まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

仙台港の貨物線をめぐる(後編)

2018-08-19 23:35:18 | 鉄道風景
6月の太平洋フェリーきその旅の続き。

線路は弧を描きながらサイロの向こうに姿を消す。この風景めちゃいいじゃないの!






さらに進むと、さっきの線路が道路を斜めに横断している。ん~~ここが見たかったんだよ。


きれいな半円を描く線路を追って移動する。おぉ、もう一度道路を横断だ!


遮断機はない。ここを機関車が貨車をずらずら引き連れて通って行く様子を思い描くとワクワクしてくる!
あぁ通らないかなぁ~


こちらの道路は幅が広く中央分離帯まであるので、さらに踏切感が感じられるな。いいねぇ!!
車道を横断する部分はコンクリートが敷いてあるが、幅3mぐらいの中央分離帯の部分だけご丁寧に通常の
バラスト敷きの路盤になっているのが楽しい。


道路を渡り終えた線路は、道路に沿って伸び、その先には駅がある。
あっ、その手前でまた分岐しているな。駅から斜めに一本、今歩いてきた道とは別の方向へと延びている。
あぁ~~見どころが次々と現れて退屈している暇もない~~


分岐部分の踏切はまた面白いことになっている。こりゃ何だ!?
線路は斜めに横断しているのに道路に垂直に遮断するようになっているので、遮断機が変なところにポツネンと
立っているのだ。

貨物の線路は目指す方向へおもむろに伸びているのが面白いんだなぁ~本能のままに進む動物みたいな(爆)
港湾など敷地にあまり制約がないところに作られているからだろうな。

さて、いよいよ駅!


渋いカラーリングのディーゼル機関車がいる。カッコイイなぁ~~。車庫には「仙台港臨海鉄道」と書かれている。
臨海鉄道は、各地の港でJR線から直通で乗り入れ貨物輸送を行うために設立された鉄道であり、
西日本では水島臨海鉄道衣浦臨海鉄道、名古屋臨海鉄道がある。秋田港で見たのも秋田臨海鉄道だったな。


赤いDE10もいる。そして緑色のタキ!たくさんいる~~
機関車から切り離されて留置されているが、DE10に曳かれて走って来るところを見たかったなぁ!






駅を過ぎるとまた分岐している。仙台駅の方から来る線路と、石巻の方へ行く線路だ。


いや~、貨物線めぐりは楽しい楽しい。
ここを15分ぐらい歩いていくとイオンがあり、歩いて買出しに行っていた人々もいたようだが、
イオンへ行くよりずっと楽しいよ!(笑)


ここまで見て1時間半、そろそろ乗船が始まる頃だ。なんてちょうどいいんだろう!
途中下船のモデルコースになりそうだな(笑)


出航するときにはもう真っ暗。港の灯りもすぐに見えなくなった。


マーメイドクラブで軽くピラフを食べたあとは、再開したお風呂にゆっくり入り、また部屋でマッタリ・・・

続く
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仙台港の貨物線をめぐる(前編)

2018-08-18 22:45:05 | 鉄道風景
6月の太平洋フェリーきその旅の続き。

朝6時ごろに目がさめると、船は大きく揺れている。北へ向かう間に外はずいぶん荒れてきたようだ。
インサイドの部屋なので窓はあるものの海の様子は見えず。気になるが、部屋の外へ出るために着替えるのも面倒。


二度寝したあと8時ごろに海の様子を見にちょっと部屋から出てみよう。
ホールの窓から海が見える。おぉ!すごい波だな!思っていた以上に大きな波。船体が波頭に乗り上げるたびに
白い波しぶきが霧のようにあたりを覆う。そら揺れるわな・・・
しかし以前苫小牧から秋田まで乗ったときほどではない。あの時はもっと大きくうねってすっかり酔ってしまい
日本海に入るまで起き上がれなかった。今回はまだ物も食べられる。
しかしお風呂は揺れが激しいため閉鎖中とのこと。え~~~これはいよいよ部屋でくつろぐしかない(苦笑)。
やはり長距離クルーズなので個室を取っておいて正解。。。
お茶を沸かしおやつを食べながら、ブログの下書きをしたり、本を読んだり、次の旅のプランを考えたり。
昼寝をして日頃の睡眠不足を補ったり。あぁ満喫(笑)

