ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

161・162日目 バスに乗って中国へ

2017-01-14 23:51:11 | 山陰
2016年9月14日(水)・15日(木)


・山陰はかなりのご無沙汰。おまけに「ゆっくりのんびり旅」での進捗状況も悪い上、島根県は未踏
・廃止が必至な情勢で、首筋がお寒い状態にあった未体験の三江(さんこう)線にも乗ってみたい(結局、昨年9月1日にクビとする届けの提出をJRは表明する)。
・広島東洋カープ(私は赤ヘル党)が快進撃だったため、きっと大いに沸いているであろう広島の街の様子を見ておきたい
・個人的にまだ行った事のない軍港・呉に行きたい
このような思惑から、元々は10月のJR「秋の乗り放題パス(秋パス)」の発売時期に実行を予定していた中国を巡る旅。

ルートも千葉→東京→(夜行バス)→江府(こうふ)・江尾(えび)→備中神代(びっちゅうこうじろ)→三次(みよし)→三江線往復→三次→広島→呉→福山→(新幹線)→千葉
と考えた後、はて?秋パスを使うのと、普通に乗車券を買うのとではどちらが安くなるのだろう?、と思い始め比較検討してみたら乗車券の方が安く、ならば10月にこだわる必要もなかろうと、この9月の三連休を絡めた時期に繰り上げました。

もしかしたら、広島に行った日に優勝なんてあったらいいな、ともう一つの楽しみができたのですが(広島に行く予定日にちょうどMazda Zoom-Zoom スタジアムでの試合が組まれておりました)、残念なるかな、9月10日に決まってしまいました・・・。

↓事前に買った切符。
 

↓そんなワケで、帰宅を急ぐサラリーマンが行き交う中、キャメル号・米子行きに乗るため20時すぎにJR浜松町駅に到着。
 
キャメル号は私が乗る米子行きの他に、鳥取・倉吉行き(始発は共に品川)もあります。
愛称は鳥取砂丘からの由来らしく、鳥取・倉吉行きにはいいと思うけど、米子行きには大いに違和感。
キタロー号とでもした方が利用者には馴染みやすいのではないかな?

バス乗り場は世界貿易センタービル別館→
停留所はあたかも地下にあるっぽいけど、実はビル1階。

定刻20時50分より5分程度遅れての出発→

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓で、翌朝6時15分頃、道の駅奥大山が真ん前の江府(こうふ)ICバス停に到着。

降りたのは私一人だけ。
キャメル号、実は今回初めて乗ってみたのですが、3列シートでもやや窮屈だったのは仕方ない。
それよりも安い上に運行時間帯がとてもいいので、これかなり使える。
これまでは「サンライズ出雲」を使う事しか頭になかったけど、今後、山陰に行く時はキャメル号にするわ。

道の駅も掃除してくれている地元のおばちゃん以外、誰もいません。
ただ、そのおばちゃんがモップとかではなく素手でじかに雑巾を使って便器を拭いているのにはビックリ!
当たり前なんですが、このような公共施設の維持には誰かが汗を流してくれているんだよな、本当に感謝の極みです。

↓JR伯備(はくび)線と日野川に挟まれた国道181号線を2km程歩いて南下し、江府町の中心集落がある江尾(えび)駅周辺へ。
 

中世には江美と表記されたという江尾は江美城の城下で、江戸時代になると宿場として栄える。
↓日野往来の街並み。
 

お城はまだ残っているのか?→
と思いきや、あちこちでよく見られる模擬天守。

↓ヤキソバで有名な蒜山(ひるぜん)へと通じる街道の街並み。
 

(611)鳥取県日野郡江府町(こうふちょう)役場
人口は一昨年3月末で約3,200人。なので「3000人の楽しい町」を標榜しております。
でも、ここもご多分に漏れず年々人が減っているので、いつまで「3000人」を使っていられるんだろうかねえ?
「環境王国認定の町」でもあるのだと。知らないし・・・、「環境王国」。
よくよく調べてみたら、こんな素晴らしい取り組みはもっと世間にアピールしないといかん。

この町名は江尾+○府(府○)かと思っていました。
ところが町のHPによると、「町内を流れる日野川、俣野川、船谷川、小江尾川にちなみ「河川が合流し府(中心)となす」の意味で名付けられた」というなかなか凝ったもの。
でも、合成地名よりはマシかな。

役場付近から町を見下ろす→

江尾駅→

↓昔、こんな名前のタレントいたっけなあ。今はどうしているんだか・・・。

「江尾十七夜」とは、戦国時代に毛利氏に滅ぼされた江美城主・蜂塚氏を偲んで始まったといわれ、毎年8月17日に催されるお祭り。

↓限りなく高校生だけの電車で、8時4分に江尾駅を後にします。

吊り広告の「浅草まつり」って、あの「東京の」浅草のまつりです。
要は浅草の名産を地方のデパートなんかで売ろうという「おまつり」なんだけど、浅草というそれなりのブランドある者がわざわざ地方に出向いて販売しているのにちょっと驚き。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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160日目 たくさんの日本一が自慢の町・鴻巣

2017-01-12 23:55:21 | 南関東
2016年9月8日(木)


この前日(9月7日)の午後6時頃になって、翌日(9月8日)急遽仕事で行くことが決まった埼玉県の川口市役所と鴻巣(こうのす)市役所。

普段の行いは悪くないハズなのに(?)、台風13号(8日未明には温帯低気圧に変わってしまったけど)が接近していてその影響で8日の関東は昼前後に大雨に見舞われ、場所によっては「滝のような」なんて脅しているかの如き予報になってるし・・・。
よりによってね。ホント相変わらず出掛け時の天候には恵まれないよなあ。

果たして当日早朝、ネットで埼玉の天気を見ると案の定大雨のようなので、しばらく様子見して出発は11時すぎに。
結果的に時折降られたけど、せいぜい噴霧器程度で、ちと最近の天気予報は大げさすぎるきらいがないでもない。

現地へは車を使います。
東関道→首都高・中央環状のルートを通り、渋滞情報で耳なじみの鹿浜橋ICで降りて川口市役所へ。
以前ここは来ているので、細かいことは省略。
ただ、今まで行ったほとんどの役所建物の様子は朧気ながらも脳みそから引き出せるのですが、川口市役所の場合は行くまで全く思い出せず。数多く行っていればそういうこともあろうわな。

そこを済ませて、続いて東北縦貫道と圏央道を使い、桶川加納ICで降りて鴻巣市役所へ。

(610)埼玉県鴻巣市役所
埼玉県の中央東寄りに位置する鴻巣市は、東京のベッドタウンの機能を持つ約12万人が住む町。
地名の由来は市のHPによると、「かつてこの地に无邪志国(むさしのくに)の国府が置かれたことから「国府の州」が「こうのす」と転じ、後に「鴻(こうのとり)伝説」から「鴻巣」の字を当てるようになったと伝えられています。」という。

↓なので、市役所には剥製が飾られているし、市のキャクターもコウノトリを雛を起用しております。
  
でも、市の形は蝶のようだったりする。
何といっても鴻巣市のセールスポインントは数多くある日本一

思いがけず早く事は済んだので、早速、目指せ日本一の開始。

まずは長閑な場所へ→
ここが日本一?というワケではありませんが(私の知る限り)。
「忍川」の看板でピンと来た方もいるかも知れません。

私は絶望的なくらい活動写真音痴であるため全く知らなかったのですが、近年上映されたらしい「のぼうの城」で出てきたというここ。

↓石田堤史跡公園
 
頃は天正18(1590)年、天下統一目前に迫った豊臣秀吉の小田原征伐。
石田三成が敵方の籠る忍城を水攻めした時に築いた約28kmに渡る堤の跡。

目の前を走る上越新幹線高架線の下に飾られた絵→
石田三成はここで手こずり、戦下手としてのレッテルを貼られる事になる。

次にようやく一つ目の日本一へ。
↓昭和59(1984)年に完成した荒川水管橋(全長1,100.95m)。

日本一長い水管橋です。

JR高崎線・鴻巣駅周辺へ→

日本一どころか、世界一までも持っております→
平成26年10月11日に打ち上げられた正四尺玉(464.826kg)が世界最大の打ち上げ花火として、ギネスブックの載ったといいます。
おまけに平成23年10月8日に打ち上げられた「鳳凰乱舞」では、約4分間に尺玉300発・三尺玉2発の計302発の尺玉以上の花火が上がり、1分あたり約75.5発は日本一に認定なんだとか。
さぞ壮観であったでござろう。

