退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

久方ぶりに「貧困」について

2013-06-26 02:48:51 | Weblog
晴れ。暑さはなく。

「プロファイリング・ビジネス」読了。

見田宗介は「南の貧困/北の貧困」において
それぞれの「二重の疎外」を指摘している。

前者は「無理矢理貨幣を必要とするシステムに組み込まれること」と
「そうしたシステムの中で圧倒的に貨幣を手に入れられないこと」。

要は「海も森も豊かな南の島」でのんびり暮らしていた人々が
妙に「頭のいい人々」によって「搾取」されるということ。

後者は「そもそも人間に必要なものをシステムは関知しないこと」と
「貨幣量を増やすことで手に入れられるもののみを次々と生み出すしかないこと」。

こちらは「貨幣量の多寡」以外に「幸せの基準」を持てなくなる「不幸」が
「自動的に更新される」しかないこと。

実にまっとうなこの指摘は高校の国語の教科書に載っていたりする。

がしかし。

残念なことにたいていの高校生はこのメッセージを読み取れない。
彼ら彼女らはなぜこれほどに読み取る力を失っているのだろう。

繰り返すが早期の英語教育などどうでもいい。
「母国語を奪われる」という「現実」に対処すべし。

わが国の「英語コンプレックス」はかくも大きいのか。

ひとつだけ確かなことは
それが何語であろうと必要であれば「翻訳される」という事実。

もちろん外国語に堪能であることそのものは「いいこと」。
ただしそれが「母国語」とリンクしていなければほぼ意味を失うはず。

あるいは「ふたつの言語」が微妙に「衝突」することで明らかになることもあり
それが「思いがけない現実」を垣間見せることも。

まずは「日本語」。
「優先順位」をまちがえるとたいていロクなことにならないから。
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