ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

153日目 ネット配信記事に釣られて訪れた町

2016-06-26 14:32:41 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月6日(金)


今月11日に毎年恒例の金運神社に行ってまいりました(後日アップします)。

このところ我が国の経済状態はあまりよろしい感じはなく、その煽りを食って(?)今年に入ってからは私の金運もサッパリなので上昇祈願に行ったワケですよ。
しっかりお参りしたし、これでよろしき便りをひたすら待つだけと考えていた最中の先日、以前から非常に気になっていたイギリス住民投票がついに行われ、

EU離脱決定!!

のよもやの衝撃的結果に。

EU残留→米利上げ→日本金融緩和→景気が上向く→私の懐が暖まる、きっとそうなる筈だと思い描いていた青写真は一気に遠のくどころかかなり怪しい状況に。
行った当初はそれなりの恩恵をもたらしてくれた神パワーはもう効かないのか?

何だか旅に出たい気が急激に萎えつつあります(とりあえずは7月の3連休は出かけますが、後は知らん)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓一晩過ごした丹波市の「道の駅丹波おばあちゃんの里」
 
舞鶴若狭自動車道・春日IC近くにある道の駅ですが、ムダに余裕たっぷりの広い駐車場。遺跡もあったりします。
以前は春日町と呼ばれたこの地域は、あの春日局の出生地でもあります。

国道176号線を南下し三田市へ。
(592)兵庫県三田市役所
首都圏の人なら東京都心を走る地下鉄・三田(みた)線に馴染みあるので、ここを「みた」と呼んでしまうであろうけど、「さんだ」です(かく言う私もうっかり「みた」と言いそうになる)。

20年くらい前までは人口増加率上位の常連だったこの都市も、最近は頭打ちどころか微減気味の約11万3千人位。
さすがに都心回帰傾向・人口減少社会には抗えないようです。

ところで市役所前の道路は車の交通量がとても多く、役所の駐車場料金が他の市中のそれよりいくらか安いせいかそこへ出入りする車も結構ある上、人は横断歩道を悠然と渡るので、朝のラッシュ時も重なって大混乱する事しばしば。
信号を設置すればいいのだろうけど、すぐ近くに交差点と踏切があるのでそうもいかないのかも知れない。

↓市役所東側に位置するJRと神戸電鉄が乗り入れている三田駅。


神戸電鉄のホーム→

JR改札口→ 
左のちっちゃなセブンイレブンは、前々日6時40分にオープンしたばかりの新参者。

↓駅前商店街は狭い上に、駐車車両があると他の車は大迷惑。


この通りをまっすぐ進むと武庫川にで出ます。
相生橋より駅方向→

同橋より市役所方向→

神戸電鉄・三田本町駅近く→
昔ながらの落ち着いた雰囲気が感じられる街並み。

↓「ファミコンショップ」と看板を掲げてはいるけど・・・。

さすがにかつてのファミコンソフトはどうなんでしょ?

さて今年の3月6日に、「あの道 この坂 昔の地名を訪ねます」というNPO法人・歴史文化財ネットワークさんだが企画したイベントがyahooニュースに紹介されていたのをご存知でしょうか?
その記事はもう削除されているみたいですが、配信源となったらしき神戸新聞社の記事はまだ見られます。

そんなワケで、それらを実際にこの目で見てみようという次第。

大蔵坂、またの名を歌仙坂→
「江戸時代、この坂に面して三田藩の蔵があった。また、かつては緩やかな階段が三十六段あったので三十六歌仙にちなんで歌仙坂ともいう」とは写真右下にある案内板。

ころび坂→
「急坂なので冬の凍てつく頃はもちろん、普段でも人がよく転ぶのでこの名が付いた」くらい、確かに角度はきついです。

極めつけは「牛くそ坂」→
年貢米を蔵へ収める時、坂の途中で牛をつないでいたという。
寅さんじゃないけど、当時は「坂の周りはクソだらけ」だったんだろうね。

ま、地名の由来なんて案外単純なもんだと思いますよ。

違和感ある教会の門→
西洋宗教のものにしては珍しく和風建物かいなと錯覚を起こしそうですが、隣に立派な普通にイメージされる教会建物があります。

妙三寺→
詩人・三好達治氏が幼少期に過ごしたというお寺さん。

↓日本初の民間の博物館は三田だったんですねえ。


旧九鬼家住宅資料館→
旧三田藩家老が明治初期に建てた、全国でも珍しい和風・洋風が混在した建物。
あいにくこの日は休館でしたが・・・。

三田市散策を終え、降り出した雨の中、国道176号線をさらに南下し神戸市北区へ。
でも途中で通行止めの箇所があって通せんぼとなっております。
理由はコレ→
記憶に新しい4月22日発生した建設中の新名神高速道路橋桁落下事故現場です。
あれから2ヶ月、今はどうなっているのだろう?

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152日目 丹波の小京都・篠山を歩いてみた

2016-06-21 23:52:01 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月5日(木)


今だにうっかり「しのやま」と読んでしまうことも多い「ささやま」が今回のお話し。

前々編(竹田城編)で「連休にどこへ行った?」の話しをしました。
当然、篠山も言いました。が、皆「?」という表情を浮かべるので、「丹波篠山ね」と言い直すと「あ~!」とのリアクション。
「丹波」が入る入らないは天と地の差のようで・・・。恐るべし「丹波ブランド」。

ただ、どこにあるのか知らない人がほとんどだろうけど。
何県にあるすら知らないんじゃないかな。

↓まず真っ先に向かったのは桐ヶ城と呼ばれる篠山城跡。



慶長14(1609)年、徳川家康の命を受けた築城名人と名高き藤堂高虎や池田輝政が、1年余の突貫工事で築いた「笹山」という小山を利用した平山城。
だから「ささやま」なんだろうけど、それがどういう訳だか「篠山」に変わってしまう。
でも、いくらなんでも「篠」を「ささ」と呼ぶのは無理があるよなあ。

↓平成12年に復元された大書院内の一番の格式高い部屋。

大書院は篠山城築城とほぼ同時期に建てられ、以来藩の行事に使われ、明治維新後は公会堂などとして使われるも、昭和19(1944)年に焼けてしまう。

大書院の南側→

そして南堀の方→
丹波だな~って感じの風景に癒される。

(591)兵庫県篠山市役所
何てたっていわゆる「平成の大合併」によって誕生した自治体栄えある第1号
しかもそれは平成11年で、唯一の1000年代というオマケ付き。
恥ずかしながら私が篠山という地名を知ったのもこの時でございます・・・(当時、今ほどは旅熱に浮かされていなかったので、知らん地名も多かった)。

篠山だけに(?)「さっさと」合併に持っていったので、「篠山詣で」という言葉が生まれるほど全国からの視察が絶えず、平成の大合併のモデルケースともてはやされる。
ですが、良かったのはここまで。
ありがちな話ですが、行政お手の物のハコもの作りに精を出しすぎたため今は借金で大変なのだという。
いつだったか見ていたのですが、NHKのある番組で失敗のモデルケース(?)として題材に取り上げられてしまう。

でもそんな事は市民以外は眼中になく、この日も観光客で大賑わい。
ただ、電車で来るには篠山口という駅からかなり離れていて不便極まりない。
昔は市街地近くまで国鉄が走っていたようですが。

↓お城の東側にある「河原町妻入商家群」へ。







旧街道に面した昔の名残を残す街並みで、篠山の商業の中心地として栄える。

南堀沿いを通って、御徒士町(おかちまち)という武家屋敷が並ぶ通りへ。


武家屋敷安間家史料館→

これら篠山城・河原町妻入商家群・武家屋敷一帯は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、篠山観光のハイライトといってもいい部分。

↓入る事能わざりし、お城の北側にある「青山歴史館」。

旧藩主の別邸で、江戸時代の歴史文化を学べる品々を多数展示しているとの事。

↓来た時には車の運転にはジャマなくらい多くの人がゾロゾロと歩いていましたが、18時のまだ明るい時間にもかかわらずウソのように人が引けてしまった商店街。



郷土料理・ぼたん鍋の看板・幟が目立ちます。そろそろハラの減る時間だし、みんなお店へと消えて行ったんかな?

