プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渋谷誠司

2016-12-04 12:07:22 | 日記
1966年

気はやさしくて力持ち、大きなからだに似ずキモッ玉が小さい。渋谷はそんな男だ。だから好調のときはびっくりするような速球を投げながらも、四球で自滅する。この夜も最終回にあやうくそうなるところだった。「もう胸がドキドキしちゃってね。走者を出したらいかん、いかんと思って、腕がちぢんじゃった。ストライクをとるのがやっとだったね」九回一死一、二塁でONを料理できたのは、もうやけっぱちの気持ちだった。「王のときは打たれてもともとと思い、ど真ん中に直球を投げた。中飛も真ん中の直球。つまっていたからはいるとは思わなかったね」終わってみればそういえるものの、マウンドにいたときの渋谷は血の気がひいていた。一球一球にスタンドがわく。産経ファンのはずの三塁側まで渋谷をやじる。まさに四面楚歌の渋谷。マウンドからなんども泣きだしそうな顔でベンチを見た。長島を迎えたとき飯田監督、中原コーチは岡本捕手を呼んだ。村田はブルペンで仕上がっている。渋谷は「代えられるとは思わなかった」というが、飯田監督は「長島を出したらかえよう」と岡本に耳打ちしている。「シブは気が弱いから、あまりしっかりしっかりというと、かえって堅くなると思ってね」という飯田監督のこまかい心づかいだった。緊張からとき放されて、流れ出る汗、赤みをおびてくる顔に、自然とひとなつっこい笑いがこみあげてくる。「きょうは自分でもおどろくほどコントロールがよかった。前半はスピードもあったし、カーブが思うところへきまった。王の2三振?タイミングをはずそうとは考えたけど、むしろ王の方のタイミングが狂っていたようだ」試合前には、飯田監督におこられた。練習で一塁手をやっていた渋谷は、佐藤の送球を右側ヒタイに受けた。三日前から先発をいい渡されていた渋谷は、何度もグローブをたたきつけてくやしがった。これでせっかくの先発がフイになったら、と思ったのだろう。ロッカーで新井トレーナーにだいじょうぶといわれてホッとした飯田監督は「いつも投手は内野を守ってはいけないといってあるのに、不注意だ」とおこったわけだ。先発OKとわかり渋谷は氷のうでオデコを冷やしながらにが笑い。「エッ?頭にボールがぶつかってコントロールがよくなった?ひどいことをいう」ひやかす飯田監督も渋谷も、もう試合前のことを笑い話にするほどしあわせいっぱいな顔だった。

渋谷のピッチングは、完ぺきだった。なによりよかった球はストレート。押えがきいてのびがあり、コントロールも絶妙。このストレートを中心にグイグイ押した。しかも最後まで球威は落ちなかった。打者を追い込んでからの勝負球に、こののびのある速球を多く使ったのは、成功の原因だ。王を二度三振に打ちとったのも、いずれもカーブで第一ストライクをとり、あとはこの速球で決めた。さすがに渋谷も九回には疲れを見せ、一死後柴田の安打、土井の四球で、つぎは王、長島と一打逆転のピンチに立ったが、王にはストレート、長島にはシュートで勝負、みごと完封勝ちをなしとげた。この回のトップ柳田に対し0-3から三振にとることができたのはみごと。球の押えがきく日はコントロールがいいもので、四球はわずかに二個。この絶妙のコントロールが好投のもうひとつの原因でもあった。 別当薫

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