プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

菱川章

2018-02-03 23:18:40 | 日記
1967年

スタンドをどよめかせて飛んだ中日六本のアーチ。その中でひときわ光ったのが菱川の満塁ホーマーだ。高橋一の内角ストレートを力強いスイングで左翼席にたたき込んだ。「なんともいえないいい気持ちだった。コースは低めのストレート。ちょっとつまった感じだった。だけど打った瞬間はいると思った」つまりながらも本塁打するところに菱川の怪力といわれるゆえんがある。「ボクは練習のときでも、つまり気味ではいるんですよ」と自分の力に絶対の自信を持っているようだ。浅黒い顔に大粒の汗。少し伸びた茶色い無精ヒゲがいちだんと精カンさを増す。183㌢、85㌔の巨体が報道陣を見おろす。5打席3三振、無安打というのが昨年の打撃成績。それが前夜に続き2打席連続本塁打した。この突然変異に菱川自身もびっくりしたようだ。「二球めにいいタマがきたら振ってやろうと待っていた。別にストレートにヤマを張ったわけではないんです。2ストライクを取られたら打てなくなるから・・・」と説明した。この積極的な打撃がセ・リーグ今季二本めの満塁本塁打につながった。四十年に球界を騒がせて中日入り。しかしプロの壁は厚く、なかなか芽が出なかった。「なまいきだ、根性がない」などと陰口をたたかれたが、これも裏をかえせば現代的ということか。倉敷工時代、高橋一(北川工)とはライバル同士だったが、高橋一の方が先に名が売れた。高橋一にたいするときは強い闘志がわくらしい。豪快なパンチ力はプロ野球のあすのヒーローになる素質はじゅうぶんだ。
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三好守

2018-02-03 22:34:44 | 日記
1967年

三好が4打数4安打と大当たりした。第一打席の一、二塁間安打は二盗のあと先制点につながったし、第二打席のバントヒットはやはり加点機をつくる足場になった。第三打席は右翼本塁打。この一発は実質的に勝利を呼ぶ貴重なアーチであった。第四打席は左中間二塁打。長打あり、バントヒットあり、方向も左と右と実にいろいろな打ち方をみせたものだ。前夜の試合でも四回にバント安打で板東のペースをくずし、先制点の突破口をつくり、七回はダメ押しの適時打を放っている。前試合からはこれで通算5打席連続安打。「打撃開眼ですねえ」。マイクを突きつけられた三好はテレた。「いやあ、ボールのほうがバットに当たってくれるんですよ」しかし過去の4打数4安打はよくおぼえていた。「昨年東京戦で坂井さんから打ったことがありますから、これで二度めです」。ホームランのタマは「じぶんではストレートと思ったが、みんなはスライダーというからスライダーでしょう」。三好の守備力と脚力には定評がある。中西監督も「これだけでゼニになる」と高く評価しているが、打撃面でこれだけの働きをしてくれれば、まさに言うことなしだろう。「この前から左へ打てるようになってきたのは、重心がうしろに残るようになってきた証拠。この調子でいってくれれば貴重な戦力だ」中西監督は、この夜の働きよりも、これからの成長を期待している口ぶりである。
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横田斉夫

2018-02-03 22:06:45 | 日記
1959年

投手力は弱いが打力は県下一。ホームラン打者横田一塁手を中心とする三番増山、五番鍛冶のクリンアップトリオは一発長打の破壊力をもち県下高校球界のミサイル打線である。とくに横田はさる六月十四日県公認球場である高岡本丸球場の交歓試合富商戦で三打席連続ホーマー、次の対魚津戦でもホーマーを放ったのをはじめ、ことしに入り七本のサーキットを記録、また二十四試合で九十一打数四十安打、四割三分七厘の高打率をあげ豪快な打棒を振っている。他校投手陣が彼を徹底的にマークしているのにもかかわらずこれだけの高打率をあげているのはやはり努力と研究を続けているためだろう。
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ロング

2018-02-03 21:41:30 | 日記
1953年

西鉄が投手として契約した米陸軍のアル・ロング選手は十四日午後香椎球場での西鉄の練習に参加した。同選手は米国ミズリー州スプリングフィールド市出身、二十二歳、1949年ヤンキースのファーム・チーム(A級)で九勝三敗、1951年ウエスターン・リーグ(A級)のオマハ・カーディナルスで十四勝零敗の好成績を挙げている。体重195ポンド、身長六ツイート、二インチ、右投手で、背番号は51番、西鉄とは今シーズン末まで契約を結んでいる。
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石井輝比古

