プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

木村広

2017-03-19 11:58:51 | 日記
1977年

「一体、いつになったら一軍入り出来るんだろう」と、このところ、いささかあせり気味なのが、二軍のエースこと木村広投手(22)だ。まだプロ入り二年目。何もあせることはなかろうと思うのは常識的に過ぎるらしい。「何としても一日も早く一軍に上がりたい」という木村のイライラの原因をさぐってみたら・・・・。

木村は昨年、日大からドラフト5位で入団した。軟式野球の出身で、長崎県口加高校時代にはエースとして全国大会の優勝経験を持っている。硬式に転向したのは日大三年の後半からで、そのため東都六大学野球でも無名に近かったが「球も速いし、鍛えればモノになる」(毒島スカウト)と見た球団は、入社が内定していたリッカー本社の吉田社長を中村オーナーが自らが口説き落として、入団にこぎつけた。いわば「掘り出し物中の掘り出し物」(中村オーナー)だったわけだが、本格的なトレーニングを知らず、ゼイ肉が目立っていたからだも一年間で見違えるように引き締まり、今シーズンはどうやらプロらしい体格になって来た。投手としての駆け引きも一応はマスターしたし、速球のほかにシュート、カーブ、スライダー、シンカー、フォークと五種類の変化球を持っている。つまり「ファームのピッチャーとしては文句なしに水準を抜いている」(三浦ピッチングコーチ)わけで、そうなれば本人が「一日も早く一軍入りへ」と力試しにやる気持ちもうなずけなくはない。が、もっと大きな理由が木村にはあった。「義則ですよ。あいつは大学の一年後輩。球威ならオレも負けなかった。あいつが一軍で勝星をあげているのに、なんでオレがファームのままでいなきゃならんのかと、ちょっとフに落ちんのです」と木村。義則というのは阪急のドラフト一位投手・佐藤義則投手(日大)のこと。つまり木村は、後輩の活躍に、いたく競争心をそそられたということである。ウエスタン・リーグでは14試合登板と全試合の半分以上に顔を見せ、成績こそ4勝3敗と一つしか勝ち越していないが、ジュニアオールスターの出場はほぼ確定的と見てよい実力派。強心臓ぶりにも定評があり、死球をぶつけた相手を逆ににらみつけ「当たる方が悪い」としかったこともあった。「ストレートの切れもよくなったし、からだもしまって来た。球威は一軍の二線級より上だし、一軍でも通用するだろう」と見た三浦コーチは、前期の後半に一軍昇格を推薦している。後期スタートにあたり、先輩の野崎が一軍入りしたため、一軍のワクがなくなり、木村の昇格はまたお預けとなったが、木村は「こんなに一軍入りが難しいものなら、一度上がったら二度と落とされないような実力をつけて上がらなきゃ損だ」と、いっそう熱っぽく練習と取り組み始めた。がんばれ、希望を捨てるな、二軍のエース!
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