↓「ひな人形と花のまち」を高らかに宣言している鴻巣。

ひな祭りの時期になると駅前のショッピングモールで飾られる「ピラミッドひな壇」の高さは7.0mで、それも日本一。
やること豪快、鴻巣市。
花に関しては、今回行きませんでしたが、日本一大きなポピー畑があるのだという。

↓駅前にうろついていたこのお方は、見る人見る人を片っ端から声かけています。

撮影機材を下げているので、怪しいビデオの撮影?
でも、老若男女に声をかけているのでそうではありません。

「テレビ東京のアド街ック天国という番組で、今度、鴻巣のご当地グルメの特集やるのでその取材に来ているんですけど、ご協力お願いできませんか?」
と、私も呼び止められる。
ですが、「ここの市民じゃないのでねえ」と答えるしかない。
取材者は懸命に声をかけどもかけども、ほとんどの人に応じてもらえずかなり気の毒。
テレビ番組を作るって大変なのね、と実感した次第。

旧中仙道(県道164号線)→
「ひな人形のまち」だけあって、人形屋さん多し。

地名もズバリ「人形」だし(笑)→

鴻巣市産業観光館・ひなの里→
中では名産品の販売は勿論、多くの人形が飾られております。

ここも勿論一肌脱いであげてます→
放送までもうちょっと先だし、さっきの取材者はしばらく鴻巣詣でかな?

最後に行った場所→
向こう岸は吉見百穴で知られる吉見町。
川幅は2,537mあるというけど・・・。

肝心の水路はこれっぽち→
10m位?もうちょっとある?という程度にしか見えず、何ともインチキっぽい。

↓これに因んだ「川幅うどん(麺の幅は5cmを超えないと認められないらしい)」の乾麺を実家に買って帰ったのだけど・・・。

でも今日現在まだ食べていないんだとさ・・・orz。賞味期限大丈夫か?
「川幅」と名の付く食いもんは、ソバ、ラーメン、餃子、せんべい、ケーキなど様々あるらしく何でも作っちゃえ状態。
当然これらはテレビで取り上げられたとは思うけど。

なかなか味があって面白かった鴻巣観光はこれで終了、この日優勝が決まるかもしれないカープ戦を聞きながら帰宅(結局、優勝はお預け)。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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159日目 雪国の小京都を歩く

2017-01-09 14:01:18 | 甲信越
2016年7月17日(日)


千曲市でやや時間を浪費してしまったので、予定していた長野市散策はあえなくボツ。
そこで、そのまま「雪国の小京都」だとか「信州の小京都」だとかの異名を持つ飯山市へ行って締めくくりたいと思います。

↓長野駅からは、千曲川に沿って田園風景の中を走っている、車窓が風光明媚だとの評判の飯山線に乗って飯山駅に17時すぎに到着。
  



↓駅舎は北陸新幹線延伸によって、以前あった場所から数百メートル南に移動して新築された真新しい立派な建物。


↓さて、ここで信州いいやま観光局というサイトのいいやまマップ(市街地)をご覧に入れたいと思います。

「小京都」を名乗っているとおり、街中にはお寺さんがたくさん。
ただ飯山市も急速な人口減に喘いでいて、もうすぐ大台割れ必至の現在約2万人。
檀家の争奪戦が激しくないのか、いずれ廃寺なんかがポツポツとでてくるのではと、余計な事も一方では考えてしまうのです。

お寺が多いという理由で飯山市は漠然と素朴な町のイメージを持っていたのですが、駅に降りるやいきなりお迎えしてくれたものに驚く。

駅を出て市街地に向かって左手、堂々、女神様ですよ!→

↓これはどういう感じでお立ちになられているかというと・・・。

リバティ島ならぬ、リバティ丘?の上にいらっしゃいます。

三菱っぽいロゴがあるので、建物はそれ系列の会社のとも思ったけど、よーく見ると下の二つが溶けているし(笑)。
では老人ホームかな?と思いつつも、千葉に帰って調べてみると、それは何と、本社を飯山市に置くスワロースキー(三菱とは関係ないらしい)というウインタースポーツ用品のメーカーの寮で、そんで、そのロゴはまさに燕だったんですな。
ふっ、なかなか味な事をやるわい・・・。

以前飯山駅があった所→
その面影なく一掃されております。

かなり目立っていた「飯山シャンツェ」→
よくこんな恐ろしい所を飛んでいるもんだよ・・・。

飯山城址らしき丘(違っていたらスマヌ)→
上杉謙信が築いた信州攻めの根城で、今では桜の名所。

信濃地方の伝統工芸品等の展示販売を行っている、展示試作館「奥信濃」に来てまたしても驚く。
なんじゃこりゃ?→
これも実際調べてみたら、本当に掛け値なしのド金ぴか雪隠らしい。
ただ、残念ながらここは17時までで、お目に掛かれなかったのみならず、使う事ができなかったのは非常に残念。

愛宕町雁木(がんぎ)通り、別名・仏壇通り→
雪国でよく見られる雁木(雪よけ屋根)が連なる通り。見ての通り仏壇屋さんの多い事多い事。
人口が減っているとは言うけど、そんなにこのお店の供給を賄えるほどお呼ばれになる数が多いのか?

そうそう、一応「寺の町」なのでいくつかお寺さんも載せておかないと・・・。
正受庵(しょうじゅあん)→
真田信繁(幸村)の兄である真田信之の子・道鏡慧端(どうきょうえたん)が終生を過ごした庵で、禅道場でもあったらしい。彼は臨済宗の再興者なんだとか。

↓後はこんな感じで載せるだけにしとく。
  
一番左の妙専寺、ここは明治45(1912)年に長野県で初めてスキー滑りがされたという。

高橋まゆみ人形館→
創作人形作家である高橋まゆみさんの作品が展示されているのですが、ここも17時まで。

↓日没も迫ってきましたので、後はうら寂しい商店街をゆっくり歩いて駅に戻ります。


(609)長野県飯山市役所
信濃と日本海を結ぶ北国街道の要所で、古くから海産物の集散地として栄える。
平成の大合併の頃、お隣の野沢温泉村と一緒になるつもりでいたようで、市名も長ったらしい「飯山野沢温泉市」と決まっていたらしいのですが・・・。

飯山は豪雪地帯でもあります。今月下旬から来月下旬まで「かまくら」が造られ、そこで名物の「のろし鍋」とやらを味わえるんだそうな。
幻想的な中で暖かい食事、いいじゃありませんか!