2018-02-03 20:29:43 | 日記
1967年

荒さは残っているが、打撃のチーム。三番井上を軸にしたクリーンアップと八番深町のパンチは強い。卜部、北島の一、二番コンビの出塁率が高くなれば、得点力も増加する。投手陣は、長身、本格派の石井と吉武。力に差がないので、相手によって二人を使い分けている。県大会をめざしているが、一発勝負に弱いのが気がかり。
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関根知雄

2018-02-03 20:01:12 | 日記
1965年

家庭をもっていない若手選手は、ほとんど故郷で親兄弟と家族水入らずの正月気分を味わっているが、中には正月返上で、「とにかく第一線に出なければプロ野球に飛び込んだかいがない」という選手もいる。大洋の関根などもその一人だ。ノンプロサッポロビール当時は、遊撃の定位置を確保し、暴れまくっただけに、過去2年間の泣かず飛ばずがなにより悔しいらしい。「3年目もファーム暮らしでは落ち着かないです。ことしこそは一軍で」と、ことしにすべてを賭けている。昨年の師走の特訓では連日、マシン相手に150本平均打ちまくり、手首に頼りすぎたバッティングから、腰や肩の全体のバランスを使って打つ練習をつづけた。現在は銚子市愛宕町の自宅から、2キロほど離れた犬吠海岸で、砂浜のダッシュ練習、ランニングが日課。体重も昨年の春当時から比べて、2キロ重い70キロまであがって体調は日増しによくなっている。「特訓のお陰で守備でも、取る瞬間のグローブ・ワークやゴロに対して最後まで追っかける執着心がついたような気がする。ライバルは、ことしこそ近藤昭さんに挑戦したい」と、ファイトむき出しだ。この彼を岩本コーチは、こう評している。「関根は強いリスト・ワークがある。これに頼りすぎてはいけないが、このリストを生かしたバッティングをやればおもしろい。守備の上達も素晴らしい。ことしは楽しみだ」昨年イースタンでは、打点第2位(31点)とチャンスに強いバッティングを見せた。長打力(ホームラン5)もあり近藤昭とのせり合いは、けだしみものであろう。
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古井紘司

2018-02-03 19:50:47 | 日記
1965年

昨年まで投手としてやってきた古井君は、ことしから背広で球団事務所でペンをとることになった。ノンプロ時代銀行屋さん(富山)だった古井君だが、「まだネクタイが首をしめつけるみたいで」と、それでも新しい仕事で再スタートした。「現役時代に教えられた根性で仕事に打ち込みます」先輩の尾崎氏が、ことしからスカウト兼務とあって、古井君は忙しくなるだろう。
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山林明雄

2018-02-03 19:11:08 | 日記
1971年

プロ野球セ・リーグの大洋ホエールズからドラフト会議八位に指名されていた福井工大四年、山林明雄投手(22)=福井市日光町、大阪市出身=は十七日、大洋に入団した。

同投手は、この日午前十一時半市内中央一丁目のフクイグランドホテルで、来福中の大洋球団スカウト、高松延次氏と会い、大阪市から駆けつけた父親の友明さん(62)立ち会いのもと、契約書にサインした。学生服姿の山林投手はサインを終えたあと「よろしくお願いします」と、ほおを紅潮させながら高松スカウトと握手。「期待しているのだからがんばれよ」との激励に元気な声で「ハイ」を繰り返していた。同投手は、大阪市東住吉区の区立加美中から福井高に入学、高校時代は、これといった成績はあげられなかったが四十三年春、福井工大に入学すると同時にエースで四番打者として活躍、全国大学野球選手権には中部地区代表として四度出場、二年と三年のとき、神宮球場の芝生席に二本のホームランを打ち込んで、打者としても注目された。身長176㌢、体重72㌔、大阪市で町工場を経営する両親とも健在で、五人兄弟の末っ子。なお、同投手は一月十五日からの多摩川での自主トレーニングに参加、二月一日から行われる静岡・草薙球場でのキャンプに加わる予定。