このお店は異彩を放っておりました→

再び丹波市へ戻ります。
↓本格薬草風呂が売りの「丹波の湯」でさっぱり。


↓「道の駅丹波おばあちゃんの里」でしばしの休息。


この日の走行距離142km、千葉を出てから986km。

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152日目 本州一低い太平洋と日本海の境

2016-06-17 23:27:13 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月5日(木)


但馬地域とはお別れして、和田山ICから北近畿豊岡自動車道で一気に兵庫の丹波地域に乗り込みます。
丹波とは兵庫県中東部と京都府中部が範囲の旧国名で、黒豆とか栗なんかが有名な所。

(590)兵庫県丹波市役所
平成16年に氷上(ひかみ)郡の6つの町が合併して誕生した市で、市役所は旧氷上町にあります。
旧国名を拝借している自治体は全国あちこちにあるので、それ自体決して珍しい事でもないのだけど、とりわけここ丹波の場合は他の旧丹波国内の多くの自治体から「待った」がかかったみたいです。
要は「丹波」というブランドを安易に使ってくれるな、と顰蹙を買ってしまったらしい。
でも外野の声にブレることなくまんまと「丹波」を名乗るあたり、なかなか神経が図太い。

遥々やって来た氷上の街ですが、特に見たい所はないのだけど、せっかくなのでサラッと軽く見て歩いてみます。

↓街中にあったバスケのゴール付き観光案内図(観光案内図付きバスケのゴール?)に従ってご案内しましょう。

街中にデンと構える甲賀山(こかやま)を中心に時計回りに歩きます。

↓「氷上町役場」とある箇所が今の市役所で、その横に流れる川の橋南側。


↓加古川に沿って南へ歩くと、なかなかオサレな建物があります。

丹波市立植野記念美術館。
私は美術には全く造詣のカケラも持ち合わせていないのですが、結構出入りする人が多かったので、もうすぐお辞めになる某知事さんが見ればきっと気に入ってくれる美術館のハズ?

氷上のシンボル・甲賀山の南側より→

↓どういうワケだか、立派でデッカイお屋敷がとっても多い。


ひっそりした山の西側の商店街→

↓古い建物もかなり目につく商店街でもあります。

右のいかにも豪商っぽい建物は、あまり似つかわしくないけど、お医者さんのようで。
因みに右下にチラリと写っているナメクジっぽいものは「丹波竜のちーたん」といい、市内で発見された中生代白亜紀前期(1億1千万年前)の恐竜化石に「丹波竜」というニックネームが付けられたのですが、これはそれのマスコットキャラクター。

そんなワケで市役所周辺はこれで終わりにして、次に丹波市が一番誇れる名所かも知れない場所へ。

いかにものんびりした雰囲気の山里→
この変哲もない道路。でもこれがある意味、日本のてっぺんとも言える所。
? 何のこっちゃ??でしょうが、種明かしは道路を山の方へ向かって歩くとあります。

神社入口に来ます→

↓上の写真のチラリと見える赤い橋から歩いてきた方向を見る。


橋の背中にはコレ→
ここはというと、左が瀬戸内海(太平洋)、右が日本海へ流れる川の分かれ目。

日本列島に降った雨水は太平洋と日本海のどちらかに分かれますが、その境界線を「中央分水界」といい、まさに日本列島の背骨とも言える線ですが、本州においては端っこを除いてはここら辺がその一番低い所(標高約100m)。
ですので、太平洋側と日本海側を行き来する場合、大抵の場合は高い山がその行く手を阻むのですが、ここを通っていくのが本州では一番ラクなコース。
因みに日本で一番低いのは北海道・新千歳空港近辺のよう。

それにしても日本海側への川は分かれるや否や早速暗渠になってしまっていて、水の分かれ目という雰囲気があまりないのは甚だ残念。

ここ「水分れ公園」は憩いの場所→

↓これは柏原(かいばら)地区にある、ケヤキの根が太く成長して川を跨いでいることに因んで名付けられた「木の根橋」。

どんなものかちょっと興味があったので寄ってみただけです。
合併前は柏原町と呼ばれたこの地区は元城下町で、国の史跡・柏原藩陣屋跡があったりなど、散策にはなかなか良さげな感じ。

↓次に向かったのは、丹波と言えばここ!といってもいいくらいの有名地。



続きは次回。

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152日目 日本のマチュピチュから見る壮大な眺め

2016-06-10 22:38:16 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月5日(木)


前日から楽しんできた朝来(あさご)市ですが、いよいよ大トリを務めるのは朝来の、というより最早日本の山城のシンボルと言ってもいいかも知れない天空の城・竹田城。

特に説明不要ですね、これ(竹田城公式HPより)→

と思いきや、この連休にどこへ行ったかのかよく聞かれたので、「アレとかアソコとか竹田城とか云々」と答えると、ナント半分くらいの人は「竹田城?(どこ?それ、という意味)」という反応でした。
残念ながら旅行や歴史・城好きなどという人以外には、まだまだ全国区には達していないようでございます・・・。

それでも有名観光地には違いありません。
↓城址に登る気マンマンだったので、車を止めようと街中をウロついたのですが駐車場はどこもいっぱい。


仕方ないので、城址西側の山へ向かいます。
↓途中で潜った播但道のアーチ橋「虎臥大橋」が美しい。


↓「山城の郷」に車を停めます(周辺図も竹田城公式HPより)。




 

↓城址の途中までバスやタクシーで運んでくれはしますが、私は健康的に(?)自力でいわゆる西登山道(2.1km)から城攻めをします。

ところが、この日は気温25℃くらいだったと思うけどムチャクチャ暑いの何の。
おまけに日焼け止めを塗っていなかったので、登って下りて来たら露出部分はいい焼き色に変化してしまってるし・・・。

それよりも・・・。
イヌを普通に散歩するが如く連れていた人がとても多く、とりわけ小型犬にとってはアスファルトの照り返しはさぞ強烈だったろう、熱中症になりはしないかとハラハラする。抱えて歩くとか、どうにかならんものかと。

↓「山城の郷」からせっせと歩くこと20数分、料金所に(入場料は¥500)。

案内板には所要時間は徒歩で約40分とあったけど・・・そんなにかかる?

