プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

李源国

2016-12-04 18:44:57 | 日記
1966年

東京入りの韓国ソウル中央高の李源国投手(18)=1㍍85、82㌔、右投右打、三年中退=は、二十四日午後四時十三分羽田着の日航機で来日、同四時半から空港特別控え室で正式に入団発表された。同投手は速球を武器とする本格派で、韓国高校球界№1.実業団でもちょっと歯がたたないといわれている。背番号29、日本での呼び方は源国(げん・こく)投手に統一された。二十五日午前十時半から東京球場でファームの選手といっしょに初練習する。なお李投手は外人扱いとなるため、東京の外人選手はパリスを入れて二人のワクいっぱいになった。

日航機が滑走路にはいってくると、同投手をスカウトした永田オーナーは待ちきれずに税関の中まではいって出迎えた。白の半ソデ開きんシャツに国民服の青のズボン、学生帽、白のズックぐつと、いかにも高校生らしい言葉なスタイル。日本語が全然話さないため、胸には、すぐわかるようにと、チーム・プレートをつけていた。「上流家庭のすえっ子らしい」という永田オーナーの言葉がピッタリ。「生まれて初めてオレがスカウトした選手だ。しっかりがんばってくれよ」と同オーナーから肩をたたかれたときには「わかりました」と童顔をほころばせていた。空港特別待合室で記者会見のあと、午後六時、東京スタジアムで田丸監督以下コーチ、ナインにあいさつ、対阪急戦を途中まで見学してから、東京・杉並区高円寺南のオリオンズ合宿に落ち着いた。首脳陣は「なで肩のところがいかにも投手らしい。楽しみだ」と初対面の印象を語っていた。

ー日本のプロ野球はどのくらい知っているか?「スポーツ雑誌などでよく読んでいる。好きな選手は金田、張本、長島。中学三年のころからあこがれていた。昨年白選手(東映)が帰国したときにも、いろいろと教えてもらった」
ー韓国の野球熱はどうか?
「日本よりはじみだが、野球をやっている高校生などはみんな日本のプロ野球にきたがっている。だからぼくなどたいへんうらやましがられた」
ー日本にくることについて、家族はみんな賛成してくれたか?
「喜んで出してくれた。永田会長の話がなくても、もと南海の金彦さんや、韓国にいる巨人関係の人が日本へ紹介してやるといっていたので、なんとかきたかった」
ー武器とする球は?
「速球は向こうでかなり評判が高かった。変化球はシュートとドロップくらいだ」
ーすぐに全力投球できるか?
「渡航手続きなどで忙しく、ここ一ケ月くらいピッチングはやっていなかった。ランニングだけは欠かさなかったので、あと一ケ月もすれば完調になると思う。とにかく日本でみっちり勉強したい」
ー目標は?
「少しでも早くマウンドに上がりたい。夢中でやるだけです。張本さんとはチームが違うから勝負することになるが、それがいまから楽しみです」

永田オーナー「李の東京入りは日韓親善の役割りをはたすことにもなるのだから、大いにがんばってもらいたい。とにかく球が速い。それにおしりに肉がでっぷりついているのもたのもしい。スポーツ選手はおしりが大きくなければいかんよ、キミ」

小山コーチ「まだピッチングをみたわけではないので、なんともいえんが、なで肩をしたからだつきが気にいった。足が速い(百㍍11秒4)らしいが、それもひとつの魅力だ」

李源国(リ・ゲンコク) 1948年5月10日ソウル市生まれ、中央中から一昨年中央高へ。その年のソウル市秋季高校野球大会で対培文商戦でノーヒット・ノーラン試合をマーク、全国高校野球選抜チームの代表投手に選ばれた。高校二年の昨年は全国地区別招請高校野球選手権大会で優勝、韓国野球六十年史で初の三振奪取新記録(四試合合計58)を樹立。決勝戦では17三振を奪った。ことしは全国学従体育大会で優勝した。三人兄姉の末っ子で、父親は三和通商会長。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石戸四六 | トップ | 大石清 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事