退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「新たな『宗教』としてのテクノロジー」について

2017-03-21 02:06:21 | Weblog
くもり。深夜になって雨。

海猫沢めろん「明日、機械がヒトになる ルポ最新科学」を読む。

人は機械と変わらず心もない。
仏教の認識とテクノロジーの結論が似ているのにふむふむ。

「自由意志」もなく「受動的」でしかなく。
われわれは単に「環境に反応するだけの存在」。

「SR=代替現実」「3Dプリンタ」「アンドロイド」「AI=人工知能」
「ヒューマンビッグデータ」「BMI=脳と機械をつなぐ」そして「幸福学」。

例えば「自らの『安泰』」を「天下りという『保障』」でしか求められない官僚は
むしろAIに取って代わられればいいのかも。

「従来通りという『過去』」による判断なら人工知能の方がよほど勝るはずだし。
そこで「人間にしかできないこと」とは何かという疑問が浮かび上がり。

「自分の好きなものしか見ない」という態度はすでに映画「マトリックス」のカプセルの中。
誰しも「神の視点」には立てない「事実」を知ることもないまま。

かつて宗教が果たしていた役割がテクノロジーによって代替されるのか。
ちょいと「留保」しつつもこの「現実」は面白い。

少なくともわれわれが見ているつもりの「現実」が
いかに「壊れやすいもの」であるかは知っておくべきかも。

とりあえずいろんな他人と会ってお話することが重要なよう。
それを「脳内の新たなニューロン発火」だと思えばよく。

さて。

「魅力的な微笑」がわれわれを和ませることを思えば実は「赤ん坊であること」が望ましい。
もっともそれを感知できずに「重荷」だと思って「排除する者たち」がいるのも事実。

その種のことをもたらすのが結局「彼ら彼女らが育った環境」であるならば
「人による環境汚染」をもっとどうにかしないと。

「圧倒的な不可知あるいは不幸」を前にすれば「生きていること」が「幸福」。
「昨日のわたしの『一貫性』」を維持するだけの毎日で十分なのだけれど。

もちろん「君子は豹変す」というのもOK。
少なくともあらゆるものに「開かれた存在」でありたいもの。
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