プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

石川陽造

2016-09-19 16:28:52 | 日記
1965年

ダルマ石川にはこんなニックネームがある。コロコロと太り手足があるかないのかわからないというところからつけられた。しかし、こんな感じとは逆に、東映一の器用ものだ。休みにはアパートの手すりのペンキを塗りかえたり家宝という十万円以上もするステレオをいじくりまわしたり、想像もつかない一面をもっている。それだけに神経質なのも人一倍。昨年七月十六日の東京戦で5勝目をあげて以来右ヒジの故障で、これまで勝ち星から遠ざかっていた。一時は再起不能とまでいわれ、別府の帯刀治療所に入院したときなどは、いっそのこと死んでしまった方がいいとまで思いつめたそうだ。今春のキャンプでは、まだ右ヒジがくの字に曲がって満足にボールが投げられず「おれはもうだめだ」こんなうわごとを何度もいっていたという。そんな状態なので練習にも熱がはいらず、これまで九試合に登板して2敗。しかも六回以上投げたことがないというみじめな成績で一軍と二軍を往復。ねむれぬ夜も何日かあったらしい。そのたびに近所に住んでいる義兄の荒井スカウト(東映)宅を訪問。「右ヒジを手術するんだ」何度もダダをこねては同スカウトを困らせた。このヒジの痛みをおしての1勝だけに、これ以上笑うところがないような顔だった。「ほんとうにホッとしました。二軍で練習していてもヒジがいうことをきかず、練習がつまらなくてさぼりがちだった」ため息まじりにいったことは、やはりヒジのことが一番だった。わずか四回三分の二だが、勝ったことより投げられるようになったという喜びの方が大きかったようだ。田中久、玉造に打たれた安打のことなどこれっぽっちもでてこない。「投げられるという見通しがついたことだけでも大きな収穫」同じことを何度もくりかえした。「ストレートはたったの五球。あとは全部シュート」ヒジに負担のかかる変化球を多投して痛みがこなかったのもうれしさに輪をかけたようだ。故障中はずっと東京・田村町クリニックでオゾン治療を受け、レントゲン検査を何度も受けている。そのたびに「君の右ヒジの骨は、とんがっているから痛むんだ」とラク印を押されていたのが自分でも信じられないようだった。この日の登板をきいて荒井スカウト夫妻、由紀子夫人が心配してちゃんと球場まで迎えに来ていた。
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