飯山駅からは19時25分発「はくたか574号」→
初めて乗る北陸新幹線。
以前の長野新幹線と呼ばれていた区間もこれまで乗ったことはなかったので、まさしく初乗車。

長野から乗ってきた学生は、荷物だけで3席まるまるがっつく→
空いていたからいいようなものの・・・。

↓東京駅に着いてしばらく新幹線を眺めていたら、レアな北海道新幹線車両がやってきましたよ。


 

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159日目 古代ロマンと蔵と温泉の町&杏と名月の里

2017-01-06 23:49:39 | 甲信越
2016年7月17日(日)


↓屋代駅からレンタサイクルをシャカシャカ言わせてやってきたのは、駅から直線にして7、800m程の真東にありながら、その間に居座る山が邪魔をしてムダに大廻りさせられるハメとなる、森将軍塚古墳館と長野県立歴史館の二つの施設がある所。

元々ここは自転車を借りずとも這ってでも来る予定だった場所。

まずは古墳館の方から。
と思いきや、ハナっからここへは入るつもりはなく、ただただ古墳そのものを見に来ただけ。

森将軍塚古墳は今から約1600年前に造られた全長約100mの前方後円墳で、その規模は東日本最大級なんだとか。
その大きさに相応しく、「科野のクニ」を治めていた豪族の墓らしい。
どなたとは言いませんが、政界をウラから牛耳っている印象の某政党の闇将軍のような古墳名ですが、由来は「森地籍」にある「偉い人のお墓」という意味のようです。

ところがどうしたことか、古墳は標高500mの山に築かれております。
勿論、自力で登っていく甲斐性など持ち合わせておりませぬ。
↓よって、往復400円を投じて上まで運んでもらいます。


極めてキレイに整備されている古墳→
お察しのとおり復元物ですんで・・・。

高所だけに眺めは抜群。
長野市の方向→

↓真下には「あんずの里アグリパーク」と「あんずの里物産館」。

アグリパークでは、12~6月に苺狩りができるという。
それはいいとして、時期によっては長野県にしては違和感のある蜜柑狩りもできるとな。

ここをさらに東へ行くと「あんずの里」と呼ばれる一帯があって、4月には花見、6月下旬から7月中旬まで杏狩りが楽しめるそうです。

これは古墳館裏にある「科野のムラ」→
青々とした田畑に茅葺きの家と倉庫、日本ですなあ。

↓歴史館(¥500)では、長野県の歴史を学べます。


屋内で豪快に象も飼ってたり・・・→
勿論そんなハズもなく、頭をぎこちなく動かすだけのナウマンゾウ(長野県上水内郡信濃町にある野尻湖で骨が発見されましたからね)の模型。

↓駅へ戻り、今度は駅から西に伸びる駅前通りを走らせる。


(608)長野県千曲市役所
平成15年9月に更埴(こうしょく)市・戸倉町(とぐら)町・上山田町が合併してできた約6万人が住む町ですが、その数は年々ジリ貧傾向。

さらにさらに西へ行くと千曲橋→

鉄ファンでは超有名な姨捨(おばすて)の方向→
今まで上から見下ろすばかりだったけど、下から見上げるのもなかなかオツ。
「さらしな・姨捨名月の里」と呼ばれ棚田が広がっているそこは、松尾芭蕉らの多くの文人が訪れた月の名所。
是非一度、その棚田に映る月を見てみたいものです。

↓さてさて橋を渡ると、平成26年に重要伝統的建造物群保存地区として選定された稲荷山の集落があり、ここもお祭りのよう。



稲荷山は善光寺平最大の宿場町で、明治以降は生糸と絹織物によって北信濃最大の商いの町として栄える。

↓重厚感のある漆喰の白壁、なまこ壁、土蔵造りの商家が見られるので「蔵の町」を名乗っているのですが・・・。


↓格子戸のある町家や仕舞屋、さらには崩れそうな建物もあったりするなど実に多彩で、集落好きには楽しめる場所。






兎にも角にも、杏が名産、名所旧跡には古墳や集落、姨捨の棚田、心身を癒すと共に歓楽面も充実の大温泉地・戸倉上山田温泉(真田信繁の最初の領地らしい)があったりと、観光やお遊びは非常に充実の千曲市。
来ればきっとお気に召して戴けるんじゃないかな?

 

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159日目 千曲川の流れに身をまかせ

2017-01-04 23:54:54 | 甲信越
2016年7月17日(日)


明けましておめでとうございます。


何の前触れもなく突然の蒸発から5か月ほど。
すみません、私は何とか生きております・・・。

いやいや、それどころか9月14日~18日にはカープ優勝で沸き返る広島県を中心にふらついておりました。
そんでもって10月9日~11日には東北、年末年始は関西をほっつき歩いておりました。
ですんで一応、旅もしぶとく生存しております。

実はブログを書くのが億劫になり、パソコンのやり過ぎによる慢性的な左手首の腱鞘炎が酷く悪化し(私は左利きなのでマウスも左)、左肩も痛くなったしで(原因は加齢かもしれないけど)、ちょっとだけサボろうと休養しようと思っていたところ、ブログから解放された(訳ではないのだけど)居心地の良さにウットリしてしまい放置プレイライフを満喫していた次第。

でも中途半端なまま状態を維持している訳にもいかないので、せめて信州旅の続きくらいは昨年中に終わらせようと思いましたが、ついぞ新年になってしまいました。

そんなこんなで重い腰をようやく上げますたです、ハイ。
随分前の事なので記憶がかなり薄れているのが心配ではありますが・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓10時頃、坂城(さかき)駅。




↓一応事前に町の観光名所を下調べしたものの、改めて観光案内を見てみる。



が、食指が動く新たな発見はない。

↓駅そばの、昔よく見た懐かしい塗装の電車の静態保存。

169系ってヤツらしいけど、私は車両の××系だとかには全く興味がないので、この手の話しは全然出ませんのであしからず。

↓(607)長野県埴科(はにしな)郡坂城町(まち)役場

人口15,000人程の、「刀匠の町」を標榜する町。

↓坂木宿ふるさと歴史館



かつては北国街道の宿場で、あの武田信玄を2度も負かした事のある武将・村上義清の居城地でもあります。
2度もやっつけた武将は彼だけ!というので、町の大英雄で、ささやかな自慢なんだそうな(未確認情報)。
でも中には入らず外から眺めるだけ。

鉄の展示館→
昔は「たたら製鉄炉」があったり、最近では有名な刀匠がいたり、鉄関連の企業が多く集まっていたりと、「鉄の町」とも言える坂城。
ここでは日本刀などが展示され、製鉄や鉄の加工技術の勉強もできます。

話しは変わりますが、私のじい様(故人)は徳川家康が使っていた刀を持っていたのですが、それを国に売るためにわざわざ愛媛の田舎から当時私が住んでいた埼玉に出てきた事がありました。
でも、何故かそれを一度も目の当たりにすることなく国の手に落ちてしまったので、今思うと非常に残念なことでござる。

↓町はお祭り?





実はこの日、お隣り千曲市の、温泉で有名な戸倉上山田温泉街で盛大なお祭りがあり、それに乗じたように見えるし、それに負けじとオラが街でも、というふうにも見える。
ただ、せっかくの晴れの舞台に見物人が誰一人もいない(町の人はこぞって戸倉上山田に出掛けてしまったのか?)のは実に寂しいものです。

↓さてさて、足の指にできた水膨れがあまりに痛くて全然歩く気にならないので、小一時間で坂城町を切り上げ、お祭りにも乱入することなく千曲市の屋代駅へ。


坂城駅でもしていましたが、屋代駅舎の中のベンチに座って安全ピンで水膨れの膿をせっせと出していた情けない姿を晒していたのは他でもない私でございます。

↓絆創膏を貼っての応急処置でも痛みはなかなか取れないので、秘密兵器の出番を仰ぎます。

駅に備えてあった有料レンタサイクル。
ただ、これのお蔭で行く予定のなかった稲荷山集落を廻れたのは不幸中の幸いでした。

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159日目 真田氏ゆかりの信州上田巡り(2)

2016-08-21 11:28:29 | 甲信越
2016年7月17日(日)


前日は日焼け止めを塗ったにもかかわらず、塗り方が下手っぴだったためか、思いっきり真っ赤に変化した部分があってとてもヒリヒリしていて、お湯を浴びたり着替えたりするたび、悲鳴を上げたいくらいの苦痛。
おまけに旅に出れば毎度の事なのですが、足裏に数箇所水膨れができてしまい、一歩踏み出すたびに激痛が走る。
こんなズタボロの状態の中、この日の上田観光はほぼ城攻めに終始。

県立上田高校→
よく城跡なんかには学校があったりするけど、ここは「上田藩主居館跡」。
関ケ原の合戦後に上田城が破却され、再建も許されなかったので、真田信之はここでしぶしぶ(?)上田を統治することとなる。

(606)長野県上田市役所
上田藩主居館跡のお堀越しのアングル。
古くは国府が置かれた信濃国の中心地で、明治~大正期は製紙業が地域経済を牽引したものの衰退し、今では輸送関連機器や精密電気機器などの機械金属製造にとってかわる。
平成18年に上田市・丸子町・真田町・武石村が新設合併をし、新しい上田市が成立。
人口は約16万人。

