退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「バラバラであることの弊害ふたつ」について

2017-09-18 02:02:56 | Weblog
くもり。夜9時頃から深夜1時過ぎまで暴風。

ジョン・ロンソン「ネットリンチで人生を壊された人たち」を読む。

このネタにここまで突っ込んで取材する著者の情熱の行方やいかに。
冒頭に出てくる自身のツイッターの「なりすまし」があったせいなのか。

「記事の捏造」を暴かれた者と暴いた者の関係。
「冗談ツイート」のつもりが「人種差別主義者」として「炎上」した女性。

「下品なジョーク」を写真付きでツイートされ失職した男性。
逆にそのツイートが反感を買って同じ憂き目にあった女性など。

それ以外にもあれこれあるのだけれど
「ツイッターあるいはフェイスブック」という「メディアへの無知」が基本かも。

「全世界に公開される」ことからすると
「ネタ次第」であらゆる非難中傷にさらされる危険性があるのは当然のはず。

わが国でもこの種の「事件」はいろいろあり。
彼ら彼女らはあまりにも「無神経」だったかも。

とはいえその一方で「事実関係」も十分に把握しないまま
多くの人々が「炎上」に参加する事実を忘れずに。

「『正義』に加担すること」はおそらく麻薬のような効果がありそうな。
そのことで自身の「不全感」がカタルシスを得る仕組みの「罪深さ」。

「『気のきいた』発言」で「他者からの承認」を得たいという気持ちもおそらく。
少なくともそうした「環境」があることは確か。

ここで「灯台下暗し」という言葉を思い出したいもの。

身近な周囲からの「承認」が得られないと人はついつい「違う場所でのそれ」を求めるもの。
「不特定多数の他人からの承認」を「良し」とする価値観の「源」を思い出そう。

「数字はウソをつかない」というのは通常「他の何者も信用できない者」が発する言葉で。
その「不信」がなぜ生まれたのかを考えてみてもいいだろう。

あまりに「個人の快適」を求めると人はバラバラにならざるをえない。
「快適の基準」は人によって異なりその細かい部分を埋めるのが「快適」になるから。

マル激を観る。

毎年必ず死者が出ている水害対策に
地震と違って全く税金が投入されていないことを知る。

東京が「世界一危険な都市」であることも同時に。
世界的な保険会社の「査定」なのでよろしく(2位を5倍引き離すダントツぶり)。

地形や川のあれこれと歴史を知るのが重要な模様。
かく言う自分も「0メートル地帯の住人」のくせに水害には鈍感の極み。

地下鉄がビルやその他の施設とつながっているせいで
いったん水が来たらどこまでも流れて行くのを可能にしている事実も。

「エジプトはナイルの賜物」のように
かつて先人たちは「洪水=水害」を受け入れて暮らしていたり。

「祭り」が「共同体」を維持するためのものであるのは言うまでもないけれど
「かつての災害体験」を思い出すためのものでもあったというのにふむふむ。

「知恵」を失って久しいわれわれの「貧しさ」を噛みしめるのみ。
「手近な出費」を惜しんで「未来の損失」を見ない視野狭窄も同様。
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