まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

魚類製造家屋を見に行く。

2018-03-31 23:39:59 | 建物・まちなみ
遊子からの続き。

遊子水荷浦で見事な石積みの段畑を見たあと、また助手席で風光明媚な海の風景を見ながら(笑)岩松へ戻ってきた。

生簀の上に建つ小屋群。

ところで今回もう1ヶ所、石垣景観で有名な外泊という場所に行きたいと思っていた。そして石垣とは別に
もうひとつ「えひめの近代化遺産」の冊子に載っていた、愛南町の魚類製造家屋も見に行きたいと思っていた。
どちらも宇和島と宿毛の間にあるのだが、三浦半島とはまたそれぞれ別の半島の、先端に近いところ。
岩松と遊子でゆっくりと楽しんだので両方行くのはちょっと厳しいな。。。少し悩んだが、魚類製造家屋の方へ
行くことにした。

レンタカーは城辺で乗り捨てる予定なので、ここからは自分で行くつもりをしていたのだが、Sさんも行って
みたいとのことで、車2台連ねて行くことに(笑)。今度は遊子よりもさらに手強い由良半島のアップダウンの
くねくね道を延々走ること1時間ほど・・・もうこの先道がないところまで来た。
おぉ、これか!魚類製造家屋とは、大規模な漁を行う網元であった浦和盛三郎が、水産業の隆盛をはかるためには
漁獲だけでなく加工に力を入れなければならないと考え、1889(明治22)年に建てた水産加工場である。
このちょっとヘンテコな名前は浦和盛三郎自身が名づけたもので、棟札にも記されているという。

まるで校舎のように左右に長い2階建ての建物。長すぎて全景が写真に納まらないな(汗)

中央部を除いて窓がなく風変わりな印象。壁は板が隙間なく張られ、軒裏もすべて板でふさいであるのは
やはり吹きつける風に強い構造としているのだろう。
車が停まっていたり窓も開いているところを見ると人がおられるのだろうが、玄関から声をかけてみるも返事なし。


玄関先には砂岩の石畳が敷き詰められていた。この石は「宇和島石」とSさんが言われていたな。
ここも作業場として使っていたのだろう。


横から裏の方へ回ってみると、裏庭で年配の女性が庭作業をされていた。現在の住人の目関さん。


Sさんが土地の言葉で話しかけて少しおしゃべり。中央部が住まいだそうで、昔は多くの従業員さんがここで
暮らしていたとか。半分はマグロをさばいて燻製を作る工場だった。窓がないのはそのためだな。
もう半分は「むろ」だったというのは貯蔵庫のことだろう。


前は静かな青い海。。。路線バスも延々ここまで来るとは言え、こんな、半島のいちばん先端に住まわれていて
不便ではないのだろうか。。。いや、世の中の雑事とは完全に隔離された別世界のようなこの場所で、日がな一日
身の回りのことをして穏やかに過ごすというのも・・・・あぁ、私にはちょっと無理かなぁ。。。(汗)




あぁ、こんな遠くまで先導してくれたSさんに感謝!ひとりだと途中で心が折れてしまったかもしれない(苦笑)。
朝早かったので運転中に眠たくなって危ないので、帰りはゆっくり休み休み走ります、ということでSさんとは
現地でお別れ。

戻る途中、船越というところで小休止。細長い半島を迂回するのが大変なので、陸の細い部分を開削して
運河が作られたところ。昔は船を陸へ引き上げて反対側の海まで運んでいたことから名づけられた地名だろう。


開削した距離は200mくらいか。小船ならともかく大型の船は陸に上げるわけにもいかず、この運河ができて
ずいぶん航行距離が短くなって楽になったのだろうな。


途中15分ほど仮眠して、城辺へ向かう。
CALレンタカーはGSなどに配備する格安レンタカーだが、愛媛県内に拠点が多く、系列GS間なら
乗り捨てができるのだ。これはすごく便利!今回は宇和島で借りて城辺で乗り捨て。そこから路線バスで
宿毛へ向かうという計画。夜に運転するの怖いし、ちょうどよかった!

続く
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遊子水荷浦の段畑

2018-03-30 23:30:45 | 風景
岩松からの続き。

前回の旅プランにも含めていた遊子水荷浦の段畑。
3年前に計画を立てたときには、車の運転がまだ不安だったし、宇和島からの陸路はかなり遠回りに
なるなぁと思って調べてみたら、宇和島港から周辺の島行きの定期航路が遊子へも立ち寄ると知ったのだった。
よし、これだ!!と、船好きな私としてはかなり楽しみにしていたのだったが・・・計画はパーに(涙)

今回、宇和島でレンタカーを借りたのはここへ行くことも考えてのことである。車の運転も慣れてきたし
くねくね山道も凍結していなければ大丈夫だろう、と考えていたら・・・
「案内しますよ、車をここに置いといて、私の車で行きましょう」
何と、ありがたいこと。。。
というわけで、慣れたジモティの運転で、唐草のような形をした三浦半島のリアス式海岸に沿って、スイスイ。
小さな入江の集落をいくつも過ぎ、枝分かれした岬の先端へ。

おお~っ!!目の前に縞模様の山が。この縞模様がすべて石積みの段々畑なのだ!!

うわぁ~~~、すごいなぁ!!