↓市役所に面した道を西に行くと、上田の一大観光地・上田城があります。


二の丸橋から下を覗く→
二の丸堀跡である「けやき並木遊歩道」で、かつて電車が走っていた所。

↓中へ入ると、用意よろしく「信州上田真田丸大河ドラマ館」があります。


まだ開館時間前なのだけど、この行列→
なので、先にお城から見ることにします。

上田城は天正11(1583)年に真田昌幸によって築かれ、少しの兵力の昌幸が徳川の大軍勢を撃退すること2度。
壊わされた後は小諸から入封した仙石氏によって再興され、宝永3(1706)年からは兵庫の出石(いずし)から松平氏がやって来る。

この日は7月17日です→
観光客は大勢来ているのだから、さっさと直さんと。記念撮影できんじゃないか(?)。

↓東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん)と北櫓(右)。

門は平成6年に復元。門の左にも南櫓があるのだけど、二つの櫓は別の場所に移築されていたものが昭和18(1943)年から24年にかけて再移築される。

門の右にあるのが「真田石」→
高さ約2.5m、幅約3m。

2度目の上田城での合戦で「にっくき真田」の思いをたぎらせた徳川秀忠の嫌がらせで真田信之が松代(長野市)に移封となり、それに激怒した信之は藩政に関する書類を全部焼き払い、城の灯篭・植木を持って行ったとされるのですが、ついでにこの石も、と思いきや、ビクともしなかったらしい。

門をくぐると眞田神社があります→
歴代の城主を合祀しています。

真田井戸→
神社境内に残る直径2m・深さ16.5mの井戸。
この井戸は抜け穴になっており、城北の山麓や上田藩主居館につながっているという伝説があります。
いくら何でもそれはどうだろうねえ。

西櫓→
寛永5(1628)年に仙石氏によって建てられ、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物との事。
ここに入るには有料で、それ自体いいのですが、結構な数の人が吸い込まれていくので、いつかまた来た時に落ち着いて見ればいいかと思い、入らずじまいであったところ、何と解放されるのは今年だけみたい。大失敗。

櫓手前からの眺め→
築城当時の眼下には千曲川が流れていたので天然の堀と化していました。
そしてここを「尼ヶ淵」と称していたので、上田城は別名「尼ヶ淵城」と呼ばれるようになったようです。

特に何もない本丸跡→

↓お堀は素掘りで、掘り出した土で盛っていった部分が城を取り囲んでいる土塁。


ようやく人が引けた「ドラマ館」→

かわいいお姉さんが記念撮影してくれます→
勿論兜を被って写してもらい・・・。んなワケないし。

↓撮影が許されるのは、張りぼての「真田丸」のある所だけ。




まあ当然なのですが、ドラマ撮影の小道具や衣装の展示なんかがメインで、はっきり言ってつまらん。
おまけに中は狭い上に芋を洗うような激混みでかなり息苦しい。
耐え切れなくなって、わずか10分程で出てきてしまう。
それに対する対価は¥480。ちと高価だったな・・・。

真田の郷・旧真田町や「信州の鎌倉」の異名を持つ別所温泉・塩田平周辺も行きたいところですが、今回は泣く泣くパスして、これにて観光客で活況を呈する上田を去ります。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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158日目 真田氏ゆかりの信州上田巡り(1)

2016-08-18 23:00:29 | 甲信越
2016年7月16日(土)


大河ドラマ効果で願ってもないお金儲け観光客誘致の超絶好機を迎えている上田市がこの日最後の訪問地。というか宿泊地。

↓しなの鉄道で上田駅には17時22分に到着。

因みに使っている切符はJR東日本が出している「週末パス(¥8,730)」。
これは「しなの鉄道」も乗れるので特段の出費はなし。


駅舎壁面のブツブツは何を意味するか、説明するまでもないですね。
夜になるとライトアップされます。

↓当然ですが、駅ナカと言わず駅前と言わず、至る所「真田丸」だらけ。
   

ホテルに入り、やっと休める、一安心。
と思いきや、日没まで1時間半もあるのでボーッとしているのは勿体ない。
なのですぐに再び出動。

↓駅近くの天神商店街に面したこのホテル(私の宿泊場所ではない)は、今や全国バリバリ展開中のルートインホテルズ栄えある第1号店。


これより緑色の道を中心に歩いてみます→

駅前から真っすぐ伸びる坂道の商店街→
左に辛うじて写っている石造りの建物は、趣きのあるいい洋館なのですが、100年の歴史を誇る信州銘菓「みすゞ飴本舗」の本店。

↓昭和60(1985)年から1年間放送されたNHK新大型時代劇・真田太平記の記念館が右手にあります。


↓これって、ブラタモリに出てきてませんでしたっけ・・・?


↓柳町地区





上田市が出している「信州上田観光情報」というサイトによれば、「旧北国街道沿いの家並みが残る通りです。柳の木が多かったこの通りに旅籠屋や商家が軒を連ね、呉服屋だけでも25軒あったといいます。面影を残す街並みは白い土塀に格子戸のある家、古道具屋、杉玉のある造り酒屋などがあります。」

↓引き返して、市中心部にあたる「海野町(うんのまち)商店街」へ。

海野町とは、天正11(1583)年に真田昌幸が上田城を築いた際に作った城下町の元町。

↓思いがけず見つけた小じんまりと佇む「海野町高市(たかいち)神社」。

町を作った時に商売の守護神として請願されたと伝えられている神社。

海野にあるからか?、祠の左に「運の石」というのがあって、右から左へ撫でると悪運を払い、その逆に撫でれば良運が開けるという。
勿論やってみました。が、未だご利益あった感なし。お賽銭100円ぽっちじゃ全く足らんかったらしい。

↓この商店街から細い路地を入ると、飲み屋が所狭しと軒を連ねています。
 袋町という界隈。

旧北国街道沿いの常田地区→
城下町の入口付近のこの辺りは、時代を偲ぶような旧家の古い格子や土蔵が立ち並びます。ここから踏入を過ぎ宿場町へと続きます(信州上田観光情報)。

常田地区にある科野大宮社→
いつだったか、ドラマの終わりに流される「真田丸紀行」でも紹介された神社です。
上田城築城以来、城の鎮守となる。
やたらでっかい木と鮮やかな赤が印象的。

↓平成24年に国の重要文化財に指定された「旧常田館製糸場」。

明治33(1900)年創業の機械製糸工場。
製糸業界の資料が保存・展示されているようです。

暗くなってきましたので、散策は終わり。ようやくゆっくりできますわ。
やっぱりいつ来てもいいな、信州は。

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158日目 遊子は城下町小諸で諸々見物

2016-08-16 00:50:05 | 甲信越
2016年7月16日(土)


↓脇目も振らず乗り通せば、小淵沢から2時間半程度で着く小海線の終点・小諸(こもろ)駅に9時間あまりかけてようやく到着。


小諸駅のあるここ小諸市は名所旧跡がとても多いので、それらを無視して去る訳にはまいりませんが、かなり疲れていますし、この後もう一か所町巡りするつもりでもありますので観光は最低限に留めます。

まずは、駅の中→ 
小諸周辺が舞台だったというこの「あの夏で待ってる」というアニメに関するものが飾られております。
人も呆れる位アニメ音痴中の音痴の私には、どういう内容で、いつ放送されたか全く知りませんが、一応紹介しときます。
右の桃色の変なぬいぐるみ(?)は「りのん」といってアニメに出てくるキャラらしい。

↓一番上の駅前写真の右側にある「停車場ガーデン」。

まったりカフェでお茶しながら、色とりどりの花を愛でられる所(ついでに行き交う電車も)。

↓小諸観光の拠点たる、その名もまさに「小諸観光交流館」。

明治後期~大正時代に建てられた、かつては繭問屋だった建物。
一応下調べはしてあるので用はないけど。

小諸城の正門である大手門→
白鶴城や酔月城とも呼ばれたお城。
佐久を手中に収めた武田信玄は、山本勘助らに築城を命じ、天文23(1554)年に完成。
天正19(1591)年には仙石秀久が入り、慶長17(1612)年にこの大手門が築く。
8年前に解体復原の修理がなされたとの事。

