プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

内山憲一

2017-08-05 22:39:54 | 日記
1985年

ネット裏には、プロ球団のスカウトがズラリと並んだ。もちろんお目当ては佐波農の笠原投手、前半、笠原の快投にだけ視線を注いでいた一群が「おやっ」とばかりに伊勢崎商のマウンドを見やるようになったのは、五回ころからだった。切れのいいカーブとスライダー、伸びのある速球で佐波農打線を寄せつけなかった内山にもスカウトの目が注がれた。それだけこの日の内山は素晴らしかった。八回二死まではノーヒットピッチング。スライダーと内外角低めの直球でストライクをかせぎ、勝負どころではタテに大きく割れるカーブをうまく使った。九回からは木村にマウンドを譲ったが、打者24人に対して被安打1、奪三振4、死四球7という内容。「制球が悪かったのでかえって打ちづらかったのでは・・・」と内山。笠原との投げ合いにも「向こうの方が格段上なので気楽に投げました」ノーヒットノーランを続けていたことは「知っていた」という内山だが「過去二回、最終回で安打を打たれたので、今日もいつか打たれると思っていた」と、サバサバしたもの。田中の不運な安打で大魚は逃したが「全然悔いはありません」。九回を投げてのノーヒットノーランは、戦後六人。3回戦以降では一度も記録がない。将来の目標は「プロ行き」とキッパリ。父親の和己さん(45)は、かつて中日に籍を置いた投手。「ぼくも中日が好き」とカエルの子は笑ってみせた。

ヤクルト3位・内山憲一投手 ヤクルト版巨人の星だ。父親・和己氏(46)=会社員=は元中日の投手。しかし、一軍の実績はゼロ。志半ばで退団したあと、わが子に自分に果たせなかった夢を託し、物心つくと同時に英才教育をほどこしてきた。内山が一歳十か月のとき、夫人は交通事故で亡くなったが、その後再婚することもなく、内山をプロ選手にするためだけ命をかけてきた。
『野球』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 石田芳雄 | トップ | 服部裕昭 »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。