まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

一ノ関の建築めぐり

2017-09-30 23:01:23 | 建物・まちなみ
今年の夏休みは、梅雨と台風のシーズンの狭間を狙って東北へ行ってきた。
一昨年のGWにフェリーで北海道と東北の旅をしたのだが、そのときの印象が良すぎて(笑)、もう一度リピートしたくなったのだ。
今回は飛行機で仙台から入って秋田へ出る、前回とは全く逆のルートでプランニング。
ちょっとごぶさた気味の関空第二ターミナルからピーチの早朝便に乗り、9時過ぎには仙台駅に到着。素晴らしい!
まずは仙台駅から一ノ関までバスで行くことにした。安いし、早い!


一ノ関ではレンタカーを借りているのだが、その前に小一時間ほどまちをうろつく予定。駅前の観光案内所で
チェックしておいた近代建築の場所を確認し、情報収集。見どころやおすすめのお店はだいたい同じ通りに
集まっているようなので効率がいい。荷物を預け、レンタサイクルでいざ出発!

一ノ関は戦後水害にあっておりあまり古いまちなみは残っていないとのことで、ジグザグと走ってみても
石蔵が点々とあるぐらいで古い町家は見当たらない。



案内所のお姉さんが、ログハウス風のロシア正教の教会もありますよ、と言っていたので、先に
そっちを見に行こう。

川沿いを10分ほど走った小さな集落まで行ってみると、、、おお、確かにログハウスだ!
一関ハリストス正教会。しかしログハウスの教会とは珍しいな。


基礎はコンクリートで古さはそれほどでもないだろうが、かなり本格的なログハウスと見える。


それに敷地内には神父さんの住まいらしき家もあり、こちらもログハウス。軒飾りもあってかわいい!


教会は扉は鍵がかかっていたので住まいの方のインターホンを押してみたが不在のようだった。
残念。。。

立体的で細かい装飾のある真鍮製のドアノブ。

仕方ないので外観だけ見て回る。




後で調べると、ログハウスはフィンランドから輸入して1990(平成2)年に完成したものだそうだ。
高台に建つ木の教会は温かみがあって素敵だな。また20年、30年経つとさらに趣を増すことだろう。


街の方へ戻りながら、さっきとは違う道を走る。・・・ん?あれは?
住宅街の十字路を走り過ぎる瞬間ちらっと目の端に引っかかり、二度見するように引き返して見ると、、、
うわっ!すごい、洋館だ!


遠目には木造で下見板張りに見えるが、実は全面モルタル洗い出し仕上げなのである。変わっているなぁ!
窓枠などの色を違えてメリハリを出しているあたり、かなり力を入れて作られたようだ。

一般の方のお宅なので外から眺めるのみ。

このあたり、「城内」という地名なので近くにお城があったのだろう。割と広い敷地の住宅や
年季の入った前栽(というか、薮!?)も見られる。


河北新報社のえび茶色のビルの壁に大きく白抜きされた東北地方のシルエット。


近寄ってみたら、これは小口タイルで形作られたものだった!おぉ~、いいね!

地元愛を感じる(笑)

さて、あとは王道コースをさらっと回ろう。
こちらは日本基督教団一関教会。ここは古いな!1929(昭和4)年築。
とんがり屋根の塔屋に2連の尖塔アーチ窓が並ぶ。2階の途中で板張りが切り替わり、窓や軒まわりも
ラインが入るなどおしゃれ。


下見板にこってりと塗り重ねられた油性ペンキが、経て来た時間の長さを物語る。


あっ、鍵が閉まっている。え~っ、残念。教会はだいたい開いているんだけどな。。。


入口の庇も、聖堂の大きな窓も尖塔アーチ型で花型の装飾も入っていてかわいいなぁ。
内部もかなり見ごたえがありそうと想像できるだけに、見れないまま去るのは残念。。。


続く
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

洲本の路地のタイル

2017-09-29 22:44:42 | ディテール
mayumamaさんと淡路島に行ったときに、洲本のレトロな路地で素晴らしいタイルを見つけた!
元は小さな商店か作業場だったような二階建てのビルのファサード一面に、ターコイズブルーの
小口タイルがびっしりと!うわぁ~~




このブルーが「宇宙色」とでも呼びたくなる、何とも言えない深みのある色あいで、まるで夜空に
星雲や星団が何層にも重なっているみたい!


一枚一枚に銀河を閉じ込めたようなこのタイル、宇宙タイルと名づけよう(笑)


またこちらも近くの路地内にあった町家のファサードのタイルだが、キャラメルとホワイトチョコレートを
あわせてかけたような甘い色と、ちょっとイレギュラーな長方形の形がかわいいなぁ。
長方形のモザイクタイルって好き。


昭和40年代ぐらいと思われるありふれた町家なのだが、他とは違うこんなタイルが貼られているだけで
断然愛着が湧くよね!!この時代は皆ファサードのタイルを選んでマイホームに個性をプラスして
いたんだろうな。結構、こういうディテールが思い出に残るものなんだよね。


私も建て替え前の実家の建物のお風呂の窓の型板ガラスの模様とか、玄関のタイルの質感とか
大人になった今も鮮明に覚えているもんね。


ところで、洲本はかつて神戸や大阪、和歌山の深日港から船の定期便があったが、明石海峡大橋が開通して
陸路でつながると次々に廃止されていき、深日港からの便が2007年に休止されて洲本から本州への
航路はなくなってしまっていた。
ところが最近になって、関空~洲本の定期航路が復活。洲本~深日港の航路も復活させる機運が高まり、
この夏には社会実験として3ヶ月間、毎日運航していたのだ!
私もぜひ乗りたいと思ってチラシを印刷して手もとに置いていたのだが、この夏もいろいろ出かけて
ばかりいる間に、気がつけばもう終わっていた(汗)
社会実験の結果はどうだったのだろう。正式に復活してほしいなぁ。願わくば、弁天埠頭からの
航路が復活したらいいのだけど(爆)、さすがにそれはないか。。。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

喫茶アーチェリーのタイル

2017-09-28 23:14:39 | ディテール
用事で今里の方へ行ったのだが、時間を1時間間違えて早く着いてしまったので、どこか喫茶店でもないかと
商店街を歩いたら、アーケード街から横丁へ入ったところによさげな純喫茶が。迷わず入る。
喫茶・軽食アーチェリー。


おぉ~、入るなり目に飛び込んできたのは、床に貼られたデザインタイル!きれいだなぁ~~
地元密着型の落ち着いた店だ。大人しく一番奥の席に座り、モーニングを注文。

時々凹凸のついたタイル風クッションフロアにだまされるときがあるので、一応爪で床をつついてみる。
OK、本物(笑)。



連続で花模様になるこういう柄タイルは昭和40年代のものだろうな。床いちめんの大盤振る舞い!!
この手のタイルは一枚一枚を見るとくっきりとした柄で華やかだが、大面積で貼っても不思議と
主張しすぎず、それでいて雰囲気作りに一役二役果たしてくれる。
工芸的な味わいを残す最後の世代のタイルだと思う。ちょっと昭和くさく野暮ったい感じも私は大好きだ。