↓やっとこさ城址へ。



「虎臥城」という別名を持つこのお城は、1400年代中頃に但馬守護・山名宗全によって築かれ、標高353.7mに天守台があって、規模は南北400m、東西100mに及ぶ。

天守台→
ここは今年の3月から入れるようになったと、ガイドさんは言っていたような気が。

↓登ってきた甲斐があった、心からそう思えるよき景色でございます。




下の竹田駅周辺の街並みも趣きがあるので、ちょいとばかり散策します。
その前に腹ごしらえ→
虎臥屋さんの「ぼっかけ丼(¥850)」。
但馬牛のスジとコンニャクを甘辛く煮込んだもの(すじこん)をご飯の上に乗せたものですが、とりたてて感動はなし。
私の行きつけのラーメン屋に置いてあるすじこんの方がよっぽど旨い。

竹田駅→

駅近くの街並み→

旧木村酒造場EN
明治期築の建物をリニューアルし、ホテル・レストランなどが入った複合商業施設として平成25年にオープン、竹田城を深く知ることのできる情報館もあります。

↓古い建物・土塀のわりに違和感を覚えた暖簾「HOTEL」。


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152日目 八鹿と和田山の街を朝ぶら

2016-06-08 23:39:23 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月5日(木)


ぐっすりと寝ていた1時20分頃、いきなり下からドーンと突き上げるような縦揺れらしきを感じ、以来しばらく心臓がバクバクしていたからか全く寝付けなくなり、悶々とした一晩を過ごす。
その時はてっきり地震かと思ってましたが、後日地震情報を見たらそんな記録は一切なかったので、もしかしたらトラックの揺れなのか、或いは夢で見ていたものを実際に起きたものと勘違いしたんだろうか?

↓そんなこんなで、寝不足のまま迎えてしまった養父(やぶ)市の「道の駅但馬楽市(たじまらくざ)」の朝でございます。


(588)兵庫県養父市役所
平成16年に八鹿(ようか)町、養父町、大屋町、関宮町が合併してできた、現在25,000人程が暮らす市。
役所は旧八鹿町にあります。ですので、街散策は八鹿地区のみにします。

上写真の真ん中の小佐川(おさがわ)は、新町橋下で右からの八木川と合流してます。
新町橋から見るとこんな感じ→

市役所庁舎敷地内にて→
ついこの間終わってしまったイベントを今更紹介してもしょうがないんだけどね・・・。
それと前日さんざん巡っていた「鉱石の道」についても、養父市部分のメイン・明延(あけのべ)鉱山は初めから行く予定はなく、重ね重ね申し訳ない、養父市。

↓八木川の左岸側の商店街。




↓昔ながらの卯建のある建物が見られます。


至る所で見られたツバメの子育て→
引きもなくエサを運んでくる姿を見ていると、自分の持て余す暇時間をあげたくなる。

左岸側へ→
お祭りはまさにこの日。甘茶の接待付きの花祭りなんだそう。

↓どこにいても妙に目立っていた八鹿病院。

養父にある病院だけあって、ヤブ医者ばかりか?(笑)
というのは冗談だけども、でも冗談ではなく「ヤブ医者」の語源が養父が由来だったという。
養父市HP内のそれについてのページには、元々は「藪医者の語源は、養父の名医 」とあり、今とは真逆な意味だったのだという(そもそも「ヤブ医者」の語源については諸説あるようですが)。
そして町おこしの一環として、僻地で頑張っている若手医師にスポットを当てて顕彰する「やぶ医者大賞」が開催されたりしてます。
因みに養父という地名の由来は、古くは居住者がおらず、草木が叢生していてまさに藪だったからなんだとか。これにはワロタ。

八木川が合流する円山川沿いにある道の駅→
腹具合がおかしくなったので立ち寄っただけ。

(589)兵庫県朝来(あさご)市役所
平成17年に和田山町・生野町・山東町・朝来町が合併してできた市で、人口は31,000余り。
訪れた時は新庁舎の工事中でしたが、7月1日にはめでたく開庁するらしいです。
小さくて見づらいのですが「住みたい田舎ベストランキング全国第1位」の横断幕が掲げられています。
このランキングは、宝島社「田舎暮らしの本2月号」に掲載されたもの。

↓町興しには「大河ドラマ」と並んで、これが一番手っ取り早い方法なんだろうね。

因みに前回の朝ドラは題名が縁という事で、朝来市が放送局の許可を得て「勝手に応援」していたんだとか。
だからこの願いを叶えてくれるかもよ・・・。

↓鉄ファンには知名度高い、朝来市の代表駅・和田山駅へ。

山陰本線と播但線が乗り入れる要衝駅。

↓明治45(1912)年に建築された見た目ボロボロの駅名物の車庫。


↓駅前と駅東側に伸びる商店街。




↓駅の北側を流れる円山川の東河橋(とがはし)より。

こんな風景を見ていると、確かに「住みたくなったしまう田舎」に感じてしまう。でも私には「ずっと」住むのは無理かな・・・。
「お豆さん」で有名な会社の工場がデンと構えていて、「丹波黒豆」の看板も見えるので、朝来は丹波だと一瞬錯覚してしまいそうですが但馬にあります。

街をフラフラして市役所に戻る→
これから熊本に向かうんですかね?

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151日目 朝来の「鉱石の道」(2)

2016-06-05 23:50:05 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月4日(水)


続いて神子畑(みこばた)鉱山の方へ車を走らせます。
↓神子畑鋳鉄橋(ちゅうてっきょう)



明治18(1885)年の架けられた現存する日本最古の全鋳鉄橋で、国の重要文化財。
神子畑鉱山からの鉱石運搬のために建設された神子畑-生野間16.2km、幅員3.6kmの馬車道(鉱山道路)が神子畑川を横切るための橋。

次に、程近い神子畑選鉱場跡へ。
↓因みにこの周辺の地図(「鉱石の道」のサイトより)。


↓約6km離れた明延(あけのべ)鉱山(養父市)から運ばれてきた鉱石を亜鉛や銅、スズに選鉱した場所。
 


もう日が暮れるようかという時間だからか、場の雰囲気は虚無感・廃墟感たっぷりで、時計の針が止まったかのような空間。

今では見てのとおり、22段あるという建物基礎部分とインクライン(ケーブルカー)の廃線、シックナーなどが残るだけですが、選鉱所自体は昭和62(1987)年の明延鉱山閉山後、操業を終了し閉鎖されてもなお、しばらく建物は残っていたという。
ですが、平成16年についに撤去・解体。

↓明延鉱山閉山と同時に廃止された「一円電車」。

神子畑-明延を結んでいたので、正式な名は「明神電車」。
私が小さい頃はまだこの電車(といっても電気機関車が客車を引っ張っていたっぽいけど)は現役バリバリで、当時の小学生向け雑誌に「たった1円で乗れる鉄道があるんだぞ」などと小学生物知り博士のための記事として載っていたのを記憶しています。

ただ、どこを走っているのだか全く分からず、いつしかこの鉄道の事など記憶の彼方へと吹っ飛んでしまっていましたが、今回この旅に出るにあたって事前の下調べしていた際にここを走っていたのをようやく知り、併せて当時の記憶もブーメランのように戻ってきた次第。

因みにこの鉄道はここから走っていたのではなく、インクラインの上から明延へ向かっていたよう。

中に入ってみる→
客車というより人運搬箱ですな。
大人が二人向かい合って座ると、膝を突き合わせるどころか、相手の吐息まで感じられそうな狭さ。夏なんかはむさ苦しそうだ。

↓ムーセ旧居(現在はムーセハウス写真館)

生野鉱山開発のため明治政府によって招かれたフランス人技師のうちの一人、ムーセさんの元住居。
彼が日本を去った後の明治20年に神子畑に移築され、事務舎・診療所として利用される。

こういう所だから、当然周辺も廃墟感が漂ってます。
小学校跡→

昔は旅館だったぽい仕舞屋→

右岸側の旧道→

↓この日のネグラは、養父(やぶ)市の「道の駅但馬楽市」。



宿泊施設もあるのだけど、そこはケチる。

美肌の湯「やぶ温泉」付きの道の駅ですが、レストランもあり、松阪牛などの全国のブランド牛がその血を引いているとされる、まさに和牛の始祖たる「但馬牛」の料理が味わえます。
因みにかの有名な神戸牛は、但馬牛のうち一定の基準をクリアしたものだという。
知らなかったわ。

