退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ふたつの『自由』」について

2017-03-30 02:36:36 | Weblog
晴れ。夜の冷えは緩む。

橳島(ぬでしま)次郎「生命の研究はどこまで自由か」を読む。

池内了、長谷川真理子、勝木元也、田川陽一との対談。
著者の意気込みにどうなることかと思ったものの「着地点」はしっかり。

敢えて「科学の中に『倫理』を探す」試みにふむふむ。
「目先の結果」に追われて研究が「小さなもの」になりがちな現実も。

研究者間の「健全な批判」が出来にくくなっているらしい。
その「資質」を育てるような「お付き合い」もないままに。

「真のエリート」を育てる話がここでも。
繰り返すがどんな分野であろうと「優秀な人材」は誰にでもわかるもの。

そうした彼ら彼女らが各地で「感染」を引き起こして
さらなる「人材」を育てるのが基本であることは確か。

「インチキの跳梁跋扈」をいい加減に野放しにするのはよさないと。
それらを評価する「基準の設定」をいち早くしたいもの。

これまた繰り返すが「数字による判断」は誰にでも出来るがゆえに「貧しい」。
「基礎研究」こそ大事な「世界」でそれが「基準」ではどうにもならない。

いずれにせよ「近視眼」があらゆるものを「貧しくする」。
「ゆとり」がなければ新しい「発見」が生まれる土壌などないはず。

「貨幣量」に余裕のある者たちは積極的に「パトロン」になろう。
「官僚による予算配分」を待つしかなければ「自由な研究」など望むべくもないから。

それとは別に。

「ドキュメント72hours 春の72時間祭り」で「香港チョンキンマンション」特別編を観る。

さまざまな事情を抱えたあらゆる国の人々が暮らしている「マンション」のあれこれ。
警備のため新たに400台以上のカメラが設置される中。

麻薬の売買など「あぶない部分」がありつつ
銅線を盗もうとしたホームレスを敢えて警察に引き渡さない「寛容さ」もあり。

収入の大半を故郷フィリピンに送る「家政婦」の姿など。
日々増している中国の「圧力」にもかかわらずここはかつての「九竜城」のような。

「国連の奴らはここを見に来ればいいんだ」と言い放つ男性にふむふむ。
「国籍や宗教に関わらず誰もが共存している現実を知れ」と。

彼ら彼女らの日々の生活はもちろん苦しい。
それでもどうにか暮らしていける「環境」がここにはある模様。
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