南風桃子ブログ~詩とか二胡♪とか(^o^) (※南風桃子詩集「うずら」をお求めの方は左ブックマークからどうぞ!)

⭐️詩と二胡のユルい話が大半で。どうも万人向けカテゴリーではなさそうな所がチャームポイントです💚 ※リンクフリーですわ

しくじり先生から立ち上がる…的な。

2016年08月29日 | 日記
イメージのカン違いってありますよね。
コピーライター時代、出入りの業者さんに言われたことがあります。

「ウチにこないかね? あなたは物怖じしないし」

あのー私、自分でいうのも何ですが、ものおじの塊なんですけど…

大手広告代理店の営業のおぢさまが、
「あなたはもっと言いたいことがあると思う。
なんでもっと出してこないんだ」的なセリフに続けて
「それじゃ、フグのお母さんみたいだろ」

あのー、フグのお母さんってなんなんですか!?
女性を敵に回すようなセリフをかましてどうするんですか?(怒)
それに、別に言いたいことなんてないんですが…いやマジで。
それとも潜在能力への期待感が交錯したうえでの暴言すか?ええ?

また、別の広告会社でバイトをしているとき上の人が
「生活にはお金がいるだろう?うちでプランナーにならないか。
バイト形態ではもう雇えないから辞めてもらいたい」的な。

こんなことは枚挙にいとまがないです…決して自慢ではありません。
もう皆さん、どんだけ私を買い被っていらっしゃったんで…
本当にどうもすみません、期待にこたえられなくて…って感じでした。

それだけではありません。
ああ、やっぱり違ってた…と思われた時の悲しみと屈辱…

アンタが勝手に思い込んだんだろうが!!

みたいな~(泣)

この際だから予防線はっておきますが、私、二胡も詩もヘタですわ。
脳内に響き渡るイメージの半分ぐらい出せているか出せていないか…ぐらいかなあ。
そこんとこどうぞよろしくね╭( ・ㅂ・)و ̑̑  みたいな

最近では、どんだけビクビクしていても
本番に強いからだいじょうぶですよ~♪と軽く言われてみたりとか。

こんなにビクビク生きるぐらいなら、めんどくさがらずに
私はもっと、社会人としていわゆるスキルアップとかいうやつを
しなくてはいけなかったのではなかろうか。

でも、もうおそいかしら~?( ̄~ ̄)ん~

とりあえず、失業保険もらっているあいだにパソコン教室いってこようと思います。
見てもなんのタメにもならないパソコン教室がらみの記事です。
ついでに私のしくじり先生的な別記事はこちら。読んで暗くならないようにしてくださいね♡

ずいぶん前に取得した、表計算とワードの3級ぐらいは持っていますが、
今では線一本ひくのも怪しいっていうか…
もともとそんなに興味がなかったもので、すぐ忘れてしまって
前の職場ではパソコンがらみのことは苦悩しながら逃げ回っていたかんじ。

画像の貼りつけとか保存とかデジカメの扱いとか、そのあたりのことは
よく分からなくて気分が悪くなりました。
あと、エクセルに報告書みたいなのを打ち込まないといけないときも
気分がすぐれませんでした。

また、関数を上手に操れませんでしたので、
人力エクセルと称して電卓をたたいて数字を入力したりとか
そんな(爆)なこともありました。
職場の人には「エクセルを人力入力した」と言って、そこそこウケました。
それからです。自分のなかで「じんりき入力」という単語が流行ったのは…。

必要に応じてしぶしぶやっているうちに、最低限のことはできるようになりましたが
アグレッシブに技能UPすることはついぞありませんでした。

そんなパソコン技能ですが、これから茶館開業の夢に向かうにせよ
二胡のもぐり講師をめざすにせよ、パソコンはいるかもしれんなーと思い、
ほれ、ショップカードや名刺を作ったりとか店内チラシを作ったりとか!
そんな、希望あふれるパソコンを3か月ぐらいタダで通えるチャーンス
なので行ってきます。選考に受かれば。

どうも、矢のような就職あっせんがあるようなので
またどっか勤めることもなきにしもあらずかもしれませんが、
二胡と茶館だけは、ついでに一般大衆に愛される詩人になりたい夢は
心に秘めて(って思い切りブログにかいとりますが)生きていきたいと思います。

まあ、今生でかなわなくとも来世もあるさ。
でもなるべく、できるだけ、上記のことに取り組んでいって実現させていきたいものです。
勝算はあるかないか分かりません。
政治力(?)や交際力にいまひとつ自信がないからです。
商才だってあるかないか分かりません。

今まで「自分はこの分野の仕事を自信をもってやりとげた。
だからこの分野はどうぞ私におまかせください!」的なものは全然なくて、
自信がいまひとつどころか二つも三つもないわけで…。

履歴書を書くときも(この世に履歴書とかなければいいのに!
もしくは、履歴書屋さんが書いてくれればいいのに!)
見る人が見たら、この人は何にもできないんだろうな。
この人、いったい何をしてきたのだろう(中原中也の詩みたいにちょっとおセンチですね)
と思われるんだろうな、見下されちゃったりするんだろうな…(泣)と思うと
ちょっくらうすら寒い気分になったりもしますが、
もう、いちいち気にしてなんかいられません。

ビバ私!!
応援してくれた人たちに恩返しだってしたい。
同じような立場の人の励みにもなりたい。
この世は一種の幻とはいえ、いろいろ真摯に求めるのが流儀だと思うからです。

昔の人がこんな見事な一句をのべています。

浜までは海女も蓑着る時雨かな

ええと、読めますかね?

