分的に上げ潮の雰囲気。
経済に詳しい知り合いの会社社長は、これから株が上がると言って、せっせと漁り始めたので、我も一丁、乗ってみるか!
もし儲かったら、神様、スゲーぞ。

↓山中湖の北側を走って、国道413号線で道志村(どうしむら)入り。


↓国道沿いにある「道の駅どうし」に立ち寄ります。





道志川っぺりにある道の駅。鮎釣りにしている人がチラホラ。

↓ちょうどお昼だし、食いもん食いもん・・・。




↓いろいろ目移りしたけど、選んだのはやっぱり鮎。

ところで、これって、天然だよね?、天然のハズ・・・。

↓和出村(わでむら)地区





通りかかった際に景色が気になったので車を停めました。
春は桜、秋は紅葉でキレイらしく、道志川に架かる橋がいい味を出しております。

(597)山梨県南都留郡道志村役場
1700人あまりが住む自然豊かな村。
ローマ字表記「どし」がちょっと笑える。

↓村の全容はこんな感じ(道の駅にあった案内板)。

左下から右上に向かう一本のスジが国道413号線で、別名・道志七里。

明治30(1897)年から横浜市が道志川の水を取り始めて以来、道志村と横浜市とは友好な関係が続いていて、村のキャンプ場や公衆浴場などを横浜市民が使うと割引サービスがあったりするほどの仲の良さ。
両自治体の関係については村のHPにも詳しく載っております。

横浜と言わず、首都圏の骨休め場所としてもいいと思いますよ、道志村。
温泉もありますし。
是非お越しあれ!

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4年目の集計

2016-07-08 23:44:30 | その他
お暑うございます。

いつか投げ出すんじゃないか、そう思いつつも何とか4年間生き長らえた市区町村巡りの、年1回の進捗状況報告でございます。


市区町村(前年比)行った市区町村数/市区町村数    割合 

合 計(+95)      642/1916   33.5%

市町村(+88)      596/1741   34.2%
政令市(+7)        46/175    26.3%

北海道(+13)       41/179    22.9%
札幌市(+2)         2/10     20.0%

青森県(+2)        17/40     42.5%
岩手県(+3)        11/33     33.3%
宮城県            17/35     48.6%
仙台市             1/5      20.0%
秋田県             0/25        0%
山形県            21/35     60.0%
福島県            23/59     39.0%

茨城県            16/44     36.4%
栃木県            11/25     44.0%
群馬県            17/35     48.6%
埼玉県            20/63     31.7%
さいたま市           5/10     20.0%
千葉県            17/54     31.5%
千葉市             1/6      16.7%
東京都(+3)        17/62     27.4%
(うち特別区          5/23     21.7%)
神奈川県           13/33     39.4%
横浜市             4/18     22.2%
川崎市(+2)         5/7      71.4%
相模原市            0/3         0%

新潟県            14/30     46.7%
新潟市             0/8         0%
富山県(+2)        12/15     80.0%
石川県(+8)         8/19     42.1%
福井県             2/17     11.8%
山梨県            16/27     59.3%
長野県            22/77     28.6%
岐阜県(+3)        20/42     47.6%
静岡県(+3)        19/35     54.3%
静岡市             3/3     100.0%
浜松市             4/7      57.1%
愛知県(+8)        14/54     25.9%
名古屋市(+1)        1/16      6.3%
三重県(伊勢・志摩)(+2)  7/22     31.8%

三重県(伊賀・紀伊)      2/7      28.6%
滋賀県             9/19     47.4%
京都府             7/26     26.9%
京都市             1/11      9.1%
大阪府(+3)        10/43     23.3%
大阪市             5/24     20.8%
堺市              2/7      28.6%
兵庫県(+14)       17/41     41.5%
神戸市(+1)         3/9      33.3%
奈良県            10/39     25.6%
和歌山県           11/30     36.7%

鳥取県             4/19     21.0%
島根県             0/19        0%
岡山県(+6)        17/27     63.0%
岡山市(+1)         3/4      75.0%
広島県             6/23     26.1%
広島市             3/8      37.5%
山口県             9/19     47.3%

