ゆっくりのんびり市町村廻り

何年かかるか、もしかしたらできないかもしれないけど、日本の全市区町村の制覇を目指して頑張ってみる!

164日目 ありきたりですが、広島城と原爆ドームへ

2017-02-20 23:54:08 | 山陽
2016年9月17日(土)


広島市の中区に入ります。
名勝・縮景園は門から覗くだけ→
広島藩主浅野長晟(ながあきら)が家臣に命じて元和6(1620)年から別邸として造らせた庭園。
原爆で壊滅状態になるも復元される。

次、広島城→
名古屋城・岡山城と共に「日本三大平城」の一つで、別名は鯉城(りじょう)。
よく知られた事ですが、広島東洋カープのチーム名の由来となったお城。
毛利輝元が天正17(1589)年に築き始めて10年かかって完成。

多くの川に囲まれているので、あたかもそれが天然のお堀の役割を果たしていて、さぞ防御は完璧!
と思いきや、水攻めをされたら一たまりもない脆弱なお城なんだそうで・・・。
そんな弱っちぃお城だからか、櫓の数が多く実に88基。この数は日本一なんだそう。
そうか、だからカープはあんなに弱かったのか!(関係ないし) 

日清戦争当時、ここに大本営が置かれましたが、原爆で壊滅→

あちらこちらにこうした被爆樹木があります→
爆心地から910m。大本営は吹っ飛んだけど幾つかの樹木は耐えました。
人間で言えば大ヤケドを負った状態だよな・・・、その強さには驚嘆するほかありません。

さて、登城します!→

天守閣より→
真横西側の基町(もとまち)高層団地。基町の地名は「広島開基の地」が由来なんだそう。

それはそれとして、ここは戦後、戦禍から生き残った人や引揚者、疎開から帰って来た人、在日朝鮮人らが建てたバラックで密集していて「原爆スラム」と呼ばれる、まさにスラム街だったらしい。
そのスラムを整備すべく建てられたのがこの団地。
団地のその独特な構造ゆえ建築計画学の教科書には必ず載っているらしく、集落ではないのだけど、次回広島を訪れた際は必ずこの中を散策するつもり。

ここは後で→

ちょうどホテルのチェックインの時間を迎えたので、そこへ行ってちょっとばかりの休息して再び外出。
ようやくお荷物であった荷物から解放されましたわ・・・。

鯉城通りを通って、広島の繁華街・紙屋町へ→

広島県庁

紙屋町交差点下の地下街・紙屋町シャレオ→
最初、あれっ?こんな地下街、昔あったっけ?と思ったけど、たいして最近でもないのですが15年ほど前に開業したという。
ま、広島市中心部は長らく御無沙汰でしたからね・・・。

↓かつて広島市民球場のあった所では「広島オクトーバーフェスト2016」絶賛開催中。

ドイツのビールやグルメなどが楽しめる魅力的なイベントで、しばしボッチ酒池肉林を満喫しようかと脳裏をかすめました。
が、これから原爆ドームや平和記念公園、原爆資料館といった厳かな場所に行こうというのに真っ赤な顔をしていたらかなりの不謹慎。
やめておきます。

たった一度だけここで試合を見たことがあります。
三次の時にもお話しした博物館実習を終え野に放たれたのですが、すぐに千葉に帰るのも何だし・・・。
って事で横浜大洋ホエールズ戦(古い!)を観戦したのでした。
そして遠路遥々南宮崎からやってきた今は亡き寝台特急富士でのんびり帰ったのでした。

相生通りの紙屋町交差点方向→

↓原爆ドーム
 
負の世界遺産なんだよな・・・、いつ見ても重苦しい気分になるけども、平和の象徴でもある。
これを未来永劫守っていくのは我々日本人の責任なのだな、と改めて思います。

高校生が熱く反戦を訴える!→
偉いな。私が高校生の頃と言ったら遊んでばかりだったし。
その情熱に惹かれたか、多くの人達が耳を傾けておりました。

原爆ドームの東側、程近い所にある「広島本通商店街」の入口→
東西約600mで、アーケードは昭和29(1954)年から設置される。
江戸時代にはこれは山陽道の一部だったようです。
まだこの商店街を歩いた事はなく、今回も歩く予定ではないのですが、ここも次回だな、うん。

これも原爆ドームからすぐ東にある「島外科内科」という病院の横→
東経132度27分27秒、北緯34度23分29秒、高さ約600mのここで原爆は炸裂。

一体何人もの人が見上げた事だろう?→

↓70数年前にここで悲劇があったなど信じられないくらい、穏やかで平和な時間が流れておりました。


 
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164日目 赤く染まった広島駅周辺さんぽ

2017-02-16 23:52:15 | 山陽
2016年9月17日(土)


↓三次(みよし)駅でもそうでしたが、乗車した快速気動車は途中駅からでも「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム」での試合観戦のための大勢の赤ヘルファンを拾って広島へ向かいます。


↓知らぬ間に工事をしていて妙に暗くなった広島駅ホーム。
 

↓一方で跨線橋や駅前駅ビルは、広島東洋カープが9月10日に優勝が決まってまだホヤホヤなので、お祝いムードいっぱい。
 
カープ党である私にとっても嬉しい限り。思わずニヤける(←傍から見れば変人確定)。
単に確率論だけで言えば6年に一回は優勝を体験できる計算なのであるけど、それが4倍もの年月がかかってしまったのだから、喜びもひとしおなのです。というか単にこれまで弱すぎたってだけの話しなんですけどね。

さてさて、ホテルのチェックインまでとりあえず駅周辺をウロつくつもりであるのですが、荷物を抱えながらはしんどいので、当たり前ですがコインロッカーを探します。

ところが探していくうちに全く知らなかったのだけれども、広島駅の2つの重大問題点が判明する(知っている人には驚きでも何でもないかもしれませんが)。
まず、コインロッカーはあるにはあるのですが、非常に数が少なく 、不幸にも野球試合があるためどれもこれも「使用中」。

一縷の望みをかけて新幹線駅舎に行こうと思い、今度は連絡通路を探すも全くその場所が分からず、しばらくあたふたするハメに。
交番があったので聞いてみようとするも、あまりの駅周辺の雑踏ぶりに出動を余儀なくされているのか、昼メシに行ったのか、お巡りさんいないし・・・。
ただ、新幹線側への行き方の張り紙があったので何とか行けましたが、普段からそういう「お尋ね」が多いのでしょう。

通路は駅の西はずれの地下に1本だけあり、それも古いし薄暗いし幅も狭い実にお粗末なもの。
何とかしようよ、JR西日本・・・。
と思ったら、今現在の駅の工事はそれの建設のためのものでした。

想像通り新幹線側のコインロッカーも完璧に塞がっており、荷物を抱えて歩くよりそれに執着する方がかえってしんどくなる。腹をくくりました。
因みに在来線・新幹線の駅舎共に南区なのですが、新幹線側は一歩出るとそこは東区。

↓赤いバス、さらに赤い幟がズラッと並んでいるので街の雰囲気も何となく赤い。
 

どうせならこれも赤く染めればいのに・・・→
赤字になるから縁起悪いか。

〔47〕広島県広島市東区役所
この東区には、戦国時代の坊さんである安国寺恵瓊(あんこくじえけい)ゆかりの不動院というお寺さん以外特段行きたい見たい所はないので、これで東区散策は終わりにします。
不動院は機会があれば、という事で・・・。

駅東側に架かる跨線橋を渡って南区へ→
野球場に向かう人たちの大行進。
丁度いい機会です、電車の中からしか球場を見たことがないので、私もこれに紛れて間近まで行ってみます。

↓青がシンボルカラーのこのコンビニも、さすがにここでは郷に入れば郷に従ってます。
 

私も違和感のない恰好で・・・(普通のTシャツです)→

↓核被爆都市広島らしく「国際平和デーin マツダ スタジアム」と銘打って開催されるこの日の中日ドラゴンズ戦。
 
元から入るつもりはないのですが、どのみち入れませぬ。
青い服の人は極めて若干ですがいることはいました(度胸あるよな)。

↓ですが、気合と根性と体力(と貧乏性)があれば、ここからフルでロハ見できます。


球場の雰囲気を大いに満喫した後は再び駅近くへ。

ついこの間まで政令指定都市の駅前にしてはショボすぎると思ってましたが、最近はデカいビルも建ち、それなりに?近代化してきているようです。
奥が広島駅→

↓とは言うものの、周辺には昭和的な場所もまだまだ多く残っていて、昭和レトロ好きにはとっては嬉しかろう。
 

 

