プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

宮原務本

2016-11-05 20:42:32 | 日記
1962年

宮原は報道陣に囲まれてポッと顔が赤くなった。「やっと出ました」いかにも肩の荷がおりたという感じでフーッと息をはく。「打ったのはインローです。もう思い切って振りましたよ」六回無死満塁に一塁線二塁打の勝ち越し打をはなったバットをなでながらこう説明した。「子供のときに痛めた右ヒザが昨年十二月に開花して、ことしのキャンプはろくろく練習できなかった。それがいままで持ち越して、まだ満足な練習をしていないんですよ。きょうの代打も今シーズン七度目。やっと初安打です。やはり気持ちがいいですね」昨年も代打男として鳴らした宮原がようやく本領発揮というわけ。「試合前のフリー・バッティングで三本しか打ってない。先輩がたくさんいるし、ぼくの出る幕はないと思っていたが・・・。監督さんが勝負強さを買った?いやそれはどうですかね(笑い)」細い目がいっそう細くなった「カウント2-2になったときおやじさん(水原監督)からバットを短めに持てと指示された。内角一本やりで攻められたのでぼくもそうしようと思っていたやさきだった」コーチス・ボックスの水原監督とイキがピッタリ合った。代打の功績を買われ昨年の背番号57を25に昇格?してもらった。「おやじさんのおかげです。あまり若い番号だと重荷になりますから、このへんがぼくには適当ですよ」もっとも年棒の方は若い(十九歳)からとかたづけられて思ったより上がらなかったという。無名の長生一高(千葉県)からはいって二年目。昨年は千葉県茂原市で学校の先生をしているお母さんの一枝さん(47)から小づかいをせびっていた。「もうことしからそんなことはしませんよ。これをきっかけにどんどん打って来年は大いに昇給してもらおう」ヒマなときは東京飯田橋病院にかよって、右ヒザの治療をしている宮原のいまの悩みは「練習をたくさんできない」ことだそうだ。
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