はま までは あまも みのきる しぐれ かな

これを覚えておくと自分を励ませると同時に
「この人、なんか悟りみたいなのを開いているかも…」
と世間の人に思われてちょっぴりお得(オイ)かもしれないので、
なかなかオススメの一句です(^^)
興味のある方は、ひとつググッて背景をしらべてみてください。

全国の私みたいな人、こんな感じで(どんな感じかよく分からないけど)
一緒にがんばっていきましょう!!(^_-)-☆ 
心から応援しています!!

「大分県詩人協会会報№143」に掲載されました!

2016年08月28日 | 「うずら」の書評
<書評じんりき入力コーナー>について

現代詩の書評が一般の方々の目に触れることは、ほとんどないのではないかと思われます。
ここに、関係個所を抜粋して入力させていただきました。
名付けて「じんりき入力」です(^^)

今回は「大分県詩人協会会報 №143」の大分県の詩活動―――この一年
に掲載されたもので、
会長の長谷目源太さまが書評をくださいました。どうもありがとうございますm(__)m

<書評じんりき入力コーナー③>

~以下引用~

『うずら』南風桃子詩集('15・3 空とぶキリン社)
 詩集に冠した名の鳥、キジ科のウズラ。一部に通年飼育されたりするが、冬季、関東以北の地から温帯の九州へと渡りを繰りかえす。そのイメージは丸くて、悲しいほどに明るい。だが、この詩集が紡ぐことばの世界は柔らかくて、そして峻烈だ。巻頭「うずらの詩」で「むれる ぎんが/ひとりの しりうす/いちは(ママ)の うずら」と、この鳥の生存を、わが人生の実在へと重畳させつつ「ことばにしたくてたまらないコトバになる前の感覚」表現の媒介たらんことを仮託・意図しておるようなのである。

~引用終り~


大分県詩人協会の方より書評を頂戴することができ、とても嬉しく思っています。
地元で取り上げられました唯一のものです。

※関係者の方々にお願いがあります。こうした形で掲載不可の場合は
お手数ですが、メッセージ欄から当方までご連絡いただけますでしょうか?
パソコンがこわれていない限りすぐに対応したいと思います。
どうぞよろしくお願い申しあげますm(__)m

昨日は書かなかったわ~ま、いいか♪

2016年08月27日 | 日記
パソコン教室(まだ入れてもらえるかどうか分からないんですけど)が始まるまでは、
毎日ブログってみよう!!と思っていたのですが、昨日はちょっと一休みしました。

私は、こんな感じのゆるいブログ記事でしたらネタ切れすることなく
24時間書き続けられるぐらいですけれど、ダメなときがあります。それは

眠くなったときです。

昨日はもう、眠くなりました。
暑い中、真っ赤なポルシェをこいでハロワに行って、パソコン教室の申込書を提出し、
その足で申込書を持って、パソコンの学校へ…

疲れたです。
体重も何百グラムか落ちていました。まあ、これはいいことですが…

そして、人々とのやりとりに疲れました。

絶対に期間内に就職してもらうがそれでよいか?

と、尋ねてくるわけですよ。ぷち脅迫っぽいですよね。

正直モンの私は、この世に絶対なんてない、そんな約束はできない、
と言いたいところですが、こういう風に返すのが精いっぱいです。

「そりゃ、就職できるにこしたことはありませんがね…
絶対、といわれますとお約束はいたしかねますが…」

「ま、それに向かって、がんばっていただくということです!!」

「あ~はい。それでしたら…」

みたいな会話が繰り広げられるわけです。

昔と違って、失業保険周りも何だか厳しくなっているなーって感じです。
一億総活躍、とか国家の財政とかの加減なんでしょうかねえ?

ただでさえ保険の切り替えや、その他もろもろ提出書類の山で、
変化がキライ(そんなことでどうする!変化を恐れてはダメだ!!の変化じゃなくて~)
な私には、しんどいことだらけです。
まあ外国で戦闘地帯に放り込まれるより楽なことは重々承知しておりますが…

いずれにせよ、こういうやりとりは超絶疲れる感じです。
タダでは便宜ははからぬってところでしょうかねえ…( ̄~ ̄)
まあ、そりゃそうだろうなあ、と一定の理解はしておりますが。

こんな感じで、人々は世の中に慣れていくのでしょうか。
世の中に慣れたころには卒業…( ̄~ ̄)? はたまた慣れないまま卒業…?

