まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

廃線跡、ときどき廃川跡

2010-09-26 18:23:58 | 風景
東高洲橋を見て、工場地帯を歩いたあと。

尼崎の築地地区から運河を北へ渡り、運河と阪神高速の高架とに挟まれた場所、地図を見ると
そこが国鉄尼崎港線の尼崎港駅跡のようだ。
尼崎港線は福知山線の支線で、1891年開業の馬車鉄道に始まる歴史の古い路線。
貨物と旅客の混合で営業していたが、国鉄民営化の3年前の1984(昭和59)年に廃止された。
その場所も今は公園になっていて鉄道の面影は何もない。

ちなみに、帰ってから昭和58年の地図を見るとそこからレールはさらに西(写真左)へ、
運河を渡って旭硝子の工場まで伸びていたようだが、すでに橋もないし新しい護岸になっていて
わからない。


尼崎港駅跡の公園の東端あたりに来ると、阪神高速の高架下に日通の事務所ビルが
変な角度で建っている。


はは~ん、この前を斜めに線路が通り抜けていたのだな。高架柱もスペースを空けるように
この部分は変則になっている。高架下を北へ抜けたところから、小学校の横をまっすぐ
北北東へ延びる道沿いに、尼崎港線の線路はあったはずだ。たどって行こう。


あっそうだ。その前に、、、、

もうずいぶん前だが大物川跡をたどったときに、この高架の北側まで見て、南側は次の機会に・・・
としたのだった。大物川跡はちょうどこの横。もう一度高架の南側へ回り歩いていくと
橋になっている部分があるのでここが川跡だとわかる。その下を覗き込んだがまっ暗闇。


歩道を挟んで資材置き場になっている一角には、両側にコンクリート護岸が残っていた。
最下流でも川幅は意外と狭かったのだな。




そこから先は駐車場とマンション・老人ホームが建っていて川跡の名残もないが、マンションの
南側に現存する運河の側から見れば大物川が接続していた様子を思い描くことができる。
橋の親柱の表記によるとこの運河は旧左門殿(さもんど)川だそうだ。
今は流路を寸断され河口を中島川にゆだねる左門殿川、その寸断された先の部分である古い
流路らしいが、ガチガチに固められた人工護岸ではもう人工の運河との見分けもつかない。
大物川もこんな感じだったんだろうか。

大物川の行く末を確認できたところで、尼崎港線めぐりに戻ろう。


広い道路に面した軌道幅の奥行きをもつ敷地は宅地にぴったりで、廃線後すぐに住宅が
建てられていったようだ。

しばらく行くと空き地があり創価学会の駐輪場になっていた。古いレールが柵として利用されて
いるのが線路跡の名残。いい感じ~


ここから大物駅まではまた小工場や住宅である。仕事でこの辺りにちょくちょく来ていた頃、
もっと空き地があったような記憶があるのだが、、、、まだこういう趣味に目覚めていない
頃だから7~8年以上前かな(爆)


続く。

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2 コメント

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尼港線 (マユ35)
2010-09-28 05:46:38
中学1年の春休みに一度乗ったことがあります。川西池田発の殆んどガラガラの列車でした。尼崎港駅は当時も阪神高速下の殺風景な雰囲気でしたね。
帰りは塚口で1時間近く停車して、殆んどやる気の無い営業でした。
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マユ35さん、 (ぷにょ)
2010-10-02 01:20:40
中学1年の春休み、ですか。それはもう廃止寸前だったのでしょうね?
塚口発でなく川西池田から乗り入れていたのですか?
ネットでいろいろ検索していたら昔の写真がありましたが、
貨車と客車を引いたディーゼル機関車が国鉄を越え、阪神電車をくぐって
尼崎港まで走る姿をこの目で見てみたかったものです。
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