↓三次もそうでしたが、広島も街中に大きな川が流れていて、非常に羨ましい限り。
 
我が家は海に近いので毎日のように海は見ているのですが、やっぱり川の方が落ち着くよなあ。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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164日目 早朝から三次市内チャリ巡り

2017-02-13 23:55:18 | 山陽
2016年9月17日(土)


前回三次(みよし)市を訪れたのは、それはそれは今は遠い昔の20世紀、私が大学生の頃。
学芸員資格を取るべく参加した博物館実習は中国の博物館見学だったのですが、その行き先の一つに「みよし風土記の丘」という屋外博物館が組み込まれていたのでした。

今となってはその時のことは全く思い出せないです。
展示品の高床式建物の下にアリジゴク(ウスバカゲロウの幼虫)の巣がたくさんあったので、その巣を掘り出して砂を払いのけて「これがアリジゴク。後ろにしか歩けないんだよね、コレ。ほらほら・・・」と一人喜んでいた傍で、ある女のコが興味津々じっと見ていてくれたのだけ覚えております。
勉強しに行って何やっていたんだかね・・・。

そんな三次市に××年振りに帰って参りました。

さてこの日の予定ですが、昼から広島市内でブラブラするつもりなので、三次散策は早々に片づけねばなりません。辛いけど前日に続いて超早起きして5時半頃から行動開始となります。
ラッキーにもホテルに貸しチャリがあったのでそれを借りて。

唸りを上げて頭上を通過する前日乗った三江線一番列車→
この高架線は廃止後どうするのかね?

三次は川の町。
江の川に馬洗川や西城川などが合流していて、そのためか、秋から早春にかけての快晴の早朝に深い霧で覆われ、それを山から見ると実に幻想的な光景なんだとか。
「霧の海」と呼ばれ、霧が出始める時期になると「霧の海開き」というイベントもあるのですが、この年(平成28年)のそれは9月25日。
霧を見るにはちと来るのが早すぎたようです・・・。

ここは江の川と馬洗川の合流地点→

列車が通り過ぎたばかりの三江線の鉄橋→
さっきの高架線と共に歩く人・チャリ用の道路に転用かな?

三次のシンボル・巴橋→
鮮やかな赤に塗装された橋なのでよく目立つのですが、何故かカラスが橋にたくさん集まってカーカー大騒ぎしているので、そういう意味でもよく目立つ。
行ってみる。

彼らは何だか白いものを目当てに来ているようで・・・→
遠くからは何だか分からず、?だったけど、近づいて正体がようやく分かる。
蛾の死骸。せっせと啄んでキレイに掃除しておくれ。

この巴橋は三次と十日市の町を結ぶ橋。
実は三次駅を中心とした三次市の核心をなしている地区は「十日市」と呼ばれる地域で、「本来」の三次はこの巴橋を渡った場所をいうらしい。
まずはその「真正」の三次へ。

↓三江線・尾関山駅のムダに長いホームと駅舎内の張り紙。
 
もう二度と三江線に接することはないでしょう(多分)。永遠にさようならです。

↓「みよし本通り商店街」として売り出している古い町並み。
 



 
三次の売りの一つだと思うんですが、市公式観光サイトでは思ったほどゴリ押ししていないのはちと気になる。
それに「備後の小京都」と呼ばれていて、確かに京風の町並みな箇所はあるんだけど、「京都」を名乗るにはパンチの効きが今一つ。

 
「卯建(うだつ)の似合う町」を謳っているけど、思ったほど卯建はないし・・・。

ところで、この商店街に面してこんなお寺さんがあります→
石の門柱の文字に注目してほしい。
「浄土真宗本願寺派」の下の文字、これにピンと来た方、アンタは素晴らしい!
この選手のご実家でございます(知らんという人やファンでない人は気にしないで結構)→
知る人ぞ知る、珍しいお寺さんの出のプロ野球選手。
我が家の宗派も浄土真宗だし、梵英心、より親しみが湧いたわ!
それはともかく、三次は何故だかプロ野球選手を多く輩出する町でもあります。

巴橋を渡って再び十日市側へ。
馬洗川に架かる水道橋という橋の下流方向→
西城川との合流部。向こうに見える橋は巴橋。

水道橋の上流方向→
ボート場のような場所は、三次名物である鵜飼の乗船場。

(618)広島県三次市役所
そもそも不思議な漢字の当て字。「次」が「よし」だもん、かなりムリがある。
山陽山陰を結ぶ交通の要衝地で、約54,000人が暮らす町。
自然も豊かであることから、近年は農林業実体験ができたり農家民泊したりといった「みよし田舎ツーリズム」にも力を入れているようです。

役所近くの商店街→

苦労して市南部の高台に登る→ 
ここに登ったワケは、開いていないのは分かっていたんだけど、広島県内唯一のこの窯元があって、なんでだか妙に気になったから。
粘土を原料にした人形である三次人形の作業風景を見学できるんだとか。
でも何らの収穫もなく、徒労に終わったのだった・・・。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(4)

2017-02-10 23:59:06 | 山陰
2016年9月16日(金)


この旅で唯一、日本海に面した町の訪問である江津(ごうつ)市。
三次(みよし)から実に約9時間かけてやっとこさ着きました。

江津本町(ごうつほんまち)駅→
秘境駅に認定されている駅ですが、この写真を見せたら、確かにさもありなんでしょう。
が、しかしです。

駅前の管が覆う短いトンネル?を抜けると・・・→

そこは集落であった→
単に山が邪魔をして見えないだけだったりする。
山がなかったら秘境駅に認定されてないと思います、きっと。

ところでこの集落は駅名と同じ「江津本町」。そして町並み・集落好きは見るべしな所。
何を以て見るべしなのかは、島根県西部・石見観光振興協議会の公式観光サイト「なつかしの国石見」に丸投げします。
「江戸時代、大森銀山に次ぐ北前船の寄港地として、また、天領米の積出港として賑わっていた江津本町。
石州瓦の主な生産地として赤い屋根が続く家並みと、天領の面影が残るこの地域を「夢」と「瓦」の2字に思いを託し
「天領江津本町甍(いらか)街道」として盛り上げようと地元の方々が取り組みを開始。2003年度には、夢街道ルネサンス推進会議により「モデル地区」に認定されました。」

↓江津本町甍街道、こんな町並み。
 

江津駅西側の市役所付近へ移動。
(617)島根県江津市役所
人口24,000人あまりは、山陰では最弱の市。
鉄道が開通すると商業活動地は隣の浜田市に取って代わられるも、砂丘が広がっていたのと江の川の水のお蔭で工場誘致に成功する。
「東京からの移動時間距離が全国で一番遠い都市(平成18年当時)」らしいけど、三江線沿線の町の方がよっぽど遠いと思うんだよね・・・。

ローマ字表記は「ごつ」のようです→

「人麻呂くん・よさみ姫」が市のPRキャラクター→
万葉歌人・柿本人麻呂は、江津で後の妻となる依羅娘子(よさみのおとめ)と出会い、多くの愛の歌を残す。
ただ、彼らに関する観光スポットへは遠くて行けません。

市のシンボル・島の星山(別名は高角山、標高470m)★→
昔、ここに隕石が落下したらしいことからこの名で呼ばれるようになったとか。
夏は夜になると、光輝くという。

しかし電線が邪魔すぎ。
昨夏以降、ワイドショーでお目にかからない日はない某知事さんの「日本人は電線病にかかっている」とは、蓋し名言!