この年になっても、まだまだ不安だらけだったりするわけですが
若い頃よりは精神が安定しているような気がします。

だから、若い人は安心して年をとってみてね(^_-)-☆
というのを今日のオチにしたいと思います。

実際そうですよ。
若いころに戻ってもいいかなーと思うのは顔ぐらいじゃね?てなもんですから。
決して怒っているわけではない眉間のシワがちょっと気になりますかのぉ~?
程度じゃないですかね(笑)


落ち着け!

2016年08月25日 | 二胡
パンダ師匠から前に言われたことがあります。

「なんか、落ち着きがアリマセン。こんな感じでひいてマス」

とまあ、またマネをされたりするわけですが…

「見てないときはちゃんと弾いてるように聞こえるですけど、ふと見たら
落ち着きがなく不安そうで、オドオドしてる感じデス」

ううむ。そういやそうかもなあ…
楽譜ばっかりみるなとは言われるし、弾いてるときどこに視線を向けたらいいのか
ど、どうしよう…
みたいなオーラが丸見えになっちゃってるんでしょうね~

何度も言われることがもうひとつ。

「ちょっと弾き方が早いデス。
しっかり弾き終わってから次に移るヨウニ。」

いわゆる走ってしまうってやつですかね。

「ちゃんと数えて弾いてクダサイ」

はぁ~ 私って数えて弾いてないヤツだったんですね。
どちらかというと私は割に落ち着いた演奏をするタイプかと思っていたんですが…
体型も腹がすわってどっしり落ち着いてますし(爆)

でも、こんなにも落ち着いてなかったとは( ̄□ ̄;)!!

そうそう、
パンダ師匠の前で「喜送公糧」という曲をみてもらったとき

「あ”~なんてゆうか…もっとこう…情熱的に!!」

と言われたこともあり。

つまり、落ち着きもなく、情熱もない 
ってことで…ええっと…ど、どうしよう~(泣)

まあ、こんな課題をかかえつつも日々、二胡に向かっているわけですが
近頃、落ち着きがないということはあまり言われなくなりました。

私は注意されたことをすぐ忘れてしまうんですが、何度も言われると
(あ~そういや、何度も言わせなるなとも言われたことあるなあ( ̄~ ̄)
さすがにだんだん脳みそに届いてきますので、ハッと思い出しては
走らないようにきっちり弾こう、とか、落ち着いてみよう、とか思うわけです。

パンダ師匠は、私がどんだけ至近距離で模範演奏をガン見しようと
落ち着いていますわね。さすがです。

【福助VS弁天】

2016年08月24日 | 詩箱2016
福助VS弁天

南風 桃子


運命の卓球台に
天からスポットライトが差し込んだ―――

観客はお金持ちのコガネムシ
ずらりと並んで固唾をのんでいる。

この世界に
福助と弁天しかいないような静まりようだ

「女だからといって容赦はせぬ」

福助がカミシモをそびやかして威嚇すれば

「その大きな顔を卓球台に沈めてくれるわ」

と弁天が琵琶型の特注ラケットを構えた。

実況中継は
誰がしているのかよくわからない
ヒメマルカツオブシムシだが
この熱い試合をとりあえず全世界に届ける予定ではある。

ポルタメント~♪

2016年08月23日 | 二胡
二胡がいかにも二胡らしい音に聞こえる奏法のひとつに
滑音(ポルタメント)というのがあります。

二胡という楽器の音色にココロをわしずかみにされ、
別世界に連れていかれたことがある人は、
おそらくポルタメントの音と共にかっさらわれたと思われます。

ビブラートとポルタメントは二胡の重要な技術なのですが、
先に習うのはポルタメントのほうでしょう。
ビブラートは音程が怪しいままやっているとよけい怪しくなるのと
他にやるべきことがたくさんあるのとで、先生によって多少の差はあると思いますが
習い始めて2~3年ぐらいで習うのではないでしょうか。
音程がはやいうちから安定していれば、1年ぐらいでとりかかってもいいのかなあ~?

その辺はよく分かりませんが、この2大技術を習う日がいつか必ずやってきます。
どうやらこうやらビブ&ポル(お笑い芸人みたいですね)ができるようになると、
なんとか二胡っぽい音が出せるようになります。
このあたりになると、イヌやネコも逃げなくなるんじゃないですかねー

二胡情報がまだまだ少なかったころ(私が十数年前に始めた頃もそうでした)
練習していたら本当に二胡っぽい音で弾けるようになるのかな?
二胡っぽい音で弾けるようになりたいなあ~♪と期待と不安でいっぱいでした。

「中国の先生達は子供の頃からやっているからあんな音が出るけど、
日本人が大人になって習い始めてもムリなんじゃない?」
みたいなことも二胡仲間で話したりしてました。
複雑で味わい深い音の原因が、ちゃんと習得可能な技術に裏打ちされているということも
まだ知らなかった状態でした。