「船にも乗れますよ」
きゃ~~うれしい~!今回は時間の都合上、定期船でこの水荷浦に入るのは無理だったが、小さな漁船型の船に
乗り込み海から段畑を眺めるのだ。「段畑さの屋」さんの船、乗合いで一人あたり750円だけど今は私たちだけ。
貸切である。なんか申し訳ないほど安いなぁ~


突堤の外へ出ると、岬の全景が見えてくる。
明治初期ごろから三浦半島のいたるところで作られ始めた段畑は、平成になるころには2haほどに
減ってしまっていたというが、平成12年に地元有志により「段畑を守ろう会」が結成され、少しずつ
段畑を広げ昔の景観を取り戻していっている。平成19年には国の重要文化的景観に選定された。


この石積みの段畑はため息が出るほど美しいが、昔、水に不自由でとても貧しかったこの地域の人々が、
漁業と農業との二足のわらじで稼がないと生きていけなかった、苦しい暮らしの産物なのだとか。


海上は広々として、気持ちいい風。


ここは竜王島。ここで女人禁制のお祭りが行われるらしく、祠があり、縄で作った龍が置かれていた。

かつてはここにクレーン施設があったというがもう撤去されている。

養殖のいけすを見つつ、佐田岬半島が見えるという岬の先端まで行くが、霞んでいて見えなかった。
ぐるりと回って約30分ほどの海上散歩を楽しんだ。




陸に上がって、港に設置された観光用の食堂、だんだん茶屋で鯛めしの定食を。
そこの壁に昔の写真が展示されていた。山には木がなくまるで等高線のような段畑が岬の先端まで広がっている。
「昭和42年頃の水荷浦」のキャプション。う~~ん、すごい。。。


ランチ後は段畑に上ろう。港の中央に寄り添うように集まった民家のすぐ裏手から段畑は始まっている。


通路を歩くと、はるか上まで続く石積みが壁のように目の前に迫ってくる。このあたりは45度よりもさらに
急峻だろう。よくこんな構造物を作り上げたなぁ・・・


小さな石を山の上まで運び積み上げてこの畑を作る作業も大変だが、そこでの耕作もまた困難を極めた。
急勾配の斜面に作られた段々畑の水平面は実に小さく、幅が1m程度のところもある。


いったん畑に入れば、縦の移動はハシゴのみ。ここを行き来しての農作業は気が遠くなるような
効率の悪い作業だ。しかも、モノラックのなかった昔は天秤桶を肩にかついでの上り下り。
同じ投影面積の平らな畑ならどれほど楽なことか。それでも手作業でひとつひとつ石を積み上げて
作ったわずかな平地を耕すしか、ここで生きて行くには方法がなかったのだ。。。


段畑は苦しい生活の象徴的景観だったが今はすっかり観光名所となり、年間2万人の観光客が訪れる。
青い宇和海をバックに広がる段畑の壮大な景観は、ほんとに素晴らしく感動的だ。


今ここに植えられているのはジャガイモ。今年は気温が低くて少し育ちが遅いという話だったが、
温暖な遊子の段畑の早掘りジャガイモは絶品で、ブランド商品になっているのだとか。一度食べてみたいなぁ!




角ばった山の石が乱積みされている。一見不規則だが全体で見るときれいに揃っていて安定している。




美しいだけではない遊子水荷浦の段畑。人々の努力により歴史と景観が今に受け継がれている。


続く
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岩松のまちをうろつく 2

2018-03-29 22:48:42 | 建物・まちなみ
岩松の続き。

西村酒造場の隣には洋館があった!こちらは1929(昭和4)年築の内山醤油店。割と平面的なファサードだが
1階中央部のマンサード型のひさしや2階の半円形のペディメント風装飾(?)などこだわりのある建物。
ひさしの下には「内山」のマークが。


ファサードには籠目柄に貼られたタイルもあった。


こちらの三好旅館は道が少し折れた辻に建つので、通りを見通したとき真正面に見える。立派な唐破風の玄関ひさしが付く。
この建物は元は三階建てだったが、風を強く受けるため屋根の痛みが激しく、二階半に改造したとのこと。
へぇ~そんなことできるのかぁ~


瓦屋根の隅に載っている、この動物はなに!?


Sさん曰く、カワウソじゃないかとのことだが、う~ん??確かに耳が小さいし、、、でもカワウソって
こんな顔が長くないよなぁ。


しっぽを見るとやっぱりお稲荷さんのキツネじゃないの??でも耳が折れてしまったようにも見えないしなぁ。。。


現在も営業されており、玄関のガラスから内部を覗いたら古そうで、タイルもありそうなのだが、、、
先へ進もう。。




川沿いの道と合流する部分に、昔ながらの電気屋さんがあった。・・・しかし、ただの電気屋ではなく
中はレトロでカッコイイ昔の家電が飾られた居心地のいいカフェになっていた!
そこで甘酒(ノンアルコール)を頂きながら少しおしゃべり。聞けば、電気屋もちゃんとやってるらしい(笑)。

川沿いの道に戻って歩くとおしゃれな洋風の入口を持つ建物が。大正時代に建てられた楠本邸。


現在は畳屋をされているが元は医院だったようだ。
店の部分や窓まわりはすべてアルミサッシに改修されているが玄関周りはオリジナルの姿を残していると思われる。


前回の記事に書いた通り3つあった蔵元のうち最後まで酒造りをやっておられた阿部酒造。ここは阿部酒造の
元倉庫で、今は建材屋さんが使っている。


背の高いものも楽々入るしぴったりだな!壊さずにうまく使う用途があってよかった(笑)


岩松川に架かる「新橋」のたもとに建つ新橋旅館。ここは営業してるのかどうか不明。。。
しかし今さらっと見ても旅館が3軒。温泉地でもない静かな田舎町に旅館が何軒もあったところを見ても、
人の往来が多かった時代がしのばれる。


ここは更地になっているが下の石垣は古いものだそうで、何と富士山が隠れているという。


探してみると、、、あっ、これかな!?あまり富士山ぽくないけど(笑)筋も彫り込んであった。


一周して元の河原の駐車場へ戻ってきた。青い川面にはカモが何羽も浮かんでいて、ほんとにのどか。。。
岩松川では1月中旬から約1ヶ月の間、白魚漁が行われる。また、あおのりやあおさも採れるという。
但しこれらの川の恵みはほとんど地元で食べてしまうのであまり外へは出回らないらしい(笑)

