プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

塩津義雄

2016-12-24 15:21:09 | 日記
1963年

三塁走者だった山内が目をパチパチさせた。ライナー。一直線に左翼ポールぎわをとおって上段にとび込んだからだ。山内が感心するほどのすごい当たりを、塩津は恥ずかしそうに説明した。「内角高目。スライダーのようだった。手もとに引きつけて打ったのでラインの上をまっすぐとんでいったけれど、ファウルになるとは思わなかった」話しながら何度も両方の手首をさすった。1㍍81、78㌔、そのうえ、鹿児島出身にしては気が弱い。「気が弱いのが塩津を六年間も一軍と二軍の間を生きかえりさせた原因のすべてだ。足もある、肩もいい、おまけにウチの外野は西田、石谷らの若手に切りかえようとしているところだから、レギュラーのポジションを奪うには最も有利なはずなのに・・・。とにかくあんなに気が弱くてはね」中川スコアラーはいう。左の手首に幅約二㌢のばんそうこうが腕輪のようにまいてあった。ほんの申しわけのようでばんそうこうも、気の弱い証拠だ。「二か月ほど前にねんざした。めったに痛くはないのだがばんそうこをまいているとなんだか痛まないような気がして・・・」試合が終わるとそのばんそうこうは、めくってポンと捨てられてしまった。背番号25。これは塩津が入団したころの別当コーチ(現近鉄監督)が「大物だ。きっと大スターになる」とPRして自分が阪神時代につけていたものを与えた。ことし大毎のコーチに就任した藤井コーチも、キャンプで別当と同じようなことをいっていた。「すばらしい素材だ。中心選手になるぞ」昨年の打率が二割七分九厘。ことしも三十一日現在で二割六分二厘。それなのにまだレギュラーの位置を獲得できないのはー「問題は外角低目の球をどう打つかだ。六回低目を遊ゴロしたが下半身がバラバラだった。一軍に定着しようとするならば、これを克服しなければならない。妙な細工をするより荒さは残るが、南海のピートのように思い切って外角球でも引っ張るようにすれば、力があるから長打力が発揮できる。今夜のホームランはツボにきた球だった。両足のバランスがよくとれて、腰でボールをよび込んだ理想的なフォームだったが・・・」と岩本章良氏はみている。
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