そのころの不安を今、分かりやすい言葉に翻訳してみると
「ポルタメントやビブラートの技術習得は日本人の大人にはムリなのかな~」
ということになります。

だが、初心者のニコラーのみなさん、安心してください♪
ポルタメントもビブラートも、習得の早い遅いの個人差はあるでしょうが、
必死こいて気長に取り組めばで必ずできるようになります!
タイムトラベルできたら自分に教えてやりたいなあ~(笑)
でもまあ、あまり必死こきすぎると腱鞘炎になったりするのでほどほどに…

自分の経験からいってビブラートの習得はかなりムズうございました。
…と過去形で語っているけど、オマエは本当にビブラートを習得したんか?
というツッコミは置いといて、
まあ二胡を始めてから無数の壁がドンドコ現れてくるわけですが、
やはりビブラートの壁が一番大きかったように思われます。
どうしてもできるようになりたい、でも、生きてるうちにできるんか?的なことを
何度思ったことでしょうか。
そんなこんなが交錯したりする事情もありますので、
ちょっと早めにとりかかって、数年計画ぐらいの目標をたてるのも悪くはないかと思います。

さて、ポルタメントに話をもどします。
二胡教室では、パンダ師匠が「ここは、この音ぐらいから滑らせてクダサイ」
「ここは2本指から1本にチェンジしてすべらしてクダサイ」などなど、
いろいろな指示を出してきます。

ん~2本ですべらそうが、1本ですべらそうが、音的にどう違うのか( ̄~ ̄)?
いまいち分からなかったりするのですが、とにかくパンダ師匠の指示に従います。
パンダ師匠の耳には違って聞こえるのであらうな~とか思いつつ、とにかく従います。

しぶとく従っていると、おおっっ( ̄□ ̄;)!!やっぱ違う…!!
ということが分かってきたりするんですなあ♪

最近、ポルタメントをかけない指示というのもありました。

「ここゎ…かけないでクダサイ」

(かけらんのかい!)

「ここにかけると、いやらしくナリマス」

(いやらしくなるんかい( ̄□ ̄;)!!)

そうですか…。私にはまだ、どこにかけると「いやらしくなる」のか、
というところまで分かりません。

うっかり「いやらしい」ところにポルタメントをかけちゃったらどうしよう…
と思う今日このごろですが、まあ、録音機器等もありますんで
できうる限りパンダ師匠のマネをして、さわやかな味わい深い音を目指したいです。

ポルタメントはかけすぎるとダメ、みたいなことをジャーさんの教本にも書いてありました。
日本語的にいうなら、過ぎたるは及ばざるがごとし、ってやつなんでしょうね。



「詩人会議 2015年6月号」に掲載されました!

2016年08月22日 | 「うずら」の書評
<書評じんりき入力コーナー>について

現代詩の書評が一般の方々の目に触れることは、
ほとんどないんじゃないかしらん?と思われます。
ここに関係個所を抜粋して、入力させていただきました。
名付けて「じんりき入力」です(笑)

今回は「詩人会議2015年6月号」の詩集評に掲載されたもので、
佐々木洋一さまが書評をくださいました。どうもありがとうございますm(__)m

<書評じんりき入力コーナー②>
~以下引用~

 南風桃子詩集『うずら』(空とぶキリン社刊)の「春の葬列」という一連の作品はとてもいい。あたたかくて、まっすぐで、ほのかで、ユーモアがあって、こんな作品に出合えるのは評者冥利に尽きると言えるだろう。そして、春のうずうず感やうずらの卵のうずうず感もたまらないむずがゆさでいっぱいだ。「こんなに風のある日に/まちを歩くと/すてき/あなたのかけらが/風にのって飛んできそうで/あなたのこころのにおいとか/あなたのひとみの光/使いかけの骨とか歯/いろいろいろいろ/飛んできそうで/ああ うれしい/うれしいな/おねがいわたしのなまえを呼んで/風のなかで今/わたしのなまえを呼んで」「南風」)

~引用終り~     


こんなにあたたかく励ましていただき、嬉しさでいっぱいです。
「春のうずうず感」「うずらの卵のうずうず感」ですか!
広告のコピーにそのまんま使えそうな素敵なフレーズを頂戴して
私もココロが「うずうず」いたしました!!