続く
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岩松のまちをうろつく

2018-03-28 23:04:55 | 建物・まちなみ
タイルをきっかけに思いついた今回の旅。

金曜日の夜、会社からいったん帰宅して着替えてから意気揚々と出発!
・・・しかし、やっぱり夜行バスは辛かった(汗)。3列シートでカーテンもあり、深くリクライニングする
快適シートなのだが、私は眠れず、、、体勢を変えてはうつらうつらして、熟睡できないまま、八幡浜に到着。。。

あぁ、八幡浜!古い駅舎の向こうにみかん山が見える。いいねぇ!八幡浜は2011年に初めて歩いたが、とても楽しかった。
九州の別府や臼杵へ渡るフェリーも発着し、青石垣めぐりの拠点でもある。大正湯もお気に入り。
しかし松山空港から八幡浜へ直行する肱南バスの便はもうなくなってしまったようだ。。。


大阪からの夜行バスが少し遅れたのでJRの普通列車には乗り継げず、特急宇和海でビュンと。
宇和島駅前は再開発の計画があるのか、駅前の大通りに面したアーケードの店舗が軒並み閉店しており寂しい・・・
15分ぐらい歩いてレンタカー屋へ。三寒四温のこの時期、急な寒波が来て道が凍結したりしないか一抹の不安が
あったが、大丈夫そうでよかった。

30分ほど南へ走り、岩松川の河川敷の駐車場に着くと、Sさんが待っていて下さり、2人でまち歩き。
川沿いに建つ小西家の外観をまず確認。なんて事のないありふれた和風家屋だな。
主屋はもうはるか昔に取り壊され、残っているのは離れと蔵のみ。日本の洋館の本に載っている写真も
この離れの建物だという。
印象的な色ガラスの建具はもともと一階にはまっていたものを二階の窓にはめ替えたところの写真だという。
今は別の場所に保管されているそうだ。
ここに十数年前まで小西家の親族が住まわれていたが、その後宇和島市が買い取った。



岩松の古いまちは宇和海へ注ぐ岩松川の左岸に位置し、古くから水運の要衝として栄えたところ。
小西家は、岩松の地で酒造業を興したことに始まり、質商、新田開発など手広い事業で成功した豪商だった。
目の前の岩松港から荷物を積み出し大いに栄え、小西家は宇和島藩のお抱え御用商人にまでなった。


川底が土砂で埋まり港の機能が果たせなくなると河口の方へ新しい港ができ、まちの中心も移っていった。
小西家も戦後農地解放と水運の衰退により打撃を受け急激に勢いをなくしていったのだが、
ここには今も当時の岩松の賑わいを髣髴とさせるまちなみが残っている。

堤防の際に生えた立派な松!!

川沿いの道に面した大畑旅館は、獅子文六という作家が疎開で一時期滞在したとき、岩松での人情味あふれる
生活を気に入って2年間住み「てんやわんや」という小説に書いた。


集落の端に位置する臨江寺の山門。窓の形がおしゃれだなぁ!臨済宗のお寺で小西家の菩提寺でもあった。


一本内側の道を歩くと昔ながらの町人長屋や力強い持ち送りのある古い商店や銀行などが並び
岩松のメインストリートらしい趣が感じられるな。


格子など若干修景されているところもあるが、安っぽい建材のファサードもあり、まちなみ整備は途上と
いったところか。


辻を覗き込むとひときわ立派な塀が見えた。この奥には元西村酒造場があり、中を見学させて頂けた。


ここでは昭和52年頃まで「金丸」というお酒を作っていた。
水と米に恵まれた岩松には元々3つの酒造があった。阿部酒造が最後まで残っていたが、そこも今はもう
作っていない。


うわぁ・・・中庭は草ぼうぼうだが、作業場はそのままの状態で残っている。
もう酒造りされなくなって40年も経つというのに昨日まで使っていたかのように状態は良いなぁ。




蔵も残っているが一部が火事で焼けてしまい、改修されている。
これは大きなものを2階に運び上げるための巻上げ機?こんなの初めて見たなぁ!
この蔵を利用して時々酒蔵コンサートなどが開かれていたが、建物の老朽化により危険とのことで今は
使われていないとか。。。


金丸の甕がとても美しい!!大小、いろんな形の焼き物の甕が置いてあった。


銘を見てみると、長崎県上波佐見町、とある。波佐見焼きかぁ。


醸造タンクの並ぶ仕込庫。


その奥にはまるで「蒸し風呂」のような小さい入口で真っ暗な部屋があり、中にはもみがらがいっぱい入っていた。
氷室かと思ったが「麹むろ」だとか。へぇ~~


酒造りの技術者である杜氏。愛媛では伊方杜氏と越智杜氏が有名で、シーズンになるとやってきて
酒造りをしていたのだという。


この西村酒造場も西村家から宇和島市に寄贈されたらしいが、予算がなくまだ整備には手つかずとか。。。
これだけ揃った酒造場なのに非公開のままはもったいないなぁ。


続く
コメント (2)
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マジョリカタイルの色付け

2018-03-27 22:01:59 | ディテール
1月に行って来た嘉義のマジョリカタイル博物館の徐さんは、古いタイルを収集するだけでなく、
古い民居の修復のために復刻タイルを製作しておられる。女性のスタッフが手作業で釉薬を塗っているところも
見せて頂き、裏にMADE IN TAIWANと書かれた、素焼きのタイルを1枚ずつ頂いて帰った。
私の行っている陶芸教室では持ち込みの品に釉薬をかけて焼いてもらうなんてことは絶対無理。。。
どうしたものかと思っていたところ、mayumamaさんが行っている陶芸教室で特別にさせてもらえる
ことになったと言うので、私も無理を言って一緒に釉掛けさせてもらった。