ん~いい眺め(笑)

偶然に見つけた喫茶店で素敵なタイルに出会えてよかった!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2017.09.02~04 茨城・日光 もくじ

2017-09-27 00:09:37 | Weblog
スカイマークの神戸~茨城便を使って北関東を攻めてみよう!!と思い立って、茨城空港から
レンタカーを借りての2泊3日。最近公私共に忙しく、プランを立てた直後に調べたっきりほとんど
ぶっつけ本番のような旅だった。

茨城空港のレンタカーキャンペーンを使ったので、茨城県内でレンタカーを返して1泊し、
翌日再び借りて日光まで走ったが、結構遠かった・・・(汗)
帰りはしんどいから車を小山に乗り捨てて、そこから鉄道とバスを乗り継いで茨城空港まで
戻ってきたのだが・・・これがまた、時間がかかる上にずっとロングシートで(汗)
最終日はお昼1時ごろに日光を出てから夜10時頃に家へたどり着くまでずっと移動、移動。
・・・完全に敗北。茨城空港から日光は、私にはちょっと無理があった。。。
翌日からの仕事のしんどさと言ったら・・・(疲)

春風萬里荘の馬屋
春風萬里荘のタイル
下館の建築めぐり
下館の建築めぐり その2
真岡の建築めぐり
真岡の建築めぐり その2
益子参考館
益子をぶらつく
日光金谷ホテルに泊まる
金谷ホテルの龍宮城
金谷ホテル別館
日光の建築めぐり 日光総合支所
二つの日光駅と田母沢御用邸
金谷カテッジ・インと真光教会
石岡を駆け足でめぐる

雨が降ったりいろいろ端折ったりして、帰ってきた直後は疲れの方が大きかったが、こうやってブログを書きながら
思い出してみると、結構楽しんだな!!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

石岡を駆け足でめぐる

2017-09-26 23:44:05 | 建物・まちなみ
日光からの続き。

帰りは日光から一気に茨城空港へ帰るため、長距離の運転はしんどいし自信ない。一時間半でも
眠気を覚ますのに必死なんである(汗)。それに渋滞も怖い。。。
あと、県をまたぐと乗り捨て料金が跳ね上がるのだ(爆) ・・・ということで、車の返却地は小山にて。

小山駅前から茨城空港へは、JR水戸線を友部で乗り換え石岡まで行き、そこから路線バス。
電車の本数が少ないので乗り遅れたら元も子もない。余裕を持って小山に着いたら、レンタカー屋の
すぐ近くの建物を1件見に行こう。


塚本医院。
玄関周りに薄いグリーンのタイルがみっしり貼られている。床面は無釉の色土タイル、腰壁は縦溝
タイルに薄く釉がかかっていて、その溜まり具合によって微妙な濃淡がついている。


素敵だなぁ!


耳鼻咽喉科の医院は今も現役のようだ。


横の窓にはステンドグラスがはまっているな。水に浮かんだ白鳥を描いたもの。
眺めていると、このお宅の奥様らしい方が裏口から出てこられた。こういう場合、不審げな顔を
されることも多い。


こんにちは、古くて素敵な建物ですね。あぁそうですか?
きれいなステンドグラスがはまっていますね。あぁそれは主人が買っておいたものをはめ込んだんですよ。
えっ、そうなんですか?ぴったり収まってますね!
裏の家を建て替えた時にそちらにはめたんですが余ったので。
あぁそうなんですか、まるで誂えたようですね!


ご主人のステンドグラスのコレクションは裏のお宅も彩っているのだろうか。見てみたいが、
そこまで厚かましいことは言えなかった(苦笑)


駅へ向かい、友部行きの各駅停車に揺られて1時間、常磐線に乗り換えて20分あまり。
石岡駅は新しい橋上駅がすっかり完成していた。2年前に来たとき、ちょうどその日から旧駅舎が
閉鎖
されて、仮設改札口へと誘導されたっけ。

改札を出て昔の面影を探しても全くわからない。空港行きバスの発着する東口へ出てみると、
ガラーンとした台地が広がっていて、全くキツネにつままれたような心持ち。。。
反対側の西口へ下りてきたら、見覚えのあるまちなみに出会えた・・・古いバスターミナルもまだ使われて
いるようだ。あぁ、よかった!

あっ、忠犬タローが銅像になっている!首には、誰がかけたのか、レイがかかっていた。
しかしロータリーができて駅前の雰囲気はずいぶん変わったなぁ。

空港行きバスは電車と全くリンクしておらず、次のバスまで丸1時間ある。ボーっとしているのも
もったいないので、石岡のまちを再び歩こう。同じところを歩くのも芸がないので、前回歩いていない
端っこの方の道を歩く。中心部のような大物の近代建築はないがちょこちょこ気になる建物があり、
写真を撮りながら歩く。
「えんや」さんは飲食店かな。リボンと花のレリーフがついている。


縦長窓が並ぶ、石岡印刷。


koyanoさんはスモーキーブルーの壁に白の縁取りでパッキリした印象。モダンで素敵だね!


水酉酒店。水平線が並んだ意匠は戦前だろうなぁ。


旧水戸街道をまち外れの方へ向かって歩くと、石や煉瓦や漆喰塗りの蔵なども見かける。




こちらは青柳新兵衛商店。今もお店をやっているのか?よく分からなかったが、その向かいの建物も
青柳商店と書いてあり、かなり手広く商売をされていたようだ。


煉瓦の部分はすべらかな質感の煉瓦が使われ、ふくりん目地になっていた。

ぐるっとひとまわりして、駅へ戻ろう。

ロータリーと新しい橋上駅舎。


駅前のヨット食堂。こういう昔から地元のお店もちゃんと残っていることにちょっとホッとした。


鹿島鉄道跡を走るBRTで、茨城空港へと向かったのだった。

神戸空港から家に戻ったのはもう22時。。。あぁ今日は13時に日光を出て、帰りの移動に何と9時間も
かかっているじゃないか!!むぅ~~(疲)

終わり。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

金谷カテッジ・インと真光教会

2017-09-25 22:21:03 | 建物・まちなみ
日光の続き。

金谷ホテルのガイドツアーで、金谷ホテルの前身とも言える金谷家の旧宅が残っていると聞いた。
代々東照宮雅楽の楽人として笙を担当していた金谷家は1800(寛政12)年頃から、
東照宮より拝領した屋敷に住んでおり、1870(明治3)年にアメリカ人のヘボン博士が日光を
訪れたときに自宅に泊めたことが縁で、金谷善一郎はこの建物を改造して金谷カテッジ・インという
外国人向けの宿泊施設として開業した。
20年間ここで外国人専用の宿泊施設として営業したのち、現在の金谷ホテルをオープンしたのである。

しかしそんな古い建物がちゃんとした形で残ってはいないだろう、復元建物かあるいはきれいに
改修された資料室ぐらい、とにかく単に記念碑的なものだろうと高をくくっていたのだが、、、
田母沢御用邸の向かいにあったこの建物を通りすがりに見てみると、意外にも魅力的な外観で残って
いるじゃないの。


しかし内部がどんなものかわからないな。400円の入場料の値打ちがあるか、まだ半信半疑ながら、、、
まぁ入ってみるか。
結果的に、これがすごく面白かったのだ!