午後になって、仙台港を出航したきたかみとすれ違うというアナウンスがあったので急いでデッキへ出ると
大勢の人がカメラを持って集まっていた。遠くに小さな点のように見えていたきたかみはみるみるうちに大きくなり
横に並んだと思ったら、また遠ざかっていく。
広い海原を孤独に旅している船にとって、すれ違う船は懐かしい友達のように親しみが湧くものだ。
同じ航路の船だからなおさら。お互いの船から相手を眺めながら、小さくなっていく姿を名残惜しむ。


途中仙台港には夕方16時半に到着する。陸地が近づいて電波も入るようになると待ちかねたように
もろもろチェック。あぁすっかりインターネット中毒だなぁ(苦笑)


港が見えると急いでデッキへ。


名古屋港よりもずっとのどかな景色。




この仙台港で約3時間停泊するのだ。出航は前と同じ19:40。
フロントで手続きすれば途中下船もできる。うまい具合に雨も止んでいるので、外へ出よう。


実は前回仙台港からきたかみに乗ったとき、時間があれば仙台港の貨物線を見て歩こうと考えていたのだが、
他でゆっくりしすぎて時間がなくなってしまったのだった。


そしてさっきデッキで着岸を見ていた時、港を走る貨物列車の姿がちらりと見えた。それでぐうたら心を抑えこみ
下船することを決心したのだ(笑)。


埠頭の端でくるりとUの字を描いている貨物線を、一番端から順に見ていこう。
財布とカメラだけの身軽な荷物で歩けるので楽々~~


コンテナ置き場や工場が立地するだだっ広い港湾道路、1ブロックが長い長い。。。あぁ涼しくてよかった~
しかし埠頭の先端へ向かう徒歩の人間に対して、たまに出くわす人が遠目でも不審げな視線を送ってくる(苦笑)
何か事件でも起こったら、「ここを1人で歩いていく怪しい女を見た」と通報されるのだろう(爆)


ふと見ると踏切が。あーここがいちばん端っこだな。ん~いいねぇ。






警報機のランプが立体的でかわいいな。りんごみたいだ。


次の踏切ではレールを載せた貨車が停まっている。おぉ~素敵!


そしてその次の踏切は、うわぁ、サイロが線路の至近に。


続く
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日本製紙岩沼工場の引込線

2018-07-11 00:46:40 | 鉄道風景
鎌先温泉からの続き。

実は仙台空港から白石へ向かう前に、以前うろついたときに気になっていた日本製紙の専用線を見るため、岩沼に寄り道していた。
そして鎌先温泉からの帰りもスムーズに走って少し時間に余裕ができたので、もう一度立ち寄った。

専用線の線路は道路沿いでなく住宅地の裏手を斜めに走っているので、この辺か・・・と見当をつけて住宅街の道を入り込むと、
あった!単線の可愛い踏切が。遮断機はなく、トラ色のバッテンの警報機と、標識が乱立(笑)。


こんもりとした路盤は雑草をきれいに刈り込んであり、現役であることがわかる。うれしいなぁ~
向こうに水色のガーダーが見える。水路があるのか、あとで見に行こう。


専用線の踏切を越えて少し進むとJRの踏切もあった。うわ、こちらもよいなぁ!三本の線路を超える長い踏切。


東北本線と上りと下り、左へ逸れて行く単線は常磐線だ。




すぐ脇に細い水路があり、レンガの橋台が見えていた。中央が一番古いようだ。


赤レンガと焼き締めた黒っぽいレンガのしましま。


かわいい電車顔(笑)、これ好きだなぁ~!でも西日本では見かけない気がする。JR東日本だけだろうか。



帰り道に、専用線のまた別の踏切へも立ち寄る。


優雅なカーブ。いいねぇ~


あの水色のガーダーを見ようと、追って行ってみると、線路は住宅街の真裏を斜めに抜けているようで、
住宅街のいちばん奥にあった公園から、小川を渡るガーダーが見えた。よっしゃ~!


