退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

’17 GW5

2017-05-06 02:17:30 | Weblog
晴れ。暑い。

山口昌男「いじめの記号論」を読む。

いわゆる「論文調」とは正反対のおだやかな文章にふむふむ。
「桜姫東文章」の解説と「聖と俗」における「悪場所」の重要さにも同様。

そしてすべては「演劇」であること。
「いじめ」でさえそうなのだと気付けば肝心なのは「役者の柄」か。

すべてが「血肉」になっているのが教養の大事なところ。
そうでない「お勉強」はただただ貧しい。

久方ぶりにブックオフへ。

奥田祥子「男という名の絶望 病としての夫・父・息子」を買って読む。

「自分の思い込み」の中に閉じこもる男子たちよ。
もっとも「ブラックな企業の在り様」も多少手伝ってはいるものの。

「演じ切れない役割」を背負うと人は心を病むものらしい。
「処方箋」はいかにも単純だが「役から降りること」だったり。

「男子のコミュニケーション力のなさ」があらためて浮き彫りに。
「思い通りにならない」のが「基本」だと思えば案外お気楽になるはず。

それにしてもこの種の人々の
「未婚」もしくは「子なし」である著者への当初の「偏見」たるや。

この「経験主義」への無前提な寄りかかりはポイント。
「渦の外」にいるから見えることもあるという「事実」に鈍感すぎて。

まあ「弱っている人」をあまり責めても致し方なく。
少なくともわが国では「呑気に暮らすこと」が難しくなっているのは確か。

「通常のレール」から降りて久しい身としては「もっと気楽に」と思うのみ。
多少の「人間関係資本」さえあればどうにかなることについて真剣に考えて頂きたい。

つまり。

われわれに必要な「資源」は「好ましい人」と「知恵」。
そして「現実を受け入れる用意ができる程度の自らの器」。

少なくとも「最低限」さえ確保すれば「貨幣の多寡」はあまり重要ではない。
もちろん「増やしたい向き」は大いにやっていただいて結構ではある。
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