隣接のベーカリーでお金を払ってコインをもらい、無人の自動ゲートに入れると開く仕組みが面白い。
蔵と主屋が残っていて、主屋の裏口から入ると案内係の方が説明をしてくれるという。
しかし建物内部の写真撮影はダメなのは残念!なので外観と窓の外に向けて撮った写真だけである(涙)


さて、台所から見学スタート。ここには当時土間で、川が建物内まで入って流れていたというのでびっくり!
滋賀県の新旭町の針江地区で見た「かばた」のようなもので、野菜や器を洗うなど便利に使えたという。
ただ、やはり湿気のために建物の柱の基部が腐り、修復時にすべてやりかえたとか。

その先には吹き抜けの囲炉裏の間。そこに面した目立たない板戸を開けると、中2階へ上がる階段が出現。
へぇ~、隠し階段かぁ、忍者屋敷みたいだな!
この建物は、鎌倉時代の武家屋敷の形態をとっており、敵に襲われたときに逃げやすく、敵が乗り込み
にくい造りになっているのだ。他にも数々の工夫が見られる。

その先が玄関に面した「寄り付きの間」。ここも天井が低いのは敵が刀を上段に構えられないように。
玄関には笹りんどうの家紋の釘隠しが。

金谷カテッジ・インは外国人客から「金谷侍屋敷」とも呼ばれていた。
サムライハウスって・・・今聞くとちょっとテーマパーク的でミーハーなイメージが・・・(笑)

庭に面した廊下を進むと右手に、客人を接待するための書院造の和室。
この部屋の奥の戸をあけると、何と、さっきの隠し階段とつながっていた!おぉ~

廊下をさらに進むと、明治20年に増築された棟に入る。そこにも階段があるのだが、これまた不思議。
壁に向かって左右両方に上り階段があって、右は本当に2階へ上がれるのだが、曲がり階段に
なっている左側は途中でふさがれている。しかし、ふさがれていなかったとしてもこの角度で上ると
どう考えても2階の廊下につながらないのだ。
ガイドさん曰く、追手を惑わすためのフェイク階段だったのではないかと言われているそう。


玄関脇の表階段へ戻って2階へ上がり、表側の廊下を進むとまず6畳のこじんまりした和室が。
部屋の奥に小さな地袋のような戸があり、それを開けると、、、何と、さっきの囲炉裏の間の
吹き抜けに面しているのだった!囲炉裏の暖気を取り入れたり、いざという時はここから飛び降りて
逃げることができるという。
次の8畳の間からも、またさっきの中2階の部屋へとつながっている。

屋久杉の天井の廊下を進み明治の棟に入ると、さっきのフェイクじゃない方の階段とつながっていた。
階段の降り口には扉があり閉めてしまうこともできる。
廊下や座敷には美しい杉戸絵が何枚も飾られているが、これは金谷ホテルを改装したときに
不用となった建具を衝立や額に加工したものだそうだ。

建物の裏側の廊下へ回り庭を見下ろすと。裏山から流れる清水が小さな池を作っている。


廊下の続きの階段を数段下りると、隠し部屋のような不思議な中2階の和室があった。
邸内各部屋からの逃げ込みルートとなっているこの部屋だが、とても居心地がよさそうな部屋だ。
そこには床にお釜が直接埋め込まれた形のこたつがあった。ユニークだな!
その部屋へは入ることができないため廊下から覗くのみ。廊下を回りこんで進むと、台所へ下りてきた。

今は休憩コーナーになっている台所の奥のスペースは、土間の作業場であったが、低い天井の中央には何と、
中2階の部屋の中央に埋め込まれていたお釜の丸いお尻が露出しているじゃないの!?
寒い土間で水作業をしている途中に、お釜のお尻に手を近づけて暖をとっていたとか。へぇ~~!!


トイレはまた別の階段を半階上がったところにあり(改装済み)、お風呂は五右衛門風呂が裏口の脇に。
こんなスキップフロアのような造りはもとの地形によると思われ、それをうまく利用して抜け道や
隠し部屋が作られたのだろう。いや~、面白い。


写真はダメでも細かく解説を聞きながらこれだけつぶさに見られるのだから、入って正解!!
しかしよくこれだけきれいに残っているものだなぁと思って聞けば、管理人家族がずっと
住み続けていたのだそうで、人の家だから変な改造もすることなくそのままの状態で保たれたと
いうのが実際のようだ。但しかなり傷みは激しく、大掛かりな改修工事が必要だったようだが、
内部はまるで改修などしていないかのような自然な仕上がり。素晴らしい!
改修を経てここが一般公開されたのはつい2年前のことという。


この日本の古い武家屋敷に泊まる体験やそこでのもてなしは当時の外国人にとって日光滞在の大きな
魅力だったに違いなく、彼らがその素晴らしさを自国で紹介したことで日光の知名度も上がり、
世界から客が集まる観光地としての地位を築き上げたのだ。
現在の日光金谷ホテルのホスピタリティの原点である、金谷カテッジ・イン。金谷ホテルに泊まったら
必ずここも見学することをお勧めする。あぁ~入ってよかった!

さてもう帰途につかねば。。。車を走らせたところで、ゴツイ石造りの教会が眼に入る。
あぁ、、、真光教会、最後にここだけ見ておこう。


ガーディナーによる設計の日本聖公会日光真光教会は1914(大正3)年築。
これは大谷石ではなく安山岩だということで、荒肌を見せた濃い色の石造の外観は迫力がある。


丸窓やバラ窓、ステンドグラスもあるようだな。


ちょっと中にも入ってみよう。


おぉ・・・急勾配の屋根の形そのままの高い天井にトラスとアーチを組み合わせた木製の梁が並ぶ。
よろいをまとったような外観からは想像できないほど内部は明るい。それは壁の色のおかげでもあるだろう。

後から調べたところ、内壁には鹿沼石が貼られているという話であるが、コンクリートボードのようだなと
思って見ていた白っぽいパネル、あれが鹿沼石なのか?
鹿沼土という園芸用で使う軽い小石は知っているが、鹿沼石とはあれの大きなかたまりなのだろうか!?
そうだとしたら、建築に使われるなんて聞いたことがなかった。