平日に来たら、ここを走る貨物列車か見られるのかなぁ~、見たいなぁ~~


JR線からの専用線の分岐部分と工場へ入る部分も見たかったが、なかなか追うのは難しい。。今回はこのくらいで。
さぁ、一路仙台港へ。

続く
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沼垂駅跡

2018-06-30 23:42:20 | 鉄道風景
4月の新潟の続き。

さぁ、小澤家住宅を出てそろそろフェリーターミナルへ向かわなければいけない。敦賀行きのフェリーは16:30発。
まちなかからフェリーターミナルへ行くバスは便数が極端に少なくちょうどいいのがないが、小澤家住宅のすぐそばの
五菜堀バス停からピアBandaiあたりを経由するバスがあるので、そこからならぶらぶら歩いて行けるだろう。
ちなみに五菜堀という名にある通り、そこにもかつて堀があった。旧新潟町内を縦横に掘られていた水路は、
1964(昭和39)年には完全に埋められてしまった。大阪もどこもだいたい同じ時代である。

バスの時間まで15分ほどあるので付近をひとまわり。登録文化財になっている大橋屋本館という建物を見に行く。
大橋屋は現在も営業している日本料理店だが、メインは向かいの建物なのだろうか、こちらは玄関がひっそりしていた。
1935(昭和10)年築の本館。2階が銅板張りで、凝った窓枠、側面にも面白いデザインの窓があった。


こちらの建物のトタン壁は芸術的な錆び具合(笑)。


付近の商店街の道端にはこんな風に椅子が並べてあるところがちょくちょくあった。やはり老人が多いのか。


さて、バスに乗って沼垂近くの万代高校前まで行く(ちょっと行きすぎた・・・)。
ポンプ場の横を歩いて国道へ出、フェリーターミナルに向かおう。佐渡汽船なら近いのだが、新日本海フェリーのターミナルは
中央埠頭の北端・・・結構遠いのだ(汗)

おや、あれは・・・
「沼垂駅」と書かれた鉄板張りの立体看板が道路わきに立っていた。
針金で巻かれ、文字は色あせ錆を流したまま道端に佇む看板。素敵すぎるじゃないの~~~!!


緑色地の方が古い塗装だな。国鉄コンテナと同じ色かな!?
そうかぁ、さっきの貨物線の終端がここまで来ていたんだな。バイパスの高架の向こう側に貨物駅があったんだ。
見に行きたい・・・しかし、出航の時間が迫っている。うう~~~っ、5分だけ!!いや、10分だけ!!寄り道しよう~~

矢印の指す方へ、小走りで。。

うわ、古いレール転用柵にくくりつけられたこの看板もなかなかいなぁ。赤い矢印の先が尖っていないのが謎だが・・・
・・・しかし今気づいた。これは矢印でなく、沼垂駅までの通路の形状を現しているのでは!?
グーグルマップを見てみたら、正解のようだ!


進んでいくと、奥には大きなタンクやら煙突やらが見え、その手前にガランと広い空き地が広がっていた。


ここか・・・枯れ草の藪の中に、架線柱や黄色い柵が残っているが、ここまで伸びていた線路は1~2本のようだ。
ちょっと、遅かったな。。。せめて10年前なら、貨物駅の雰囲気がまだもう少し残っていただろう。


でもちょっとほっとする。もしここで広いヤードに貨物駅の名残のオブジェがわんさか残っていて、引込み線の
分岐部分まで見えたりなんかしたら・・・ずるずると長居してフェリーの時間に遅れてしまったかもしれない(爆)




また小走りで出口へ戻っているときに目についた・・・つくし!!しかも太くて節が少ない理想的な形(笑)


うっじゃ~~~!!!

これまた採りたい衝動に駆られるが・・・時間がない!それに敦賀から会社に直行予定なので、家に帰り着くのは
24時間以上先なのだ。。。あきらめよう。

途中でこんな建物があった。Fondekoという美容院が入っているようだが、瓦屋根が古そうだな。




さぁ、いよいよ港だ。木造のこんな倉庫がまだ残っていた。


末広橋の上から、これから乗る新日本海フェリー、らいらっくが停泊しているのが見えた。
おぉ~~!!テンション上がる!!さぁ、ターミナルへ急ごう~~


続く。

           
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貨物線跡の踏切

2018-06-25 13:20:01 | 鉄道風景
4月の新潟の続き。

沼垂テラス商店街のカフェを出ると雨は止んでいた。そこから奥に見えていた工場の方へずっと進んでいくと線路に当たった。
貨物線だ!うわぁ・・・ひなびた踏切、素敵!!思わず声を上げてしまう。


新潟の地図を見ると、港に向かってまっすぐ伸びる線路に必ず目に止まるだろう。貨物線好きの私としては
是非見に行きたいと思っていたが前回は全くスケジュールに余裕がなかったのだった。