台湾のような優しい明るい色の釉薬はないし、日本っぽい渋めのタイルにしたいと考えていたので、
背景をあめ釉で。安易だが花びらは赤系にしようと鉄釉で。花芯と茎は黄瀬戸、葉っぱは織部で。
そして重なった下の花びらはちょっと暗めの色にしようとなまこ釉を載せた。そしてハイライトとして
白萩をちょんちょんと。


そして焼き上がったとmayumamaさんから写真が送られてきて・・・・
後日実物を受け取って見てみると、あぁ、なまこ釉の部分が完全につぶれてる~~しかも青が強く出すぎだなぁ。。
それに上に載せた白萩も思ったよりも濃く出たために全体的に不透明で、エンボスの凹凸による釉薬の
グラデーションがほとんど出せなかったなぁ。
いつも行っている教室の釉薬とは違ったこともあり、やっぱりイメージ通りにいかなかったかなぁ。。。

今度は自分の教室でレリーフタイルを素地から作ってみようっと。。。
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タイルから始まる旅。

2018-03-26 22:10:12 | Weblog
年末も押し迫った寒い夜のこと、部屋でタイルや建築関係の本をパラパラとめくっていた。
「日本の洋館」の本を見ていると、うぉ~っ!タイルが貼り詰められたトイレが!!□150ぐらいの
結構大判で、4枚並ぶと花柄になる連続柄のタイルだ。藤森さんの書かれた文章を読むと、絵の部分に
凹凸のあるマジョリカタイル、明治30年頃と書かれているな。しかし縁の鮮やかな水色のタイルは確かに
マジョリカタイルだろうが、白地のもマジョリカタイルなのか??どちらか言うと本業タイルのようだが・・・

しかし、こんなすごい物件なのに全然知らなかったなぁ、いったいこれはどこ?
旧小西荘三郎邸、愛媛県北宇和郡。聞いたこともない。知られていないよなぁ。公開してないからか。
地方の田舎には人知れずこんなすごい建物が眠っているんだなぁ、今も一族の方がお住まいなのかな。
何とかして見れないものだろうか・・・?

再び素晴らしいトイレの写真を惚れ惚れと眺めていて、ふと気づいた。おや、これは・・・
私がこないだ蚤の市で買ってきたタイルと似てない??いや、似てるでしょ!!
あわてて手元のタイルと見比べると、おぉ、やっぱり同じ柄だ!!
蚤の市で並べられていたそのタイルが古いことはすぐ分かったし、和を感じさせる模様と手描き風の質感が
気に入って買ったのだったが、見たことのない柄だし、本業タイルなのか何なのか、帰って調べてもよく
分からなかったのだった。

そこで急に背筋がゾクッとなった。このタイルを買った時、店の兄ちゃんが、四国のすごい田舎から
出たものと言っていた。小西荘三郎邸の所在地は北宇和郡(※現在は宇和島市津島町)と書いてある。
愛媛県の田舎だ・・・
えええぇ~~~~っ!!!まさか、私の手元にあるタイルはここから剥がされてきたものなのか!?
この写真のトイレに貼られているタイルの、現物なのか!?そのタイルがここにあるとすると、建物は、、、
今すぐにでも現地へ確かめに飛んで行きたい衝動に駆られた。。。
手元のタイルを眺めながら心のざわつきが止まらず、夜中3時になっても全然眠れなかったのだった。。。


後日ふと思いついて、宇和島市に電話で問い合わせたところ、小西邸の建物は現在宇和島市の所有になっており、
件のタイルは、今も確かに現地にあるという回答だった。あぁ、そうなのか!!よかった~!
現地を見れないかと尋ねたが、建物はかなり老朽化が進んでおり危険であることやいろんな事情もあって
一切公開できないという。将来的に一般公開も視野に入れ、改修工事のための調査を今後行う予定である
とのことだったので、知らぬ間に取り壊されるということはなさそうだ。ほっ。。。

しかし、この建物のある岩松という地区は結構古い町並みが残っていて、洋館もあるようで面白そうだ。
ひょんなことからまちなみ保存会の関係の方がいろいろ案内してくださることになった。
小西邸の存在を外観だけでもこの目で確かめ、あわせて岩松のまちや周辺を巡るプランを立てることにした。

宇和島のついでにどこへ行こうか、と考えたとき、3年前に悪天候でピーチの飛行機が関空に引き返してしまい
中止に追い込まれた幻の旅計画を思い出し、復活して実行することに。
それはピーチで松山へ入り、宿毛からフェリーで佐伯に渡り、新門司からまたフェリーで大阪へ戻るという周遊プラン。
今回ちょっとアレンジし直して、金曜の夜に夜行バスを使ってみることに。夜行バスは苦手で敬遠していたのだが
今回は会社を休まずに最大のコスパを得られる夜行バスの魅力に屈してしまった(苦笑)
大阪発の夜行バスが、なんと今回第一の目的地の岩松まで直接乗り付けるのだが、直行バスだと現地
あまりに早く着き過ぎるので、結局八幡浜行きの夜行バスを使い、宇和島までJRで移動して、レンタカーを
借りることにした。それでちょうど9時頃に岩松に着ける。そして帰りは小倉から「バリ得ひかり」の
グリーン車で優雅に帰途につくという、我ながら素晴らしいプランができた(笑)

続く
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2018.03.06 倉敷から直帰 もくじ

2018-03-25 23:47:28 | Weblog
倉敷へ日帰り出張。帰りにちょろっとうろついてきた。
短いけど一応連載としてもくじにまとめておこう。

倉敷の商店街をちょろっとうろつく。
倉敷の近代建築をちょろっとめぐる。
倉敷美観地区をちょろっと歩く。
岡山でちょろっと鶴湯に入る。

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岡山でちょろっと鶴湯に入る。

2018-03-25 23:13:35 | 温泉・お風呂屋
倉敷からの続き。

倉敷を歩き回っている間に体が冷え切ってしまった。ここのところ暖かかったので油断して薄着して来てしまったのだ。。。
お風呂で温まって帰ろうと思っていたのにえびす湯さんは休業。仕方ない、岡山で途中下車して入って帰るかぁ。
一応岡山のお風呂屋もチェックしてあった(苦笑)。