後ろの壁には外から見えていた大きな尖塔アーチ窓。ステンドグラスが美しい!!
外側には保護のためかアクリルパネルが取り付けられているようなので、こんなステンドグラスが
あるとは、外から見ただけでは分からないだろう。やっぱり中に入ると印象が全然違う。


そして丸窓にもステンドグラスがはまっていた。平和の象徴、ハト柄?いずれも淡く優しい色あい。


静かな聖堂の中、椅子に座って天井を見上げしばし心を平静にしたあと、少しばかりの小銭を寄付箱に入れて
教会を後にした。


続く。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

二つの日光駅と田母沢御用邸

2017-09-24 01:02:54 | 建物・まちなみ
日光の続き。

日光金谷ホテルから建築を見ながら駅までのメインストリートを下っていく。
日光にはJRと東武の2つの駅があるが、金谷ホテルや東照宮までは駅から2kmほど離れていて、
観光客は駅前からバスに乗るのが一般的だろう。
日光市総合支所からも1.7kmほどあり、チェックアウト時間までに往復するのは慌しいかと
少し迷ったが、車で行くと停めるのに困りそうなので、歩いていくことに。

小走り気味に坂道を下っていくとまず見えてくるのは、東武日光駅の山小屋のような大きな勾配屋根。
おぉ、いいねぇ!
1979(昭和54)年に改築されたものらしいが、シンプルかつ落ち着いた雰囲気で、
時計や軒周りの細部にこだわりがあって愛着が湧くデザイン。インパクトがありながら
周辺の景観にもなじんでいる、素晴らしい駅舎。こんな駅に降り立つと遠足気分も高まるな!!


地図を見ると、JR日光駅を押しのけて前へ出たような位置に東武の駅がある。
かつては国鉄と東武とで客の獲得を激しく競っていたようだが、現在は首都圏からのアクセスは
東武の方がメジャーのようだ。


そしてこちらがJR日光駅。ほぉ~、日光東照宮の玄関口としての国鉄駅はさすがに格が違うな!
JR日光線の地上の終着駅だが頭端型でなく通過型。駅舎は1912(大正元)年に建てられた
2代目である。外国人や皇族も頻繁に訪れた駅だけに本格的な洋風駅舎として造りこまれている。


上下窓の正方形の格子が端正で、中央のアーチ型の窓が素敵なアイキャッチになっている。
軒周りは出桁になっていて真壁造りの和風建築にも見えるが、和洋がうまくなじみ全体に上品な
フォルムとなっている。


今年の春にリニューアル工事が完了しており、ピンク色も塗り直されたものだろうが、
これが無垢の木色としっくい壁ならイメージはずいぶん和風寄りになるかもしれない。


こちらは貨物の積み込み用のスペースだったのか、それとも団体客用の出入り口だったのか。


2階は一等車利用者用の特別待合室だったが、現在「ホワイトルーム」として公開されている。


上へ上ってみたがガランと広い空間にシャンデリアだけがぶら下がっていてちょっと寂しい。
しかしこの風格漂う駅舎が現役であることはとても感慨深いな!


そうこうしている間に電車が到着したようだ。改札口からわらわらと人が出て来るわ出て来るわ。
バックパックを背負った外国人客も多く、ハイキング装備の日帰りらしいグループ客も、一斉に
駅前で自撮りを始める(笑)。こうなるともう駅舎の写真など撮れたものじゃない。

さぁ、どちらにしてももう戻らねばならない。帰りは上り坂だしバスでピュ~ッとホテル前まで
乗りつけよう、と先にバスの時刻をチェックしていたのだが、駅から出てきた客がバス停に
ずらりと並び始めたので慌てて私もバス停へ。

チェックしていたバスよりも早いバスが来たので、どれでもメインストリートを走るだろう、と
高をくくって乗り込んだら、「世界遺産めぐりバス」はまちなかを迂回して川向こうを走り
東照宮へ直行するルートだった。あいたたた・・・・(汗)

金谷ホテルに一番近い「ホテル清晃苑前」で降りるつもりだが、その手前の細い道でバスは
渋滞で動かなくなってしまった。ええっ!?運転手さんのところへ行って聞いてみる。
「これは何の渋滞ですか?」「駐車場入場の渋滞ですよ」「駐車場が満車で待っているのなら
駐車場が空くまで動かないのですか?」「そうですよ」「いつもこんなんですか?どのくらい
かかりそうですか?」「わかりませんね、駐車場が空くまで1時間でも2時間でも待つしか
ありませんから」「ええ~!?バス停はまだですか?ここで降ろしてもらうわけにはいきませんか」
「それはできません。何かあったら私らの責任になりますから」

それは理解できるが・・・渋滞していると分かっているところへ突っ込んで1時間もカンヅメに
なる可能性があると先に教えてくれたら、歩いて行くとか別の路線に乗るとかできるだろうに、
他の乗客は誰も何も言わず大人しくしている。逆に「運転手さんの責任になるんだから
そんなこと無理に決まってるよ」と私がたしなめられる始末(苦笑)。
ダメモトで聞いてみただけで別にゴネてもいないんですけど・・・


幸い、前にいたマイカーが何台も諦めてUターンして列から抜けていったのでジリジリと進み、
清晃苑前バス停に到着。逃げるようにバスを降りて最短距離で宿へ向かう。
抜けた道がとっても石垣が美しく雰囲気がよかったので、ゆっくり散策したかったなぁ。

・・・というわけで、日光に行ったのに東照宮へ行く余裕はなかったのであった(爆)

急いで部屋へ荷物を取りに行き、11時ギリギリでチェックアウト。売店でお土産を買ってから
別館を見学させてもらって、車で出発したのはもう11時半。
いくつかの建築を巡るつもりだが、明治の館へ向かうのは自殺行為だなと諦め、田母沢御用邸へ。


この建物は、日光出身の銀行家小林年保の別邸に旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築して、
1899(明治32)年に大正天皇のご静養地として造られた。その後も増改築を重ねて
広大なお屋敷となった。現在の姿になったのは1921(大正10)年。


1947(昭和22)年に御用邸が廃止されたあと他用途に使われてきたが、栃木県が修復工事を
行い、2000(平成12)年から一般公開されている。
内部の修復は完璧すぎて、、、ちょっと物足りない(苦笑)。すべてが正統という感じで
庶民の私にはくつろげないなぁ(笑)


謁見所。


湯殿の外にあったお湯のタンク。ここからパイプで湯船にお湯を供給していたのか、それとも
桶で汲んで運んだのだろうか。


御学問所。


雛菊のふっくらした花びらが美しいな。桜や鶴や白鳥・・・見事な杉戸絵は邸内あちこちにあった。


枝垂桜の古木は、シーズンになると見事な花を咲かせるそうだ。


部屋に上がり込むことはできないもののかなり広い範囲が公開されていて、各年代の建物を
見ることができ、小川の流れるお庭の散策路を歩きながら外観も楽しめるので、510円という
入場料は安いなぁ。
・・・しかし私はあまり時間がないので駆け足で見て回って、次のところへ行こう。