↓国道9号線沿いのロードサイト店が集まっているここらが、市内でも一番人と車の行き交いが多そうです。


↓シャッターが目立つこちら駅前通り(ここも国道9号線)が古い頃の繁華街だったのだろうけど。


より海に近い江の川のほとりまで来てみます。
国道9号線(手前)とJR山陰線が並行しています→

河口→

ところで、この町に来てからずっと気になっていたのが、町中に漂う変な臭い
どうやらコレが犯人のよう→
製紙工場
私が本籍地としている愛媛県某市にもやはり超有名な製紙工場があって、同じように酷い悪臭を放っていますからね・・・。
「次亜塩素酸ナトリウム」という物質が原因らしいけど、とにかくあの臭いはたまりませんです(泣)。

江津駅→

↓駅前に賑わいを取り戻さんとしたのか?、昨年8月に開業したばかりの「パレットごうつ」。

大型の多目的施設。ただ、周囲はまだ足許がよろしくなく、若干見切り発車的な感じのオープン。

↓駅前にあった布袋様が指をさしていたので穴を覗いてみる。


?→
果たして何人が期待して覗いたことだろう。そして何人が騙されたことだろう。

帰りは16時41分発浜原行き→
江津を出た時、乗客私以外僅か8名。
ほとんど生徒だったけど、この時間は学校帰りでいっぱいのハズ、普通なら。
途中から乗って来たのは1人だけだし、終点浜原手前の粕淵(かすぶち)駅で誰もいなくなる。
そして浜原で乗り換えた列車が終点三次に着くまでに乗った客数、私以外たったの2人だけ。
お寒いを通り越して、痛すぎて凍えそうで最早目も当てられない惨状以外の何物でもない。
乗ってみて私なりの結論:三江線の廃止やむなし。JR西日本はよくこれまで我慢したよ!

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(3)

2017-02-04 23:53:23 | 山陰
2016年9月16日(金)


4時間の暇つぶしは正直キツかったです。
↓やれやれようやく来たよ、と乗り込んだ列車の客数は私の他17名。

普段と比較して乗っている方?なんだかどうなんだか知りませんが、いずれにせよ2両も連結しているのはムダすぎ。

↓川本町(かわもとまち)の石見川本駅に12時9分到着。

表向きは乗った列車の終着駅。ですが約1時間半後に同じ方向に向かって運行を再開します。
なので、この列車は実質的には江津(ごうつ)行きで1時間半の停車。
でも客は皆が皆その間締め出しを食らいます。

↓駅舎
 
バリバリのJRパネルとヒョロヒョロ文字の駅名が哀愁を誘う。

駅を出て驚く。都会じゃん(笑)!→
粕渕も都会に感じましたが、それ以上。
ここら地域を管轄する行政機関が集まってきているらしく、町らしい町の姿でしたから。

ところで、私が乗って来た列車が駅に留まる間は、町にとってささやかな書き入れ時でもあるようです。
↓川本町観光協会の「PLUS M@X もっとかわもと」というサイトでは、こんな地図を掲載しています。

1時間半もの間露頭に迷う客?に精一杯のアピール、泣けてきます。

↓観光は勿論、お食事処情報も充実のそのサイトでは、「昭和レトロ」な駅周辺の弓市商店街でのお食事をせっせと勧めているのですが・・・。
 
粕渕のコンビニでおにぎりを買ってしまっていたのです。スマヌ、川本町。
ところで三江線が廃止となったら飲食店は一体・・・。
軒並み畳んで・・・なんて事ないのを祈ります。

(616)島根県邑智(おおち)郡川本町役場
町の面積は約100m2でその約7割を山林が占め、木炭・木材の集散地であった。特産は荏胡麻。
江戸時代には河港・市場町で栄える。
肝心の人口は約3,500人で、65歳以上の高齢化率は約45%。
45年後には人口が1,300人になるとの予想から、今後の町のあり方や将来人口の展望に関しての「川本町総合戦略」「川本町人口ビジョン」を策定しましたが、行く末は果たしてどうなるのだろう?

ところで、ここで記録に現れない?失策を犯してしまっていた事を自白しないといけませぬ。
町役場だと思って写した正面建物は、実は旧庁舎であったことが帰宅後判明!
写真右後ろに小さく写っている建物が昨年1月1日からの新庁舎でありました。

何故こうなったかというと、いつも旅に出る時にはスマホがないので地図を印刷して行くのですが(古典すぎ、苦笑)、不幸にもその地図は新しい場所への更新がされてなかったんですね(ヤ○ー、仕事しろよ!)。
疑いもなく、根っから信用しきっていたワケでして・・・。
でもこの旅の役所役場に行く(写す)理由は、単に市区町村制覇の証し以外の何ものでもないので、据わりは悪いんだけれども、結果的に撮影されていたので?、勝手ながら良しとします。

↓江の川の土手を歩いてみます。







それまで曇っていたのに、こういう時に限って急に日が照ってムチャクチャ暑くなったりする(ツキなし)。

右岸側の山には「仙岩寺」→
200段以上の石段を登った所にあるお寺さん。境内から見下ろす景色はさぞ素晴らしかろう。

同じく右岸側の「米くい岩」→

1時間半はあっという間に過ぎ、再び列車に乗って江津に向かいます。
↓沿線には因原駅・川戸駅周辺といったそれなりに開けた地区はあることはあります。
 
そのためか僅かながら乗ってくる人もいて、乗客は20人位にはなったけど、それでも寂しい乗車率には変わりなし・・・。

終点1つ手前の江津本町(ごうつほんまち)駅で下車→
広~~い河口のほとりにこじんまりと佇む駅。

牛山隆信氏の秘境駅ランキング第129位。
wikipediaによれば、10年前からこの駅の1日平均乗車員数、ナント0人!
三次への戻りはこの駅から乗る予定ではないので、残念ながらこの日の乗車員数1名にすること能わざるけど、こんな駅だから当然下車する人は私以外なし。

でも景色の良さ故、(金を払わない)入場者数は案外多いかも知れません。
事実、車でやって来たらしいアベックが、いい絵を求むべく撮りまくっておりましたし。

 

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163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(2)

2017-02-03 23:56:09 | 山陰
2016年9月16日(金)


↓浜原地区から三江線に沿ってブラブラ山を越えて、美郷町の中心集落・粕渕(かすぶち)へ。


駅前→
止まっている車の後ろの、三角屋根の小さい建物が駅。

小奇麗な感じの駅舎内→
実際には虫がやたら多く飛んでいるし、クモの巣だらけで、居心地はあまりよろしくない。

↓因みに駅名も「かすぶち」なんだけど、漢字表記は「粕淵」。


それまで北西に向かっていた江の川が、急に流れを南西に方向を変えるのですが、弧の外側の河岸段丘に形成されていている集落がここ粕渕。
その曲がる地点では多くの深い淵が連なっているので「数淵」と呼ばれて、それが粕淵となったのだという。

粕淵駅を出るとすぐに列車が渡る鉄橋→
脇に歩道があります。
廃線後は壊さず、きっと流行りのサイクリングロードにでもなるのだと勝手に推測。
そうなったとしても、ここへ通じる小道はヘビがたくさん這っていたので、気味悪がって人が多く来てくれるかどうか分からないけど。

ではでは、高台にある粕渕の町を巡ってみましょう。

メインストリート→
これまでずっと山と川しか見ていなかったので、妙に都会に感じるわ!(笑)。
人はいないんだけどね・・・。

ここをまっすぐ行くと突き当りとなりますが、そこに役場があります。

(615)島根県邑智(おおち)郡美郷町(みさとちょう)役場
本ブログで初登場、島根県の市町村。
これでまだ一か所の市町村もクリアしていない都道府県はただ一つを残すのみとなりました。
秋田県。いつ行ってやろうかな・・・。

平成16年に邑智町と大和村が合併してできた約5,000人が暮らす町。
多くの温泉があり、遠方から訪れる方々も数多く、江の川を活用したカヌーや火振り漁(ひぶりりょう)、鮎釣りなどの観光も人気があります、とは町のHP

↓「多くの温泉があり」のそのうちの一つが、役場の上にある「ゴールデンユートピアおおち」。

よく目立つ町の町のシンボル的建物。
他にプールがあるわ、テニスコートもあるわ、宿泊もお任せの多目的施設。

粕渕は江戸時代に、石見銀山で採れた銀を瀬戸内側の尾道に運ぶための「銀山街道」が設けられた町でもあります。
街道沿いの「小原本陣跡」→

↓街道をはずれたこの通りは、特に往時を感じられます。
 
幕末期は本陣であり、今は「亀遊亭」という旅館があり、奥には山陰の浄土真宗発祥という浄土寺が見えます。
それはともかく、我が家の宗派はまさに浄土真宗なので参拝すべきだったのですが、何故かその考えが私の脳ミソに全く湧いてこなかったのは大いなる不覚・・・。