※関係者の方々にお願いがあります。こうした形で掲載不可の場合は
お手数ですが、メッセージ欄から当方までご連絡いただけますでしょうか?
パソコンがこわれていない限りすぐに対応したいと思います。
どうぞよろしくお願い申しあげますm(__)m

【あなたを見送る村のほとり】

2016年08月21日 | 詩箱2016
あなたを見送る村のほとり

南風 桃子


紀元前6世紀ごろの
ちいさなインドの村でした

あなたは行ってしまい
わたしは、さびしくて

さびしくてたまりません。

コトバだけが残って
風が吹いていきました

何千年も何万年も残るコトバをのこして
行ってしまわれました

あなたのあたたかな後姿を
村人は泣きながら
いつまでも見送りました

私もいつまでも いつまでも
見送りました。

せんねんたっても
まんねんたっても
まだ、さびしいので

いつかまたあなたに会えやしないかと
六道をぐるぐる回っています




<バ解説を許せ!コーナー>
人が「自分の詩の解説」をするのはちょっとバカっぽくて恥ずかしい~
というような記事をかいておきながら、
自分ではそれをやってしまうという暴挙を許してほしい、というコーナーです♡

今回、詩にまとめましたのは、お釈迦様の旅の1シーンですが、
実際にもこういうことがあったらしいです。
お釈迦様が立ち寄った村を離れる時、村人たちが泣きながら見送ったみたいな…

人それぞれ、ワケもなくこたえるシチュエーションというのがあると思うのですが、
私の場合、このシーンなんかがそうです。
自分が村人のなかの一人だったような気すらします。

他にも個人的に心が揺さぶられるような歴史的な場面というのがあって、、
イエスが石を投げられていた女性を助けるシーン、壇ノ浦で平家が滅びるシーン、
安史の乱で楊貴妃が馬嵬(ばかい)駅に倒れるシーン等があります。

このブログをごらんになっている方は、
歴史上のどんなシーンに心ざわめくのでしょうか…?( ̄~ ̄)
坂本竜馬の暗殺事件とか、本能寺の変とか、
弁慶の勧進帳だったりするんですかね~
大河ドラマにとりあげられ率高いし…

そうそう。
クレオパトラが絨毯にくるまってカエサルの居室に乗り込む…
というあの有名なシーンも、知恵と度胸があってグッときますね!
国の存亡をかけて「プレゼントはワタシ」という大勝負に出たわけです。

8月19日(金)二胡教室に行ってきた(課題曲:ムーンリバー)

2016年08月20日 | 二胡
気楽に頼みごとができる数少ないリアル友の
書の達人の友実費でやとって、
残暑厳しき折がら、二胡教室に行ってきました!

私が二胡教室でパンダ師匠にシバかれている間、
お買いものに行ったりとか、エステに行ったりとかしつつ
教室が終わったらまた迎えに来て、家まで送ってもらっています。
高速で1時間ぐらいですかねー

こういう、何となく余裕のある貴族な友がいるというのは本当にありがたいですな(笑)
おかげ様で、体力を使い果たしてしまうことなく二胡教室に通えています。

書の達人の友を雇えない時は、JRとタクシー会社にお金を落とします。
パンダ師匠の家の隣にでも引っ越せたら嬉しいんですけど
まあ、野を越え山越えして師匠に会いに行くというのも、
なかなか味わい深いものもあるかもしれない、と思おうと思えば思えなくもないかもしれないと思える…( ̄~ ̄)ん~まんだむ(意味不明)

私は、とてもじゃないが上級とは言い難い(もちろん私も含めてですが)上級クラスに属しているのですが、現在5名です。

パンダ師匠はムズい曲を我々に教えるのを諦めたのか、はたまた疲れたのか、
それとも今まであまりリキを入れてこなかった重奏をやらせようと思われたのか、
このところ二重奏づいています。

前の時間帯のクラスも同じ曲をやっているっぽいので
クラス合併をねらっているのかもしれません(爆)
この辺の事情は、文化センターやカルチャースクールの宿命みたいな所もありますわね。

私の二胡教室歴ですが、最初は地元までパンダ師匠が来てくれてた時に習ったり、
個人でもならったり、途中、家庭の事情で休んだり、復活したり…
で、その復活の時に今の教室に入れてもらって現在にいたるのですが、
今の教室歴が長い人に聞いてみたら

「今まで何度、吸収合併があったか分からないよ~」とのことで
「そうした中、Wさんはポラリスって感じですね☆」と言ったら
「そうそう(笑)周りだけが変わっていくという…」

なるほどな。かくあるべし、です。
個人で習うにしろ、グループで習うにしろ、
心にポラリス魂(なんじゃそりゃ)を持っておくのは
大事なことだし、素敵なことだと思いますね。
お友達がやってるからやる~お友達がやめたからやめる~じゃ話にならんので。

「現代詩手帖 2015年5月号」に掲載されました!

2016年08月19日 | 「うずら」の書評
<書評じんりき入力コーナー>について

こういった書評は、現代詩マニア(?)はともかくとして、
普段、一般の方々の目に触れることはほとんどないと思われます。
秘書(妄想)がやってくれんかな…と妄想しつつ、自分で入力してみました。
名付けて「じんりき入力」です(笑)

入力しながら、頂戴したお言葉を改めてかみしめることができました。
「じんりき入力」もなかなか良いものですね♡

今回は「現代詩手帖2015年5月号」の詩書月評に掲載されたものです。
秋 亜綺羅さまが書評をくださいました。しかも、トップで!
掲載順は、本の中身にそんなに関係ないと思われますけど、
普段の生活でトップをとることなどほとんどない私は
嬉し恥ずかしでございましたよ。どうもありがとうございますm(__)m

秋 亜綺羅さまのお名前って、寺山修司さんがつけられたことを最近知りました♪
ここ半年ぐらい、寺山さんがらみのお話がちらほら私の元に入ってきて、
いわゆるシンクロっていうやつ( ̄~ ̄)かな~? と思っています。
寺山さんはとても有名どころでいらっしゃるので、
単に耳に入ってきやすいだけなのかもしれませんが…
でも「やや!?これはシンクロか?」って思ったほうが絶対楽しいですよね!

