まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

水沢の建築めぐり その2

2017-10-03 23:23:25 | 建物・まちなみ
水沢の続き。

水沢でもう一軒見たい建物がある。
市街地へ入るとなんか大きな邸宅が並んでるぞ。ここはいったい・・・?ああ武家町なのかぁ。
それにしても結構規模が大きいなぁ。立派な垣に囲まれたお屋敷が目につく。
ちゃんと武家屋敷観光用が整備されていたので、そこに停めて歩いていくことに。

目当ての建物は、水沢後藤伯記念公民館。後藤伯というのは、後藤新平のことである。
台湾近代化の父と言われ、まあた日本においても初代鉄道院総裁として国鉄の基礎を築き、
関東大震災後の復興計画を立案するなど、日本とその植民地の近代化を推進した後藤新平。
彼は水沢の出身だったのだ。


この建物は1941(昭和16)年に、読売新聞社の社長であった正力松太郎の寄付により建てられた。
正力松太郎が読売新聞社の経営を始めるときに後藤新平が個人的に資金を調達してくれたことに
対する恩返しであった。

水沢市公民館だったが「奥州」市になったので「水沢市」の部分が塗りつぶされている。

大きな三角形の屋根がインパクトある!妻壁には縦長窓が。吹き抜けになっているのかな。


先に外回りを見てみよう。
築地塀を模したボーダータイル張りの塀が道路際に続き、その内側に並ぶ半長円断面の出っ張り。
瓦の載った勾配屋根を見て木造と見まごうがどうやらRC造のようだ。


門の中に入ると正面に衝立のようなタイルの壁が目の前に立ちはだかっていて、右側から入るようになって
いるのがちょっと不思議な感じがしたが、元々は車寄せだったとあとから聞いて納得。
道路拡幅のために左側の敷地が削られ、車寄せとしては使えなくなったらしい。


あっここにもある。今回の旅の途中でちょくちょく見かけた、この小さな石の祠のようなものは、
箱状になっているが中にご神体があるわけでもなく、お供え物を入れているわけでもなく
空っぽの祠のようで不思議。


そこの屋根は木造の梁がむき出しになっていて、山小屋風で素敵!
側面から見るモダンな印象とはずいぶん違うな。


オレンジ色のボーダータイルがきれい。


係員の方に見学させてほしいと声をかけると快く応じて下さり、自由に見て回ることができた。
現役の公民館と武道場として使われているので、内部はそこそこ改修もされている。


講堂は柱のない空間!屋根の勾配とは若干異なるようだが、これは吊り天井なのだろうか。


そして廊下を奥へ進み右へ折れる暗い通路の先に、武道場があった。こちらも建築当時のまま使われて
いる感じ。壁の扉は奉安殿かな。


2階の会議室は三角屋根の中央部だな。高い天井と大きな窓が開放感いっぱい。
照明器具は戦後取り替えられたものらしいがレトロでいいね!


道路拡幅前の水沢公民館の写真が飾ってあった。左側に翼棟が続いていたことも分かる。


中庭から見ると、大和棟のように勾配の違う屋根が重なっている。

隣接する後藤新平資料館は新しい建物だが、日本や台湾などにおける後藤新平の功績が展示されている。
あまり時間がなくさらっと見ただけだったが、大きな功績をあげた裏にはいろんな苦労があったことも分かり
興味深かった。

水沢の武家屋敷は公開されているところもあり、まちなかも歩けば面白いものが見つかりそうな空気が
漂っていたのだが、みすみす通り過ぎるのは悔しいなぁ。
ここはちょっと立ち寄るだけではもったいない場所だったなぁ。


さて、そろそろ時間がヤバイがもう1ヶ所だけ。。。今は同じ奥州市内であるが元江刺市域へやって来た。
高台に建つ楼閣は、1874(明治7)年築の岩谷堂共立病院である。


望楼がそびえる明治建築らしい擬洋風建築だが、全く病院っぽくないな。どちらか言うとお寺みたいだ。


明治維新後に献金・寄付金を募って近代病院設立を果たしたが、資金不足で長く続かなかったようで、
その後裁判所庁舎、女学校、農事試験場、岩谷堂町役場、江刺市役所、などなどいろんな用途として
使い続けられた。


ドアは閉まっていて中には入れなかったが、覗き込めそうなところがないか、ぐるっと周りを回ってみる。
固いガードの隙間から覗いてみたところ、復旧工事が施されたと見え中は比較的きれいになっていた。


さぁ、さすがにもう行こう。知らない場所を走るのは明るいうちでないと怖いもんな。


初日から時間に追われながらも結構いろいろ見れて満足!

続く。
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