くどいけど、また大手門→
ではなかった・・・。これは駅の西側にある「三の門」。因みに大手門が「四の門」。
元和元(1615)年に創建されるも洪水によって流失、今あるのは明和2(1765)年に再建されたもの。

明治になると廃城となり、荒れ果てていく姿を憂えた旧藩士たちはお金を集めて公園として整備し、掲げられた額にあるように「懐古園」と命名する。
額は徳川家第16代当主が書いたもの。

ここでは懐古園散策・動物園に入れる券(¥300)を買います。
先に左側の動物園から→
動物園は大正15(1926)年にでき、長野県では一番、国内でも4番目に古いようです。

↓浅間山の南に広がる小諸ならではの有効活用。

小諸城は城下町より低い位置に築かれた珍しい穴城で、浅間山の火山灰でできているため水堀がなく、その代わりに崩れやすい断崖を守りとした点が特徴。

↓さてさて、園内。
  
門番・川上犬のさくらさんは恥ずかしがって引き籠っているし、外に解放されたペンギンは大勢の人に取り囲まれていて触れられないし、ライオンは色気よりも食い気に走っているし。
ま、これと言って珍しい動物はおりませなんだ。

富士見台→
その名のとおり、富士山が見える展望台。辛うじてかすかにしか見えなかったけど。

旧馬場→

懐古神社→

鏡石→
神社と鏡石のある所あたりが本丸跡。

二の丸跡→
近々大河ドラマで登場すると思いますけど、関ケ原に向かう途中の徳川秀忠が真田昌幸・信繁親子の術中に嵌って足止めを食らったのですが、ここは秀忠が逗留していた場所。

次は北国街道を歩いてみます。
小諸は中山道や北国街道、甲州街道の交わる要衝地だったので、あちこちの物産品が集散・流通したので商業で大いに栄え、さらには宿場町だった一面もあります。

↓旧本陣と旧脇本陣、古いポスト。
  

↓この通りには昔ながらの商家が建ち並んでます。





美しい町並みだけど、現代造りの建物が目障り。

そんな中、私が気に入った建物がこれ→
昭和初期に建てられた「ミルクホール」。
ただ戦後まもない昭和25(1950)~26年頃に閉店したらしく、その後ずっと仕舞屋?。
勿体ないのぉ。

(605)長野県小諸市役所
面積約100km2の、約43,000人が暮らす町。
ところで、小諸と言えば島崎藤村の「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」の「千曲川旅情のうた」なのですが、夏だしお城には観光客もそこそこいたしで、歌のもの悲しさをあまり感じられなかったのですが、寧ろ寂れ感溢れる駅前商店街の方に歌はマッチしていたような気がするんですわ・・・。

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158日目 サクッと佐久歩き・ぴんころ詣で

2016-08-13 23:42:37 | 甲信越
2016年7月16日(土)


中込駅近くも相変わらず千曲(ちくま)川が寄り添っております。
野沢橋(下流方向)→
ずっと眺めていたい景色。ただし日差しがきつくなければ。

↓夏の川の風物詩、釣りに勤しむ太公望多数。

ここらは鮎釣りの絶好ポイントであるみたい。
でも、間近にある堰に上がって歩かぬよう・・・。
その堰、足を滑らせ落っこちたら最後、もはや自力で這い上がれないくらいの吸い込み力があるらしい蟻地獄のような恐ろしい場所なんだとか。ヒエ~。

橋を渡りきるとこの集落→
ここは長野県ではあるのですが、漬物や温泉で有名なあの野沢ではありませぬ。

↓さらにその先はというと、商店が軒を並べています。

野沢はかつては街道が交わる宿場で、物資が行き交って商いが盛んだったようです。

↓やがて右手にこのような門が現れます。

野沢成田山薬師寺への参道入口です。
門をくぐるとお店が連なっていて、毎月第2土曜日には「のざわ山門市」が開催され多くの人で賑わうそうです。

参道を進むとここへ→

↓この左には、小首を傾げたかわいらしいこの方がいらっしゃいます。

見ていると、微笑ましいというかほっこりするというか心癒されるわ。
厚労省が平成25年に発表した都道府県別の平均寿命ランキングで男女とも堂々1位が長野県。とりわけ佐久は「長寿の里」を売りとしている地方で、その象徴とも言えるお地蔵さん。
平成15年に地元商店街によって建てられました。

お地蔵さんの由来はこう→
私もかくありたい、「のんびりゆっくり旅」を完遂するために。
そして資金面は新屋山神社にお願いする。

横の井戸水は飲めます→
ありがたく佐久の水を戴きます。
ちとぬるかったけど。

なお、お地蔵さんや野沢商店街などについては、のざわ商店街振興組合のHPをどうぞ。

さらに奥は成田山不動堂→
本堂だと思っていたけど、そうでなかったことを後で知る。

再び川を渡ります。
中込交差点近く→
ふと目を向けた自販機。
暑いし、普段愛飲しているキリン一番搾りだし、飲みたいなあと思ってよ~く見ると、500ml缶よりでかい缶(上段右から3番目、700~800mlくらいだったかな?、よく覚えていない)があったり、水筒のような形をした缶(下段の一番左)があったりする。
長野仕様か?、初めて見たわ! 

↓市役所へ行く途中に重要文化財・国史跡旧中込学校があるので寄ってみます(観覧料¥250)。


 
何といっても、日本に現存する洋風学校でも一番古い学校建築物。
同じ長野県にある有名な松本市の「開智学校」よりも若干早い明治8(1875)年に創建。

建設当時にはガラスを窓に使用したことから「ギヤマン学校」といったよう。
ギヤマン? 初めて聞いた単語なのですが、ガラスの古い言い方なのだと。

(604)長野県佐久市役所
まあ、いろいろ宣言している都市だこと(笑)。
平成17年にそれまであった佐久市と臼田町などの3町村が合併、人口約10万人。
前編で紹介した五稜郭や日本で一番海から遠い地点、さらには日本一のパラボラアンテナが見られる臼田宇宙観測所、お地蔵さん・中込学校など見所は多くあるのに、いずれも知名度が低いので甘んじているのは甚だ残念。

↓北中込駅から15時3分発の列車に乗ります。


佐久平駅→
在来線が新幹線を跨ぐ珍しい駅。
新幹線がやってくる前は民家が数軒しかなかったという駅周辺は、今では市内でも屈指の繁華街に変貌。

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158日目 サクッと佐久歩き・信州にもある五稜郭

2016-08-09 23:39:46 | 甲信越
2016年7月16日(土)


夏の日差しが全力フルモードに入りつつある頃、寄りによって列車を降りなければいけません。しかも八千穂からたったの10分。休むヒマもありませぬ。

11時38分、佐久市の臼田駅到着→

ずっと木陰に隠れていたい駅前→

いざ覚悟を決めて外に出たものの、やはり直射日光は寝不足の体に厳しすぎ。
↓フラつきながら駅北側にある踏切を渡って、東方向に歩きます。


しばらく歩くと・・・→

どれどれ→
一番目立つ看板が「日本で海から1番遠い地点」。
ホンネを言えば、ここへこそ行きたい。ですが、あと10kmあるし・・・。
歩いて行ったら確実に行き倒れになります。

長野県魅力発信ブログ」というものにこれが詳しく出ていたので、せめてそれを見て行った気分になりましょう。

場所 → 北緯36度10分36秒、東経138度34分49秒、標高1200m

海までの距離(海岸線までの球面距離)
1.静岡県富士市田子の浦港まで  114.853km
2.新潟県上越市直江津まで    114.854km
3.神奈川県小田原市国府津まで  114.861km
4.新潟県糸魚川市梶屋敷まで   114.866km