しかし、線路の部分は白いガードポールで閉じられ、路面もアスファルトで埋められている。
これはもうだいぶ前に廃線になってしまったようだ。あぁ、なんと。。。(涙)


2008(平成20)年に貨物列車の設定が廃止されたようだ。10年前か・・・
遮断機はすでになく、トラ色のポールと柵だけが残っている。
踏切の横に小さな水路を渡るガーダーがあり、レールの間には草がぼうぼうと茂っていた。


線路の先を望むと、すぐ近くにまた踏切が見える。あっちにも行ってみよう。



おぉ、、、こちらは人路だな。ミニ踏切、カワイイ~~!さらにテンションが上がる。


踏切の路面も角材を埋めたままの状態でさらに趣深い。。。




もちろん本当は長編成の貨車を牽いた機関車が力強く走る、生きた貨物線を見たいが、、、廃線となってもなお美しい。
あぁ、君、ステキだね・・・美しいよ・・・線路に語りかけながら一人延々写真を撮る(爆)


じんわりと満足感が広がってくる。あぁ新潟に来た甲斐があったな・・・


枕木柵の朽ち方はなぜこんなにも美しいのか。。。錆びた犬釘はなぜこんなにも哀れを誘うのか。。。




つくしがいっぱい。摘みたい衝動に駆られるが・・・月曜は会社へ直行の予定なので断念(笑)



「寺町堀」という名の通り、このあたりはお寺が集まっている。お寺を回り込むと巨大な工場の正門があった。
このすぐ左手前には、さっきの寺町堀沿いから移転した現在の市場、「商和会朝市場」がある。


さすがにこちらの踏切は幅が広く、ワイヤー式の遮断機がありそうな雰囲気が漂う。踏切脇の小屋は駅舎のようだな。
もちろん今はすでに役目を終え、ただ放置されているのみ。。。


すでに分岐を繰り返して幅広くなっている線路はいちめん草に覆われ、その先がどうなっているのか
見通すことができない。。。


そろそろこの辺で貨物線跡を切り上げて、まちも見よう。


新潟駅周辺の路線は複雑に変遷しているようだが、分かりやすく図示されたサイトを見つけた。→こちら

続く
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高雄のライトレール(台湾)

2018-01-29 23:47:06 | 鉄道風景
高雄の続き。

高雄ではもう一つ確認したいことがあった。
私が2009年に初めて来たとき、そのわずか一年前の2008年に廃線となってしまっていた高雄の臨港貨物線
貨物線風景を間近で見たいと楽しみにしていたのだったが、愕然としてしまった。。。しかしその廃線跡が、
貨物線と共に歩んできた街の風景を感じながら爽やかな風を切って走れるサイクリングロードとして
活用されていることにいたく感動したのだった。
その後数回高雄を訪れているが、来るたびに少しずつ公園として整備され賑わいが増していくさまを目にしていた。
そこに何と最近ライトレール(路面電車)が開業したというニュースを見ていて、どんな風になっているのかを
この目で見たかったのだ。

鼓山から塩埕埔の方へ、元の高雄港駅の広いヤードをズバッと横断する形で開通した広い道路がを歩きながら
旧高雄港駅の方に目をやると・・・おお~~っ!!いるじゃないの、ライトレールが!!


公園になったヤード跡には今も貨物線のレールが敷かれたままで、静態保存された古い貨車と現役のライトレールが
ホームに顔を並べているなんて、なんてワクワクする風景なんだろう!!


かつては広大なヤードに分断されていた鼓山と塩埕埔の市街地を多くの人が歩いて行き来している。
廃線直後は放置され静まり返っていたヤード跡ももうすっかり市民の遊び場、憩いの場として定着したようだ。


2009年
2011年
2012年
2014年

道路の横断部分には、巨大な踏切のようにレールが埋め込まれたままだ。なんて粋なんだろう~~


そして道路に沿ってライトレールも走る。
あぁ、一人旅でゆっくり時間があれば、ライトレールに乗ってどこまで行けるのか試してみるのだが・・・
今回は嘉義へ行くのがメインなので時間もない。。。

帰ってからネットで調べたところ、ライトレールは高雄のまちをぐるっと回る環状線になる計画で、
もうすでに3/4が開業しているようだ。へぇ~!!

