退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

盆休み8

2014-08-18 02:11:46 | Weblog
くもりときどき雨。盆休み最終日。

台風で行けなかった図書館へ。
返却が一週間遅れる。

中野翠「東京プカプカ」を読む。

「サンデー毎日」の連載も三十年ということで長い「お付き合い」。
人が亡くなる話がやや目立つか。

「相変わらず」という意味では読んでいて安心する感じ。
もちろんこちらも同様であるせい。

昭和ヒトケタの次にあれこれ学んだのは団塊の世代ということになるか。
それらの人々がいなくなったらどうなるのかとしばし感慨にふけった次第。

もっとも常に「死んだ人」との「お付き合い」の方が多いので
どうってことはないと言ってしまえばそれまでではある。

明日から「通常モード」に戻る。

普段からのんびり暮らしているせいか
「休日」はいささかもてあまし気味に。

毎年「今年はどこかへ出かけようか」と思いつつ
結局ダラダラと過ごす破目になる。

今週のマル激は「野球の話」。

一球投げるたびわずかに断裂するヒジの腱について。
メジャーへ行ったわが国の投手たちがなぜかヒジその他身体を痛めている模様。

もちろん「環境」が変わったせいもあるだろうが
元々「投げ過ぎによるヒジの酷使」が原因ではないかと。

甲子園では「連投」や「延長戦」が「美談」になるものの
それによって選手生命は確実に縮められているらしい。

「投げる」という行為がこれほど身体を痛めるものだとはつゆ知らず。
高校野球に「球数制限」がないのはやはりおかしいと納得する。

「感動」の陰に人の将来を左右しかねない「犠牲」あり。
個人的には甲子園には全く興味がない。

その理由は簡単で「技術的・精神的未熟さ」による「ドラマ」は面白くないから。
そしてそれは「スポーツ」ではないから。

「運動能力の凄さ」を見るのがスポーツの醍醐味のはずなのだけれど。
そうなっていないのがこれまたわが国の「特殊な磁場」のせいだとしておく。
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盆休み6・7

2014-08-17 04:43:14 | Weblog
昨日はぐだぐだ寝て終わる。

今日はさすがに家にいられなくなり外へ。
時間つぶしに地下鉄路線をあっちこっち。

さんざん大回りしてクインビーへ。

今宵はひとりきりかと思いきや
知り合いの夫婦がやってきてしばし歓談。

「深くて暗い河」の一端を垣間見たような。
ボトルを空けるペースを間違えて久方ぶりにグラスのジン。

「彼女はいるんですか」と聞かれて「いません」と答える。
いつものように「ご縁があったら」ということでまとめたつもり。

「要は今が楽なんです」と言う。
そればかりは誰のせいでもなく。

「ヘンなおぢさん」としての役割を十分にこなす自信はあれど
そばに人がいると落ち着かない性格に変わりはない模様。

昔のあれこれを詳細は明かさず自分が「ヤクザ」だったと説明する。
「今は違うんですよね」と返されて「まぁね」。

「気が付くと自分ばっかり」な性格はめんどくさい。
おそらく距離が縮まれば余計にそうなる予測もできて。

「片思い」には絶好のポジションのようだとして
実際にどうなるかは別にして当分そのまま。

その種の「ロマンチック」から遠ざかって久しい。
もっともそれがいつ崩れるかは不明だけれど。

たぶん「間」を生きているのだと思う。
「キレイ」にまとめてすまん。
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盆休み5