徳島県             9/24     37.5%
香川県(+7)         7/17     41.2%
愛媛県             9/20     45.0%
高知県            11/34     32.4%

福岡県            21/60     35.0%
北九州市            1/7      14.3%
福岡市             2/7      28.6%
佐賀県             9/20     45.0%
長崎県             8/21     38.1%
熊本県            15/45     33.3%
熊本市             0/5         0%
大分県             5/18     27.8%
宮崎県             6/26     23.1%
鹿児島県            8/43     18.6%
沖縄県(+11)       11/43     26.8%


実感は全くないのですが、何だかんだで3分の1に到達しました(よくこんなにほっつき歩いたもんだけど・・・)。
このペースで行けば8年後には終わってしまいますが、たっぷり離島なんかを残していたりと、それは1万%以上不可能ではありますが、でもまあ、そんなに慌てる必要もないので、次の4年間で全体の半分をクリアできればいいかなと。
そんなワケで5年目に突入でございます。

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153・154日目 大阪の山を下りたらそこは旅の終着地

2016-07-07 23:53:03 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月6日(金)・7日(土)


能勢町と大して変わり映えのない感じの豊能町(とよのちょう)が次の目的地。
(595)大阪府豊能郡豊能町役場
ここ10年で5,000人位減ったとはいえ、それでも約2万人を抱える町。役場周辺を見る限りそう見えないけどね。
キャッチフレーズは「人とみどりが輝くまち とよの」で、「住みたいまちナンバーワン」を目指している志の高い町であるのだけど・・・。

地図をよ~く見ると、役場東側の山奥に何故かポツンと巨大な住宅街があったりする。
違和感を覚えるこの団地は、「希望ヶ丘」という地区の「北大阪ネオポリス」。
もちろん鉄道など来てはおりませんので、唯一の公共交通機関であろうバスを使っても一番近い駅まで余裕で1時間はかかるんじゃないか?そのくらい利便性がハンパなく悪い場所(に思える)、これこそまさに「陸の孤島」。
故に、笑っちゃいけないのだけど、「望ヶ丘」と揶揄されているらしい。

ま、案外あちこちでこんな住宅街を目にするので、ここだけが犠牲者というワケでもないんだろうけど・・・。

鉄道の駅は町内にあるのだけど、役場周辺から相当遠い町の西の端っこで、そこへ行くのにまともな道路一本すらなく、よその市町を廻らないと辿り着けない有り様。
能勢電鉄の駅から役場を結ぶ快適道路を作らないと町が荒む一方なんじゃないかと。

どこか見所がないかと目を皿にする→

↓でも「これは!」と思う所もなく、雨風強い中、役場のある余野地区をブラブラしてみます。


役場前の道路(国道423号線)→

↓のどかな町です。




↓思いがけず出会ったこの看板にビックリする。

「関西人は納豆が嫌い」というのは、実は都市伝説なのでしょうか?

高山地区→
江戸時代の禁教令によってマニラに追放され、そこで病死したキリシタン大名・高山右近の出生地。
役場に飾られている垂れ幕にもあるとおり、右近の没後400年にあたる昨年、日本のカトリック教会が彼を殉教者として「福者」に認定するようバチカンに働き掛け、今年になって晴れて認定。
因みに「福者」とは、最高の崇敬対象となる「聖人」に次ぐものらしい。

↓細い山の中の道路を走って箕面(みのお)市に入り、日本の滝百選の一つ・箕面大滝の駐車場に到着。

ゴールデンウイーク期間中は17時まで有料のところ、それを過ぎた時間にやってきたのでロハ、ラッキー。
秋になると辺り一帯は紅葉が素晴らしいようです。

「出くわさザル」が一番いいのだけど→
箕面と言えばサル。
研究と観光を目的に昭和29(1954)年にニホンザルの餌付けを始め、昭和31年には天然記念物に指定を受ける(餌付けした動物を天然記念物とは変な気がする)。
ところが、察しは付くと思いますけど、餌付けに慣れたサルは次第にエスカレートして、(人間にとって)いろいろな迷惑行為をしでかすようになったので、平成22年に「箕面市サル餌やり禁止条例」が施行される。