岡山に着いたら19時過ぎ。あらためてネットで見てみると、目当ての鶴湯は20時閉店。ええー
グーグルマップで見ると駅から徒歩12分ということだから、なんとかギリギリ滑りこめるかな・・
と思っていたら、道に迷った(爆)


ようやくたどり着いた鶴湯さん、染め抜きの暖簾がステンドグラスのように光ってきれいだなぁ~
あぁ、懐かしくホッとする佇まい。・・・そうだ、さっさと入らないと。もう19時半を回っている。


暖簾をくぐると、番台に誰もいない。常連の方が一人、ちょうど上がってこられたので聞いたら、
後でいいよ、と。とり急ぎ入ってしまおう。


おぉ、御影石の床。高い天井の中央に大きな湯気抜き。ぬる湯とあつ湯に仕切られたシンプルな四角の浴槽。
シーンと静まり返って音ひとつない。
そろそろとお湯に入ると、冷え切っていた体がジーンと生き返る。。。岡山駅まで戻る間に
冷めてしまわないように、あつ湯にじっと浸かって熱を蓄えておこう(笑)


さっきの常連さんは戻ってきた番台のおばちゃんと長らく話し込んでいたが、帰ったようだ。
あまりギリギリまでいると迷惑なので上がるとするか~


番台のおばちゃんから声が。
あまりゆっくり入れなかったんじゃない?いえいえ、すごくあったまりました!
◯◯に泊まってらっしゃるの?いえ、仕事でこっちに来て冷えたので温まって帰ろうと思って。あらそうでしたか。
古くて素敵ですね、いつからですか。戦前からやってるんですよ。


古いお風呂屋が好きだと言うと、じゃあこれどうぞ、と、岡山の銭湯マップを下さった。岡山と倉敷、児島で10軒。
そのうち1軒は「closed」のシールが上から貼られている。残り9軒のうちにはえびす湯も含まれているので、
今実際にやっているのは8軒か・・・リーフレットには入り方やマナーが英語とイラストでも書いてあった。
こういうのを独自に作って頑張っておられるのだな。各お風呂屋の紹介に添えられた丸い顔写真はどれも年配の方々。
昔はいっぱいあったんだけどもうこれだけになってしまったんですよ。跡継ぎさせるような商売じゃないですからねぇ。。。
それでも今までずっと続けて来ていただいたのは本当にありがたいことです。
マラソン大会の時にはお客さんが大勢来られるんですよ。そうなんですね、しょっちゅうやって頂きたいですよね!(笑)

ありがとう、遅くまでごめんなさい、是非また来ますので。商店街暗いから気をつけてね、また来てください。。

あぁ・・・温かい。
こんな地方のまちなかの銭湯、あと10年も経てばどうなっているのか、、、絶滅危惧の日本文化。
なんとかならないものか。。。

来しなは急ぎ足で歩いた奉還町商店街、帰りはきょろきょろしながら歩く(笑)
昭和中期のレトロビルに飲み屋が入っている。




こんなところに洋館付き住宅もあった。暗いのでブレブレ・・・


夜の8時では飲み屋以外はとっくに閉まっているが、昭和な店構えの魅力的な店舗があちらこちらに。


「GURIRU」の表記にひとりにやける(笑)


心は温かいまま、体も湯冷めすることなく岡山駅にたどり着き、さくらでゆったり大阪へ。
考えたら岡山駅の北側を歩いたのは初めてかもしれない。また機会を見つけてゆっくりうろつき、鶴湯にも入りに行こう!

おわり。
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倉敷美観地区をちょろっと歩く。

2018-03-24 23:55:28 | 建物・まちなみ
倉敷の続き。

また美観地区に向かって歩いていると煙突が見えた。えびす湯はあそこだな。直帰できたら入って帰ろうと
一応チェックしていたのだ(笑)。煙突に近づいていくと建物の裏側だった。細い路地の十字路がいい感じ~


しかし、灯りがついておらず、焚口も閉まっている。


一抹の不安を抱きながら表へ回ると、、、おぉ、渋い!


確か以前にも見たことがあるのだが、この古い木造の町家風ファサードにはやっぱり萌えるね~~


おや、ガラスに一枚の紙が・・・当分の間休業します、だって!?ええ~~~っ(涙)
こんな素敵なお風呂屋なのに。。。今日は入る気満々だったのに。


悲しみに打ちひしがれながら美観地区へ向かう。。。


もう日は落ちて空に明かりが残るのみ。お店ももうほとんど閉まっている。しかしその方が純粋に建物を見て
歩けるというメリットもあるのだ。
倉敷美観地区は超有名観光地だが、早期に伝統的建造物群保存地区に選定された「本物のまちなみ」は
量・質ともに見ごたえがあり、しかも俗っぽくなりすぎておらず、何度行っても楽しい。


洋館付き住宅も見つけた。


離れのように、主屋からは独立して建っているようだ。


アイビースクエア。ここも工場建築のリノベーション、コンバージョンの草分け的な施設だろう。
これほど大規模に工場建築を残して活用している例は、、日本ではアイビースクエア以降、現在まで見ても
ないのではないか??→公式サイト


この堀沿いの夜景はド定番でもやっぱり美しい~
「緑御殿」とも呼ばれる大原孫三郎の別邸、有隣荘を見学したのも2007年・・・11年前か(汗)
もう一度内部を見学したいな。


