1966年
広島カープは第一回新人選択会議で交渉権を得た岡山・興譲館高の古角哲士投手(18)との交渉を打ち切った。今月十五日に備前コーチと木庭スカウトが岡山に行き、古角投手のピッチングを見た結果、プロではやや力不足と判断、当時上京中だった西野チーフスカウトの帰広を待ち、二十七日にスカウト会議を開いて不採用と決めたもの。これは交渉権放棄の第一号である。
西野スカウトの話 備前コーチと木庭スカウトの報告を聞いたところ、プロではむずかしいらしい。本人の就職のこともあろうしいと考え、正式に交渉打ち切りを決めた。
広島カープは第一回新人選択会議で交渉権を得た岡山・興譲館高の古角哲士投手(18)との交渉を打ち切った。今月十五日に備前コーチと木庭スカウトが岡山に行き、古角投手のピッチングを見た結果、プロではやや力不足と判断、当時上京中だった西野チーフスカウトの帰広を待ち、二十七日にスカウト会議を開いて不採用と決めたもの。これは交渉権放棄の第一号である。
西野スカウトの話 備前コーチと木庭スカウトの報告を聞いたところ、プロではむずかしいらしい。本人の就職のこともあろうしいと考え、正式に交渉打ち切りを決めた。