2014-08-15 01:46:33 | Weblog
雨。一日中降った模様。

今日は家から一歩も出ず完全なひきこもり。

午前中から妹夫婦たちと甥姪がやってきて
結局数学と理科、感想文の宿題を手伝わされる。

夕方になってビールを飲み始め次いでワイン。
大した量でないにも関わらず酔いの回りが激しく。

知らぬ間に横になって眠り
帰りの挨拶の時に少し目覚めたものの。

二階に上がって気が付けば12時前。
トイレに行った後で飲み直す。

これはもうほぼ「廃人」の生活。
「小人閑居して不善を為す」の典型か。

さて。

再び眠くなるまで
起きていることにする。
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盆休み4

2014-08-14 01:48:10 | Weblog
くもり。夕方になってポツリ。

墓参りに行く。

なんだかんだでほぼ一日中車の助手席で過ごす。
いわゆる「おシャレな喫茶店」に入るもバイトくんたちの出来がダメ。

この頃の「客商売」のいい加減さを再確認する。
というより「使えるバイト」をきちんと育てるべし。

ここでも「人材育成」がキーポイントか。
それにしてもみなさん育てるのが下手すぎるような。

帰宅後NHKスペシャルでペリリュー島における日米の激戦を観る。

レイテ島への「足がかり」として小さな島を簡単に占領するはずのアメリカは
陸海軍の対立もあって「戦略」としての意味を失った後も「苦戦」を続け。

一方の日本は「バンザイ突撃」をやめてあくまで「持久戦」をという方針。
とりあえず「本土攻撃」までの「時間稼ぎ」をできるだけという感じで。

「ゲリラ戦」に脅える米軍が火炎放射器やナパーム弾、艦砲射撃を使い始め
硫黄島や沖縄でそれらがさらに使われることになったというジョン・ダワーの指摘に納得。

互いに「精鋭部隊」を投入しながら「無意味な戦い」であったことと
「島」という逃げ場のない舞台がよりいっそう「戦闘」を残虐なものにしたという「悲劇」よ。

生存者は現在80代後半から90代前半の人々。
「リアルな戦争の悲惨さ」をギリギリ伝えてくれてよかった。

いたずらな「プライド」と「選択肢の無さ」が「狂気」を生む現実を知るべし。
人をあまりに追い詰めてはいけないという「事実」を覚えておきたいもの。

戦闘意志を失ったにもかかわらず機銃で撃ち殺される日本兵。
あるいは正気を失って異様なふるまいをする米兵の姿。

「声高」に「敵」を討つことを叫ぶ者はこの映像を見よ。
これが「戦争の現実」なのだと知れ。
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「年月」について

2014-08-13 04:05:12 | Weblog
いつものようにyoutube。

天咲「遠い夏」を見つける。

「天咲=てぃんしゃ」は「コイナ」の前身のグループでこの時は4人。
伊波幸乃がその後脱退した模様。

彼女がラストを謳い上げているヴァージョンは
3人になったコイナ「遠い夏」とはかなり違う。

女子の顔というのはこうして変わっていくのだなということがわかる。
「人に歴史あり」という言葉が実感できるだろう。

それはある種の「洗練」だと言ってもいい。
またある種の「覚悟」の結果だと言ってもいい。

もちろんそれぞれに実際に何があったのかは不明のままだし
生まれた時から始まる「老い」のせいでもある。

「成熟」という言葉はあるけれど
それが好ましいものであるかそうでないかはまた別の話。

当然前者が望ましいとはいえそうでないことも少なからず。
われわれは賢くなれるのだろうかなどと。

わが国で不思議なのは今の季節である「お盆」。
労働の在り様に関わらずいまだにこの季節の「休日」は当然とされている。

「死者の魂が帰ってくる」とされる日が
そんなことも知らないまま受け継がれている事実よ。

もっともそれがそもそもなぜそうなのかも知らないままに。
この「自明」はいつまでも「解けない」のだろうか。

「今も変わらず うーじの森よ」

息を吐くと同時に裏声を重ねる唱法は
叶わぬ望みを「現実」にぶつける波。

「忘れていけない、忘れてならない夏の日」があった。
「あなたを返して」という叫びは熾火のように残る。
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盆休み3

2014-08-13 03:00:17 | Weblog
くもりのち晴れ。暑くない。

先日時間が合わなかったので今回はと映画館へ。
「トランスフォーマー ロスト・エイジ」を観る。

正直物語の展開はどうでもいいのだけれど
「ロスト・エイジ」の描写は冒頭のみという「省略ぶり」。

リドリー・スコット「プロメテウス」(’12)をなぞったような。
ちなみに原題は「Age of Extinction」で「絶滅の時代」。

とはいえその「トランスフォームぶり」に目がくらみ
2時間半以上という長さは案外気にならず。

マーク・ウォールバーグが父親役とは。
知らない間に年を取った感じ。

スタンリー・トゥッチが途中から「狂言回し」に。
すぐに「改心」しすぎじゃないか。

女優陣には残念ながら魅力を感じず。
ダーシー役のソフィア・マイルズの使われ方が残念。

研究員ジェイムズ・バックマンのとぼけた感じは悪くないものの
全体に俳優が「チープな印象」なのはこの種のものではお馴染み。

カーチェイスのシーンが多く
「いかに迫力を生むか」の参考になりそう。

さて。

ロビン・ウィリアムズが死んだ。

「重度のうつ病」だったらしいが
あの普段の「笑わせ方の神経質ぶり」を知っていると予想はつくというもの。

個人的には「ガープの世界」(’82)が「初顔合わせ」。
「ハドソン河のモスコー」(’84)は未見で「グッドモーニング・ベトナム」(’87)へ。

「いまを生きる」(’89)は予告編のみで「レナードの朝」(’90)へ。
「ミセス・ダウト」(’93)「グッドウィル・ハンティング」(’97)「アンドリュー」(’99)は観たはず。

こうして振り返るとあまり「いいファン」ではなかった模様。
常に「痛々しい存在」であったせいか。

リクエストされたものに対して過剰に答えてしまう人。
それを十分承知の上でそうせざるを得なかったのだと推察する次第。

あるいは「どうしても本心とズレてしまう人」とでも言ったらいいのか。
とはいえこれで「ゆっくりできる」のだとすればむしろ「幸せ」。

何が彼をそうさせたのかは知る由もない。
とりあえず合掌。
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盆休み2

