退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「視点の重要さあるいは結局は『実験』であること」について

2017-02-09 02:33:55 | Weblog
晴れ。今日も結構冷える。

橋本治「リア家の人々」を読む。

残念ながら原作の「リア王」を細かくは知らないので
著者がどこをどう意味付けしているのかの詳細は不明。

非常に面白く読んだのだけれど終わりが何だか「あれ」という趣き。
「長編」の一部が終わっただけのように感じた次第。

敢えて言えば溝口健二に近い内容か。
キャラクターとして気になるのは末娘の静。

彼女の「その後」を知りたいところ。
それぞれの名前にあれこれの小説のそれが使われていることはわかるものの。

父親文三の在り様にはふむふむ。
原作と違って「悲劇」は静かに訪れる模様。

上ふたりの「姉妹の争い」にも納得。
おそらく現実には「よくあること」だったり。

「子どもの親を観る視線の違い」はなかなかに「大きな違い」。
そばにいる「環境としての人」の重要性をあらためて思う。

そうして「休日」がまた過ぎる。

繰り返すが普段から「休日のような毎日」を過ごしているので
「同じペース」でこなすのがラク。

それでも確実に身体は疲れているよう。
そのあたりの「意識と現実のギャップ」をうまく埋められれば幸い。

「不健康な生活」をどこまで維持できるのかを
いつも通り身体に聞きつつどうにかしたいところ。

そろそろ「分岐点」に近づいている予感はある。
この「峠」を越えられるかどうかがひとつのカギ。

自分なりにいろんな人々の「パターン」は見てきているので
どうなるのかはむしろ楽しみ。

結局「それぞれの実験」があるのみ。
いちおう「自覚」はあるつもりなのだけれど「未来」はいつもわからない。
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