退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「世界の軍歌あるいは切羽詰まる前のささやかな幸せ」について

2017-05-12 02:27:23 | Weblog
晴れ。案外暑さは感じられず。

辻田真佐憲「世界軍歌全集」を読む。

どうやら著者は中学生の頃からこの種のものが好きだった模様。
まあよくも集めたものと言うよりない。

戦時における「歌」というのは世界中であまり変わりがなく
時代のせいも手伝ってか個人崇拝の内容も少なくない。

オリジナルは「右翼」の歌だったものが「左翼」のものになったり
またその逆もあるあたりの「いい加減さ」にふむふむ。

注釈については「世界史のあれこれ」を学べて
単に「歌の紹介」にとどまらないのもいいところ。

ところどころにあるコラムからは「漢籍の影響」も伺える。
英仏独露蘭西葡にとどまらず北欧、クロアチア、ハンガリーなども。

もちろん詳細は不明だけれど「ヨーロッパ言語の共通項」がほの見えたり。
とりあえずこの「情熱」にしばし唖然とするのみ。

個人的には今は亡き叔父が歌っていた軍歌を多少覚えているくらい。
著者のように積極的な聴き手にはならずじまい。

映画「二百三高地」(’80)におけるさだまさし「防人の歌
あるいは「連合艦隊」(’81)の谷村新司「群青」を思い出したり。

いずれもある種の「切迫した情感」が人々の心を揺さぶるのだとして
その「切羽詰まった感じ」はむしろ「危険」なものだと思う次第。

「どうしようもない現実」の中で否応なく何事かを強いられた人々の「哀しさ」があるのは事実。
ただし彼ら彼女らをそこへ「追い詰めたもの」がむしろ重要だと思われるので。

「犠牲者」をいたずらに「神聖化」する前に
その「犠牲」の上に続く「現在」の無様さを噛みしめたいもの。

うーむ。
いささか「天に唾すること」になったか。

深呼吸をしてあたりを見回せば「好ましいこと」はそこここにある。
「立場」を超えて「ささやかな幸せ」を。
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