続く
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日光の建築めぐり 日光総合支所

2017-09-23 02:16:54 | 建物・まちなみ
日光の続き。

日光金谷ホテルで朝食を取った後、散策に出かける。高台にそびえるお城のような日光市役所日光総合支所は
昨日の夜暗闇の中歩き回っているときに高台にぬっとそびえるこの建物を見つけて、いったいナニモノかと
驚いたのだった。


役所と知って、「なんちゃって建築」かと思ったのだがそうではなく、もともと「大名ホテル」として
1919(大正8)年に建てられたものだそうだ。但しホテルとしては使われることなく戦争に突入、
古川電工の宿舎として使われたあと、戦後に市役所が入ってもう70年ぐらいになる。


ネット情報では内部の見学もさせてもらえるらしい、、、裏へ回ると壁は下見板貼りで、玉石積みの
基礎も残っている。うわぁ~~、窓サッシも木製でいい感じ!!


裏口からタバコを吸いに出てきた職員の人に声をかけたら、どうぞ入っていいですよ、と。
わ~い!




しんと静まり返った廊下。市民の窓口は表側にありここはほぼ事務スペースのようだ。


天井がとても高く落ち着いた色の廊下。もともとホテルとして建てられたというが、
ガラス窓が多用された開放的な空間は、役所か、学校か、という感じ。


奥へ進むと偉いさんの部屋らしき部屋と応接室があった。開けっぴろげで風通し良さそう(笑)


細い桟で装飾的に割付けられたガラス窓がステンドグラスみたいで美しいなぁ~!


建物の端にある階段は通行禁止の看板が。




階段は建物の中ほどにもあって、こちらからは上の階へ上ることができる。


側面には唐草のような装飾が彫られ、手すり子も端の階段よりも凝っている。


上がったところにフロア図があって、3階と書いてあった。じゃあさっき居たのは2階なのか。
3階には会議室や議員控え室などがあるようだ。

外から見るとこの建物はもう1階分あって、どこから上るのかとキョロキョロ探すと、どうやら
中央の階段がさらに上へ続いていたようなのだが、今は完全にふさがれていて最初全く気づかなかった(汗)

最初入って来たところから階段を下ると正面の玄関に出てきた。ここが1階か。
傾斜地に建っているので、ちょっと複雑な構造になっている。


まるでお城のような石垣が。右側が1階分高くなっているんだな。
迷路みたいで探検気分を味わえて面白かった。

カメラをぶらさげてうろついていても何も言われることなく、自由に見れたのでよかった。
さすが世界的観光地、市民に開かれた役所だな!(笑)

ホテルからの散策ではいくつか古い建物もあった。こちらは金谷ホテルの入口脇に建つ日光物産商会。
レストランや土産物屋、金谷ベーカリーも入っているので、ホテルの関係施設かと思ってしまうが
特に関係はないようだ。内部も装飾のある柱や階段などレトロな空間が広がっているらしいが、
夜の散策では閉店後、朝の散策では開店前。店内に入る機会がなかった(苦笑)


店の前にあったこれは乗り物じゃないの!?ロープウェイのコンパートメントだ。
そのままドアを開けただけで電話ボックスになっているのが面白いなぁ。


日光彫のお店。2階にぐるりと巡った欄干、ガラス窓の格子などが目を引く。


ちょっと珍しくモダニズムなこちらの建物は医院かな?


続く
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大連のタイル

2017-09-22 01:53:28 | ディテール
この三連休は建築めぐり講座の仲間と大連に行ってきた。
大連は、ロシアが清から租借していたが日露戦争により日本の租借地となったところ。
ロシアによる街づくりを引き継いで、理想の近代的都市計画を行い、一時は日本の都市よりも
先進的であったとも。第二次大戦の終戦により日本が去りソ連が接収。その後完全に中国の
管理地となったのは1955(昭和30)年である。

日本が撤退してから70年が過ぎた現在も、放射状の街路やロータリー、日本時代に建てられた
近代的洋風建築のまちなみはほとんど当時のまま残り、使い続けられているのだ。
また日本人の住居が建ち並んでいた「日本人街」も各所にあり、かなり老朽化しているとは言え
庭付き一戸建ての洋風住宅が整然と建ち並ぶさまは当時の豊かな暮らしぶりを彷彿とさせる。

そんな建築を見て回る中で見つけた数少ないタイルをまとめて紹介。
大連にはタイルが少ないと聞いていたが、本当に少なかった(汗)

今回泊まった大連賓館(旧大和ホテル)のロビーの壁泉。おぉ~!
入るなりチェックインもそこそこに吸い寄せられる(笑)。


4重に囲まれた額縁。一番外側のはタイルというかテラコッタと思われるが、どうも、上から緑色の
ペンキが塗られたように見える。
中央部が渦巻状に突起した緑色のタイルは、日本っぽい雰囲気漂うデザインが素敵だな!
これは元から緑色の釉薬がかけられたものと見える。


あめ色の枠の中を2cm角ぐらいの窯変モザイクタイルがびっしりと埋め尽くす。味わいのある
色合い!


・・・しかし、これらのタイル、手でなでてみると妙にペタペタするのだ。どうも表面にニスを
たっぷりと塗ってあるようで、タイルの固く冷たい感触が感じられない。。。
タイルの保護のためか、それとも光沢を出すためなのか、よく分からないが、あの手触りは
気持ち悪い(汗)。タイルは見かけだけでなく感触も楽しみたいのに、ちょっと残念だなぁ。


ホテルの中でもこの他にはタイルがほとんど見当たらなかった。
こちらのエレベーター横の小部屋の床タイルぐらい。


中山広場というロータリーを取り囲むように巨大で壮麗な銀行や役所建築が建っているが
さすがに大銀行が現役で使っているので内部は改修済み。
私はどちらかいうと住宅建築や小さなまちなかの建築を楽しみにしていた。

日本人街の小さな洋館をめぐっているとき、玄関先にわずかにタイルが使われているのを発見。
床に市松模様に貼られた色土タイルと、壁の施釉タイル。しかし色は地味~~


豆タイルを12×12並べて貼ったようなタイル。


こちらはまた別のお宅。玄関から一歩入ったところで、もとは外壁だったと思われる。
二丁掛の縦溝タイルが六角形の窓のまわりに貼られていた。


外壁全体をタイル貼りで飾っていたお宅。二丁掛のタイルを縞状に貼っている。

こんな建物だから内部にもタイルがありそうだなぁ~~

これもタイルか?


こちらは旧大連派出所で、現在は共産党の関係(?)が使っている建物。
門が閉まっていたが中に人がいたので呼びかけて、ちょっと入って写真を撮りたいと、身振りのみで伝え
入れてもらった。エントランス床に華やかな色土モザイクタイルが!!