なんだとか。ここへ行くと佐久市観光協会から「認定書」が貰えるとの事。

因みにこういう所だそうな→
鬱蒼とした感じが海から遠く離れた奥地である事を一層感じさせる。

日本唯一の場所に行けなくても、二つしかないものの一つを見るだけでも十分じゃないか、というワケで龍岡城へ。
五稜郭公園→

 
あたかも函館に来たかのような錯覚
日本に二つしかない星型稜堡の西洋式城郭の一つがここ龍岡城。
松平乗謨(のりかた)が三河から信州への本領移転許可が下りたことにより築城を開始し、3年かけて慶応3(1867)年に完成するも、その5年後には解体の憂き目に遭う。哀れなるかな。
佐久市出身の彫刻家・川村吾蔵氏の作品と資料を展示されている「川村吾蔵記念館」も園内にあります。

ではでは、肝心の城跡へ。
城北側の黒門から見るお堀→

↓大手門前にはこういう建物があって、中ではお城についての資料が見られます。


上空写真→
確かに星型ですよ、五稜郭ですよ!
写真真ん中下の凹部分が大手門、その右斜め上が黒門。

↓大手門から中に入ってみましょう。ご心配なく、人は入れますので。

果たして写真に載っている建物は何でしょう?、ワクワクします。

と思いきや、学校だし・・・→

↓築城時の建物遺構はこれ、お台所のみ。


函館のよりも小振りだし、お城を覗き見る展望台もないし(近くの山から全容は見られるらしいけど)、何よりマイナーだし、だけど貴重な遺構には変わりありませんし、何しろ首都圏から(函館に比べれば)ムチャクチャ近い。
それに落ち着いてのんびり手軽に見られますので、多くの人にここを知って欲しいと思ってます。

満足して駅に戻って再び列車に乗るも、またもしてもすぐに降りる。
↓中込(なかごみ)駅→



↓なかなか小洒落た印象の駅前商店街です。


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158日目 高原列車に乗って海へ(?)その2

2016-08-06 23:58:31 | 甲信越
2016年7月16日(土)


眠い目をこすり、多少フラつきながら小海町の散策開始。
小海駅舎→

駅前→
モニュメント下にある、顔を描いた丸太は街中至る所で見られました。
はて、これらの正体は?

↓一応町のゆるキャラらしいです、伝説の森の妖精プティリッツア。

豊かな自然環境と全ての生命を大切にする温かい心のある土地にしか住めないと言われている妖精なんだそうですが、じい様の妖精なんて初めて見たわ。寧ろ仙人って感じ。
それにスボン(?)の色が戴けない。露出○の怪しい爺さんにしか見えんし。

駅前商店街北側→

↓千曲(ちくま)川に架かる「清流ふれあい橋」の下流方向。

最初に訪れた町が自然溢れる小海町で良かった。
寝不足のままコンクリートばかりの中を歩くのはさすがに滅入るのでね。

(602)長野県南佐久郡小海町役場
地名に「小」がついているだけあって、人口5千人を下回る小ぶりな町。名は体を表すという事か。役場の標高は855mだそうです。

駅の南東側へ。
小海駅の構内→

実に長ったらしい学校名(笑)→
ゴミ処理場やら上下水道なんかでは特別地方公共団体としての組合は見たことありますが、学校は初めて。
でも過疎地なんかでは案外多いのかも知れない。

↓学校近くにある土村公園の小高い山より町を一望。


近くにはこういうものもあります→
力強く実にリアル!
男があれば当然女のもあるのですが、そこは歩いていくには遠すぎるのでパス。
こうみ=子産み、というワケで、町には「子宝」「安産」「子育て」に関する史跡も多いようです。

↓2時間ほど滞在した小海町を去って、次に向かいしはまたしても「海」が付いた佐久穂町の「海瀬(かいぜ)駅」。


↓海瀬駅付近集落と商店街。




そして千曲川(下流側)→

(603)長野県南佐久郡佐久穂町役場
平成17年に佐久町と八千穂村が合併してできた町。なので、新町名の由来は至極分かりやすい。
さらに突っ込むと、八千穂村は畑八+千代里+穂積で、畑八は畑+八郡だそうだから、今となっては古えの元の地名は何が何だかわからん状態。
キャッチフレーズは「水と緑のうるおい 人の営みが奏でる未来のふるさと」という、11,600人が住む町。
因みにこの役場庁舎は旧佐久町にあります。

↓町の西側には小高い丘があるので、ここでも登って一望。

キャッチフレーズどおりの景色に見えますか?

ここを登ってきたのにはもう一つ理由がありまして・・・。
こんな田舎町でも堂々日本一のものがあるというので、見ないワケにはいかないじゃないですか!

ところが、それの在りかが全く分からん。
ここら辺である、とだけの大雑把な情報だけで行こうとしていたのですが、スマホなど持っていないので、やはり案の定辿り着けません。

↓ノラ仕事をしていたおっちゃんに聞いて、どうにか目的物をようやく発見!


申し訳ないけど、畦道を使わせてもらって接近。
北沢大石棒→
またしても張形です(笑)。
横にある案内板によると、縄文時代(!)に動植物の豊穣と人間の甦りを祈願するために作られた、高さ2.23m・太さ約25cmの日本一の大石棒。ですが、力感は断然小海町の方に軍配が上がる。

長野県は全国でも有数の教育県で名を馳せていますが、そっちの方の教育も抜かりないようです

多少時間があったので、海瀬駅から南2.5kmの八千穂駅まで歩いてみます。
八千穂は昔ながらの落ち着いた町並み。
黒澤酒造酒の資料館・ギャラリーくろさわ→
こうした酒蔵はあちこちにあっても、酒を嗜む時間を確保できないのは悩ましい。

奥村土牛(とぎゅう)記念美術館→
現代日本画壇の最高峰の画伯なんだとか。知らなんだ・・・。

八千穂駅11時27分発の列車に乗ります→

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157・158日目 高原列車に乗って海へ(?)その1

2016-08-01 23:35:32 | 複数地域
2016年7月15日(金)・16日(土)


出発したこの日(15日)とその前日は、我が稲毛界隈はお祭り。
そんな賑やかな街を逃げるかのように(?)正月以来の久々の列車旅に出ます。
今回はそのお話し。

19時頃のJR稲毛駅海側出口→
露店が多く出るので、特にたくさんの小中高生がこぞって集まってきます。

↓14日の午後と15日の午前にはゲリラ豪雨に見舞われたので、お祭りを楽しみにしていた人は勿論の事、とりわけテキ屋にとってはヤキモキしたことでしょうが、クライマックスを迎えるこの日の夜は多くの人の願いが通じる。

これより先にある京成稲毛駅付近では道幅が狭くなって、ただでさえ蒸し暑い時期なのに押し競饅頭をしないといけません。
突っ込んでいったら相当のエネルギーを消耗するのは必定。保身のため深追いせず。

以上は旅とは全く関係ないんだけど、たまには稲毛の宣伝をしとこ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

3時間半後の稲毛駅→
だいぶ落ち着いたものの、ゴミがそこら中に散乱。
おまけにしばらくは、路面に落ちたりこぼれたりした食べ物や飲み物なんかで街中が臭くなります

22時36分発の快速電車で稲毛駅を発ち、約1時間かけて新宿駅へ。
↓この時間に来たならば、乗るのはこの列車しかありません「ムーンライト信州81号」。

かつて「特別急行あさま」に使われた車両が、臨時列車としてこんな「あさま」しき姿で走らされるとは・・・。
当時の威容を知る者にとっては切なすぎる姿。

↓さすがは東京、お隣・中央線ホームはこの時間にもかかわらず、この人の多さ。

落っこちるなよ(=ダイヤを乱すなよ)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓3時すぎのまだ真っ暗な小淵沢(こぶちざわ)駅(山梨県北杜(ほくと)市)で下車。

降りたのは私の他、1人だけ。

この旅最大の試練はのっけから訪れます。
次に乗る列車は6時14分発なので、それまでひたすら待たねばなりません。
おまけに外はお決まりの「雨」。しかもかなり寒いし。