※関係者の方々にお願いがあります。こうした形で掲載不可の場合は
お手数ですが、メッセージ欄から当方までご連絡いただけますでしょうか?
パソコンがこわれていない限りすぐに対応したいと思います。
どうぞよろしくお願い申しあげます。

<書評じんりき入力コーナー①>
~以下引用~

ことばだからこそ
秋 亜綺羅 

 暖かい季節がやって来ると、また一年生きのびてしまったなと感じるようになったのは、わたしの年齢のせいだろうね。
 南風桃子『うずら』(空とぶキリン社)は、ことばってこんなにも軽やかだったんだと思わせてくれる。

 こんなに風のある日に
 まちを歩くと
 すてき
 あなたのかけらが
 風にのって飛んできそうで
 あなたのこころのにおいとか
 あなたのひとみの光
 使いかけの骨とか歯
 いろいろいろいろ
 飛んできそうで
 ああ うれしい
 うれしいな
 おねがいわたしのなまえを呼んで
 風のなかで今
 わたしのなまえを呼んで     (「南風」)

 青空が広がる快晴なのだろうか。風はちょっと暖かいのかな。タイトルも「南風」だしね。幼い詩法のように感じられるかもしれないけれど「こころのにおい」って、詩だから書けるわけで、絵画や音楽では無理。ことばだからこそ表現できる風景の作り方を、南風桃子は知っている。あなたの「使いかけの骨とか歯」が風といっしょに遊びに来る。「ひとみの光」は新しい季節の色をして、スキップしながら風と腕を組んで来るのだろう。
 ほかにもペーソスとユーモアでいっぱいのいい詩がたくさんある。

 はまぐりは
 ちょっとたいくつだったので

「誰かにほられてもいい」
 と思った     (「浜辺のドップラー効果」)

 とはじまる詩は、はまぐりの立場になって潮干狩りを描いている。砂をかく音がすこしずつ近づいてくる。「(こっち、こっちだよ)// ―――しゃり、しゃり、しゃり」「(ここだよ、ここだってば)//―――しゃり、しゃり、しゃり……」。やがて音は、だんだん遠のいていき、いつもの静寂がつづくばかりだ。

~引用終り~     

【おまけの0月 ~歌のアルバム詩(桃版) 】

2016年08月18日 | 詩箱2016
 おまけの0月 ~歌のアルバム詩(桃版) 

南風 桃子

乙姫が巧妙に放ったカメを助けたウラシマが
南に向いてる窓をあけたら竜宮城だった。

まいにち、まいにち
一人で見ている海の色に飽きてきた乙姫は
飛んで火にいる夏のウラシマに大喜び

最終兵器の「玉手箱」を準備して
部下のイカやタコをしたがえ
歌い、舞い踊る。

タイやヒラメも刺身になりたくないので
バックで一所懸命に踊る

女は海~♪

美声にききほれているうち、
何百年、何千年とたってしまったが気が付かない。
そんなウラシマを責めても仕方がないのだけれど…

やがて宴も跳ね
オオハマグリが大あくびをして
ワカメによく似た真夏の蜃気楼をみせてくれた




「0月 ~歌のアルバム(桃版)」のすこし長めバージョンも浮かんでしまったので、
「おまけの0月」で出してみました。

0月と、おまけの0月と、どっちがいいもんですかねぇ…?( ̄~ ̄)ん~

まあ、どっちでもいっか…

というより、どうでもいいか(笑)

…このように、どっちでもいい、どうでもいい、
生きていくうえで、ほぼ役に立ちそうもない、
みたいなことを うっかり長時間考えてしまう んですよねぇ…
しかも、わりと真面目に…

初回から「おまけ」にまでおつき合いいただき、どうもありがとうございました!!
おまけを入れると、全部で8作になりましたですよ。
詩人口はとても少ないと思われるのに、
詩をUPした時の閲覧数が意外と多くて驚いています。


☆これで「歌のアルバム詩(桃版)」シリーズはひとまずコンプリート!
よろしかったら、ごらんになってください(^^) 
13月 ~歌のアルバム詩(桃版)
0月 ~歌のアルバム詩(桃版)
夏 ~歌のアルバム詩(桃版)
秋 ~歌のアルバム詩(桃版) ※長い前置き(言い訳?)付
冬 ~歌のアルバム詩(桃版)
春 ~歌のアルバム詩(桃版)
虹 ~歌のアルバム詩(桃版)