倉敷美観地区で超有名純喫茶、エル・グレコ。1959(昭和34)年開店で、もう老舗の域に達するだろう。
建物は大原孫三郎の事務所だったとか。


記憶が朦朧としているが、美観地区の周辺の路地に色ガラスの嵌ったお風呂屋があったのだが、、、
どこだったんだろう。検索して出てこなかったところを見るともうやっていないのだろう。
建物は残っているのかなぁ。。もうないのかなぁ。

さぁそろそろ駅へ戻ろう。
いつも人混みの中を駆け足で巡るが、一度泊まってみるのもいいな。


続く
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倉敷の近代建築をちょろっとめぐる。

2018-03-23 23:25:57 | 建物・まちなみ
倉敷の続き。

仕事が終わって解散となった時にはすでに5時半を過ぎていたのだからもう直帰してもいいよね!
ちょっとうろついて帰ろう。まずはさっきちらっと見た倉敷中央病院の近代建築を見に行く。

おお~、薄いグレーの壁とオレンジ色の瓦屋根の建物が2棟、そしてその隣に白く四角い建物が1棟並んでいる。


倉敷中央病院は、倉敷紡績の社員の厚生施設として大原孫三郎が設立した倉紡中央病院が前身で、
これら3棟は1923(大正12)年の開業時に建てられたもの。左が旧外来棟、中央が旧事務棟、
右が旧看護婦養成所、だったそうだ。


こちらが今は保育所になっている旧外来棟。大きな三角形の破風がかわいいなぁ~
車寄せのひさしでつながった小さな建物は守衛室だろうか??


弓形に張り出した出窓。この内側にはソファーが作りつけられていそうな雰囲気。
しかしこの中で遊べる子供っていいなぁ~~


こちらはリハビリ施設になっている旧事務所棟。旧外来棟もここも基礎部はレンガが使われている。


棟の両端の八角形に張り出した部分。二階は角に柱を立て窓を大きく取ってあり、部屋の内部はサンルームの
ように明るいに違いない。


こちらも中央に三角破風。入口のひさしが力強い円柱で支えられている。


目の前の木は桜だろうか。葉が茂り出したら建物は見えなくなるだろう。葉のない季節でよかった!?


先の2つとはずいぶん違う印象の近代建築であるこちらは旧看護婦養成所だった建物で、現在も倉敷中央看護専門学校
として使われている。鉄筋コンクリート造の四角い箱型の躯体に取り付けられた大きな半円アーチの入口。

これら3棟がバス通り沿いに立ち並んでいるのだからどうしても目を惹く。倉敷の町の景観を大きく印象づける
シンボル的な建物たち。創業時から今までずっと、用途は変われど使い続けられているというのは素晴らしいことだなぁ!
ちなみに、これら以外の現在の病院の建物もオレンジ色の瓦が載りリゾートホテルさながらのおしゃれさ。すごいな!

そこから美観地区へ向かおうと歩いていて出くわした、日本基督教団倉敷教会。
1923(大正11)年、西村伊作の設計。一見複雑な形をしたファサードは、左側に大きな尖塔アーチ窓のある
礼拝堂に石貼りの鐘楼と、右側に小さな三角破風の凸部がくっついたもの。


塀を兼ねた石積みの長いスロープは2階テラスへのアプローチとなっており、立体的で面白い構造。
インパクトあるなぁ!ちょろっと生えた松の木が日本的な風情を加えていて面白い。


この石が錆色というかちょっとオレンジがかった石で特徴的。万成石だろうか。
床の石には滑り止めの溝が刻まれていた。創建当時からバリアフリー対応とはさすがである。


プロテスタント系の教会で、公式サイトを見ると礼拝堂の内部は高い天井に梁が現れ、尖塔アーチ形の
モチーフが反復して用いられた落ち着いた空間のようだ。時間があれば内部も見学させてもらいたかったな。


続く
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倉敷の商店街をちょろっとうろつく。

2018-03-22 23:40:18 | 建物・まちなみ
仕事で久々に新幹線に乗り、倉敷へ。もちろん日帰りである。
倉敷は何度か来ているがもうずいぶん前だ。美観地区には3~4回、そして水島臨海鉄道に乗りに2回は来たはず。

ちょっと早くついたので、仕事の現場まで歩いて行こう。
センター街の大きなアーケードから、片側だけの鶴形商店街に切り替わる辺りで、なまこ壁の蔵が現れた。


角地のいちばん角に蔵が建っていてとても目立っているな。お店か観光施設なのだろうか?
・・・と思ったが、蔵の横にある石貼りの玄関には「有限会社ダイヤ興産」という表札があった。
普通の事務所のようだ。


しかし、ちょっと変わっているなぁ。貼り瓦が下見板張りのように重ねて貼られているのだ。やはり下見板と同様
水切りのためだろうか。しかもご丁寧になまこの目地を瓦の下側にまで回り込ませてある。面白いなぁ~


おや、ここは?「倉敷デパート」って・・・ビル内の路地の飲み屋街じゃないのか(笑)。入ってみよう。


飲み屋街というよりもレトロな食堂街のようだ。いい感じにひなびた雰囲気のお食事処、「吉備路」。


こちらも丼物、生そばの「奴」。渋いねぇ~~!他にも焼肉屋など。路地は3本あり、鮮魚屋さんや荒物屋さんなども。
駅からそれほど離れていないまちなかで、観光用でもなくレトロを狙うでもなく、普通にこのあたりで暮らす人々の
ためにこんな昭和な世界が息づいているのだから、貴重な存在だ。

しかし、「デパート」とは、大きく出たものだな(笑)

そしてアーケードを歩く人を誘うように、ゆるやかに弧を描いたこんなドラマチックな階段が。
これは自然にふらふらっと上って行ってしまいそうだ。2階はスナック街に違いない(笑)


