退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『現状維持』に流れないのは『志』であるということ」について

2016-11-26 02:57:36 | Weblog
晴れ。コートに裏地を付ける。

白川静「桂東雑記 拾遺」を読む。

このシリーズはこれで終了。
今度は「文字講話」のシリーズを読むつもり。

徐々に「外堀」を埋めて身体にも慣れさせてから「本丸」へというやり方で。

呉智英がいつも語る「シナは世界の共通語」という話を著者もしている。
日本だけがそれを「差別用語」とする謎。

作家高橋和巳についての話には「ああ」という感じ。
同じ大学にいたことをあらためて思い出した次第。

「当用漢字」については「圧倒的に合理的なもの」が曲げられた事実を思う。
「お勉強が出来た人々」のそうでない人々への「想像力の貧困」よ。

「漢字検定」などという「インチキ」がはびこるのもむべなるかな。
「現代の基準」で「過去を量る」愚についても同様。

朝生をちょいとだけ観る。

何とも不思議なことにわが国には「自分はこうするんだ」という「意志」がない。
アメリカがロシアがあるいはEUがという話ばかりなのはなぜなのだろう。

もちろん「現状」を無視することができないのは当然。
ただし「目標とする未来」を見据える視点とそのための具体的な方策がない。

たとえばそれが百年先であろうと「自分たちの望むこと」を実現する。
その「当然」がかくも欠けているのは「島国根性」なのだろうか。

「目標」を共有した上での「戦略」や「戦術」がなければいたずらに「現状」に対応するのみ。
まずは「属国」である事実を認めた上で「独立国」になることが肝要。

そのためには何が必要なのか。
少なくとも「金の問題」でないことは確かなのだが。

かつてその種のものは「志」と呼ばれたはず。
細かな「現状認識」はほどほどに「目標とする未来」を語りたいところ。
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