愛しきものたち

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滋賀県東近江市 廃村旧大萩集落

2010年12月27日 | 街道街並集落 景観 

<無くなった集落の小道に残された主の居なくなってしまった小さな祠>

奥永源寺の蛭谷や君が原の木地師集落を訪ねた帰り道、県道34号線をそのまま進んで萱原集落へと思って居たが、12月に入って萱原への県道は冬季閉鎖で通行止め、仕方が無いので道成りに進む県道229号で山中から出ることにした。

県道34号が大きく迂回し道成りの道路がそのまま229号へと名称を変えて直ぐに出会うことに成る哀しい景色

此処は旧大萩集落跡地、麓から来れば一番奥まったところに唯一残っている建物、此処は旧愛東村二代目村長の辻仁一氏の生家、

隣の土地には氏を讃える碑と胸像が建立され、萩の宮と書かれた小さな神社もある。

集団離村後も住まわれていたのだろう、この家だけが原型をとどめていた。

正面からは立派に見えるこの建物も灯が消えてから相当時間がたつのか裏に廻ればひどく荒れていて目を覆うばかり・・・。

今から約40年前の昭和47年9月の台風20号に拠る山崩れのために壊滅的な被害を受け、それが引き金となって昭和50年の4月集団離村、旧大萩は廃村の道を辿ったという。

集落の中ほどと思われる道端には金色の観音さん、かつての集落の地図、大萩についての解説が刻まれた碑などがある。

集団離村当時60戸、263人とある。

道路を挟んで、旧大萩集落の屋敷跡の石垣が主をなくしてしまって累々と続く。

鎮守の白髭神社は荒れているもののまだまだ手入れは行われているようで哀しい姿にはなっていない。

集落外れの墓場は寂しい風景ながら良く手入れされ、両墓制の墓地がそのまま残っていてる。

1982年に映画化された『茗荷村見聞記』の上映がきっかけとなり、大萩地区に「茗荷村」が実際に誕生することとなり、心打たれた地元住民らが土地の無償貸与を約束し、翌年開村の運びとなった事もこの廃村集落をすっかり山野に帰ることを食い止めているだろう。

撮影2010.12.11

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4 コメント

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Unknown (幽黙)
2010-12-27 14:31:59
しかし廃村とか
限界集落の風景が見せる
ちょっとした優しさのようなものは
なんとも沁み入りますね
それにそうしたところの神社の
なんとも言えぬ美しさも見事
それにしても両墓制の墓地といい
鳥居を立てて観音を祀り
庚申塔などが並び立つ
土俗的信仰の一画の素晴らしさ
ああ
いいですねぇ
Unknown (ぺん)
2010-12-28 07:39:13
おはよう幽黙さん。
此処の白髭神社さん良いですよ。
適度に荒れて適度に手入れされ・・・・。
雰囲気あります。
幽黙さんの目と語りで紹介されることを待ってます。
この辺りの神社には土俗臭も相俟って独特な空気が感じられます。
大萩は通称 (大萩に知人がいます。)
2014-04-10 07:04:15
ちょっとずつ百済寺の事をググって
ここにきました。
ものすごーく亀レスになりますが、
大萩の地名がなくなって百済寺甲に
なったのではなく、大萩は通称みたい
なもので、以前から百済寺甲でした。
旧の愛東町には百済寺という名のついた
字が複数あり、百済寺○って名前でした。
(○の所には、甲乙丙丁戊がはいります)
平成の大合併で名前が変わったのは、
百済寺甲の旧大萩地区ではなく、他の
百済寺の名前がついた所です。
集団移転されたところが、現在の大萩町
です。
因みに集団移転された跡地には、桜と
楓が植えられていて、春の花見、秋の
もみじ狩りの穴場です。(^^;
Unknown (ぺん)
2014-04-11 06:37:59
貴重な情報ありがとう。
現場表示板には「滋賀県愛知郡愛東町大萩」昭和50年と有りました。
表題を「滋賀県東近江市 廃村旧大萩集落」と変更しておきました。

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