↓もう一つ、箕面と言えば(知らなかったけど)「もみじの天ぷら」。

それを買いたいと思っていたのですが、お店やってないし・・・。
片方の看板の「モンちゃんせんべい」とは、サルの焼き印が入った瓦せんべいなんだそう。

ここを下りて行きます→

マイナスイオンたっぷり浴び・・・→
た気がしません。曇天なので。人もポツリポツリで寂しいし。

「宝くじ発祥」の瀧安寺(りゅうあんじ)も行くつもりだったのですが、ついつい忘れてうっかり山から市街地に下りてきてしまう。

阪急電鉄・箕面駅前→

↓面白い形の駅前だなと思ったら、これ見て納得。

昔は線路が音符みたいな形をしていて、降車と乗車場所が別々だったという。

滝の道商店街→
ここの「もみじの天ぷら」屋さんもお休みかよ・・・。
その名のとおり、ここから歩いて滝に行かれます。その途中に箕面とどういう関係があるのか知らないけど、あの野口英世博士の像があったりするらしい。
約3kmの緩やかな坂道みたいなので、ハイキングがてら自然を楽しみながら登っていくのもまたよし。

ところが、コンビニであっさり「もみじの天ぷら」を発見!→
モノホンのもみじの葉っぱを揚げた、かりんとうのような感じの甘いお菓子。
お土産に買って帰ったのですが、家の人にはかなり受けのいいお菓子でありました。

みのお本通り商店街→

↓有名ドーナツ屋さんの、栄光の「1号店」。

私はこのお店に滅多に入らないのですが、敬意を表して珍しく購入する。

箕面公園通り→

街中をウロついているうちにあたり真っ暗になってもうた市役所。
(596)大阪府箕面市役所
人口は約13万3千人ですが、何といっても「大阪の高級住宅街」として名高く、著名人も多数お住まいのようです。そのせいか財政力指数は大阪府でも上位。
ところが、今月1日配信のyahooニュースでは、「落ちぶれる大阪の高級住宅街」として箕面市が紹介されておりましたけどね・・・。

これで、後は千葉に帰るだけです。
20時10分に茨木ICから高速道路に入り、途中の土山SA(滋賀県甲賀市)、浜松SA、海老名SAでの休みを挟んで、ヘロヘロのフラフラになって帰宅したのは、街がボチボチ活動を開始し始めた7時12分。
♪つらし、ねむたし 朝帰り たまにはこんなムチャクチャいいワ(?)

前日からの走行距離675km、都合1,661kmの旅でございました。

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153日目 兵庫県ばかりじゃ芸がないので・・・ 

2016-07-02 23:54:11 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月6日(金)


県道68号線の山ん中を突き進み、宝塚市を経由して猪名川町(いながわちょう)へ。

道の駅いながわ→
旨い蕎麦が食べられるというので立ち寄ってみたワケなんですが・・・。

見事な肩透かしじゃ→
連休の谷間だし、サービスを提供する側も休んでおかないと過労死まっしぐらだから仕方ない・・・。

石像となっている「いなぼう」とは、この町のマスコットキャラクター。
猪の子どもの「うりぼう」をモデルとして、猪名川の「いな」と、うりぼうの「ぼう」で「いなぼう」。

斜め向かいにあるコンビニで一服し、再び街中に向かって走らせます。

高さ30mの岩壁「屏風岩」→

(593)兵庫県川辺郡猪名川町役場
川辺郡に属するたった一人ぼっちの自治体。昔は宝塚だとか尼崎だとかの方まで広がっていたのに・・・。

↓見てのとおり、猪の一頭や二頭が出てきてもちっともおかしくない田舎。

ですが、役場から東北方向約2.5kmの川西市との境に駅があり、そこへは行かなかったのですが、もしかしたら駅周辺は普通に街っぽいのかもしれません。
なので人口も31,000余人と、なかなか多いです。

町の歴史は古く、役場HPによると「その昔、東大寺大仏鋳造の際に、銅を献じたと伝えられている多田銀銅山を中心にひらけ、その名が示すように多田源氏ゆかりの地として武家文化の栄えた所」とあります。

↓役場の横に古い立派な茅葺きの豪邸が佇んでいたので潜入を試みます。


↓静思館(せいしかん)