さすがにそれ以上入るのは止められたが(苦笑)、色ガラスの窓も見え、内部にはもっといろいろ
見どころがありそう~~~

古い住宅の外壁の布目タイル。こちらも色は地味だが、石材と組み合わせたファサードは渋くて素敵。


翌日は旅順に行ってきた。旅順は清の時代から軍港として重宝され、日露戦争の戦跡も多いが
終戦後も長らく一般人の旅行で行ける場所ではなかったようだ。

旅順で見つけたタイルは、元物産陳列所として建てられた、旅順博物館にて。
エントランスにも展示スペースにもタイルはいっさい見当たらなかったが、、、
立入禁止のドアが開いた瞬間に見えた、床の象嵌タイル。うぉ~~っ、やっぱりあったか!


他にもあるんじゃないか?と探したら、いちばん奥の展示室の、奥のドアのガラス越しに
見えた立入禁止の階段ホール、その床にもあった!光が反射して見にくいが・・・さっきとの同じタイプ。


赤と白と黒の三色の、これはやっぱり象嵌タイルだろうなぁ。色の境界はかなりくっきり。
日本製なのだろうか??あまり日本製の象嵌タイルって聞かないが・・・

非公開部分は改修していないからタイルも残っているんだなぁ。そういうところを見たいんだよ。

旅順のまちなかの住宅の外壁に、渋い外装タイルが。格子状に溝の入った二丁掛タイルで
水色っぽい釉薬がかかっている。


一見地味だが味わい深いなぁ。


これはタイルではないかもしれないが、大連のマンモス集合住宅の外壁のレンガの装飾貼り。
ワンポイントがおしゃれ。窓ガラスは割れたままなのだが・・・(汗)


初日が午後のみ、中日は丸一日、最終日はお昼まで、というとても短い滞在だったが、
同行の皆のおかげでたくさんの建築をめぐることができた。
タイル以外については、またいずれ・・・(苦笑)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

金谷ホテル別館

2017-09-21 00:22:12 | 建物・まちなみ
日光金谷ホテルの続き。

龍宮を見た後チェックアウト時間までまだ余裕があるので、まちなかへ繰り出そう。

エントランスホールの吹き抜け。

ホテル内には彫刻がたくさんあるのは、創業者の金谷善一郎が日光東照宮で勤めていたため
東照宮にある彫刻を模して造られたのだそう。これは想像で描かれた象の彫刻。


回転扉の上にも荘厳な彫刻が。


この回転扉は、当初の玄関(現在の2階)で使われていたものを、地下を掘り下げた後に移されたとか。
冨士屋ホテルにも回転扉があったな。


ガラス張りの部分が当初の1階、大谷石の柱が並ぶ部分が増設された1階。


しかし増設前の写真を見ると今の2階の様子とは全然違っている。当然だがファサードもだいぶ変更
されたようだ。


床には淡いグリーンの布目タイルが敷き詰められていた。


まちなかへ出て見てきた建築については、また次の記事に・・・


チェックアウト後に、花御殿、もとい、別館の客室を見たいとお願いして、ちょっと偵察に。
・・・本当に富士屋ホテルの花御殿とイメージがそっくりなんである(苦笑)


もっとも、冨士屋ホテルの方がゴテゴテ装飾過多気味(笑)、こっちの方があっさりしている。


唐破風の庇の下の玄関扉の両脇にはこれまた緻密な彫刻が。リアルなライオンもいる。右側は虎。




「野生のムササビがいたずら」って、見てみたい~~(笑)


別館は3階建で完全に客室のみ。本館と渡り廊下もなく不便だろうが、その分ゆっくり過ごせるのだろう。
夜にフロントで聞いたとき満室だということだった。


いちばん奥の三室は特別仕様?上品な唐紙貼りの壁や襖、行灯のような照明と、ベッドがマッチしたシックな
和モダンインテリア。


さすがにここは高いのだろうなぁ~


唐紙や天井や障子の格子、照明器具は皆違っていて、それぞれに凝っている。窓から見える緑は額に
飾られた絵のように鮮やかで美しい。。。
本館の部屋は、プールへの行きしな空いているドアからチラリと見たけど、シンプルな感じだった。
廊下から見た限りでも特別豪華そうな部屋はなかったが・・・
この別館の奥の部屋の方がしっぽり落ち着いて隠れ家感がある。


あぁ、こんな部屋に泊まったら、やっぱり外へ出ずにルームサービスを取って一日中マッタリ過ごしたい
気分になるだろうなぁ~


お掃除中お邪魔しました~~

続く
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

金谷ホテルの龍宮城

2017-09-20 00:11:55 | 建物・まちなみ
日光金谷ホテルの続き。

外で夕食を食べた後宿に戻り、再び館内探索。ツアーで巡ったところをもう一度写真を撮って回る。
一番古い本館も廊下を見る限り意外とシンプルだ。
本館の3階の奥へ続く細い廊下を歩いて行くと、何かバックヤードのような雰囲気になってきた。


ここは入っていいのか?でも立ち入り禁止とはどこにも書いてないので・・・進んで行く。


幽霊が出そうな雰囲気の廊下(苦笑)。蔵の横へ出たのでまた引き返し、別の方向へ向かう。


一番奥まで行くと、「スケートリンク、スイミングプール」と書かれたドアが。ええっ、この外に??
ドアのガラスに目を近づけて覗いてみるがよく見えない。虫が入って来そうなので開けるのはやめておく。
明日の朝また見に来よう。何か秘密めいてて面白いなぁ~~ワクワク♪

泊まった客室は特段クラシックな感じでもなかったが、広くて快適だった。



朝食会場は昨日見たダイニングルームにて。トーストと紅茶をお代わりしてお腹いっぱい食べたあと、
昨日のプールを見に行こう。フロントのお姉ちゃんに聞いたら、今でも営業期間は短いですがやっていますよ、と。
どうぞ見に行って下さい、とにこやかに言って頂いた。


あのガラスドアも明るい時に見たらだいぶイメージが違って見える。階段の通路が続いており、その先には
コテージのような建物が。。。行ってみよ!


おお、、、雰囲気あるなぁ~~素敵じゃないの!


年季の入った階段の踏面の板。




おおぉ・・・!?