昔役場として使われた建物→
赤瓦ばっかりの島根では特異な黒瓦の建物。

こちら円光寺→

境内にはたくさんのお地蔵さん→
町散策用のチラシには「チャーミングなお地蔵さんがたくさん」とある。
けど、こんなに多いとかえって不気味な気がする。

このお寺さんの前で、知り合いが来るのを待っているという可愛らしいお嬢様、ではなかった、婆ちゃんに声を掛けられる。
話しをしているうちにどうしてもこちらからは、三江線廃止の話しを振らざるを得ない。
婆ちゃん曰く、「病院に行くのに困るわぁ・・・」。
でもそれよりも、ある言葉を呟いた時にフッと浮かべた寂しげな表情がとても切なかったです。
若者がいなくなって、町の人がどんどん減っていってねぇ。空き家ばかりが増えて・・・

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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163日目 恐らく最初で最後になるであろう三江線に乗る(1)

2017-01-29 13:48:31 | 山陰
2016年9月16日(金)


このブログを見てくれている人(いるのか?)のほとんどが旅好きであろうから(多分)、既に周知の事と見做して詳しく述べる事はしませんが、来年3月末で引導を渡されるのが決まり、カウントダウンが始まったJR三江(さんこう)線。
↓その一番列車(5時44分発)に乗るべく、まだ夜が明けず真っ暗な三次(みよし)駅に来ました。

一番を逃すと次は4時間後までありません。
もとより三江線は列車本数が極めて少なく、二番列車でこの日の行動を起こすと非常に苦しくなるので、早起きは仕方なし。
切符は前日のうちに三次⇔江津(ごうつ)の往復(¥3,880)を買っておきました。

もし、廃止前までに乗ろうという方は、「ぶらり三江線WEB」を参考にして下さい。
三江線利用促進のため、三江線改良利用促進期成同盟会・三江線活性化協議会が立ち上げたHPだったのですが、残念ながら水泡に帰してしまいました。
でも廃止されてもそのHPは残してくれれば観光に大いに役立ちそう。

↓三江線を知らない人のために一応地図を載せときます(ぶらり三江線WEBより)。


5時半すぎ、単行気動車が入線→

↓発車して直ぐに中国一の大河・中国太郎「江の川(ごうのかわ)」沿いを走るようになります。
 
少しでもバランスを崩したら、それこそ川へ真っ逆さまになりそうなスリルある「際」を走るので、慎重に慎重に人の駆け足並みに?しか速度を出しません。
でもノロノロしているのは、線路上に落石があった場合、安全に止まれるようになんだとか。

この日は平日、しかも早朝の列車なので、他にこれに乗ろうという物好きはいないだろうと思いきや、やっぱり他に誰もいません。降りる予定の浜原駅までずっと一人なんだろうかねえ・・・?。

ところが何故か途中の船佐という周囲に何にもない駅から一人若者が乗ってきて、何でこんな所から?と思っていたのも束の間、驚くべき事に次のこれまた何にもない所木駅でさっさと降りてしまう。
どうやら冷やかし記念乗車であったようですが、その御仁はどこから湧いてきてどこへ消えていったのだろう?

乗ること45分、作木口(さくぎぐち)駅→
「ゆっくりのんびり旅」において初めての島根県入り。
邑智郡邑南町にある駅ですが、しばしば難読地名として登場する郡と町。
おおちぐん・おおなんちょう
でも右側に流れる川の対岸は広島県三次市。

↓一人ぼっちのなのは変わらないまま、同じく邑南町の口羽(くちば)駅に6時38分着。
 
私の乗った列車は30分程止まります。

せっかく通ったのに・・・→

せっかく応援しているのに・・・→
悲しいのぉ、哀しいのぉ。
因みに、横断幕右下に書かれている「江の川鉄道」とは三江線の愛称。
ところが皮肉にも公募による愛称が決定したちょうど一年後に廃止の正式表明となる。

せっかく長い間止まるので、町をふらついてみます。

↓口羽は江の川の支流である出羽川が、陸上トラックのように半円弧を描いているような中にある集落。
赤褐色屋根瓦が印象的な古い町並み。
 
江戸中期から盛んだった「たたら製鉄」は明治時代に衰退、そこで林業が基幹産業となる。

↓口羽駅から2つ目、鉄オタには超有名な宇都井(うづい)駅から見下ろす集落。

駅ホームの高さは日本一(地上20m)の、いわゆる「天空の駅」。
そしてよく言われる事ですが、エレベーターがないので、自力で116段の階段を上らなければなりませぬ。
一度でいいから下から見上げてみたいし、階段も上り下りしてみたいけど、そもそも廃止されたらここ、どうなるんだろう?

↓石見都賀・石見松原の両駅から一人ずつ乗ってきて、私も入れて3人の乗客となり、7時45分浜原駅に到着。

邑智郡美郷町(みさとちょう)にある駅。

↓私以外には下車する人はいなかったのですが、駅前は生徒が数人いてそこそこの賑わい。

でも誰一人鉄道は使わないんだな・・・。

↓ここらでは通学にはスクールバスが幅を利かせているようなので、三江線は必要ないらしい。


駅周辺を散策します。
桂根八幡宮→
14世紀末に創建された神様。
私の背後にも鳥居があります。つまり列車は二つの鳥居の間を通ります。

江の川の土手へ。
浜原大橋→

橋から見る下流方向→
ひときわ目立つ高い山は三瓶山(さんべさん)。標高1,126mの活火山。

土手に沿う街道の集落→
浜原は川舟の中継地として栄えたようですが、何となくですが雰囲気は感じられますなあ。

これより山を越えて、美郷町の中心をなす粕渕(かすぶち)地区へ歩いて行きます。

 

参考→
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162日目 西日本一の巨大都市

2017-01-27 23:58:38 | 山陽
2016年9月15日(木)


広島県に来たんだなあ、と実感する横断幕→

↓こんな横断幕が掲げられている備後庄原(びんごしょうばら)駅の周辺は、空き地だらけでスッカスカ。

スゴイ廃れっぷりだと思ったのですが・・・。

こういう事情でした→
3年後にはこのような駅周辺を目指すようですが、市役所HPにはこの事業の目的が載っています。
要約すると、「駅前を公共交通の乗換拠点にして、活気のある市街地を創り出す」。

ここ庄原市の地図を見ますと、やや距離を開けて駅を囲む感じで国道が通っていて、そこには例の如くロードサイト店が充実している模様。
現在は見廻しても歩行者がほとんどおらず、空洞化に拍車がかかっているようではあります。
事業が首尾よく完成して、果たしてそれらにも負けない魅力的な駅前になれるのか、興味のあるところ。

坂道となっている駅前からの道を登ると市役所に出ます。

(614)広島県庄原市役所
広島県東北部に位置する庄原市は、平成17年に昔の庄原市と周辺の6つの町が合併して成立し、「"げんき"と"やすらぎ"のさとやま文化都市」を標榜する都市。
特筆すべきは、1,246.49km2あるというやたら肥大化した面積。

自治体面積のランキングは完全に東日本の独壇場で、上から見ていくとようやく13番目に西日本が顔を出しますが、それが庄原市。
こんなにデカくても37,000人ほどしか住んでいないので、1km2あたり人口密度はわずか30人。
因みに第一位は岐阜県高山市(2,177.61km2)で、大阪府や香川県よりもデカい超ド級サイズで、ほぼ東京都並み。

役所の東には桜の名所「上野公園」があります→

↓広島と言えば厳島神社。だからか?ここにも厳島神社があったりします。

本家とは違い、ささやかな祠。

↓駅から役所を結ぶ坂道の西側にある、古くからの商店街。
 


そろそろ奥様方が晩御飯の材料を買いに行く時間のはずですが、誰もいません・・・。

庄原は河岸段丘の町。
なので地形的に、川沿いは低く、それを離れると高くなっていく傾向があります。
商店街近くから北の方向→
向こうに西城川が流れています。

商店街から西へ、坂を下って来た所→
交差点先には川が流れていて、それを越すと緩やかな登り坂になります。

↓その坂に面して「三日市(みっかいち)」という古い町並みがあります。
 

 
地名に「市」とあるとおり、古くから市が立っていましたが、当時ライバルであった隣の庄原とは商売の縄張り争いが絶えなかったとか。

↓18時2分発の列車に乗るべく、高校生しかいない駅ホームに。

ここ駅構内や車内は高校生のお天下で、大声出しても誰にも咎められることなくやりたい放題。
でも賑やかさは感じられるので、シ~~ンと静まり返った状態よりかはまだマシに思えなくもない。

30分乗って三次(みよし)駅へ→
この日から三次市に2連泊します。

カープ戦のテレビ中継を見ながら晩酌→
優勝決定直後だし、相手巨人に対して余裕の試合運びだったしで、周りは皆ご機嫌というか平和そのもの。

ところで、「こんな山ん中の町に来て刺身かよ!」とお思いでしょう。
ですがコレ、この地方の名物だったりします。その正体とは・・・?

