退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「多様性あるいは新たな『歴史』を知ること」について

2017-04-18 02:32:35 | Weblog
雨。行きも帰りも台風並みの風雨。

三橋順子「女装と日本人」を読む。

ヤマトタケルが女に化けて熊曾健兄弟を討つところから始まって
わが国の歴史がいかに「女装」と馴染み深いかが説かれ。

「性を超越する者たち」が「常人とは異なる能力を持つ者」として認められていたと。
「双性原理」というのにふむふむ。

歌舞伎ではそもそも女形の方が「偉く」て
「女色」と「男色」が対立するものではなかったことなど。

それが近代になって外国由来の「科学」によって「変態性欲」として抑圧された模様。
さらには戦後の女装男娼やゲイバーの世界の歴史についても。

「性別越境者」である著者は「性同一性障害」という「病気」にされるのはイヤだと。
なるほどもっともな考えではある。

「性の嗜好」の多様さにもあらためて思い至った次第。
「好きに生きられる世界」を確保したい気持ちには大いに同意する。

ここで話を広げれば。

何事においてもいたずらに「こうでなくちゃダメ」という人々の面倒臭さよ。
たいていは「過去の歴史」も知らず「特定の価値観」に縛られて。

「ダイバーシティー=多様性」が重要なのはそれぞれの「世界」が楽しいから。
動植物だけでなく人類においてもそれは同様。

「をかし」という古語の持つ意味をあらためて思い出したいもの。
そしてその種のことに「おおらか」であるわれわれの「特性」についても。

「装う」という行為が始まったのは遠い昔。
おそらくそれは「文化の始まり」ではないのかと思うのだが如何。

「知恵の実」を食べてしまったのだからとキリスト教風にまとめることもできる。
とりあえず「森羅万象に多情多恨たれ」との言葉のままに今後も暮らすはず。
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