冨田熊作さんという町の大富豪が総工費約10万円(当時は中谷村といったらしいですが、村の予算の倍以上!)を費やして、昭和7(1932)年から3年をかけて建てられ、昭和59年に町が譲り受ける。
入館無料。その名のとおり、心静かにしばし思いを巡らすには持って来いの場所で、この日のような雨の日は特にいいかも知れない。

猪名川町の名所といったら、何といっても町のHPでも触れた鉱山の、その跡地。
今年3月10日に国史跡に指定されたばかりのほやほやで、もちろん無視する訳ありません。

↓猪名川町銀山という地名の場所にある「悠久の館」。

ここは資料館にもなっていて、鉱山についての様々な展示物を見ることができます。

多田銀銅山とは、今の兵庫県・大阪府に跨る東西20km、南北25kmのムチャクチャ広い鉱山で、10世紀の終わり頃から本格的に採掘され、それは昭和48(1973)年まで続く。
そして特に品質のいい銀が取れたのが、ここ猪名川町銀山地区。
豊臣秀吉は直轄鉱山としたので、今でも秀吉ゆかりの間歩(まぶ・坑道のこと)が残っています。
そして何といっても、日本最大の埋蔵金伝説の地
秀頼の将来を案じて秀吉が4億5千万両を分散埋蔵したとされてる、夢のまた夢の地でもあります。

その裏手にある「代官所跡」→

↓悠久広場にある、明治時代に操業された「堀家精錬所」跡地。


アテなく埋蔵金を探しに、さらに山奥へと続く道を行きます。

銀山の最盛期には「銀山数三千軒」と言われるほどの賑わいを見せていたようですが、でも今では見る影もない、空き家ばかりの落ちぶれた集落。

金山彦神社は鉱山の神様→

さらにここから先にも史跡はあるようだけど、車一台通るのがやっとの細道。
この先、車を反転させられるスペースがあるかどうか怪しいのでここで引き返します。
雨さえ降っていなければ、ハイキングがてら埋蔵金探しに行ったのだが。
いつか本格的に探しに来てやる。待ってろよ、埋蔵金!
ただ、クマが怖いけど(いるかどうか知らない)。

長~いお付き合いだった兵庫県はこれにて(ずっと兵庫も飽きた)。じゃあね。
というワケで大阪府に乗り込みます。

↓軽くうどんか何かを食べようと思って来てみた「道の駅能勢(のせ)」。



能勢、お前もか! ここも絶賛閉店中・・・。

↓(594)大阪府豊能(とよの)郡能勢町(ちょう)町役場

地図をご覧になると分かるのですが、大阪府の北部には兵庫県と京都府の間をムリクリ割り込んだいったような場所があります。そこにあるのがここ能勢町。

↓とても大阪府とは思えない田舎町。



東京で言えば奥多摩のような所か?
町のHP内では、「町全体が田園と自然のギャラリーのようなものです」と言い切っているのだから、掛け値なしの田舎です。でも人口は1万人もいたりする。

長時間滞在は無用なので、さっさとお隣の町へ向かいます。

能勢町・猪の子峠手前の府道4号線→
実はこの道路、4年前に走った事があって、再びこうしてまた通るとはその時には正直思いもしませんでした。
その時に一部未舗装部分があってビックリしたのですが、あれからちっとも整備が進んでいません。

横は崖だったりする→
でもそんなに怖くありません。それよりも・・・。
対向車来るなよ!

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153日目 ネット配信記事に釣られて訪れた町

2016-06-26 14:32:41 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月6日(金)


今月11日に毎年恒例の金運神社に行ってまいりました(後日アップします)。

このところ我が国の経済状態はあまりよろしい感じはなく、その煽りを食って(?)今年に入ってからは私の金運もサッパリなので上昇祈願に行ったワケですよ。
しっかりお参りしたし、これでよろしき便りをひたすら待つだけと考えていた最中の先日、以前から非常に気になっていたイギリス住民投票がついに行われ、

EU離脱決定!!