「龍宮」だって!?「Dragon Palace」だって!?興奮してきた~~(笑)


欄干が巡ったガラス張りの食堂のような建物が、池に面して建っている。
そして・・・えーっ、これがスケートリンクなのか!?今は藻が繁殖して汚くなっているが、
冬には平らで滑らかな氷が張るんだろうか。それにしても天然のリンクができるなんて、
相当寒いんだろうなぁ。。。


建屋に入ると、暖炉の横にこんな木馬が!う~ん、欧米人の子供が遊んでそう~


一方、上ってきた階段の手前側には25mプールと小さな八角形のプールがあった。


四方ガラス張りの小部屋はプールの上に張り出す浮見堂のよう。
内部も時代を感じさせる。




スケートリンク横の建物は「観覧亭」、プール横の建物は「展望閣」といい、ともに1921(大正10)年に
建てられた。もとは全面スケートリンクの池だったのを、半分プールに造り変えたらしい。
昔の絵葉書の写真を見ると、大きな池の水面に観覧亭と展望閣が浮いているようで、まさに「龍宮」という名が
ふさわしい、夢のような光景だよ!


展望閣からは金谷ホテルの全貌を眺めることができる。


いやぁ、施設はボロボロだけど、このホテルの中でいちばん外国人向けホテルだった時代を彷彿させる場所だな、
この龍宮は。いちばんオリジナルの姿を残しているんじゃないか!?見に来てよかったぁ~!
真夏や真冬の、プールやスケートリンクが営業している時期に、賑わった様子も見てみたいなぁ~


続く
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

日光金谷ホテルに泊まる

2017-09-19 23:15:31 | 建物・まちなみ
益子からの続き。

日光金谷ホテルに着いたのはもう5時前だった。安いプランなので案の定、一番新しく簡素な「第2新館」。
ショボ~ン(涙)
17時から館内ツアーをやります、ということなので荷物だけ部屋に置いたらロビーへ戻り、
ツアーに参加する。日曜だがかなりの人が泊まっていると見え、ツアーも大盛況だった。


バー「デイサイト」は5時半の営業開始前に滑り込みでの見学、狭いので2班に分けて入る。


絞った照明、LP盤でジャズが流れる大人の空間で、大谷石の暖炉がある。
デイサイトというのは大谷石の学名だという。へえ~




次に階段を上り、2階の階段ホールへ。そこには和風の朱塗りの欄干と、3階へ上がる階段の真っ白な洋風の
華麗な手すりが共存。


そして火の玉のような照明が!うわぁ~、なんじゃこりゃ!
徳川の三つ葉葵の紋入り。


階段ホールを見上げるとこんな感じ。まさかこのすぐ横に火の玉があろうとは(笑)


階段ホールに面して、メインダイニングがある。夕食前の時間帯なので入れなかったが、そこの柱がすごい。
柱頭飾りが濃厚すぎる!




そしてソファが置かれたロビーのような部屋、そこは吹き抜けのエントランスホールを上から見下ろせる場所で、
何だか不思議な空間。


そこには鳥居形の鏡のあるマントルピースが。ここは神棚の拡張空間なのか!?


足元にタイルを発見。


実は、金谷ホテルのオープン当初は、現在2階である場所がエントランスホールであり、あとから地面を
掘り下げて1階を造ったのだとか。ん?どこかで聞いたことある話・・・あっ、冨士屋ホテルと同じじゃないの。


なんか、、、富士屋ホテルとイメージがもろにかぶるんだけど??と思っていたら、富士屋ホテル3代目社長の、
あの万国髭倶楽部の山口正造は、創業者金谷善一郎の次男で、金谷家から婿入りしたのだと。あぁ、なるほど。
説明によると、冨士屋ホテルの花御殿は金谷ホテルの別館と同じ設計者、同じ職人が作ったのだとか。
金谷ホテルの建設に際しては全国から職人が集められたが、そこが終わってから富士屋ホテルに一斉に
移動したという。




細い通路を通って、新館へ。バンケットホールという宴会用の大広間は、さっきのメインダイニングや
オープン当初のメインダイニングであった小食堂とは違って、柱が一本もない大空間!
吊り天井の方式で造られているという。




廊下には眠り猫の彫刻も。冨士屋ホテルにもあったなぁ。

皇太子さんやアインシュタインやヘレンケラーが泊まった部屋は特別室になっているとのことで、手書きの
宿帳のコピーが額に入れられていた。今の時代だと炎上するだろうが(笑)
ビリヤード場を見て1時間に及ぶ館内ツアーは終了。

まだ何とか明るさが残っているので外へ出よう。


坂道を下りたらお店がずらりと並ぶメインストリートなのだったが、、、すでにひっそり静まり返っている。
ええーっ、まだ6時なのに?少し建物を見るがそのうち真っ暗になってしまった。
夕食はついてないので何か食べようと思うが、空いている店自体少なく、選ぶ余地なし・・・(汗)
商売っ気がないのか、昼間に十分儲かるからわざわざ夜までやらないのだろうか。

でも入った店のオムライスはなかなかおいしかった。

続く
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

益子をぶらつく

2017-09-17 00:43:04 | 建物・まちなみ
益子の続き。

益子参考館は少しはずれたところにあったので、車に乗って城内坂通りまでやって来ると
さすがにお客が多い!車は一番端の奥の方にあった不便な駐車場に停めるしかない。
ま、無料だからよしとしよう。

小さな石造の祠は、一ノ関などで見たのと似ているな。


民藝っぽいやきものがたくさんあった大誠窯。大皿や敷き瓦から、小皿まで、圧倒的な量!
お店の前庭部分にも敷き瓦が敷き詰められていた。


店の裏手には立派な登り窯が。うわ~


そしてその手前には・・・ヤギ!?しっかりカメラ目線してくれた(笑)


こちらはG+○○というお店。気鋭の作家物をセンスよく並べてあり、購買意欲がむくむく。
品数は多くないが手仕事感のある上質のものが揃っている。


店の前においてあったベンチの背は、タイルが貼られていい感じ。こういう使い方は思いつかなかったなぁ!


城内坂通りを駅方向へ向かって歩いて焼き物店が途切れるあたり、日下田藍染工房という古い建物があった。


中では実際に藍甕がいくつも並んだ作業場でおっちゃんがもくもくと反物を染めていた。
甕の中には濃紺色の液体がなみなみと入っていて、そこに布を浸しては引き上げ、空気にさらす。。


藍甕の中で建てた藍は、徳島の提携農家に作ってもらったすくも(藍の葉を発酵させたもの)を使っているという。


ここでは綿の実から綿糸も紡いでいて、茶色い種類の綿から作った糸と、藍で染めた糸を使った
美しい縞や格子柄の布を、手織りで織っておられる。薄い水色はすくもでなく生葉で染める。
中庭でおばちゃんたちがおしゃべりしながら藍の葉をむしっていた。いいなぁ!