ただ、ここに着いたのは19時半頃。オーダーストップは20時半だけど、店はいっぱいな上、待っている人がそこそこいる・・・。諦めて温泉に浸かる。

この日の走行距離140km、千葉を出てから844km。

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151日目 朝来の「鉱石の道」(1)

2016-05-31 23:51:01 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月4日(水)


多可町をオサラバした後は山を越えてJR播但線沿線に向かい、今は朝来(あさご)市の旧生野町(いくのちょう)にやって参りました。

ステージは北播磨地域から但馬(たじま)地域へ移ります。
但馬とは旧国名の事で兵庫県北部一帯を指しますが、今回廻るのはその一部だけ。
そして、この日の残りは市町村訪問というより、どちらかと言うと観光に精を出します。

というワケで、平成19年に近代化産業遺産群に認定された「鉱石の道」へ。
↓話しを分かりやすくすべく、「鉱石の道」のサイトから引っ張ってきた地図。


↓ルートマップ(同サイトより)。というより寧ろ土地断面図。

有体に言えば、生野鉱山、神子畑(みこばた)鉱山、明延(あけのべ)鉱山の3鉱山とそれらに関する産業遺産群の事(詳細はサイトをご参照あれ)。

↓まずは「鉱石の道」の中でも一番の呼び物と思われる「史跡生野銀山」へ。



大同2(807)年から昭和48(1973)まで1,000年以上も金・銀・銅・亜鉛・スズなどを採掘し続けてきた鉱山。
信長・秀吉、そして江戸幕府が直轄し、明治政府が継承した後に三菱に払い下げられる。

とにかく来場者多し→
ここの知名度が高いのか、近くに超有名なお城2城もあるのでそのついでに来てみたのか分からないけど。
と思ったら、私は見ていなかったけどあの「びっくりぽん」に出てきたという実業家・五代友厚が生野銀山に関わっていたというらしい。ミイハアが多い?

こちらは右手にある出口→

鉱山資料館内にて→
蟻の巣のよう。何だか気色悪い。
実は坑道を見てからこの資料館に入ったのですが、最初にここを見てからの方が良いかもしれません。

坑道内のお決まりの人形→
顔がコワイ真剣。

削って持って帰りたかった。

「慶寿の堀切り」と呼ばれる江戸時代の露頭採掘跡→

鉱山を降りてきて、下界の口銀谷(くちがなや)へ。
そこは「銀山まち回廊」と売り出していて、鉱山町の佇まいを残す地域。

町の佇まいはこんな感じ→

  

↓現存している社宅では日本最古の「旧生野鉱山職員宿舎」。

閉館間際だったにも関わらず、中に入れてくれました。
応対してくれた案内係のおっちゃんは、「これが建てられたのが明治9(1876)年」などと閉館過ぎたにもかかわらず、サービス残業になってまでも(元々ボランティアかもしれないけど)親切にもガイドを買って出てくれる。

↓「今はないけど、俳優の志村喬さんが住んでいた家があってな。ホレ、あのマツの所。」

「寅さん」に出てた(後で「七人の侍」にも出演していたのを思い出したけど)程度しか覚えのない(私にとっては)馴染みの薄い俳優さん。
ですが、彼は生野の誇りらしく、ここは「志村喬記念館」にもなってます。

寺町通り→
その名前のとおり、お寺さんがズラズラと並んでいる通り。

姫宮神社入口→

↓神社への橋からの眺め。



市川という川沿いにはトロッコの軌道跡があります。

生野代官所跡にある「生野義挙碑」→
文久3(1863)年、尊皇攘夷の一派が農民層に働きかけて代官所を襲撃したいわゆる「生野の変」ですが、僅か3日で敗走する。
それより、愛想よく写させてくれた置き去りのワンがかわいい。

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151日目 北播磨地域はこれにてクリア

2016-05-29 23:53:25 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月4日(水)


前編で先に西脇市から触れましたが、この日最初の訪問地は、平成18年に社(やしろ)町・滝野町・東条町とが合併してできた加東市。

↓(585)兵庫県加東市役所
 
市をアピールするためのマスコットキャラクターとしては地味な印象の「加東伝の助」のモチーフは、加東に釣り針を伝えたとされる「小寺彦兵衛」というお人。
全然知らないけどね・・・。
それに、立派なキャッチフレーズとは裏腹に住民は思うようには増えないようで、ここ最近は4万人あたりをウロウロしています。

↓市役所庁舎横にある、ツツジが取り囲む状ヶ池。

赤穂藩ゆかりの池であるようで、きっと今頃は役所周辺で「つつじまつり」が開催されていて大いに賑わっている(ハズ)。

加東市散策は市役所庁舎がある旧社町だけにします。
まずは千鳥川のほとりへ→
風薫る5月の早朝。目にも鮮やかな新緑、心地よい鳥のさえずり。とても気持ちが良い。我が家の近所にもこういう川があったらな、とかなり羨ましい。

↓川沿いの「新宮神社」で、遅まきながら旅の安全祈願。


「やしろ商店街」の入口手前→
写真には収まりませんでしたが、左側に「←赤穂四十七士の墓(観音寺)」という看板があります。

↓ドレドレ、どんなものかと見てみたけど、草が伸び放題で手入れされていなさそう。

夜になると人魂が飛び交っていそうな一見無縁墓地のようで、四十七士のものにしては貧相すぎる。
後で知ったのですが、観音寺は浅野家の祈願所だったため、江戸時代後期に四十七士の供養墓碑が建立される。どうやらそれは奥の立派なお寺さんにあるのかも。

商店街→

この商店街にあった自販機→
だいたいこの手の自販機で売られているのは、エ○本だったり、20年前の雑誌だったりで、しかもお金を入れてもモノが出てこないとか・・・。
でも普通の大衆週刊誌が売られ、しかも新刊。それなりにここで買う人がいる模様。でも、コイン投入口が塞がれているし、どうやって買えというのだろう?

銀座通りの「やしろ商店街」→
整然と並ぶ街灯・垂れ幕が美しい。

佐保神社→
北播磨第一の大社。故に「社」という地名になったという。

明治館→
旧加東郡の公会所で、平成4~5年に復元修理した建物。

間に西脇市を挟んで、多可町(たかちょう)へ。
(587)兵庫県多可郡多可町役場
ここも平成17年に中町・加美町・八千代町が合併してできた町で、役所があるのは旧中町。
シワジワ人口が減っていて、合併時25,000人ほどいたのが今では22,000人を少し下回っていて、早晩2万人を割り込むんだろうな。

↓多可町は「日本一の酒米・山田錦発祥のまち」でアピールする町。

「敬老の日」発祥の地でもあり、昭和22(1947)年、旧八千代町で初めて村主催の敬老会を開催したのがきっかけに、9月15日を「としよりの日」として祝日とすることにし、昭和41年に「敬老の日」として国民の祝日になる。
他には、「日本一の手漉き(てすき)和紙・杉原紙」が町の自慢。

↓平成2年まで走っていたJR鍛冶屋線の駅跡地の「あかね坂公園」。




↓ついでに鍛冶屋線の終着駅・旧鍛冶屋駅へ。



鉄道資料館(鍛冶屋線記念館)となっております。

西脇市訪問の際に触れませんでしたが、かつてあった市原駅舎(大正10(1921)年築)も同様に「鍛冶屋線市原駅資料館」として保存されています。

鍛冶屋地区の街並み→
鍛冶屋という地名だけあって鍛冶屋さんが多かったのだろうと容易に想像できるけど、実際近くにあった牧野鉱山から採掘された鉄をここで加工していたのだという。