のよもやの衝撃的結果に。

EU残留→米利上げ→日本金融緩和→景気が上向く→私の懐が暖まる、きっとそうなる筈だと思い描いていた青写真は一気に遠のくどころかかなり怪しい状況に。
行った当初はそれなりの恩恵をもたらしてくれた神パワーはもう効かないのか?

何だか旅に出たい気が急激に萎えつつあります(とりあえずは7月の3連休は出かけますが、後は知らん)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓一晩過ごした丹波市の「道の駅丹波おばあちゃんの里」
 
舞鶴若狭自動車道・春日IC近くにある道の駅ですが、ムダに余裕たっぷりの広い駐車場。遺跡もあったりします。
以前は春日町と呼ばれたこの地域は、あの春日局の出生地でもあります。

国道176号線を南下し三田市へ。
(592)兵庫県三田市役所
首都圏の人なら東京都心を走る地下鉄・三田(みた)線に馴染みあるので、ここを「みた」と呼んでしまうであろうけど、「さんだ」です(かく言う私もうっかり「みた」と言いそうになる)。

20年くらい前までは人口増加率上位の常連だったこの都市も、最近は頭打ちどころか微減気味の約11万3千人位。
さすがに都心回帰傾向・人口減少社会には抗えないようです。

ところで市役所前の道路は車の交通量がとても多く、役所の駐車場料金が他の市中のそれよりいくらか安いせいかそこへ出入りする車も結構ある上、人は横断歩道を悠然と渡るので、朝のラッシュ時も重なって大混乱する事しばしば。
信号を設置すればいいのだろうけど、すぐ近くに交差点と踏切があるのでそうもいかないのかも知れない。

↓市役所東側に位置するJRと神戸電鉄が乗り入れている三田駅。


神戸電鉄のホーム→

JR改札口→ 
左のちっちゃなセブンイレブンは、前々日6時40分にオープンしたばかりの新参者。

↓駅前商店街は狭い上に、駐車車両があると他の車は大迷惑。


この通りをまっすぐ進むと武庫川にで出ます。
相生橋より駅方向→

同橋より市役所方向→

神戸電鉄・三田本町駅近く→
昔ながらの落ち着いた雰囲気が感じられる街並み。

↓「ファミコンショップ」と看板を掲げてはいるけど・・・。

さすがにかつてのファミコンソフトはどうなんでしょ?

さて今年の3月6日に、「あの道 この坂 昔の地名を訪ねます」というNPO法人・歴史文化財ネットワークさんだが企画したイベントがyahooニュースに紹介されていたのをご存知でしょうか?
その記事はもう削除されているみたいですが、配信源となったらしき神戸新聞社の記事はまだ見られます。

そんなワケで、それらを実際にこの目で見てみようという次第。

大蔵坂、またの名を歌仙坂→
「江戸時代、この坂に面して三田藩の蔵があった。また、かつては緩やかな階段が三十六段あったので三十六歌仙にちなんで歌仙坂ともいう」とは写真右下にある案内板。

ころび坂→
「急坂なので冬の凍てつく頃はもちろん、普段でも人がよく転ぶのでこの名が付いた」くらい、確かに角度はきついです。

極めつけは「牛くそ坂」→
年貢米を蔵へ収める時、坂の途中で牛をつないでいたという。
寅さんじゃないけど、当時は「坂の周りはクソだらけ」だったんだろうね。

ま、地名の由来なんて案外単純なもんだと思いますよ。

違和感ある教会の門→
西洋宗教のものにしては珍しく和風建物かいなと錯覚を起こしそうですが、隣に立派な普通にイメージされる教会建物があります。

妙三寺→
詩人・三好達治氏が幼少期に過ごしたというお寺さん。

↓日本初の民間の博物館は三田だったんですねえ。


旧九鬼家住宅資料館→
旧三田藩家老が明治初期に建てた、全国でも珍しい和風・洋風が混在した建物。
あいにくこの日は休館でしたが・・・。

三田市散策を終え、降り出した雨の中、国道176号線をさらに南下し神戸市北区へ。
でも途中で通行止めの箇所があって通せんぼとなっております。
理由はコレ→
記憶に新しい4月22日発生した建設中の新名神高速道路橋桁落下事故現場です。
あれから2ヶ月、今はどうなっているのだろう?

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