わに

アリゲーターとかクロコダイルとかの類いが名物とは凄まじい食文化の地域だな、などと思ってはなりませぬ。
「ワニ」と言っても、「因幡の白兎」の神話でウサギの皮を剥いでしまったアヤツですな。
お味は普通に魚な感じでした(サメなんだから当たり前?)。でも筋が硬くて噛みきるの大変・・・。
名前のとおり、なかなか手ごわい相手でございました。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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162日目 日本一?空気輸送に徹する区間に乗ってみた

2017-01-24 23:58:09 | 山陽
2016年9月15日(木)


今回は鉄分が異常に高くなってしまってますが、悪しからず。

↓バスを降りてからは、山陽と山陰を結ぶ大動脈・JR伯備(はくび)線の電車を乗り継いできましたが、ようやく岡山県新見(にいみ)市にある備中神代(びっちゅうこうじろ)駅に着きました。

JR芸備(げいび)線の列車に乗り換えるためですが、ここは分岐駅であることを全く感じさせない静かな山の中の田舎駅。

芸備線は起点駅は備中神代で、終点の広島駅までを結ぶ約160kmの路線。
起点を示す「0キロポスト」→
折れてそのまま放置されていて、いとあはれ。

新見駅からやってきた気動車→
乗客なんてほとんどいないだろう思っていましたが・・・
これが意外にも結構な客数で最後尾に立つのを余儀なくされる。
ま、写真を撮り易くなるからそれもいいけど。

この芸備線、広島に近い所はそれなりに利用者がいるものの、山間部では超閑散路線に化けます。
特にその途中の東城駅~備後落合駅の間は、クマか仙人しか住んでいなさそうな秘境を走る区間。
なので、一日上下僅かに6本!しか運行していないのも惨めですが、もっと凄まじいのは、

1日1kmあたり8人

しか乗っていないという、乗客数が少なくついに泣きが入ったJR北海道でさえも真っ青な区間でありまして・・・(「データで見るJR西日本(平成27年度)より」
備中神代~東城の87人も酷いけど、採算の取れるラインは8,000人/日あたりらしいので、もはや引導を渡されても仕方のない末期的状況にあるのは火を見るより明らかでございます。
全国にはこんな成績不良路線がゴロゴロしているので、再びローカル線大整理時代を迎えつつあるのでは?と思うワケです。

↓参考地図(地図の加工がド素人すぎてスミマセン)

真ん中上の「新見」という文字の左、3つの線が交わっている所が「備中神代駅」。
そこから左に伸びる線が「芸備線」。右の赤い矢印が「東城駅」、左の方が「備後落合駅」。

乗車から程なくして岡山県を出て広島県庄原(しょうばら)市に入ります。
↓ぽつぽつ降りていって、東城駅を出るといよいよ車内は閑古鳥のハズ。

一体何人が残るやら・・・。

ある種の期待はあっさり裏切られる→
20人程はいるでしょうかね。新鮮な空気が吸える普段とは違い?、空気が汚染され息苦しくなっています。
一日8人のノルマを余裕でクリア?したどころか、この日に限れば普段の4~5倍のもの乗客は見込めそう。平日なのにスゲーじゃん!
でも手放しで喜べないのです。ほとんどが団体客なのでありまして。
リタイアして悠々自適を満喫していそうな方ばかりでしょ?
やっぱり地元民がせっせと乗ってくれないと・・・ね。

↓線路が錆びていたら、あたかも廃線のような所を進みます。
 
車窓はいいです。
ここらは豪雪地帯。以前1回乗った事がありますが、その時はまさに真っ白になっていた時で、その風景もまたいいもんでした。

↓牛山隆信氏の言うところの秘境駅で、2016年度版ランキング第28位の内名(うちな)駅。

でも、駅前に家がデンと構えられていて秘境感は今一つ。

その家の窓からワンは我々を見守ってくれているし→

終点が近づいてきました→

備後落合駅、乗り換え時間は10分余り→
ある意味最強のターミナル駅。廃れっぷりがね・・・。

↓勿論過疎っている駅前。
 

駅そばにあった仕舞屋→
昔、夜行列車が走っていた頃、次の列車が出るまでの間、仮眠するために使われた旅館なのだという。

備後落合付近では、UMA「ヒバゴン」がいないかとずっと見まわしていたけど、いるワケないし・・・。
↓さらには、「日本のピラミッド」との異名を持つ葦嶽山(あしたけやま)を車窓から探すもどこか全く分からん・・・。

そもそも列車から見えるのかどうかも知らないけど。

備後庄原駅には15時24分に到着→

 
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162日目 あっけない再会でした、鳥取県

2017-01-21 22:36:59 | 山陰
2016年9月15日(木)


江尾(えび)駅からは瀬戸内海側に進み、根雨(ねう)駅へ→
全員といっていいくらい下車。
あたかもゲロして、胃が空っぽになった状態がごときの新見行き電車。

↓駅の目の前が学校?、楽でいいなと思いきや・・・。

↑(612)鳥取県日野郡日野町(ひのちょう)役場
でございます。
平成28年12月1日時点で、町の人口は偶然でも出来すぎの3,333人町のHPより)。

駅舎に飾ってあった看板→
夕方民放番組なんかでよく出てくる有名な神様!
その名の通り「全国で唯一の縁起の良い名前の神社(町HPの観光ガイド)」って事で、金運開運祈願に多くが参拝する神様。
話しのネタとして行ってみるのもよかったんですが、駅から4km程あるし・・・。歩くには遠すぎ、諦めました。

由来としまして、「鎌倉幕府によって配流された後醍醐天皇が隠岐島から脱出した際、天皇を奉じて船上山へと義兵を挙げた元弘の忠臣・金持景藤が必勝祈願をしたと伝えられています。(町HPの観光ガイド)」という。
確かに漢字は「金持」だけど、読みは?
実は「かねもち」じゃなくて「かもち」。
本当に「かねもちじんじゃ」だったら、これ以上ないスーパーゴッドになれたんだけどな・・・。

さて、根雨は日野町の中心集落。
江戸時代は鳥取藩領で、町を流れる日野川で砂鉄がよく採れたらしく、そのために「たたら製鉄」で大いに栄えた出雲街道の宿場町。
↓ですので、その名残りを感じさせてくれる建物が散見できます。
 
因みにこの道をずっと南に向かえば金持神社に辿り着けます。

大近藤家→
たたら製鉄で財をなした根雨の豪商。
ただ、大正期には輸入鉄によって「たたら」は戦前までには根絶やしになってしまったようです。

旧出店近藤(明治元(1868)年築)→
現在は日野町公舎(たたらの楽校根雨楽舎)で、近藤さんちの分家。

↓「水琴窟(すいきんくつ)」が街道沿いにいくつか置いてあります。

バケツから水を汲んで甕に流すと、しばらくして水の落下音が聞こてくるというもの。
ただ、街路の両端に流れている水路のせせらぎがジャマして(せせらぎはこれはこれで非常に心地よい)、音がよく聞き取れんのですよ・・・。

国道181号線を歩く→
秋になると越冬のため、日野川にやってくるようです。早速行ってみましょう。

ところが何とまあ、電車の轟音で喧しい場所に集うとな→

どれどれと、隙間から覗く→
まだ時期じゃないのは知っていたけどさ・・・。多い時は1,000羽いるのだと。
日野町の鳥、どころか鳥取県の鳥でもあるそうです、オシドリ。