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151日目 日本列島のド真ん中に立つ

2016-05-25 23:59:35 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月4日(水)


今日5月25日は平成になって10,000日目なんだとか。
もうそんなに経ったのかあ、道理で歳取ったワケだ(苦笑)
昭和最後の日・平成最初の日は何をしたのか覚えているけど、10,000日目はこれといって記憶に残るような事はなかったな・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓ガマの大合唱がBGMの「道の駅北はりまエコミュージアム(西脇市)」を7時頃発ちます。

夜は時折風雨が激しかったものの、何事もなかったような晴れの爽やかな朝。

まず先に加東市に向かったのですが、また西脇市に舞い戻ってきたので、本編では西脇市の事について触れます。
最初に訪れたのは「日本へそ公園」→
看板には、北・宗谷海峡の北緯46度、南・波照間島の北緯24度、東・択捉島で東経147度、西・与那国島で東経123度をそれぞれ東西南北の端とすると、その中心にあたる北緯35度と東経135度が交差する場所、つまり「日本のへそ」にあるのが西脇市だとの説明がある。

敢えてツッコミを入れるなら、日本の北端は択捉島(北緯45度)だし、東は南鳥島(東経153度)、南はドコゾの国が岩だと難癖つける(というか、客観的に見ても岩にしか見えないんだけど)沖ノ鳥島(北緯20度)なので、それに基づけば、本当の「日本のへそ」は遠州灘の遥か南洋上。
寧ろそんな事よりも、東と南の端が東京都というのが驚きかも。

さて、「日本のへそ」を標榜する都市は西脇市以外にもあります。
他には人口の重心で考える場合もあって、その場合は岐阜県関市辺りらしいです。

↓ここは大正12(1923)年に旧陸軍によって計測された北緯35度と東経135度の交点。

いわゆる「大正のへそ」ですが、加古川の河川敷にあって、鬱蒼とした中、埋もれて忘れ去られた感ある石碑。
碑は道路橋(その名も経度橋という)の袂下にあります。
その橋に上がってみる(上流側)→
奥は黒田庄といい、あの軍師の出身地とされる場所。

JR加古川線・日本へそ公園駅→
つまり日本のド真ん中にある駅で、後ろの丘が公園。
駅前の建物は今もご健在という西脇市出身の世界的な画家・横尾忠則氏の作品を展示保存している岡之山美術館。
でも美術に全く興味ないのでパス。

↓国土地理院がGPSで測量した「平成のへそ」。
 
こちらは大正のとは違って、目立つように4本のモニュメントが立ってます。
あたかもこっちが正しいものと言わんばかり。
せっかくなんで、記念に交点にシッコでもひっかけてやろうと思ったけど(ウソです。良い子はそんな事しないように)。

「平成のへそ」からの眺め→

↓にしわき経緯度地球科学館(テラ・ドーム)、入場料は\510(JAF会員は\410)。

プラネタリウムがあり、気象・自然現象などを学べます。
が、外見が子供向けだし、実際入ってみたらやっぱり子供向け。
多くの子供の中に大人がポツンと見物している様は何となく恥ずかしい。なのでさっさと出てしまう。

(586)兵庫県西脇市役所
西脇は市内を流れる加古川支流の杉原川(写っていないけど写真左に流れています)の水質の良さを背景として播州織が発展したので、比較的第2次産業従事者の比率の高い町。
平成17年に黒田庄町を合併し、現在の人口は約42,000人。

後は市内を軽く散策。
↓古い建物が佇む街並み。




ギザギザ屋根が特徴の織物工場→

仕舞屋となったらしき料亭→

横尾忠則氏「Y字路」の原点・椿坂→
「原点」の意味がその時には分からなかったけど、横尾氏のライフワークとしてY字路の風景を描いているようで、そのシリーズの最初に登場する場所がここらしい。

豊川町交差点→

ここの商店街も苦戦しているよう→

↓交差点近くの国登録有形文化財「旧来住家(きゅうきしけ)住宅」。

大正時代に地元名士によって建てられ、犬養首相らのお偉い方が泊まったことのある邸宅で、米価比較で現在の価格で2億4千万円を費やしたという。

頃はちょうどお昼。
そこで、ご当地グルメ「播州ラーメン」を味わいに、その元祖とされる「西脇大橋ラーメン」へ。
するとどうだ・・・→
諦めようかと思ったけど折角来たのだし、私にしては珍しく食い意地が勝つ(食べ物屋で並ぶ事は滅多にない)。

小一時間後、ようやく・・・→
見た目醤油ラーメン、ですが一番の特徴は甘い感じの汁。そしてこれが実に旨い!
さすが長蛇の列ができるだけあるわ。西脇に行ったなら是非ご賞味あれ!

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150日目 ドでかい算盤と寺院と地球儀

2016-05-23 00:51:54 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月3日(火)


「おの恋ホルモン焼きそば」でちょっぴり充電(寧ろ放電したかも)して、約5万人が暮らす小野市の中心部へ。

(583)兵庫県小野市役所
好古館(こうこかん)という歴史博物館が市街地にあるのですが、そこがかつての陣屋。つまり小野は陣屋町って事。

↓役所駐車場にある、西暦9億9,999万9,999年まで使えるオブジェ。


小学生の時、とってもイヤだったそろばんの授業。それも「1+5」とか「4-2」とかしかできないお粗末ぶり。電卓が当たり前の時代に生まれたヨカッター!

調べてみたら小野市だけで年間7万丁も作っているらしく、それは全国生産の70%を占めて日本一。
でも寧ろ、昨今のデジタル時代にそれだけの需要があるのにびっくりぽんだわ。
他に有名なものとして「雲州そろばん(島根)」があります。

↓予想はしていたけど、やっぱり存在した特産を拝借した食べ物。

現物を見ずとも形は容易に想像できるし。

役所そばの池「大池」→

↓神戸電鉄粟生(あお)線の小野駅へ行ってみる。
 
立ち込めだした黒い雨雲も相俟って、寒々しい印象が否でも増す駅前。
三木市もそうでしたが、この地域は神戸にそこそこ近いので、来る前は大都市近郊としての賑わいのある所だと思ってました。
何でも粟生線は赤字を垂れ流し続け、存続の危うい路線らしい。電車でなく車でやって来た事に少し罪悪感。

↓駅近くの商店街。
 
気の毒すぎるくらい大苦戦しているよう。
左の建物の看板は上書きされすぎだけど、それがかえって歴史を感じさせるというか、味なものに化けている。
このお店にあるとおり、小野のもう一つの特産として草刈り鎌を主とした家庭用刃物があったりします。

↓どこの廃れた商店街でも、どういう訳だか繁盛していそうで綺麗な店構えをした和菓子屋さんが一軒や二軒あったりする。


↓心配した雨が降り出した中、国史跡・広渡廃寺(こうどはいじ)跡歴史公園へ。

7世紀末頃に建立された寺院。基礎が残っているだけの広っぱで特に面白い所ではない。

実はこれが見たかったのだ→
縮尺20分の1の伽藍模型を見て、気の遠くなるような遥か昔の姿を想像してみる。
ところで「日本一の模型」とパンフレットにはあったけど、どういう点が日本一なのか全くの不明。

