プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

日下正勝

2017-10-21 18:50:39 | 日記
1975年

華やかなプロ野球から、ことしも四十五人のコーチ、選手が静かに身を引いた。しかし、就職先も決まらないまま年を越すベテラン選手など、不況の風は失業者にひときわ冷たい。大洋の日下正勝さん(31)もその一人。妻と長男(四つ)長女(一つ)の四人家族。「今季は一度も一軍にあがることができなかった。あと一年やっても先が見えている」と退団を申し出たのが十一月末。球団も別に引き止めなかった。三十六年、東北高二年のときに夏の甲子園に出場。巧打を買われて卒業と同時に大洋に入団。三年間は守備、代走で数試合に出ただけ。四年目に代打として初めて打席に立った。この年は11打数で3安打。「これから」と思った矢先、太り過ぎて足に肉離れ。それからはケガとの闘いだった。一軍を行ったり来たりし、十三年間のプロ生活で残した戦績は435打数94安打、本塁打は2本。しかし、再就職のアテは何もなかった。とりあえずアルバイトニュースで見つけた築地の卸商に、一時間五百円で雇われた。午前六時から正午まで、野菜を積んだ荷車を運ぶ。「野球をやっていたときには考えれないつらい生活だ。でも野球をのぞいたら力仕事しか残らない」と別に落胆している様子はない。「実力があればあるだけの金をとれる」球界とはいえ、いわば一文無しで放りだされた彼の口から、うらみがましい声は最後まで聞かれなかった。西田(中日)宮崎(阪神)鬼頭、森中(大洋)伊藤、三浦(太平洋)東条、土屋(ロッテ)大塚(南海)らも整理された三十代組だ。森中はテレビ解説者。三浦はスカウトへとこれまでの経験を生かすが、あとは商店、スナック経営と野球とは全く別の人生を歩く。若手では野球人生とすっかり縁を切って(アマチュア選手として再登録は不能)大学進学を目指すのが目立つ。尾藤(20)=阪神、今増(19)=阪急、恒村(20)西村(21)=巨人=らで、来年の受験を控え辞書と首っぴきだ。また第二のジャンボ尾崎を目ざして氏家(中日)中村(巨人)阪口(太平洋)らがゴルファーに転身、特訓中だ。東条(ロッテ)竹口(日本ハム)らが他球団のテストを希望しているが、残りの約十五人は未定といった状況になっている。

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