国道から駅を見下ろす→

↓日野町を去って電車に揺られること20分程度で、宮崎県のような名前の日南町(にちなんちょう)にある生山(しょうやま)駅へ。


タモリのような顔した町キャラにしては珍しく全くかわいくない系→
日南町にたくさんいるという天然記念物「オオサンショウウオ」と「おっさん」がかけ合わさったという。

駅前の商店街→

↓役場は駅からやや離れているので、駅から町営バス(¥200)で行きます。

町に僅かながらお金を落として自己満足に浸る。

(613)鳥取県日野郡日南町(にちなんちょう)役場
ここも古来より「たたら製鉄」が盛んだった所。
日野郡3町では一番多い、それでも人口は約5,000人。ここも日野町もそうですが、人口流出に歯止めがかかりません。

今や人口減問題は全国に広がっていますが、私が中学生の頃、社会科で習う過疎化問題を抱える地域と言えば「中国山地」でお決まりであったのを思うと、隔世の感があります。
中国山地の人口減の理由は確か、基幹産業である和牛飼育・林業の不振だったような・・・すっかり忘れましたが。

↓「町内材をふんだんに使った、木の香あふれる(日南町HP)」と自画自賛の庁舎。


道の駅にちなん日野川の郷→
町内産の野菜なんかが買えたりとか、それらで作った食事ができるとか、よく地方で見られる道の駅の典型的なタイプ駅。

↓都合のいい戻りのバスがないので、日野川沿いを歩いて駅へ。


生山駅12時20分発の電車に乗ります。
石霞渓(せっかけい)→
石見川・印賀川の両岸に広がる渓谷。
春は桜やツツジ、初夏は新緑や藤、秋は紅葉、冬は雪景色が楽しめるんだとか。

もう少ししたら岡山県に突入し、今回は二度と鳥取県には戻りません。3年振りだというに・・・。
6時すぎに来て、出ていくのは12時半頃と僅か四半日滞在。
ゴメンよ、という感じで鳥取県にお別れします。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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161・162日目 バスに乗って中国へ

2017-01-14 23:51:11 | 山陰
2016年9月14日(水)・15日(木)


・山陰はかなりのご無沙汰。おまけに「ゆっくりのんびり旅」での進捗状況も悪い上、島根県は未踏
・廃止が必至な情勢で、首筋がお寒い状態にあった未体験の三江(さんこう)線にも乗ってみたい(結局、昨年9月1日にクビとする届けの提出をJRは表明する)。
・広島東洋カープ(私は赤ヘル党)が快進撃だったため、きっと大いに沸いているであろう広島の街の様子を見ておきたい
・個人的にまだ行った事のない軍港・呉に行きたい
このような思惑から、元々は10月のJR「秋の乗り放題パス(秋パス)」の発売時期に実行を予定していた中国を巡る旅。

ルートも千葉→東京→(夜行バス)→江府(こうふ)・江尾(えび)→備中神代(びっちゅうこうじろ)→三次(みよし)→三江線往復→三次→広島→呉→福山→(新幹線)→千葉
と考えた後、はて?秋パスを使うのと、普通に乗車券を買うのとではどちらが安くなるのだろう?、と思い始め比較検討してみたら乗車券の方が安く、ならば10月にこだわる必要もなかろうと、この9月の三連休を絡めた時期に繰り上げました。

もしかしたら、広島に行った日に優勝なんてあったらいいな、ともう一つの楽しみができたのですが(広島に行く予定日にちょうどMazda Zoom-Zoom スタジアムでの試合が組まれておりました)、残念なるかな、9月10日に決まってしまいました・・・。

↓事前に買った切符。
 

↓そんなワケで、帰宅を急ぐサラリーマンが行き交う中、キャメル号・米子行きに乗るため20時すぎにJR浜松町駅に到着。
 
キャメル号は私が乗る米子行きの他に、鳥取・倉吉行き(始発は共に品川)もあります。
愛称は鳥取砂丘からの由来らしく、鳥取・倉吉行きにはいいと思うけど、米子行きには大いに違和感。
キタロー号とでもした方が利用者には馴染みやすいのではないかな?

バス乗り場は世界貿易センタービル別館→
停留所はあたかも地下にあるっぽいけど、実はビル1階。

定刻20時50分より5分程度遅れての出発→

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↓で、翌朝6時15分頃、道の駅奥大山が真ん前の江府(こうふ)ICバス停に到着。

降りたのは私一人だけ。
キャメル号、実は今回初めて乗ってみたのですが、3列シートでもやや窮屈だったのは仕方ない。
それよりも安い上に運行時間帯がとてもいいので、これかなり使える。
これまでは「サンライズ出雲」を使う事しか頭になかったけど、今後、山陰に行く時はキャメル号にするわ。

道の駅も掃除してくれている地元のおばちゃん以外、誰もいません。
ただ、そのおばちゃんがモップとかではなく素手でじかに雑巾を使って便器を拭いているのにはビックリ!
当たり前なんですが、このような公共施設の維持には誰かが汗を流してくれているんだよな、本当に感謝の極みです。

↓JR伯備(はくび)線と日野川に挟まれた国道181号線を2km程歩いて南下し、江府町の中心集落がある江尾(えび)駅周辺へ。
 

中世には江美と表記されたという江尾は江美城の城下で、江戸時代になると宿場として栄える。
↓日野往来の街並み。
 

お城はまだ残っているのか?→
と思いきや、あちこちでよく見られる模擬天守。

↓ヤキソバで有名な蒜山(ひるぜん)へと通じる街道の街並み。
 

(611)鳥取県日野郡江府町(こうふちょう)役場
人口は一昨年3月末で約3,200人。なので「3000人の楽しい町」を標榜しております。
でも、ここもご多分に漏れず年々人が減っているので、いつまで「3000人」を使っていられるんだろうかねえ?
「環境王国認定の町」でもあるのだと。知らないし・・・、「環境王国」。
よくよく調べてみたら、こんな素晴らしい取り組みはもっと世間にアピールしないといかん。

この町名は江尾+○府(府○)かと思っていました。
ところが町のHPによると、「町内を流れる日野川、俣野川、船谷川、小江尾川にちなみ「河川が合流し府(中心)となす」の意味で名付けられた」というなかなか凝ったもの。
でも、合成地名よりはマシかな。

役場付近から町を見下ろす→

江尾駅→

↓昔、こんな名前のタレントいたっけなあ。今はどうしているんだか・・・。

「江尾十七夜」とは、戦国時代に毛利氏に滅ぼされた江美城主・蜂塚氏を偲んで始まったといわれ、毎年8月17日に催されるお祭り。

↓限りなく高校生だけの電車で、8時4分に江尾駅を後にします。

吊り広告の「浅草まつり」って、あの「東京の」浅草のまつりです。
要は浅草の名産を地方のデパートなんかで売ろうという「おまつり」なんだけど、浅草というそれなりのブランドある者がわざわざ地方に出向いて販売しているのにちょっと驚き。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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160日目 たくさんの日本一が自慢の町・鴻巣

2017-01-12 23:55:21 | 南関東
2016年9月8日(木)


この前日(9月7日)の午後6時頃になって、翌日(9月8日)急遽仕事で行くことが決まった埼玉県の川口市役所と鴻巣(こうのす)市役所。

普段の行いは悪くないハズなのに(?)、台風13号(8日未明には温帯低気圧に変わってしまったけど)が接近していてその影響で8日の関東は昼前後に大雨に見舞われ、場所によっては「滝のような」なんて脅しているかの如き予報になってるし・・・。
よりによってね。ホント相変わらず出掛け時の天候には恵まれないよなあ。

果たして当日早朝、ネットで埼玉の天気を見ると案の定大雨のようなので、しばらく様子見して出発は11時すぎに。
結果的に時折降られたけど、せいぜい噴霧器程度で、ちと最近の天気予報は大げさすぎるきらいがないでもない。

現地へは車を使います。
東関道→首都高・中央環状のルートを通り、渋滞情報で耳なじみの鹿浜橋ICで降りて川口市役所へ。
以前ここは来ているので、細かいことは省略。
ただ、今まで行ったほとんどの役所建物の様子は朧気ながらも脳みそから引き出せるのですが、川口市役所の場合は行くまで全く思い出せず。数多く行っていればそういうこともあろうわな。