壁がアールになった薬屋さんの壁には長方形のふちどりタイルが。


こちらもアーケードに面した、鶴形ビル。六角形の窓が60~70年代っぽいぞ。


中を覗いたら、吹き抜けの階段ホールの壁が一面タイル貼り。そして見上げた天井照明が、カ、カワイイ・・・!!
上を向いてスマホで写真を撮りまくるが、う~ん、全体が入らない~~


2階へ上ってみようとしたとき、、、あっヤバイ!待ち合わせの時間が・・・小走りで仕事先へ(汗)

今ネットで調べてみると、不動産情報に1974(昭和49)年完成と出ていた。あぁ、やっぱりその時代だな。
上の階は賃貸住宅になっている。1LDKで共益費込み62000円だって。いいね(笑)

続く
コメント (2)
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2017.12.16~17 名古屋、多治見 もくじ

2018-03-21 21:48:41 | Weblog
去年の12月、再訪したいと思っていた多治見へ行ってきた。その時モザイクタイルミュージアムで
京都市陶磁器試験所の特別展をやっており、ちょうど興味を持っていたのでいいタイミング!
14時まで名古屋で少しうろつき、そのあとレンタカーで名古屋郊外の建築に寄り道しながら多治見へ向かうことに。
最初の大須でのんびりしていたらスケジュールが押し押しになってしまい、翌日も多治見で押し、笠原で押し・・・
レンタカーの返却がちょっと遅れてしまった。スミマセン・・・


大須をうろつく。その1
大須をうろつく。その2
大須をうろつく。その3
多治見の夜歩き
多治見の朝歩き
多治見の朝歩き 2
多治見の朝歩き 3
市之倉を歩く。

サカエストリート
笠原をうろつく

モザイクタイルミュージアムはやっぱり楽しかった!特別展のタイルは写真撮影不可だったけど、陶磁器試験所が
作り出そうとしていた「日本独自の」タイルやテラコッタは、民藝にも通じるデザインのものもあり、質感や色合いも
とても魅力的だった。こういう日本が誇る美術タイルの流れを、今こそ復活へ!!
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市之倉を歩く。

2018-03-21 01:46:46 | 建物・まちなみ
多治見の続き。

多治見のまちから車で15分ほど走り、市之倉という地区にやってきた。
駐車場に車を停め、市之倉オリベストリートを歩く。多治見のオリベストリートと比べると何とものどかな
田舎の一本道であるが、お天気もいいし気持ちいい散策。


集落ごとに違う製品を作って住み分けていたらしく、この市之倉は昔から盃を作っていたところ。


しかし窯も軒を連ねているというものではなく点在するぐらいで、入ったら買わずに出るわけにいかなそうだなぁ(汗)


古い窯道具を利用した花壇を発見。この無造作な感じがなかなかいいね!


目を上げてみると、「窯元平正窯 見学可」と書かれた陶板の看板が目に入る。おぉ、ここは窯元なのか。
他のお客さんも入っているからちょっと覗くのにはよさそうだな。入ってみよう。


入口の戸をあけると土間にタイルというか陶板が敷き詰められている。うわ、素敵だなぁ・・・


窯道具の廃材らしきものもあるな。しかし丸の中央に器のカケラがはまっていておしゃれ。


土間の左手に続き間の座敷があり、そこに作品が多数展示されていて販売もしている。後から見たら
素敵な器がたくさんあった。商談中なのか知り合いなのか、店主の方は先客と話をされているので、
勝手に見るのには都合がいい(笑)。「どうぞごゆっくり」と声もかけていただいたので安心して見る。


しかし、私が惹かれたのはこちらの棚(笑)
鉱物の塊が並び「鬼板」「珪石」「カリ長石」などの札がついている。へぇ~これが焼き物の原料なのだな。


奥の部屋には「川の流れ物語」と書かれたパネルなども置かれていた。ははぁ、これはどこかで展示をしたのだな。
モザイクタイルミュージアムだろうか。こんな展示なら面白そうだな!見たかったなぁ~~


裏口へ抜ける戸があったので覗いてみたら、裏に作業場があった。階段は窯道具を利用して作られたと見え、
周辺にもたくさん積んである。作業場と店を行ったり来たりしていた店主のおっちゃんに、床の平板のことを
聞いてみたら。ここに敷くために焼いたものだとか。手作りの陶板を敷き詰めるなんて!あぁ、なんて贅沢なんだろう。


そして脇には石もいっぱい積んである。これは何の石だろう??かなり薄いカケラもあって透き通るようできれい。
「これは何ですか?」「これは釉薬の原料の長石。きれいでしょう」「この薄いのきれいですね!」


「山から取ってきて置いてあるんです」「えっ、自分で山から採ってこられるんですか!?」
「山に行けば何でもありますよ」。岩を掘りに山へ行っている、まるで鉱夫のような写真もあった(笑)


この石臼に入れて砕くのだと言いながらこちらも石でできた杵で搗くまねをして下さった。
石の杵も最初はもっと長いのだが、使っているうちにどんどん磨り減ってしまうのだそうだ。


砕いたものに銅とか鉄などの鉱物を加えて織部や黄瀬戸などの釉薬を作るのだという。
思い通りの色の釉薬を作り出す研究を日々続けられているようだった。楽しそうだなぁ~


建物の横にも石のかけらが通路にはみ出すほど積んであった。
いい長石が取れる場所は決まっているそうで、こちらは新潟の、こちらは福島の、そしてこちらは白川の上流
の方で取ってきたもの、と説明して下さる。
「やっぱり違いますか?」「全然違いますよ。これは焼いたら火色がでます。すでに石に表情が出てるでしょう」
「ははぁ、ほんとですね!」

ボチボチだが陶芸もやっているので、もっと詳しく釉薬の原料のことを知りたかったのだが、いかんせん
化学の基礎知識がないもので(汗)
お店に入って石ばっかり見てスミマセン・・・(爆)