駅舎の中→
暖かくてありがたい。
1人だけ先客がいます。「ムーンライト」を降りた人ではなく、チャリダー。

3時間もの間、待つ以外何もする事がないので、駅のベンチで少し寝ようと横になったのですが、保守作業の人が大勢いて落ち着かない。
おまけにクモやらコバエやらといった虫が私の腕を這ったりしてるし、駅舎は古いためかミシミシ言っているし、4時頃になったらチャリダーが起きだして騒々しくドタバタ出発の準備を始めたりで、どだいここで寝ようというのがムリでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

すぐに夜は明けます→

↓そして、待って待って待ち詫びた列車に乗る時間となりました。

小海(こうみ)線でございます。
標高の高い所を走る路線で知られ、「八ヶ岳高原線」の愛称が付けられていて、夏になると避暑客で激混みします。

リゾート地として有名な清里の駅前→

これまた知名度高い野辺山(のべやま)駅→

↓この駅近くには、長野県南佐久郡南牧村(みなみまきむら)の役場があるのですが、今回ここはパス。

ところで、小海線は山の中を走っているにもかかわらず、沿線には他には「海尻」や路線名の元となった「小海」などと「海」の付いた地名が多いのも特徴。

昔の人は案外いい加減で(?)、池や沼だろうと湖だろうと、要は水がいっぱい溜まっていれば「海」と言っていたらしく、たまたまこの沿線には「水溜り」がいっぱいあったようです。

八ヶ岳が崩壊して千曲川を堰き止め、湖ができたものの干上がって平地となったのですが、その北側を「海尻」、南側を「海ノ口」と称した、との事。

横に添い続ける千曲川(ちくまがわ)→
川が新潟に入ると、信濃川と呼ばれます。

7時半前に小海駅に到着→
曇ってはいるけど、雨はあがりました。やれやれですよ、全く。

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156日目 蒸し暑かったこの日はお隣さんへ

2016-07-30 23:19:46 | 南関東
2016年7月13日(水)


私の住んでいる稲毛からそこそこ距離があるので、別世界にある感じの町。
だけど有料道路を使って車を飛ばせば30分程度で行けてしまうので、そういう意味では遠いどころかとっても近い。
そんな遠くて近い千葉市の東側に隣接する大網白里(おおあみしらさと)市に、仕事ができたので車で行ってまいりました。
もちろん、町中をうろついたのは仕事が済んだ17時頃から。

(601)千葉県大網白里市役所
東西に細長い自治体で、人口は約5万人。
つい最近、平成25年になったと同時に晴れて町から市に昇格。
「町」に長い間慣れていたので、どうもにも「市」に違和感があります、正直。
この間なんか郵便の宛先を「町」で書いてしまっていたし。
ところで、私がここを訪れた前日に亡くなった大橋巨泉さんの最後の居住地がここ大網白里市だったという。ふむう。

JR大網駅→
奥が千葉方向で、左は外房、右は東金の方。
駅ホームは二手に分かれている変わった作り。何でこんな風になっているかというと・・・。

↓東金方向の線路に沿って大網駅から北東へ4~500メートル程度行くと、こんな場所があります。

ここはかつて大網駅があった所(奥が東金方向)。
私の記憶ですと、そう遠くない頃にまだ昔の駅舎・ホームが放置されていた気がします。
昔の外房行きの列車はここでスイッチバック。それを解消するために外房線の新線を作り駅を今の場所に移したワケです。

旧駅からちょっと大網駅寄りにある踏切→
右のちょん切れた線路が外房への旧線。

旧駅舎跡地は今は公園→
因みに千葉駅も大網駅と似た感じの構造なのですが、千葉駅も房総半島へ向かう列車のスイッチバック解消のため、現在地に移転した経緯があったりします。

↓旧駅近くの、恐らく昔は大網の中心をなしていた商店街。

駅が近くから消えた(?)せいか、すっかり廃れてしまっています。

再び大網駅前→
大網シンボル(?)の高層ツインビルが迎えてくれます。

県道20号線を跨ぐ外房線の高架線→
この高架線を向こう側に、これまた最近まで旧外房線の線路があって踏切もあったのですが・・・。
今はですっかり一掃されて、そのカケラも見当たりません。

↓高架線をくぐると、ロードサイト店舗っぽいのが立ち並んでいたりイオンがあったりと、今では市の中心部っぽい様相を呈しております。


でも、ちょっと離れるとこうなっちゃう→
商売って厳しいのお。

さて、県道20号線を東にひたすら進むと海に辿り着きます(途中で県道83号線になりますが)。
せっかく車で来ている事だし、行ってみます。10km程度なんで。

海までの途中にある増穂地区→
ここらは住宅・商店が広がっていますが、それ以外は田んぼばかりの地区。

ところで察しはつくと思いますが、「大網白里」は「大網+白里」、つまり2つの自治体が合併してできたものと思うでしょう。
でも正解は「大網町+白里町+増穂村」。昭和29(1954)年に合併して、前身の大網白里町が誕生する。
「大網白里増穂町」ではさすがに長すぎる。そこで唯一村だった増穂にご退場いただいたのでしょうが、弱肉強食は世の常ですな。

↓正面の壁っぽいのをくぐると、そこは地の果て。


その名は「白里海岸」→
全国に通じる名前で言えば九十九里浜
白里地名の由来は知りませんが、九十九里浜に面している集落。
仮に「九十九里=百マイナス一(いち)里=白里」(白寿が九十九歳であるのと同じ理屈)だったとしたら、昔の人の洒落っ気に感心するワケです。

↓2つ上の写真の壁は「九十九里有料道路(通称・波乗り道路)」の盛り土。

ただ、かさ上げ工事のため今年の4月から来年3月いっぱいまで閉鎖中。

↓夏は海水浴場客で賑わう海岸ですが、この日は人っ子一人いません、当たり前か。

あれから2週間あまり、梅雨も明けたし暑くなったしで、いよいよ夏本番!
そして「海の家」で働く人は多くの人が来てくれないかと、こう歌っているハズ(?)。
♪ああ神様お願い~

ぱやぱや。

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155日目 神奈川の陸の孤島へ上陸

2016-07-26 23:51:17 | 南関東
2016年6月11日(土)


山を下りてくれば、その後は普段見慣れている関東平野の平坦地へ。

(599)神奈川県愛甲郡愛川町役場
町内には鉄道も駅もないけど、相模原市など大きな都市と接しているためか、人口はかなり多い4万人あまり。
このまま順調に増えれば市への昇格もあり得たのですが、近年は頭打ちのようです。
「愛」を二つも持っている町、というワケで、♩きっとここから愛なんだ~、と思わず歌いたくなる所(私だけ?)。

役場前の道路(県道65号線)→

↓役場前にある、よくありがちな商売広告の地図。


よーーーく見ていると、面白いもの発見!→
内陸にありながらおかしな地名。
もしかして大昔、ここらはそういう場所で今では地面を掘ると多くの貝殻なんか見つかるんかなと。

興味があったので帰宅して調べてみる。
まずは読み方は普通に「かいてい」。
と思いきや何と、おぞこというらしい。
かつては手漉き和紙の産地だったという。

さらにはタコやカニなんかしか使ってくれなさそうな海底橋などという名前の橋もあるという。ただ、今は壊れてボロボロになっているようですが。

↓明治16(1883)年に豪農によって建てられた、国登録文化財「古民家山十邸(やまじゅうてい)」に興味があったので、ちょっと顔を出してみます。

終戦後の東京裁判の公判中、東条元首相のハゲ頭を叩く(叩きたくなる気持ちは何となく理解できなくもない)など、奇行が目立ち○チガイ扱いされたA級戦犯大川周明が、昭和19(1944)年にここを買い、昭和32年に亡くなるまでここに住んでいたという。

辺りには誰もいないようですが・・・→
実はお役人様らしき4~5人が、一生懸命掃除しておりまして・・・。
休日出勤、お気の毒と思ったのですが。

翌日のこれに備えていたのです→
古めかしい佇まいの中、ワケ分からん奇抜なコスプレ連中がゾロゾロいるとしたら、それはそれで非常に違和感ある。

でも町肝煎りのイベントのようで、「明日、是非来てください!」と懇願されたのですが、「千葉から来てましてね、今日中に帰るんです・・・」と私が答えると、非常にガッカリされる。スマヌ。
それでも「わざわざ遠い(?)所からよくお越し下さいました」と非常に感謝される。
で、結局、このイベントは盛大のうちに終わったのかな?