そこを済ませて、続いて東北縦貫道と圏央道を使い、桶川加納ICで降りて鴻巣市役所へ。

(610)埼玉県鴻巣市役所
埼玉県の中央東寄りに位置する鴻巣市は、東京のベッドタウンの機能を持つ約12万人が住む町。
地名の由来は市のHPによると、「かつてこの地に无邪志国(むさしのくに)の国府が置かれたことから「国府の州」が「こうのす」と転じ、後に「鴻(こうのとり)伝説」から「鴻巣」の字を当てるようになったと伝えられています。」という。

↓なので、市役所には剥製が飾られているし、市のキャクターもコウノトリを雛を起用しております。
  
でも、市の形は蝶のようだったりする。
何といっても鴻巣市のセールスポインントは数多くある日本一

思いがけず早く事は済んだので、早速、目指せ日本一の開始。

まずは長閑な場所へ→
ここが日本一?というワケではありませんが(私の知る限り)。
「忍川」の看板でピンと来た方もいるかも知れません。

私は絶望的なくらい活動写真音痴であるため全く知らなかったのですが、近年上映されたらしい「のぼうの城」で出てきたというここ。

↓石田堤史跡公園
 
頃は天正18(1590)年、天下統一目前に迫った豊臣秀吉の小田原征伐。
石田三成が敵方の籠る忍城を水攻めした時に築いた約28kmに渡る堤の跡。

目の前を走る上越新幹線高架線の下に飾られた絵→
石田三成はここで手こずり、戦下手としてのレッテルを貼られる事になる。

次にようやく一つ目の日本一へ。
↓昭和59(1984)年に完成した荒川水管橋(全長1,100.95m)。

日本一長い水管橋です。

JR高崎線・鴻巣駅周辺へ→

日本一どころか、世界一までも持っております→
平成26年10月11日に打ち上げられた正四尺玉(464.826kg)が世界最大の打ち上げ花火として、ギネスブックの載ったといいます。
おまけに平成23年10月8日に打ち上げられた「鳳凰乱舞」では、約4分間に尺玉300発・三尺玉2発の計302発の尺玉以上の花火が上がり、1分あたり約75.5発は日本一に認定なんだとか。
さぞ壮観であったでござろう。

↓「ひな人形と花のまち」を高らかに宣言している鴻巣。

ひな祭りの時期になると駅前のショッピングモールで飾られる「ピラミッドひな壇」の高さは7.0mで、それも日本一。
やること豪快、鴻巣市。
花に関しては、今回行きませんでしたが、日本一大きなポピー畑があるのだという。

↓駅前にうろついていたこのお方は、見る人見る人を片っ端から声かけています。

撮影機材を下げているので、怪しいビデオの撮影?
でも、老若男女に声をかけているのでそうではありません。

「テレビ東京のアド街ック天国という番組で、今度、鴻巣のご当地グルメの特集やるのでその取材に来ているんですけど、ご協力お願いできませんか?」
と、私も呼び止められる。
ですが、「ここの市民じゃないのでねえ」と答えるしかない。
取材者は懸命に声をかけどもかけども、ほとんどの人に応じてもらえずかなり気の毒。
テレビ番組を作るって大変なのね、と実感した次第。

旧中仙道(県道164号線)→
「ひな人形のまち」だけあって、人形屋さん多し。

地名もズバリ「人形」だし(笑)→

鴻巣市産業観光館・ひなの里→
中では名産品の販売は勿論、多くの人形が飾られております。

ここも勿論一肌脱いであげてます→
放送までもうちょっと先だし、さっきの取材者はしばらく鴻巣詣でかな?

最後に行った場所→
向こう岸は吉見百穴で知られる吉見町。
川幅は2,537mあるというけど・・・。

肝心の水路はこれっぽち→
10m位?もうちょっとある?という程度にしか見えず、何ともインチキっぽい。

↓これに因んだ「川幅うどん(麺の幅は5cmを超えないと認められないらしい)」の乾麺を実家に買って帰ったのだけど・・・。

でも今日現在まだ食べていないんだとさ・・・orz。賞味期限大丈夫か?
「川幅」と名の付く食いもんは、ソバ、ラーメン、餃子、せんべい、ケーキなど様々あるらしく何でも作っちゃえ状態。
当然これらはテレビで取り上げられたとは思うけど。

なかなか味があって面白かった鴻巣観光はこれで終了、この日優勝が決まるかもしれないカープ戦を聞きながら帰宅(結局、優勝はお預け)。

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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159日目 雪国の小京都を歩く

2017-01-09 14:01:18 | 甲信越
2016年7月17日(日)


千曲市でやや時間を浪費してしまったので、予定していた長野市散策はあえなくボツ。
そこで、そのまま「雪国の小京都」だとか「信州の小京都」だとかの異名を持つ飯山市へ行って締めくくりたいと思います。

↓長野駅からは、千曲川に沿って田園風景の中を走っている、車窓が風光明媚だとの評判の飯山線に乗って飯山駅に17時すぎに到着。
  



↓駅舎は北陸新幹線延伸によって、以前あった場所から数百メートル南に移動して新築された真新しい立派な建物。


↓さて、ここで信州いいやま観光局というサイトのいいやまマップ(市街地)をご覧に入れたいと思います。

「小京都」を名乗っているとおり、街中にはお寺さんがたくさん。
ただ飯山市も急速な人口減に喘いでいて、もうすぐ大台割れ必至の現在約2万人。
檀家の争奪戦が激しくないのか、いずれ廃寺なんかがポツポツとでてくるのではと、余計な事も一方では考えてしまうのです。

お寺が多いという理由で飯山市は漠然と素朴な町のイメージを持っていたのですが、駅に降りるやいきなりお迎えしてくれたものに驚く。

駅を出て市街地に向かって左手、堂々、女神様ですよ!→

↓これはどういう感じでお立ちになられているかというと・・・。

リバティ島ならぬ、リバティ丘?の上にいらっしゃいます。

三菱っぽいロゴがあるので、建物はそれ系列の会社のとも思ったけど、よーく見ると下の二つが溶けているし(笑)。
では老人ホームかな?と思いつつも、千葉に帰って調べてみると、それは何と、本社を飯山市に置くスワロースキー(三菱とは関係ないらしい)というウインタースポーツ用品のメーカーの寮で、そんで、そのロゴはまさに燕だったんですな。
ふっ、なかなか味な事をやるわい・・・。

以前飯山駅があった所→
その面影なく一掃されております。

かなり目立っていた「飯山シャンツェ」→
よくこんな恐ろしい所を飛んでいるもんだよ・・・。

飯山城址らしき丘(違っていたらスマヌ)→
上杉謙信が築いた信州攻めの根城で、今では桜の名所。

信濃地方の伝統工芸品等の展示販売を行っている、展示試作館「奥信濃」に来てまたしても驚く。
なんじゃこりゃ?→
これも実際調べてみたら、本当に掛け値なしのド金ぴか雪隠らしい。
ただ、残念ながらここは17時までで、お目に掛かれなかったのみならず、使う事ができなかったのは非常に残念。

愛宕町雁木(がんぎ)通り、別名・仏壇通り→
雪国でよく見られる雁木(雪よけ屋根)が連なる通り。見ての通り仏壇屋さんの多い事多い事。
人口が減っているとは言うけど、そんなにこのお店の供給を賄えるほどお呼ばれになる数が多いのか?

そうそう、一応「寺の町」なのでいくつかお寺さんも載せておかないと・・・。
正受庵(しょうじゅあん)→
真田信繁(幸村)の兄である真田信之の子・道鏡慧端(どうきょうえたん)が終生を過ごした庵で、禅道場でもあったらしい。彼は臨済宗の再興者なんだとか。

↓後はこんな感じで載せるだけにしとく。
  
一番左の妙専寺、ここは明治45(1912)年に長野県で初めてスキー滑りがされたという。

高橋まゆみ人形館→
創作人形作家である高橋まゆみさんの作品が展示されているのですが、ここも17時まで。

↓日没も迫ってきましたので、後はうら寂しい商店街をゆっくり歩いて駅に戻ります。


(609)長野県飯山市役所
信濃と日本海を結ぶ北国街道の要所で、古くから海産物の集散地として栄える。
平成の大合併の頃、お隣の野沢温泉村と一緒になるつもりでいたようで、市名も長ったらしい「飯山野沢温泉市」と決まっていたらしいのですが・・・。

飯山は豪雪地帯でもあります。今月下旬から来月下旬まで「かまくら」が造られ、そこで名物の「のろし鍋」とやらを味わえるんだそうな。
幻想的な中で暖かい食事、いいじゃありませんか!