このあと引き返し笠原へ移動、サカエストリートでひとりでランチし、笠原のまちをうろついてから、モザミューで展示を見たのだった。
それにしても、きょうの記事の写真は地味・・・(笑)。賑わしにサカエストリートの写真を貼り付けておこう(爆)


実はこのとき12月に多治見へ行ったのだが、1月中旬に写真を保存している家のサーバーが壊れてしまった!
たまに外付けハードディスクにバックアップを取っており、直前にもバックアップしていたのだが、
この多治見の写真がなぜか抜け落ちていた。それで取り急ぎサカエストリートと笠原の記事は、スマホに残っていた
写真のみで作ったのだった(汗)


他にも家族旅行の写真などバックアップを取っていなかったものがあり、データ復旧できるかいろんなところに
見積もりを取ったが、12万円ぐらいかかるとか言われ(恐)自分で何とか取り出せないかと調べたり
連日ヨドバシに通って違う担当者に相談してみたり・・・・


詳しい人にも聞いて、悩んで・・・・最終、メーカーのサポート会社にデータ復旧を頼んで、3万円+消費税で
データを取り戻したのだった。出費痛いけど、、、まぁ最低価格でデータが戻ったのでとりあえずよかった。。。


10年ほど前にも当時使っていたサーバーが壊れ、2008年以前の写真が全部なくなってしまったのだった(泣)
その後バックアップを取るようにしたのだが、それでも不十分だなぁ。自動バックアップで常に更新するような
システムにしておかないと怖いなぁ~。


ブルーレイなどのメディアに保存するのがいいのかなぁ。。。悩む。


下記に続く。

サカエストリート
笠原を歩く
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老屋顔のお2人に会う

2018-03-20 01:57:06 | イベント
台湾でかわいいタイルや面格子の写真を撮って本も出版されている老屋顔のお2人。前々からファンだった。
つい近日日本で出された「台湾レトロ建築案内」という本のプロモーションイベントのために今回来日された。
イベントは2日間とも東京だったので参加できなかったが大盛況だったようだ。
その後大阪に来られるということで、一緒に食事をする機会に恵まれた。
前にも書いたが1月に台湾へ行ったときに、嘉義へ行く前に高雄で老屋顔さんのタイル展を見に行き、
そのときにお2人に会えるかなと思ったが会場にはおられなかったので、今回が初の顔合わせ。
発展途上英語力でもコミュニケーションは何とかなるもので(笑)、仲間数人と一緒に、初めてとは思えない
和気あいあいとした雰囲気の中、タイル談義、面格子談義、物件情報交換、プレゼント交換などとても楽しい時間をすごした。
ありがとう!!


サインももらったよ!


これはお昼に撮った淀駅前の河津桜。もうすっかり春だね!
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多治見の朝歩き その3

2018-03-19 23:54:27 | 建物・まちなみ
多治見の続き。

朝食後の朝活もかなり歩いて冷えたのでちょっと休憩しよう。銀座商店街の中の純喫茶、モリタさん。
10年前からずっと目をつけていたのだ。赤いテントがかわいいね!


そして外壁の「コーヒー」タイルもさっき撮っておいた。カップもあるよ!


おお・・・琥珀色の空間・・・素敵だ・・・


レースのカーテン、シャンデリア、オレンジ色のペンダント照明、由緒正しき昭和の純喫茶(笑)
気さくなおっちゃんとおばちゃん。店内の写真を撮らせてほしいとお願いしたら快く承諾いただいた。。


あぁ、ここではやはりモーニングを食べないと!さっき宿で朝食を食べたとこなのだが、いいよね、歩いたし(笑)


最初他のお客さんがいたが途中で帰られたので撮ることができた。特等席!!


もうそろそろ宿へ戻って多治見を出発しないと。しかし、あとあそこだけは行っておきたい。どこにあるんだろう?
検索したら、おぉ、三角屋はオリベストリートのいちばん端の方か。。。10年前の時は小道さんに連れられて
来たのでまったく地理関係が分かっていなかったのだ。ちょっと急いで行ってみよう(汗)


三角屋は元はカフェだった建物をリノベーションしたアンティークショップ。多治見では草分け的存在だろう。
この時は時間が早かったからかお店はまだあいていなかった。


しかし長年の汚れが積もってきているなぁ・・・掃除してあげたい。


軒裏にもタイルがびっしりと。屋号の周囲を取りかこむクリーム色のタイルがとっても好き。
トップがピヨッと尖がっていてほんとにクリームかメレンゲを絞り出したかのようだ。


軒周りは織部にブルーを載せたようなタイル。きれいだなぁ。


ブルーとグリーンのグラーデーションがとっても素敵!!なんておしゃれなカフェだったんだろう~


さて宿へ戻りチェックアウトして、車で昨日の夜に行った多治見修道院へ。
空はちょっと曇っているけど、ぶどう園の向こうに建つ白い壁、赤いマンサード屋根の修道院は美しく、
まるでヨーロッパの田舎にいるかと錯覚しそうだ。

1930(昭和5)年に建てられた地上3階、地下1階の木造建築。カトリック神言修道会の日本の本部として機能し、
外国から日本にやって来た宣教師が修道生活を送っていたという。

ここは大聖堂の入口で、行ったときはちょうどミサが始まるようだったので、ドアの隙間からちょっと中を
覗いただけ。。。


案内図を見ると修道院の敷地はずっと奥まで広がっていて、全部で1万8千坪。その中に3千坪のぶどう園がある。
ここで収穫したワインを修道院の地下室で醸造し、「修道院ワイン」として売り出している。

南山大学の神学生は1年間ここで修練するのだとか。南山学園は真言会が設立した教育法人だとは知らなかったなぁ。

続く
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