↓県道23号線で加西(かさい)市に向かうも、途中で迂回を余儀なくされる。

ここにあった加古川に架かる粟田橋は、3年前9月の台風18号で川底が洗われてしまって沈下してしまったようです。

(584)兵庫県加西市役所
人口は約45,000人。昭和42(1967)年に北条・加西・泉の3町が合併して市制。

市役所のある旧北条町の中心部を歩いてこの日の街巡りは終わりにします。
丸山総合公園の世界一地球儀時計→
直径5mで、重さ14tであるという。

これはオブジェではありません→
北条鉄道の北条町駅。

北条地区は姫路・丹波・但馬・京などの街道が集中する宿場町で、今でも多くの寺院や昔の街並みが残っています。

五百羅漢→
北榮山(ほくえいざん) 羅漢寺にある450体の石仏。
それぞれには異なる表情の顔が彫られているけど、これだけいっぱい並んでいるとかえって気味が悪い。

↓江戸初期築の多宝塔がある酒見(さがみ)寺。


↓虫籠窓、卯建、格子戸などが見られる横尾街道(旧丹波街道)。




さて、疲れを癒しに行くか! それなら温泉が一番。
↓という訳で、西脇市の「官兵衛(かんぺ)の湯」へ。


そして同じ西脇市の「道の駅北はりまエコミュージアム」で車中泊。
この日の走行距離161km、千葉を出てから704km。

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150日目 両兵衛ゆかりの地・三木市を歩く

2016-05-20 23:59:49 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月3日(火)


稲美町(いなみちょう)の後は、5市1町からなるいわゆる北播磨と呼ばれる地域を潰していきます。

ところで、最近は復権著しい大相撲に「きたはりま(一部漢字表記ができないので、平仮名にしておきます)」という力士がおり、彼はてっきり北播磨出身かと思いきや、兵庫は兵庫でも西播磨と呼ばれる地域の出身。名に偽りあり。

それはさておき、訪問地のトップバッターは三木市。
トイレ休憩に寄った「道の駅みき」→
連休中につき、いろいろな催しが行われているせいでかなりの激混み、止める場所探しの車がウロウロしている(私は入ったら幸運にも一区画ポッカリ空いていた)。
人もウジャウジャで、あたかも味噌も糞も一緒状態。

(582)兵庫県三木市役所
神戸のベッドタウンで人口は約8万人。
一方で、観光案内所で奪ってきたパンフレットによると、「日本標準時東経135度線の通る町・名所旧跡が多く古い歴史文化の薫る町・色々な特産品がある町・多彩なレジャー施設がいっぱいある町」とまあ、要約すればこういう様々な顔がある都市で、目標は大きく「日本一美しいまち」。

ここから徒歩で町を歩きます。
三木市立金物資料館・金物神社→
市役所もそうですが、ここはかつての三木城内に建つ施設。
金物で有名な町と言えば、燕市・三条市(新潟)がありますが、三木市も同じで、毎年11月には「金物まつり」という町をあげてのイベントが開催されます。
金物が何故三木市の伝統産業になったのかは後程。

三木城本丸跡→
織田信長の家臣であった城主・別所長治は天正6(1578)年に毛利側に翻意したので羽柴秀吉に攻められ、約2年にわたり大軍に包囲され干乾しにされてしまう。
俗に言う「三木の干殺し」で、「鳥取の渇(かつ)え殺し」と共に秀吉の代名詞的兵糧攻め。
終いには土塀の藁をも食べていたほどの飢餓状態となったので、長治は城兵・領民の助命と引き換えに一族とともに自刃する。

その長治さん→

因みにこの合戦は、竹中半兵衛と黒田官兵衛の軍師二兵衛が顔をそろえた唯一の戦さであったのですが、半兵衛は合戦中途で死亡(三木市に半兵衛のお墓もあります)、官兵衛は荒木村重に囚われの身となる(2年前の「大河ドラマ」を見ていた人のための復習です)。

戦さでボロボロとなった三木のため、秀吉は復興策として免税をした事で町には大工職人や鍛冶屋が集まり、以来、金物産業が栄えたのだという。

知名度は決して高いとは言えず、城跡もちっぽけですが、いざ来てみると戦国時代のロマンをふんだんに感じ取れてやまないお城でございました。

お城から眺めた市街地→ 
川は美嚢(みのう)川。

神戸電鉄・三木上の丸駅(東側)→
三木城の最寄駅。

↓半兵衛が病気療養のため通ったとされる「湯の山街道」を散策。



昔ながらの街並みが見られるこの街道は、有馬温泉に通じているのでこう呼ばれ、合戦中には秀吉は湯を運んでこさせ負傷兵の療養をさせたりしたのだという。

↓三木上の丸駅・西側の高架線をくぐると「ナメラ商店街」に。

「ナメラ」とカタカナで表記されているので何語で、どういう意味だろ?と思ったのですが、かつては「滑原(ナメラ)町」という地名(今は本町2丁目)だったのだと。

↓連休中だからなのか分からんけど、見事なシャッター商店街と化しております。

商店街が兵糧攻めを食らっているかの如く。

旧玉置家住宅(国登録有形文化財)→
文政9(1826)年築の切手会所(いわゆる銀行)で、その頃の三木は何の因果か、今の群馬県の館林藩の領地であって、藩財政の立て直しを目的に建てられたらしい。
秀吉に散々な目にあったけど、その頃には税を吸い上げられる程に豊かな所になっていたと思われ。

ひめぢ道→
ここも古い建物多し。

↓三木鉄道記念公園





平成20年まで走っていた三木鉄道・三木駅で、駅舎は当時の場所から15m移築されているという。
三木市訪問の事前の下調べで「こんな鉄道が最近まであったのか!」とようやく知った程の、私にとっては存在感の薄かった三木鉄道。

次はお隣り小野市へ突撃!
神戸電鉄・樫山駅→

↓駅に隣接するレストラン「ゆうゆうの里」で、ご当地グルメ「おの恋ホルモン焼きそば(\600)」を戴く。

こんなメニューを注文したのだから当たり前なんだけど、よりによって私が非常に不得意な玉ネギがたっぷりでホトホト参りました。俺ってバカすぎだわ・・・。

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150日目 田舎の神戸と稲美のまつりと

2016-05-15 15:51:32 | 近畿(大阪・兵庫)
2016年5月3日(火)


淡河(おうご)PAで寝て(というよりほとんど仮眠)、5時前に起床。
この日は朝からやたら風が強く、おまけに午後から雨が降るという。
旅に出ると毎度訪れる試練。いい加減にしてくれ。

↓6時頃PAを出て、布施畑(ふせはた)ICで長かった高速道路とのお付き合いを解消し、近くの神戸総合運動公園(神戸市須磨区)に何となく行ってみる。

初めて目にするオリックス・バファローズ準本拠地・生の「ほっともっとフィールド神戸」。
でも、「グリーンスタジアム神戸」のイメージが抜け切れません、私が古い人間だからか・・・(苦笑)。
それにしても、プロ球団の球場の場所にしては辺鄙すぎ。

手持ちの地図を見ると、私の立っている所は須磨区と西区の境界で、地下には山陽新幹線が通っております。

次に、これまた割と近い所の神戸市唯一の国宝を抱える太山寺(たいさんじ)というお寺さんへ。
参道→

本堂が国宝→
弘安8(1285)年に焼失後、1300年頃に再建されたと、案内板に書かれておりました。

江戸時代初期に建立された三重塔→

神戸のイメージを覆す大自然、鶯の鳴き声以外は一切何も聞こえない静寂。心洗われるなあ。
秋には秋ならではの風景となって、それもきっと美しいんでしょう。
温泉がそばにあるので、ブラブラした後に湯に浸かるのもまた一興。

グリコピア神戸
お菓子や食文化について楽しく学んでいただける施設。
但し対象は「お子さま」なので、私はお呼びでなし。

↓ずっとこんな田んぼだらけの中ばかりを走っております。

一応、神戸なんだけど・・・。

〔46〕兵庫県神戸市西区役所
昭和57(1982)年、垂水(たるみ)区から分区。
区役所のある場所は、第二神明道路の玉津ICの真ん前なのですが駅はありません。
鉄道が走っている明石市にとても近く、そこまで行くバスが多いようです。
ところで、「六甲のおいしい水」の取水地があまり六甲のイメージが沸かないここ西区であると、以前のラベルに書いてあったけど、今はどうなっているんだろ?