飯山駅からは19時25分発「はくたか574号」→
初めて乗る北陸新幹線。
以前の長野新幹線と呼ばれていた区間もこれまで乗ったことはなかったので、まさしく初乗車。

長野から乗ってきた学生は、荷物だけで3席まるまるがっつく→
空いていたからいいようなものの・・・。

↓東京駅に着いてしばらく新幹線を眺めていたら、レアな北海道新幹線車両がやってきましたよ。


 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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159日目 古代ロマンと蔵と温泉の町&杏と名月の里

2017-01-06 23:49:39 | 甲信越
2016年7月17日(日)


↓屋代駅からレンタサイクルをシャカシャカ言わせてやってきたのは、駅から直線にして7、800m程の真東にありながら、その間に居座る山が邪魔をしてムダに大廻りさせられるハメとなる、森将軍塚古墳館と長野県立歴史館の二つの施設がある所。

元々ここは自転車を借りずとも這ってでも来る予定だった場所。

まずは古墳館の方から。
と思いきや、ハナっからここへは入るつもりはなく、ただただ古墳そのものを見に来ただけ。

森将軍塚古墳は今から約1600年前に造られた全長約100mの前方後円墳で、その規模は東日本最大級なんだとか。
その大きさに相応しく、「科野のクニ」を治めていた豪族の墓らしい。
どなたとは言いませんが、政界をウラから牛耳っている印象の某政党の闇将軍のような古墳名ですが、由来は「森地籍」にある「偉い人のお墓」という意味のようです。

ところがどうしたことか、古墳は標高500mの山に築かれております。
勿論、自力で登っていく甲斐性など持ち合わせておりませぬ。
↓よって、往復400円を投じて上まで運んでもらいます。


極めてキレイに整備されている古墳→
お察しのとおり復元物ですんで・・・。

高所だけに眺めは抜群。
長野市の方向→

↓真下には「あんずの里アグリパーク」と「あんずの里物産館」。

アグリパークでは、12~6月に苺狩りができるという。
それはいいとして、時期によっては長野県にしては違和感のある蜜柑狩りもできるとな。

ここをさらに東へ行くと「あんずの里」と呼ばれる一帯があって、4月には花見、6月下旬から7月中旬まで杏狩りが楽しめるそうです。

これは古墳館裏にある「科野のムラ」→
青々とした田畑に茅葺きの家と倉庫、日本ですなあ。

↓歴史館(¥500)では、長野県の歴史を学べます。


屋内で豪快に象も飼ってたり・・・→
勿論そんなハズもなく、頭をぎこちなく動かすだけのナウマンゾウ(長野県上水内郡信濃町にある野尻湖で骨が発見されましたからね)の模型。

↓駅へ戻り、今度は駅から西に伸びる駅前通りを走らせる。


(608)長野県千曲市役所
平成15年9月に更埴(こうしょく)市・戸倉町(とぐら)町・上山田町が合併してできた約6万人が住む町ですが、その数は年々ジリ貧傾向。

さらにさらに西へ行くと千曲橋→

鉄ファンでは超有名な姨捨(おばすて)の方向→
今まで上から見下ろすばかりだったけど、下から見上げるのもなかなかオツ。
「さらしな・姨捨名月の里」と呼ばれ棚田が広がっているそこは、松尾芭蕉らの多くの文人が訪れた月の名所。
是非一度、その棚田に映る月を見てみたいものです。

↓さてさて橋を渡ると、平成26年に重要伝統的建造物群保存地区として選定された稲荷山の集落があり、ここもお祭りのよう。



稲荷山は善光寺平最大の宿場町で、明治以降は生糸と絹織物によって北信濃最大の商いの町として栄える。

↓重厚感のある漆喰の白壁、なまこ壁、土蔵造りの商家が見られるので「蔵の町」を名乗っているのですが・・・。


↓格子戸のある町家や仕舞屋、さらには崩れそうな建物もあったりするなど実に多彩で、集落好きには楽しめる場所。






兎にも角にも、杏が名産、名所旧跡には古墳や集落、姨捨の棚田、心身を癒すと共に歓楽面も充実の大温泉地・戸倉上山田温泉(真田信繁の最初の領地らしい)があったりと、観光やお遊びは非常に充実の千曲市。
来ればきっとお気に召して戴けるんじゃないかな?

 

参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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159日目 千曲川の流れに身をまかせ

2017-01-04 23:54:54 | 甲信越
2016年7月17日(日)


明けましておめでとうございます。


何の前触れもなく突然の蒸発から5か月ほど。
すみません、私は何とか生きております・・・。

いやいや、それどころか9月14日~18日にはカープ優勝で沸き返る広島県を中心にふらついておりました。
そんでもって10月9日~11日には東北、年末年始は関西をほっつき歩いておりました。
ですんで一応、旅もしぶとく生存しております。

実はブログを書くのが億劫になり、パソコンのやり過ぎによる慢性的な左手首の腱鞘炎が酷く悪化し(私は左利きなのでマウスも左)、左肩も痛くなったしで(原因は加齢かもしれないけど)、ちょっとだけサボろうと休養しようと思っていたところ、ブログから解放された(訳ではないのだけど)居心地の良さにウットリしてしまい放置プレイライフを満喫していた次第。

でも中途半端なまま状態を維持している訳にもいかないので、せめて信州旅の続きくらいは昨年中に終わらせようと思いましたが、ついぞ新年になってしまいました。

そんなこんなで重い腰をようやく上げますたです、ハイ。
随分前の事なので記憶がかなり薄れているのが心配ではありますが・・・。

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↓10時頃、坂城(さかき)駅。




↓一応事前に町の観光名所を下調べしたものの、改めて観光案内を見てみる。



が、食指が動く新たな発見はない。

↓駅そばの、昔よく見た懐かしい塗装の電車の静態保存。

169系ってヤツらしいけど、私は車両の××系だとかには全く興味がないので、この手の話しは全然出ませんのであしからず。

↓(607)長野県埴科(はにしな)郡坂城町(まち)役場

人口15,000人程の、「刀匠の町」を標榜する町。

↓坂木宿ふるさと歴史館



かつては北国街道の宿場で、あの武田信玄を2度も負かした事のある武将・村上義清の居城地でもあります。
2度もやっつけた武将は彼だけ!というので、町の大英雄で、ささやかな自慢なんだそうな(未確認情報)。
でも中には入らず外から眺めるだけ。

鉄の展示館→
昔は「たたら製鉄炉」があったり、最近では有名な刀匠がいたり、鉄関連の企業が多く集まっていたりと、「鉄の町」とも言える坂城。
ここでは日本刀などが展示され、製鉄や鉄の加工技術の勉強もできます。

話しは変わりますが、私のじい様(故人)は徳川家康が使っていた刀を持っていたのですが、それを国に売るためにわざわざ愛媛の田舎から当時私が住んでいた埼玉に出てきた事がありました。
でも、何故かそれを一度も目の当たりにすることなく国の手に落ちてしまったので、今思うと非常に残念なことでござる。

↓町はお祭り?





実はこの日、お隣り千曲市の、温泉で有名な戸倉上山田温泉街で盛大なお祭りがあり、それに乗じたように見えるし、それに負けじとオラが街でも、というふうにも見える。
ただ、せっかくの晴れの舞台に見物人が誰一人もいない(町の人はこぞって戸倉上山田に出掛けてしまったのか?)のは実に寂しいものです。

↓さてさて、足の指にできた水膨れがあまりに痛くて全然歩く気にならないので、小一時間で坂城町を切り上げ、お祭りにも乱入することなく千曲市の屋代駅へ。


坂城駅でもしていましたが、屋代駅舎の中のベンチに座って安全ピンで水膨れの膿をせっせと出していた情けない姿を晒していたのは他でもない私でございます。

↓絆創膏を貼っての応急処置でも痛みはなかなか取れないので、秘密兵器の出番を仰ぎます。

駅に備えてあった有料レンタサイクル。
ただ、これのお蔭で行く予定のなかった稲荷山集落を廻れたのは不幸中の幸いでした。

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参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
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