ここは陶庫という名の通り古い蔵をリノベーションしたお店。、ホーロー看板を見ると肥料屋さんだったのか。
個人作家の作品のみを扱っているということだが店が広いぶん品数も多く、焼き物だけでなく
木製品や金属製品などいろんな工芸品や雑貨も置いてある。


裏手にはこんなアーチ窓のある石蔵もあった。


いくつもの建物をつないでかなり広く見ごたえのあるお店だった。


下館のホテルは豪華な無料朝食がついていたのに部屋でダラダラしていてジュース1杯飲んだだけ。
そのあと食べたのは豆三のソフトクリームのみ(汗)、ようやくおそばを食べてほっと一息。。。

このあとG+○○に戻って、惹かれていたマグカップを自分用にひとつ購入。

さぁ、そろそろ行かないと。

ナビで益子から日光を調べると、、、えっ2時間!?1時間ぐらいじゃないの??
ヤバイ、日が暮れてしまう・・・(汗)

続く
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

益子参考館

2017-09-16 00:45:09 | 建物・まちなみ
真岡からの続き。

車で益子までやってきた。
陶芸のまちとして名前はよく知っていたし、おしゃれな店があって昔からあこがれていたが、なかなか
これまで来る機会もなかった。とりあえず益子参考館へ行こう。
ここは民藝運動の主導者の一人、濱田庄司の自邸だった場所で、彼の陶芸作品や各地の民芸品コレクションが
展示されている。また、建物自体も田舎の民家に美を見出して移設したものだ。


受付窓口を兼ねた1号館は1871年築の風格ある長屋門。


中に入ると世界各地から集められた特色のある焼き物が、これまた素晴らしい民族布の上に並べられている。
私は昔こういう染織品にハマっていたのだが、今もやっぱり見ると萌えるんである(笑)。




やわらかい織物との対比で焼き物がいっそう映える。


2号館と3号館は大谷石を積んだ石蔵であるが、震災で被害を受けたのだろう、内側に鉄筋コンクリートの
柱を立て梁をぐるりと巡らして耐震補強を施したようだ。


見上げた梁はなんか面白いことになっている。傘を広げたような小屋組、こんなの見たことないなぁ。
もとからなのだろうか!?


ここにも美しい染織品や焼き物や民芸品、そしてタイルもあった!



十分すぎるほど目の保養を。。。

「濱田庄司館」と名づけられたこの建物も長屋門である。


ひしゃくで大胆に釉がけするのをバーナード・リーチが横で見て、英国ではそんな贅沢に釉薬を
使えないと渋ったとか。勢いまで伝わってくる大皿を目の前にしてそういう文を読むと、
会話の光景がありありと浮かんでくる(笑)。


一番奥にある草葺きの母屋が4号館である。
立派な屋根は春風萬里荘と同じスタイルだな。1850年ごろに隣町で造られた庄屋建築で
1942年にここに移築したとある。来客を迎えるために使われていたようだ。


おやっ!?この子・・・紅塵荘(春日野会病院)にいた羊と似ているなぁ。




さすがにこのボリュームの草屋根を支えるために梁が2重3重に重ねられている。


残念ながらこの建物には上がることができず、土間や庭から部屋の中に飾られた作品を眺め
建具によって切り取られた空間とともに楽しむ。


裏には登り窯もある。作業場は窓辺にシンプルなろくろが並び、石積みで囲われた土室(粘土置き場)も
あって、濱田庄司らが創作に打ち込んでいた姿が今も見えるような気がした。






あぁ、美しい日本の民家の庭先を歩き回りながら素敵な焼き物や布などを愛でることができ
ここだけでも十分益子を堪能した!!


さぁ、益子のお店を見て回って、いいのがあれば買いたいなぁ。

続く。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

真岡の建築めぐり その2

2017-09-15 00:39:57 | 建物・まちなみ
真岡の続き。

さてこちらは岡部記念館、金鈴荘。
明治中期に真岡木綿問屋、鈴木屋の2代目岡部久四郎が別荘として建てたもの。


土蔵造りの建物で、内部は黒檀、紫檀、タガヤサンといった硬い木を多用している。
材料を長年かけて集め、大工や職人をわざわざ事前に東京で修行させたという、気合の入れよう。


案内人のおっちゃんがいたので20分ぐらいで説明してほしいとお願いし、案内してもらった。
1952(昭和27)年まで、岡部家の別荘として、呉服店の展示会や商談などに使われたそうだ。
その後1988(昭和63年)まで割烹料理店として利用されており、「金鈴荘」はその時の
名前だという。

四つの座敷が横一列に並び、その周りを廊下がぐるりと一周する変わった間取りは料亭向けだな、
庭に面した廊下の梁は何と長さ7間分の一本モノのケヤキの丸太が使われている。


ガラスも古い手吹きガラスが使われているが、先の東日本大震災でも一枚も割れなかったとか。

しかし震災のときは震度5で、しっくい壁がはがれ、屋根瓦も落ち、痛ましい姿に。
その後復旧に7000万円かかったが、文化遺産として残すことができた一方、通りに面した
店の建物は復旧に1億円かかるとのことで断念したそうだ。解体撤去され現在は駐車場となっている。

急すぎる階段。最初はここしかなかったが危なすぎるので、後年別のところにもう少し
緩やかな階段を造ったというが、いやいやそちらも結構な急勾配。これだけ高級な材を集めて
造ったのに、階段はないがしろ!?


商談の接待で使われた2階は、板の間が芸者さんの舞台となり、接待客が座敷から鑑賞したという。
最盛期には置屋が5軒、芸者さんが100名もいたのだとか。




ふすまの枠まで黒檀。


基礎にはこのあたりではよく見られる大谷石でなく、角礫凝灰岩(磯山石)が使われていると
いうことだったが、間近で見られなかった。


岡部家の人物についてのエピソードを聞きながら1階、2階と見て回っていると20分の予定が
30分、40分と・・・(汗)。結局1時間近くいてしまった。

案内のおっちゃんにお礼を言って金鈴荘を後にした。

車で少し走り旧大内村役場を見に行く。小さな集落だろうから現地に行ったら分かるはずと
楽観していたら見当たらず、あっちこっちで引き返してうろうろ(汗)。
豆三という豆腐屋で豆腐ソフトを食べて店の人に聞いてみたらすぐ近くだったが、細いわき道自体
知らなければ絶対通り過ぎてしまうだろう。


あった。正面の連続アーチのテラスがおしゃれだな!
角部分が塔屋のように少し出っ張っていることで、変化のついたフォルムになっている。
3階の角部分の変わった窓の配置や鋭角の装飾が面白い。


1929(昭和4)年築。


側面の入口の庇はこんな階段状の持ち送りになっていた。


この建物はボーイスカウトの拠点になっているようで、建物の横で手旗信号の練習をやっていた。
外観をひと通り見終わってから声をかけて建物の中に入れるかと聞くと、快く見せていただけた。


1階は郷土資料を展示する「大内資料館」ということだが、公開されているようには見えないな。。。


2階はボーイスカウトとガールスカウトの集会所になっていて、簡易的に改装されていた。


全体的にかなり老朽化している旧大内町役場。これでも日常的に使われているだけマシなのだろうか。


真岡に全部で1時間の予定がかなり押してしまった(汗)。

続く
コメント
この記事をはてなブックマークに追加