山林投手の話 子供のときからプロ野球にあこがれていただけにうれしさがいっぱいです。それもセ・リーグの優勝を争うチームにはいれただけに、なおさらです。プロでは自分の実力がどの程度か判断出来ないが、球団の人たちからまだまだ伸びる可能性があるといわれたので、期待を裏切らないよう、全力でぶつかります。

高松スカウトの話 山林君はまじめな選手で、リストが柔らかく使い方もうまい。大学生といっても、まだ体力は伸び盛りなので、将来性は十分。とりあえず貴重な左投手として育てるのが球団の方針です。

父親・友明さんの話 本人がプロでやりたいといってきたので、意思通りにさせた。すでに東京・熊谷組に就職が内定していたのですが、きのう(十六日)上京してお断りしてきた。迷惑をかけたみなさんや福井高ー福井工大を通じて声援してくださった県内のファンの方のためにもがんばってほしい。
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七森由康

2018-02-03 18:17:59 | 日記
1964年

中堅から吹きつけるハダ寒い風を背負って投げ込む安仁屋の速球とスライダーに、巨人は、三回まで王の三塁線内野安打一本だけ。しかし、四回、長島、王ともに内野ゴロに倒れた二死後、この逆風を突き破って坂崎が低めのスライダーを豪快にバック・スクリーンにたたき込んで先行。さらに六回には、一死後長島が遊撃右をゴロで破り、こんどは王が内角球を右翼席いっぱいに54号の2ラン本塁打をたたき込んだ。王の本塁打は9試合ぶり。七森は、スピードはともかく、大きくまがるカーブと鋭く切れるカーブの二種類をうまく使いわけ広島を2安打に封じ、プロ入り初完封に押え切った。なお広島は両リーグを通じ、トップで全日程を終了。
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長南恒夫

2018-02-03 17:37:06 | 日記
1969年

今年十八勝四十四敗二分け(勝率二割九分)という不振の成績で最下位に終わった東映の若手組には、当然ながら師走の風がひとしきり冷たい。大部分の選手が契約を更改したが、二十五パーセントと規定最高ダウンを喫した尾崎(防御率1・37でイースタン1位)を筆頭に軒並みダウンか現状維持組ばかり、終盤戦、一軍入りして五割近い打率を上げ、イースタンでも打率二割八分五厘(四位)をマーク、優秀選手になった後原一人が昇給組。「一生懸命やったけどアップの材料が何もないんじゃ仕様がないですよ」と、殆どの選手は諦め顔。若手組のうち、元広島カープ長持栄吉氏のオイの長持投手(テスト生)が「野球に自信がなくなった」といち早く任意引退選手となり、今季三ホーマーを飛ばした八年生の長南もとうとう引退、今後は東映興業のサラリーマンとして再出発することになってナインのムードも沈滞する一方。「来年あたり、チームもどんどん勝って気勢を上げたいですよ」とナインの気持ちはわかる。
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大沢勇

2018-02-03 17:27:33 | 日記
1965年

近鉄に大沢という名前の投手がいることを知っている人は少ないだろう。日川高を出てことしでプロ入り3年目。ところがファームの試合にも、ろくすっぽ登板したことがない。籍だけは一軍に置いているが、打撃練習専用のバッティング投手。大沢自身の言葉を借りれば「オレはピッチング・マシンだよ」ということになる。この大沢が昨年暮の契約時から、ガ然ハッスルしはじめた。巨人では長島のお相手をつとめるバッティング投手でも、10万円くらいのサラリーをもらっていると聞いたからだ。「同じピッチング・マシンでも、大違いだね。わが身をかえりみて寂しくなったよ」とぼやいていたが、そのうちに「ようし、それならオレも一人前の投手になってみせる。近鉄では、いつまでたってもピッチング・マシンで、10万円ももらえるはずがない。給料は横バイだったし、ことしこそ、正真正銘の一軍選手になってみせる。もうピッチング・マシンはごめんだ」大沢は奮起して正月にも故郷へ帰らず、合宿に残って黙々とトレーニングをつづけた。スピードがない。力強さが足りないー大沢に対する評価は、決して甘くない。だが大沢がここまで思いつめ、新しい手にすべてをかけた決意のほどを知れば、人情としてもピッチング・マシンから一人前の投手に成長してもらいたいと思うのが当たり前だろう。
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