プロ野球 OB投手資料ブログ

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小野正一

2016-09-19 13:19:57 | 日記
1965年

先発は二日前、別所ヘッド・コーチからいわれた。とたんに思い出したのは四月二十四日の後楽園。大事な対巨人第一戦に先発しながら、三回に大量5点をとられたみじめな自分の姿だった。こんどこそ勝つ何度も自分にいいきかせていたら、とうとう前夜は興奮しすぎて寝つかれず「織田信長」を読んでしまったそうだ。そのかわり球場にはだれよりも早くきた。五時集合なのに愛用のベンツが着いたのはまだ四時半。中古に百五十万円を出したというだけあって、この五八年型ベンツはなかなか快適らしい。「実によく動く。オレもプロ入り十年目になるが、いつもこうありたいと思っている」笑いながらマウンドへとび出していった小野の表情はゲームが終ってから少しも変っていなかった。「巨人は強い、という先入観を捨ててマウンドにあがった。とにかく思い切って投げたよ。一回にバックが5点もとってくれたのでもっと逃げのピッチングをしてもよかったのだが、あくまで向かっていったんだ」大きなカーブを使わず、速球とスライダーで押したった。しかし八回に王、長島を歩かせてマウンドをおりたことについては、それほど残念がってはいなかった。「オレは決してONに負けたとは思っていない。風をみたらホームラン風だし、あの二人には徹底的に低め低めをついた。それがちょっとはずれて四球になっただけなんだ。正直にいって勝敗よりも自分の力の限界を巨人にぶっつけてやるようなつもりで投げたんだ。巨人に勝てるなんてほんとにめっけものさ」確かにそうかもしれない。小野はもともと投手ではなかった。福島県磐城高時代には打率六割近くを維持した四番打者。ノンプロ清峰伸銅時代も一塁手として一年目四割、二年目三割をマークした打者だった。「右でも左でもねらったところを抜いたものさ」とはいまでも小野の自慢のタネ。投手に転向した理由は「打てなくなったから、しかたなく」だった。しかもプロ入り(毎日)するまでの投手成績は二試合で1勝1敗。当時の別当監督(現評論家)が誘っていなければ、いまごろどうなっていたかわからない。大きなタオルを汗でふきながらロッカーへはいろうとすると、前日の殊勲者森から握手の手を差し出された。「ありがとう」小野もすぐ手を差し出したが、森は二本の指しかにぎってくれなかった。「こんど完投で巨人に勝ったらがっちりにぎってやるよ」森の申し入れに大きくうなずいた。
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