退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『途方もない現実』を知ること」について

2017-03-19 02:27:19 | Weblog
『くもり。おだやか。

今宵は仕事場の研修で老舗バーはお休み。

「浄瑠璃を読もう」読了。

「国姓爺合戦」「冥途の飛脚」「妹背山女庭訓」で終了。
それぞれの「あらすじ」は辛うじて知っているものの。

あまりに「前置き」が多すぎてついていくのにヒイヒイ。
というよりおそらく十分には理解できずに終わる。

もっとも理解できた分の「収穫」はあり。
今のところはそれでいいのだとしておく。

深夜「ブレーキ・ダウン」(’97)をTVで観る。

引っ越し途中の夫婦は車の故障で立ち往生。
来合わせたトレーラーに妻のみが乗って夫はレッカーの到着を待つもののというお話。

J・T・ウォルシュの不気味さはいい感じ。
「悪魔の追跡」(’75)に似ていると言えばいいだろう。

カート・ラッセルの必死さは伝わるけれど物語の展開は今ひとつ。
「悪魔の追跡」にはあった「悪魔崇拝」の代わりがないので。

ただしラストには「残酷で爽快なところ」もあり。
この「田舎の理不尽さ」が案外「アメリカの現実」だったりすることを覚えておこう。

それにしても奪おうとする金がわずか「9万ドル」だというのが哀しい。
まああれこれやった過去はあるようなので「総額」はそこそこのはず。

事情を何も知らない犯人の家族の姿も描かれる。
警察もグルだったりする「怖ろしさ」は伝わったけれどいかにも「B級作品」。

もっともシーンはあれこれカットされているはずなので断定はできない。
あるいはカットのおかげでそこそこ「観られる作品」になっている可能性もある。

さて。

明日はまた墓参りらしい。
それをこなして図書館と床屋に行ければいいのだが。

どうなるかはその場の展開次第。
めんどくさいが「仕方のないこと」だと思ってはいて。』と書いて昨日はまた寝る。

晴れ。だったはず。

墓参りと図書館と床屋をこなす。
途中の喫茶店も含めて今日は「待つ日」だった模様。

古市憲寿「古市くん、社会学を学び直しなさい!!」を読む。

小熊英二、佐藤俊樹、上野千鶴子、仁平典宏、宮台真司、大沢真幸、
山田昌弘、鈴木謙介、橋爪大三郎、吉川徹、本田由紀、開沼博というラインナップ。

「嫌がらせキャラ」という宮台真司の表現に笑う。
小熊英二の「リミッターをはずせ」や上野千鶴子の「消費されるな」という「忠告」も。

読者としては「そういう見方もあるのか」と思わせてもらえればいいだけ。
「派手」であろうと「地味」であろうと同様。

マル激を観る。

「介護保険」が相当ヤバイことになっているらしい。
いたずらに「支出」を抑えることを目指していて「誰のためのものなのか」があいまいに。

どうやら「現場」を全く知らない官僚が数字の上での「帳尻合わせ」をしていると。
そこには「生存権」も「生活」もなくその背後には「家事」に対する「蔑視」なども。

ここでも明らかなのは「現実を見たくない人々の増加」。
それはおそらく「子ども世代」にも亘っていて。

この種の「劣化」とそれによる「破綻」は今後さらに本格的に「現実」になるはず。
シリアはアレッポの「戦闘を伴う戦争」とは異なる種類の「戦時」はすでに始まっている。

それが「身近なもの」だと気付いた時にはすでに「手遅れ」だったり。
すでに「ありふれた貧困」をどうにかするために「知恵」を絞り対処したいもの。

それぞれの「現場」がもっとつながって
互いを勇気づけながら「戦う」しかないか。
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