退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「漁業を通したわれわれの生活あるいは廃棄されるものについて敏感であるべきこと」について

2017-05-13 02:01:42 | Weblog
くもり。昼間は暑い。

濱田武士「日本漁業の真実」を読む。

魚を食べる人々が減っている中
スーパーなどの「大型店舗」で週末に「まとめ買い」をする人々が増えて。

「丸魚」が美味しいにもかかわらず
「簡単」で「ゴミの出ない」商品が「安さ」を武器に大量に売られ。

さらには「目利き」による「価格設定」が「大口」による購入に押されて
その「機能」を発揮できないようになり。

どうやらわれわれの生活形態が国土の狭さにもかかわらず「アメリカ型」に変化し
漁業あるいはそれにまつわる共同体や国土を「破壊」してしまった模様。

ここでも「経済優先」が元々はあったはずの「豊かさ」を消している事実を忘れずに。
要は魚も「ファストフード化」したということらしい。

若い世代が魚を食べなくなっているのはそもそも「美味しい魚」を食べていないから。
「骨を取るのがめんどくさい」などというのはおそらく「二の次」なのではないか。

そもそも「自然相手」だから「制御不能」なところに
「異常気象」も手伝いかつて獲れた魚が急に獲れなくなることもある。

「安定しない職業」としてますます漁業は衰退していくのだとしたら残念。
「複雑な現実」を知らぬままいたずらに「漁協」を攻撃する愚も同様。

「消費者」としてある程度の「豊かさ」を確保するためには
「生産者の生活」も考えなければならないことを知っておこう。

もちろんそんなことは言っていられない「貧しさ」が
各地に広がっていることは承知の上で。

満足に料理もできない自分が言うのも何だが
われわれひとりひとりが「食材」を活かせる「技術」を身につける必要もありそう。

わかりやすい例は「鉄腕DASH」での「0円食堂」。
あのパターンを「生活」の中に採り入れられないものだろうか。

「フードバンク」に付け加えたらよさそうだったり。
そういえば「子ども食堂」にも。

「経済的に恵まれない人々」がむしろ「美味しい物を食べている」となったら痛快。
そういえばその種の話はすでに「ホームレス」の人々の中に存在していたかも。

「廃棄されてしまうもの」についてわれわれはもっと敏感であるべきことは確か。
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