↓再び田園風景の広がる中を走って、お隣・稲美町(いなみちょう)へ。

左の池は溜め池。
稲美町に限った話しではありませんが、東播磨・北播磨と呼ばれる地域には360度見廻すと、必ず溜め池を目にするくらいの、あたかも「溜め池銀座」の様相。
実は兵庫県の溜め池数約4万はダントツで日本一、ただその半分以上は淡路島にあるようですが。
ま、それだけ干からびた地域であるのが分かる一方、先人達の知恵と苦労が偲ばれます。

↓播州葡萄園跡という国の史跡があるというので行ってみる。そしてガッカリ。
  
広っぱの中、ポツンと看板があるだけ。しかも、元からこうなのか錆てこうなってしまったのか分からないけど、とても読みにくい。

明治13(1880)年に国の殖産興業政策の一環として開設された国営ワイナリー。
ところが、虫・台風などの被害により頓挫、民間に払い下げられた後、1896年(明治29年)には廃園状態となり跡形もなく消え去ってしまう。
近年になって遺構が見つかったので、発掘調査が行われたという。
それにしても国史跡なのにこの冷たい扱われ方

↓強風の中、体勢を崩しながらも踏ん張ってひたすら国史跡を汚す(?)黒ワン。


葡萄が植えられております→
葡萄園を復活させるつもりの公園らしき。

(581)兵庫県加古郡稲美町役場
昭和30(1955)年に3つの村が合併して誕生、現在3万人余りが住む町。
古来、この地域が「稲日野(イナビ野)」「印南野(イナミ野)」と呼ばれていた事に因んでの命名。

ところで、何かのイベントがあるらしく、その目的らしき車で道は溢れて進みが悪くなっている。
役場にいたガードマンに聞いてみると、稲美中央公園で「稲美ふれあいまつり」というのがこの日の10時から15時まで開催されるという。

ちょっとだけ御呼ばれになってみよう!→
「地域の連帯と活力あるまちづくりを推進するため、住民、町内の各種団体、企業が一丸となり、ふれあいの場をつくる」のがお祭りの目的。よそ者の私に参加資格ないじゃんという声が聞こえてきそうですが。

↓屋外イベント会場にて。風が強いので、時折砂埃が舞います。


↓そんな悪天候でも食欲は萎えません。朝食をロクにとっていないので・・・。
 
姫路駅名物「えきそば」と姫路のご当地グルメ「姫路おでん」。
と言いたいけど、生姜醤油がないので普通の「おでん」か・・・。

↓こういうイベントでは必ずお目見え、ゆるキャラ。
 
稲美町特産品である米がモチーフの「いなっち」(左)に、自衛隊兵庫地方協力本部「ひょうちん」。
「ひょうちん」は迷彩服を着ているのは当たり前と思いきや、中に入っているのが背の高い人の時だけに羽織るようです。
着ぐるみの間から足が出てしまうので、それを隠すためなんだとか。

↓しきりにスカートの裾を気にしていた司会のお姉さん。


米が特産の稲美町ですが、麦畑もよく目にします。
風に揺れる麦穂がまたいい→
黄金色に染まりし麦秋を迎えるまであと僅かでございます。

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149日目 ゴールデンウイークは愛車で西へ

2016-05-13 23:59:29 | 複数地域
2016年5月2日(月)


この日、3ヶ月間の(私にしては)長~~い旅絶ち(?)を打ち破って、ようやく重い腰を上げてのこの時期恒例・ドライブ旅をスタートさせました。
そして目的地は、「ゆっくりのんびり~」旅でもクリア数があまり芳しくない兵庫県とし、その中でも個人的にも過去ほぼ手付かずで未体験ゾーンである内陸部をターゲットにします。

今年のゴールデンウイークは平日を休めば最大10連休となり、実際私もフルに行かないまでもそこそこ長い旅を楽しもうかと思ってましたが、出発した2日にどうしても外せない仕事が・・・。
仕方がないので、午前中だけ千葉県松戸市で仕事を済ませて半ドンにし、戻って急いで旅支度をして14時半頃出発でございます。因みに帰宅は6日の予定。

走行ルートは、長距離運転ゆえ心身ともに極力負担のかからぬよう、京葉道路→首都高速→東名高速→第二東名高速→伊勢湾岸道→東名阪道→新名神高速→名神高速→中国道→山陽道と、至極平凡そのもの。
そして、いつものように休憩したサービスエリア・パーキングエリアを紹介して今編は終わります。

↓足柄SA(静岡県駿東郡小山町)・出発して134km(以下同じ)。16時38分着、17時6分発。

富士山の眺めがいいのですが、この日は残念ながら全く見えず。
その他セールスポイントとしては、9箇所あるお風呂に浸かれるサービスエリアの一つ。

↓「エヴァンゲリオン」とのコラボイベント開催中。

当初は昨年12月23日に終了だったはずが延長されるも、この8日に本当に終了してしまったようです。

「エヴァンゲリオン初号機」というらしい→
6mを超える世界最大の立像なんだとか。でも、どれもこれも私は全く興味はないし。

↓長篠設楽原(ながしのしたらがはら)PA(愛知県新城(しんしろ)市)・303km。18時56分着、19時53発。

今年2月13日に開通した浜松いなさJCT・豊田東JCT間にある、出来立てホヤホヤのパーキングエリア。

ところで、新東名高速は御殿場JCT・浜松いなさJCT間はとっても道幅が広く快適そのものが、浜松いなさJCTから先しばらくは一転、普通の高速道路に成り下がっている上に圧迫感もあってお世辞にも走りやすいとは言えない。どうせなら同じ規格にして欲しかったところ。

PA建物横には櫓があります。
そこからの眺め→

「長篠」とくれば、「長篠の戦い」。
「長篠の戦い」とくれば、これですな→

ここへ歩いて行けます→

晩は「陣屋そば」(\680)→
「陣屋」などと洒落た名前が付けていたけど、至って普通のラーメン。しかも麺の量はかなり少なく、汁は脂っこいし。注文して失敗した一品。

↓草津PA(滋賀県草津市)・475km。21時52分着、22時26分発。

これより先の大山崎JCT付近にて事故渋滞が発生しているので、渋滞解消を待つべく小休止。
周りからイヤでも聞こえてくる関西弁が、関西に来た事を実感させる。

↓淡河(おうご)PA(兵庫県神戸市北区)・563km。23時41分着。

日の出まで5時間ほどこのパーキングエリアで一眠りでございますzzz。
全てのトラックが揃いも揃ってエンジンをかけたままで休憩しているので、うるさくてかなわんが。

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148日目 ゆいレール沿線そぞろ歩き

2016-04-30 00:28:24 | 南西諸島
2016年2月2日(火)