2014-08-12 01:59:43 | Weblog
快晴。台風一過。

母親が寝ている仏間の蛍光灯が急に壊れる。
急遽長年お付き合いのある電気屋さんに来てもらう。

「この際だから」とようやくLEDにする。
明るさや色が調節できるのは今や当然だが母親が異常に喜ぶ。

取り付けの後サイダーを出すうちに電気屋さんがあれこれ話す。
数年前から保護司をやっていることを知る。

話しやすいタイプで言わば「うってつけ」。
「威張るヤツはよくないよね」という言葉にうなずく。

それでもさすがにクスリ関係の人物には緊張するよう。
「こちらの話がわかってくれる相手はうれしい」と言うのに納得。

結婚の報告などもある模様。
「施設のごはんが美味しかった」という調書を読んで寿司をおごったこともあると。

「情けは人のためならず」という諺をいささか熱を込めて話す様子に
「好ましい人」であることを確認した次第。

一人暮らしの老人の家で話し込むこともあり
「何日も話しをしてないから話すだけでいいんだよね」とも。

思いがけない場所で「人材」を発見した気分で
こういう「世界の広さ」は何度でも再確認したいところ。

唐突な例えだけれど「七人の侍」でいえば千秋実タイプ。
気分はほとんど志村喬でほのぼの。

久方ぶりに「愛情」を実感する。
「ええ人やなぁ」と敢えて関西弁で言っておこう。
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盆休み1

2014-08-11 01:59:56 | Weblog
台風。夕方まで風強く雨も。

図書館へ本を返す予定が無理になり
コンビニへ煙草を買いに行った以外ひきこもり。

じっくりマル激を観る。

JR東海が会長の意向であらゆる合理性を無視して
リニア実現に走っていることを知る。

なぜなのかはほぼ意味不明でそれを許す政治家たちも同様。
「底抜けの莫迦」はみんなで止めなければならない。

Nコメでは久方ぶりに従軍慰安婦について。

今頃朝日新聞が吉田清次関連の記事の訂正を認めたのは謎。
ただしサンケイが「それ見たことか」と言うだけなのが情けない。

諸外国が何を問題にしているかもわからないまま
「ガラパゴスな議論」が横行するわが国の民度の低さよ。

相変わらずすべてを「歪める磁場」を持っている模様。
そもそもわれわれは「まともなコミュニケーション」ができるのかどうか。

さて。

人は人で我はわれ。

少しでも何事かを「まとも」にしようと思えば
自らの意志に従って行動するのみ。

「現状」がどんなに「悲惨」であれ
「どうしたらマシになるか」を考えていけばいいだけ。

その種の「現実」を引き受けて「知恵」を絞ること。
「意志」があるならそうするよりない。
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「必要な技術」について

2014-08-10 02:14:12 | Weblog
雨。一日中降る。

台風情報に関係なくクインビー。

さすがに他に客もなく
久方ぶりにマスターと「サシ」で飲む。

個人的には楽しくないわけでもないけれど
店のことを考えるといささか複雑。

何度でも繰り返すが全国のソウルファンよ。
もうちょいと来てください。

「唐詩選(下)」読了。

わずかな数の漢字で
そういう意味を持つのねというのがあらためての感想。

どうせ縮めるのが好きならこの種のものにしていただきたい。
「とりあえず、まぁ」が「とりま」になるよりずっと好ましいので。

若い知り合いがまるで「発作」のように笑う。
普段余程つまらない生活を送っているのだと推察。

「オレオレ詐欺の電話はかかってこないですか」とのたまうので
「それはもう少し上のジジイかババアの所だろう」と答える。

「ここは一番、騙されるより騙すとこだ」と言い
「シヌシヌ詐欺=心臓発作を起こした設定」で逆に救急車を呼ばせると胸を張って見せる。

攻撃は最大の防御なり。
「守るべきもの」などあるとロクなことにはならず。

ついでに藤山寛美の台詞で有名な「もしもし?」を教える。
もちろん「実物」を観るのがいいのだけれど。

この種の「技術」を持っていると
貨幣の多寡にかかわらず楽しく過ごせるのだということにしておく。
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「注意すべきこと」について

2014-08-09 02:27:09 | Weblog
くもり。夜風に冷たさが交じる。

このところ「刺激」が足りないのか
ちょいと「詰まった」感じになる。

すでに知っているものの中をぐるぐる回るだけになっている模様。
また新しい「世界」を見つけなければ。

村上春樹でなくとも
「回転木馬のデッドヒート」はあまり好ましくない。

こういう時には「暗いニュース」に視線が集中しがち。

ガザ地区とイスラエルの戦闘に終わりが見えず
アメリカがイラク空爆を始めたり。

西アフリカではエボラ出血熱が拡大。
わが国では台風が各地に従来にない大雨をもたらし。

もちろんこれらは「世界の一部の出来事」であり
たまたまそこに視点が集中しただけのこと。

「視野狭窄」がコワイのは
知らずに自分が「正当化」されていること。

あくまで自分という限られた存在が
「特定の視点」に操られているだけのことだということを忘れて。

「気分」という「チューニング」の恣意性には気をつけたいもの。
世界は常に複雑で広いから。
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