≪歌のアルバム詩について≫
※詩誌「ガーネット」で、高階杞一さんが「歌のアルバム」という
悶絶モノの面白い詩を連載していらっしゃるのですが、
それにインスパイアされ、お笑いの神(?)が降りてきて作ったおまけの8作目。
※ご本家の「歌のアルバム詩」はこちらの詩誌で連載中です
詩誌「ガーネット」

【虹 ~歌のアルバム詩(桃版)】

2016年08月17日 | 詩箱2016
 虹 ~歌のアルバム詩(桃版) 

南風 桃子


虹のむこうは
晴れているのか
ハゲているのか
わからないけど
ランラララ♪ってわたってみよう

あなたの町のあのあたりにかかった虹

でも、もしかすると
あなたの町ではなくて
犯人の「穴田」の町かもしれない

だから。

勇気を出してわたってみよう
まだまだ希望はある―――



☆こちらは前の作です。よろしかったら、ごらんください(^^) 
13月 ~歌のアルバム詩(桃版)
0月 ~歌のアルバム詩(桃版)
夏 ~歌のアルバム詩(桃版)
秋 ~歌のアルバム詩(桃版) ※長い前置き(言い訳?)付
冬 ~歌のアルバム詩(桃版)
春 ~歌のアルバム詩(桃版)

≪歌のアルバム詩のススメ~地味に布教活動≫
※詩誌「ガーネット」で、高階杞一さんが「歌のアルバム」という
悶絶モノの面白い詩を連載していらっしゃるのですが、
それにインスパイアされ、お笑いの神(?)が降りてきて作った7作目。

それでは、ちょっくら今日の詩のぷち解説をさせていただきます。
自分の詩を解説するのは、何ともバカっぽくて云々…という長い言い訳は
「秋 ~歌のアルバム詩(桃版)」をご覧になってください♡

さて、実は「歌のアルバム詩(桃版)」は前回までのつもりでした。
「全部で6作になったけど、7が完成の数字だったりするよなあ。
でももうタイトルを思いつかないや…」などと考えておりました。

「ん、まてよ7つ? 虹? そうだ虹だ!」ということで、
「虹」といえば、この曲だろうて…と、夏バージョンに出てきた
昭和の元祖女性アイドルの歌が下敷きとなりました。優しく癒される歌声でしたね(^^)
私が小学生の時ですが、クラスの男の子がすっかりココロ奪われている様子でした(笑)

心のおもむくまま楽しく書きなぐっていったわりには、
全体的にひとつの雲のようにフカフカっとまとめることができたかな?と思います。

今回の詩の中に出てくる犯人の「穴田」は、ご本家の「歌のアルバム詩」からとったものです。 
とまあ、こんな感じでぜひ皆さんも私のようにご本家にインスパイアされてみてはいかがでしょうか(^^)

※ご本家の「歌のアルバム詩」はこちらの詩誌で連載中です
詩誌「ガーネット」

ご本家の「穴田」っていったい誰!?と心がざわつく方は、バックナンバーも販売していますので、発行元の「空とぶキリン社」さんに問い合わせてみてください♪

個別の受信機がピタっとな…♪

2016年08月16日 | 二胡
二胡をやっている人なら誰でも二胡の演奏の好みっていうのがあると思うのですが、
私はパンダ師匠の弾き方がとても好きなんですわ~。

ネットでいろんな演奏家の方の音を聞いている時に、
あぁ、この人の弾き方もなんか好きだなー(^^)と思ったことがあって
経歴を見てみますと、ほほぉ…

パンダ師匠と同じ音大卒だね!ということがありました。
ということは、同じお師匠に鍛えられた可能性大ですね。

余談ですが、パンダ師匠のお師匠はとても厳しかったそうです。
日本人が愛のムチでもって大陸の先生から厳しくされたところで
上手くなる保障はありません。それは個人の取組みの問題だからです。当たり前ですが。

もちろん、日本人が日本の先生から愛のムチをふるわれても同じことです。
もし結果が似たようなものなら、優しいほうがいいよねぇ~。
まあ、あんまりムチふりタイプの日本人の先生はいらっしゃらないと思いますが。

正直、パンダ師匠が大陸の人だから、
そうしたタイプの厳しさもOKな気分になるのかもしれないです。
二胡と病院の先生は、優しいほうがいいとは思っていますが、
私はもう、パンダ師匠!演歌!どすこい!!(意味不明)…
なわけで…。

まあ早い話、相性のいい先生に出会えたら長続きするってもんです。
その先生の音や弾き方が好きだ!とかいうのも長続きのモチベーションになりますわね。
で、長続きできれば、上手くなる確率もちょっとはあがるであろうと思われます。

以前、本で読んだことがあるのですが、
何かを修めようと思ったらだいたい10年ぐらいがメドらしいです。
1日数時間、練習に打ち込んだら10年で10万時間になる、という事だったかなー?