沖縄の旅日記はこれで最終回。締めは沖縄唯一の鉄道(といってもモノレールですが)、ゆいレール沿線を中心に話しを進めます。

今回の宿泊地は、那覇新都心・おもろまち。
↓背後に、おもろまち駅(前日撮影)。

左の道は国道330号線で、戦前は沖縄県営鉄道嘉手納線がここを走っていたというのだけど、今ではそれを偲ぶものは一切なし。

右の盛り上がった所は、沖縄戦中に米軍が「シュガーローフ」と呼んだ丘のごく一部分で、そこは日米で5,000人もの戦死者が出たとされる最大の激戦地。
この場所で僅か70年前にそんな事があっただの想像し得ない現在。

↓首里城・首里金城町石畳道・栄町市場の後は、安里駅からモノレールに乗って県庁前駅へ。



安里駅下の通りは「ひめゆり通り(国道330号線)」。
国際通りへ行くつもりであったのですが、安里駅から歩いて行っても大した労力でもないけど、せっかく「ゆいレール1日乗車券」を持っているので、少しでも使い倒してやろうとケチ臭い魂胆。

県庁前駅ホームより→
そこらの県庁所在地の地方都市に比べてもかなりの都会。このホームからの街の眺めは私のお気に入り。

↓果たして実現するのか沖縄の鉄軌道。

今年中にルートを確定させるようですが、他にもいろいろと課題が多いらしく、私が生きている間にお目にかかれるのかなあ。因みに「沖縄鉄軌道計画案づくり」のサイト

沖縄県庁(正面の建物)→
琉球王国は、慶長14(1609)年以降薩摩藩に服従し、清にも朝貢してましたが、明治5(1872)年に琉球藩となり、その7年後に沖縄県が置かれる。
特殊合計出生率は全国1位で、少子化が叫ばれる昨今、人口が増加し続けているので、国立社会保障・人口問題研究所によると2010年から比較して2030年時点で唯一人口増加が推計される県。

(580)沖縄県那覇市役所
約32万人が住むも、県庁所在地都市の中でも面積が一番狭いので、首都圏・関西にある市町村を除けば人口密度1位の自治体。
古くは琉球王国の貿易港で、明治12(1879)年より県庁所在地となるも沖縄戦によって完全な焦土と化す。
因みに県庁と市役所は目と鼻の先にあります。

県庁北口交差点→

国際通り→
戦後、畑や湿地帯が広がっていたこの道に闇市が広がり、「アーニーパイル国際劇場」という映画館ができたのでこの通りの名前がついたという。
いち早く復興を遂げた事と、通りの長さがほぼ1マイルなので、別名「奇跡の1マイル」とも。
ただ、土産物屋や飲食店ばかりの金太郎飴みたいな通りなので、正直つまらん。

↓むつみ橋交差点に「味の時計台」がありましたので(前編写真参照)、沖縄で北海道のラーメンを食べるのもなかなかオツだなと思い入ってしまう。


牧志駅から再び乗車→

国場(こくば)川を渡る→
この川沿いの光景もかなり好き。

ところでこの反対側には、大きく広がった干潟というか、湿地帯があるのですが、その名を漫湖といいます(湖とありますが、実際は河川としての扱い)。ですが敢えてルビは振りません。
なぜならそれ、(東に住む人間にとっては)放送禁止用語の、とんでもない名前だったりする。
とは言っても固有名詞なので、テレビ・ラジオはその名前通りに読んでいるのか、大いに興味あるところ。

↓奥武山公園(おうのやまこうえん)駅から丸見え、沖縄セルラースタジアム那覇。

2月16日~25日まで、読売ジャイアンツ一軍の二次キャンプ地。

ここから旧海軍司令部壕へ歩いて行ったのですが、その時の事はコチラをご覧下さい。

ゆいレールには2つの日本最端駅があります。
最南端の駅・赤嶺駅→

↓最西端の駅・那覇空港駅。
  

↓帰りの成田行き(19時25分発)は、強風で折り返し便が遅れたので、20分程定刻を過ぎて出発。


沖縄から帰ってきて以降、極度の引き籠もりを発症してしまったので、とうとうネタが尽きました。
この大型連休でそれを仕入れてまいるつもりでおります。
もう始まってしまいましたが、では、皆さん良いゴールデンウィークを!

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148日目 観光客の訪れない昭和的那覇(2)

2016-04-24 00:59:01 | 南西諸島
2016年2月2日(火)


前編の最後に載せた「壺屋うふシーサー」は、窯元が軒を連なる観光名所「壺屋やむちん通り」の入口にあります。
平成25年に設置されたこのシーサー、口や台座からミストが噴き出るらしいけど、冬の時期もそうなのかどうかは知りません。

↓シーサーから南東に向けては一本の通り「神原大通り」が走っています。

一見ごく普通の道路。
つい最近までは道幅はもっと狭い上に、建物が両側にひしめいて建っていたらしい。
さて、変哲もないこの通りがどうしたの?と思うでしょう。

戦後、那覇中心部はアメリカ軍に接収されて市民は生活の場所を失ったのですが、それが最初に解かれたのがここら一帯。
必然この通りは繁華街となり、デパートや映画館、商店が立ち並ぶようになり、今となってはウソみたいですが、沖縄一の繁華街だったという。
1950年代後半にその座を「国際通り」に譲ったのですが、いくら50年以上も前の事とは言え、ちっとはその名残りがあってもよさそうなものだけどねえ。

↓上の写真の左手にある、鮮やかな(?)青色の、継ぎ接ぎだらけで今にも壊れそうな、戦後の昭和そのままのバラックがイヤでも目に入る。



これは素晴らしい!文化財にしてもいいくらい(と個人的に思う)。
驚くべきは営業しているらしきお店が数軒あること。
しかも、正面左側にある「おでん六助」は、かの筑紫哲也氏が贔屓にしていたお店らしい。

↓ネコもたくさんいて、彼らの格好の雨露しのぎの場にもなっています。


↓この周辺は「神里原(かんざとばる) 社交街」という赤線地帯だったようで、嬉しいことにまだその名残りを感じさせてくれます。






↓そば屋は営業しているようで、実際安いのですが、でもこんな中じゃあ食欲沸かんがな・・・。




↓上の怪しく汚いウラ通りの先を左に折れると、それまで暗渠だったガーブ川が顔を出します。

この両岸にはこれまた最近まで、今にも川に崩れ落ちんばかりに小汚いバラックがひしめいていたという。

↓そのバラックとは「農連市場」の建物で、幸いにしてまだ残滓があるので、周辺と中を見てみましょう。


↓入口前の道路を挟んだ正面にあった自販機。
 
安すぎるが故にかえって怪しいのですが、売り方も怪しすぎる。

建物脇の路地→

↓市場の中ですが、既にもぬけの殻状態。



とにかくボロボロ。その一言に尽きます。でもこれがいいんだな!
深夜1~2時頃始まって夜が明ける頃には店仕舞いしてしまう「沖縄一朝(?)の早い市場」なんだそうですが、さすがにその時間に市場の様子を見に来る気は起こりません。
でも、もしかしたら面白い或いは驚きの光景を見ることができるんじゃないかなどと思ったりもします。

↓再び暗渠「ガーブ川」沿いの商店街を抜けて、「国際通り」の方に向かいます。





全国どこへ行ってもシャッター商店街ばかりが目につくので、賑やかな光景はとってもいい気分にさせてくれます。そして、有名観光地に行くよりも、こうした住民の日常を見ている方がやっぱり楽しいわ。

ところで、ガーブ川流域一帯は再開発を計画しているらしく、実際「農連市場」も一部破壊されております。
ガイドブックに載っている那覇しか知らない人にはカルチャーチョックを受けるだろう、こうしたディープな那覇を残して欲しいなあと思っているのはきっと私だけではないハズ?。

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