プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田中勉

2016-12-17 13:31:53 | 日記
1966年

ことしでプロ入り六年目。三池工をでて三十三年東洋高圧大牟田にはいり、三年間ノンプロのメシを食った。三十六年八月西鉄に入団すると、真っ赤なハートに矢を射込んだ図柄のシャツを平気で球場に着てきて、ナインをあっといわせた。その年、1勝もしなかったが、十二月には八重子夫人(27)と結婚、長男昌典ちゃん(4つ)が生まれた。「まだ投手として海のものとも山のものともつかないのに、このごろの若いものは勇気があるね」藤本球団部長は、こう感嘆した。典型的な戦後派の青年のうえに、滅法向こう気が強い。絶対に逃げのピッチングをしない。「生まれながらの投手」と河村英文氏も舌をまいている。20勝投手の素質をもちながら、それだけの成績を残せなかったのは、昨年までシュートを使わなかったから、と同僚たちはみている。ことしはそのシュートをふんだんに使ってピッチングが豊かになった。「南海、東映の左打者に対して実に効果的にシュートを使っている。おそらくきょうもこのシュートがすばらしかったのではないか。なにしろブルームなんかにも五球も六球も平気でつづけて攻めるあたり、常人にはとてもできるものじゃない」と河村英文氏はいっている。ピッチング同様、ことしの田中は人間的にも成長した。八重子夫人も認める。「ことしの主人はかわりました。一昨年、昨年と調子が悪かったのでもしことしもダメだったらクビがあぶない。オレにはお前たちがいるのだから、がんばらなければ・・・とよくいっています。やっと欲がでたのでしょうね」評論家からもだいぶたたかれたが、ことしはだれもが「20勝、あるいはそれに匹敵する働きをきっとする」と、採点がいい。田中にはかわった趣味がある。転居ずきなこと。現在の家(福岡市下長尾)に落ちつくまで五度かわっている。車の趣味もたいへん。いまあるクラウンは六台目。暇さえあれば手を真っ黒にしていじっている。夫人からみた田中は「一に子供、二に車、三、四がなくて五番が私」ということだそうだ。遠征からの帰りには、昌典ちゃんと七か月の京子ちゃんにおもちゃをかかしたことがない。

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