でも、むやみやたらに10万時間弾きこんだところで上手くなれないというのはご理解いただきたいと思います。
って、理解を求めてどうする私。二胡協会の人とかじゃないんだから~(^^ゞ

まあ二胡に限らず、10万時間弾くだけでは足りません。
考えながらひかんと。(爆)

余談女王(という言葉が頭に浮かびましたわ)の余談をもとにもどします。

個人的に音の好みを聞きわける個別受信機(?)みたいなのを感じた経験があるので
ちょっくらその話をしてみたいと思います。

もうだいぶ前の事になりますが、何ともダメダメな時期があって
体はダリぃ、ココロもやさぐれ…
そのような状態の時に、なにげに二胡の曲を聞いていたのですが
どんな二胡の名人達が弾く曲も受け付けられませんでした。
普段はそこそこ気に入って聞いていたはずなのに…。

そうした中、自分の体になじんで、聞くことが可能な曲がありました。
パンダ師匠の弾く「月夜」と、パンダ師匠と同じ音大卒のお方の弾く「楊柳」という曲です。

ああ~やさぐれた細胞に優しくなじむ~(T_T)
他の曲は受け付けられないのに、何とも不思議なことよ…と私は思ったのですが
これは、個別の受信機がピタっとこの弾き手と曲にはまったということでしょうね。

近頃はそんなにやさぐれておりませんが、やはり
パンダ師匠のレッスン時に録音させてもらった音を聞くことが一番多いです。
これが何度聞いても飽きずに、とにかく魅了されます。
時々吠える声も入っていますわね(笑)

有名ドコロのCDも完璧な録音処理がされていて、なかなかよろしいのですが、
パンダ師匠がレッスンの時に弾いてくれる模範演奏っていうのが、
私にとっては何ともたまりません。

「何でこの人こんなに上手いんやろ~?」…というフレーズが素直に浮かんできます。
そりゃ、師匠の師匠から厳しくシバかれた結果…むにゃむにゃ
っていう事なんでしょうけれども、それはさておき、
超・至近距離で良い生音を聞けるのは、至福の時間以外の何物でもありません。

そして何度でも同じことを思うのでした。
「この人、なんでこんなにいい音出すんやろ~?」

最終的には、ココロの美しさなんだろうか。
ええと…パンダ師匠のココロ…( ̄~ ̄)…わ、わからん(爆)
でも、わからないところが良かったりするんですよねーハイ!!╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

二胡教室の雑談で好みの演奏ということについて話題になったことがありました。
話の流れで「先生は二胡の演奏家でどなたがお好きですか?」と尋ねたら、
宋飛さんの名前をあげておられました。
そうか…なるほど。大陸の有名どころの女性奏者です。

ちなみに私の好きな奏者は、ミン・フイフェンかなぁ~ 
もぅですな。ミンさんは…
そしてもちろんパンダ師匠です~♪

「Mali's Garden」さま、詩集とブログのご紹介をありがとうございますm(__)m

2016年08月15日 | 「うずら」の書評
関東地方にお住まいの二胡友さんが、ご自身のサイトで
詩集と当ブログの紹介をしてくださいました。
どうもありがとうございます m(__)m

「Mali's Garden」さま

このお花や植物を中心としたブログは、いつも優しい語り口でつづられ、
とても丁寧な編集がされています。
トップページの「みやけん」デザインも素敵で、
運営者の心根にぴったりだわ~って感じです。
私のパソコン上の秘密の花園だったりするんですよねえ(^^)

お花や植物とあんまり…ていうか
ほとんど関係のない当方の本とブログをご紹介いただいて、
そのご好意に感謝しています!

昨年、詩集が出たばかりのときも紹介してくださったのですが、
それがらみの記事がこちら
「二胡友よ、書評をありがとうございます~」

拙著「うずら」が、誰かのお手元にちょこんと控えて
機会あるごとに繰り返し読んでいただけているということは
本として、また著者として、本当にありがたく幸せなことです(*^_^*)

【おぼん】

2016年08月14日 | 詩箱2016
おぼんⅠ

南風 桃子


ぢごくの窯のフタが
ひらいた ぴょん。

カメも のそのそ
のぞくよ ひょい。

ヘビは にょろにょろ
じじばば うろうろ。

ぢごくの窯が
ひらいた ホイ。


おぼんⅡ

ぢごくの窯のフタが
ひらいてるうち
どさくさにまぎれて

かどうかはさておいて
原発のフタも開いたみたい

ぢごくの窯もコワイけど
原発の窯もコワイにゃあ




お盆には地獄の窯のフタが開くとか申しますね。
十戒みたいにこの世とあの世に
通路ができるんですかねえ?

まぁうれしいような、メイワクなような…(笑)

そうこうしているうちに、
海を隔てた隣の県で原発のスイッチオンとなりました。
やたら近いんですよねえ…私の住んでる県に。

それぞれの思惑、
それぞれの正義っていうのがあるんでしょうが…

いずれにせよ、みんなが
この世でもあの世でも
たのしく暮らせるといいな、暮らせてるといいな、
そんなことを思わずにはいられません。