↓建物内部



今年3月放送のドラマ「さよならドビュッシー」のロケに使われたようです。

さて、話しは変わりますが、「あやせ」をご存知でしょうか?
女優なら知ってるよ!、でしょうが、ここでの問いは地名でして、恐らく首都圏に住む人にはかなり聞き馴染みがあると思います。
「東京都足立区」「千代田線」をイメージする人もおるかと思いますけど、今回はラジオなんかでよく耳にする方。

愛川町の次に来たのは海老名市や厚木市といった知られた町をすっ飛ばして、やや離れた綾瀬市なのですが、それには理由があります。

さて、綾瀬の名所と言えば・・・→
大東亜戦争終結後、マッカーサー元帥が偉そうに威風堂々とパイプ片手にタラップを降りてくる写真が撮影された基地。そう、有名な海上自衛隊厚木基地の正門。
名は「厚木」なので、厚木市にあるかと思えば、どういうワケだか綾瀬市とお隣・大和市に跨る航空基地だったりする。
所在地は「神奈川県綾瀬市無番地」なんだとか。

↓ひょっとしたら一番知られている名所かも知れない(?)東名高速「綾瀬バス停」。

「綾瀬バス停を先頭に○○キロ渋滞」ラッシュ時や行楽・帰省シーズンなんかのこうしたお決まり渋滞情報にイライラした人も多かろう、とっても恨めしい場所。
東京に向かって登り坂になっているために引き起こされる車の溜まり場であります。

(600)神奈川県綾瀬市役所
人口約85,000人。
それなりに(首都圏では)耳にしていても、実際どこにあるのか知らない人がほとんどなのでは?

東海自動車道を走っていると「神奈川県のほぼ真ん中 綾瀬市」の横断幕が飾られております。
実際に地図を見てみると、どうしたって真ん中ではないので、「ほぼ」を「ド」と言えないところが切ないんだけど、アピールに一所懸命な市の姿が伝わってきます。

役所敷地内にある「防火たぬき」→
「かちかちやま」をヒントに防火を呼びかけるためのもの。

役所のウラ側は一面畑→
日没時間になったので、一層寂しい場所と化しております。
この道の先には、「東山ふれあい展示即売所」があって、かなり美味との噂の綾瀬名産「高座豚」が売られているらしいのですが、16時で閉店・・・、無念なり。

↓最後に、市の南部に東海道新幹線が走っているのでそれを見に行きます。

暗くなった中、光を放ちながら颯爽と駆け抜ける姿が美しい。
新幹線はわずか1.5キロほどしか市に掛かっておらず、20秒程度顔を出すだけ・・・。

私が今回わざわざ綾瀬市に来た理由ですが、車で「ゆっくりのんびり~」旅をする際は、務めて優先的に鉄道駅のない自治体を廻るようにしております。

そう、鉄道が走っていながら、駅のない市、それが綾瀬市なのです。
もっと言うなら、高速道があってもインターチェンジがない上に、渋滞で謂れのない恨みを買い(?)、さらには基地騒音はあるし・・・。
ちとお気の毒。

↓帰りに寄った「大黒PA(横浜市鶴見区)」。

昔も今も変わりなく、車でギッシリ(ガラの悪そうなのが多いのも同じ)。

これは変わってもーた・・・→
ベイブリッジが見えんし。そこの白いの、バカヤロー!!

この日の走行距離、ちょうど400km!

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↓参考・カッコしてあるのはこれまで行った所
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155日目 神奈川県民の命を守るでっかい水がめ

2016-07-23 23:51:43 | 南関東
2016年6月11日(土)


引き続き国道413号線で山ん中をひた走り、神奈川県入り。
↓神奈川とは思えん景色が続きます。
 
おまけに相模原市というれっきとした政令指定都市だったりする。

突如目の前に橋が現れる→
「虹の大橋」という、両側のフェンスに虹が描かれているという橋(ここも相模原市)。

橋からの眺め→
川ではありませぬ、相模原市・愛川町・清川村に跨る宮ヶ瀬湖という面積4.6km2で、県人口の9割に水を供給しているというダム湖。

真下をアップ→
地肌が露わになっているし・・・。

今年の関東は、水がピンチ!と、この頃あたりからマスコミが大騒ぎしていたのですが、あれから1カ月半、パタッと聞かなくなりました。
その間話題が盛りだくさんだったというのもあるかとは思うけど。
でも最近取水制限3割にするとかという、こっそり書かれたような小さな新聞記事も見た気がするし・・・。

水は一体どーなってるの?というワケで、本日の貯水率(利根川水系のですが)を見てみると、約60%でたいして変わり映えない感じですが、注目すべきは前年同時期比較。
約90%となっているので、実は楽観的に構えていても(当面は)いいんでないかい?
いつ間に降ったんだろうね?

神奈川県は首都圏の中でも水不足には案外強いのですが、それはこの巨大な湖があるからと思われます。
でも有名な箱根の芦ノ湖は神奈川県にありながら、その水は静岡県民が専ら使い、神奈川県民は使えないのは意外。

いったん湖を離れます。
(598)神奈川県愛甲郡清川村役場
左の茶色い建物が役場で、目の前のは昨年11月に登録されたばかりの、県内3番目の道の駅「清川」。
何と、全国都道府県で人口第2位の神奈川にも「村」があったりする。
そして人口はわずか約3,000人。重ね重ね神奈川とは思えん所です。
村のキャッチフレーズは「水と緑の心の源流郷」。

↓道の駅の中にある売店には、村のゆるキャラを動員したにもかかわらず、このとおり大量にアイスが売れ残っています。

気の毒になったので買いましたが。

特に見たい所なし(ダム以外)→
なので、この周辺を宛てなくブラブラします。

強烈な香ばしい匂いが辺りに漂っています。
ここがその源→
ウチの愛媛の田舎の近所にもブタ様を飼っている施設があったので、故郷を思い出す懐かい匂い、と思いたいけどただ単に臭いだけ。

のどかな村です→

↓右の看板は注意を喚起しているコヤツに破壊されてしまったとの情報が・・・。

あるワケないし。
でも、こんな人里にコヤツが出てくるなんて、考えただけでも恐ろしや。

再び湖畔に戻り、15時すぎに「宮ヶ瀬ダム・水とエネルギー館」の門を入ります。
↓そしてしばし、ダムを堪能します。





宮ヶ瀬ダムは平成13年にできた比較的新しいダムで、重力式(ダムの重さで水を堰き止めるタイプ)のダムとしてはコンクリート使用量日本一、高さは国内6位の156m、総貯水量は1億9300立方メートルを誇っており、水・電力の供給、治水等の役割を担ってます。

そして周辺は一大リゾート地となっており、湖畔遊園地では年末になると巨大なクリスマスツリーが飾られるので有名。
因みにダム辺りは清川村と愛川町の境界線が走っております。

渇水の影響?→

見晴らしよろし→

↓遠く横浜みなとみらい地区の摩天楼もかすかに見えます。

夜景はきっと素晴らしかろう。

下を覗く→
こえ~。高所の超苦手な私が、へっぴり腰になってどうにか収めた一枚。

↓下へ行くには、無料のエレベーターと有料のインクラインを使う2通りありますが、まずはエレベーターを使って下へ。

ここは完全に愛川町。

見上げる→
観光放流がされる日があるのですが、通常4~11月の水曜、第2・4金曜、第2日曜の11時と14時。曜日も時間も完璧に外してしまってます。

↓貸し切り状態のインクラインでゆっくり4分かけて上へ。


首都圏にある超大型ダム。車でないと行きづらい所ではあるのですが、特にダム萌えの方、ぜひ迫力をご体感あれ。

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