高雄の臨港貨物線も現役時代は高雄駅から高雄港、前鎮を経由してまた高雄駅へ戻る環状路線になっていた。
ライトレールは台鉄の線路を越えてさらに北の凹子底まで回る計画のようなので、少しルートは違うが
台鉄以南はほぼ貨物線跡の路盤をそのまま利用した形だろう。
あぁ、車両は違うが、一度廃線となった路線に再び鉄道が走るとは、夢のようだ。そんな夢物語をやすやすと
実現してしまう台湾、高雄。あらためて惚れ直した(笑)


続く
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函館市電駒場車庫

2017-11-16 23:14:31 | 鉄道風景
函館の続き。

最終日も朝から小雨が降ったりやんだり。昨日よりはマシだけど、この旅の間じゅうついにすっきりとした
青空には出会えなかったな・・・

今日は朝から市電の駒場車庫へ。地図で見ると近いのだが実際に行ってみると結構遠い。湯の川温泉方面へ
30分ぐらい乗ったところに「駒場車庫前」という電停がある。


道路の真ん中を走る併用軌道からカーブを描いて車庫へ入って行く引込み線はやっぱりわくわくするな!!


こは函館市電の唯一の車庫で、本社もある。車庫は100m以上奥まで続いており、留置線や修理工場などが
前面道路からも見える。横や裏から車両が見えるかと横の道へ回り込んでみたが、不法侵入できないように
高い塀できっちりと囲まれ、場内の様子は全く見えもしなかった(苦笑)


「函館馬車鉄道記念碑」があった。それによると、1897(明治30)年に北海道で初めての馬車鉄道が開業、
東川町本社~弁天町(現函館どつく前)の間を、2頭の馬が客車を引いてレールの上を走ったのだとか。
国際色豊かで活気に満ちた港町をさっそうと馬車が走る、外国のまちのようなハイカラな光景だ。

1911(明治44)年に、函館水電が函館馬車鉄道を買収、これにより馬車鉄道は電化される。

この小屋が味わい深すぎる・・・
踏み石も廃線になった路線から撤去してきたものを使っているのかな。。




敷地内には立ち入れず道路から見るのみだが、新旧いろいろな車両が車庫内に停まっていた。


レールはくねくねと自由自在に延びて敷地の奥まで入り込んでゆく。


最近は新型車両でラッピングしたものが多いが・・・旧型のも少しは残っているようだ。昭和30~40年台
頃の車両だろう。


あぁ、来てよかった!!


さて、また建築を見るために中心部へ戻る。ちょっと効率悪いなぁ・・・


自由市場は日曜定休と聞いていたのでガッカリしていたが、市電で通りかかったら開いてるじゃないの!
ここが楽しい楽しい♪駅前の朝市よりも落ち着いた雰囲気で値段も安そう(と言っても観光客向けだろうが)。


ここで買ったニシンの「味噌みがき」と「みりん干し身欠きニシンスライス」、そして「鮭とば一番干し」が
もうめちゃウマ!!あぁ、あの味が忘れられない~(爆)


鮮魚も買いたかったがガマン・・・真夏だし、飛行機に乗るし。。。

空港に向かう前に函館駅前の土産物屋で買った「鮭重ね巻」「鮭太昆布巻」、こちらも顔がニヤけるおいしさ。
あぁ、もう一度これらを買うためだけにバニラエアで函館へ行ってもいいなぁ!(笑)

続く。
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江差線の廃線跡

2017-10-31 21:59:22 | 鉄道風景
知内温泉旅館に泊まった翌日、江差に向かってドライブ。

江差へは松前経由で海沿いを走りたかったのだが、時間の都合上木古内から内陸ルートで行く。
田園風景の中を走っていると、おや、あれは・・・・廃線跡か。そう言えば、木古内から江差まで
走っていたJR江差線が2014年に廃線となったのはニュースとして知っていた。あぁ、それがここだったんだ。
もう3年にもなるのか。。。


伸びた草に見え隠れする線路跡を助手席から目で追うと、錆びたレールが残っているところもあった。


道路に並行して続く空虚な空間は今でも鉄道が走っていた空気をまとっている。


そして・・・おぉ、あれは!!ちょっとストップ~~


道路をオーバークロスするガードがあったんだな。桁はすでに撤去されコンクリートの橋台と
それに続く築堤のみが残っている。




橋台の両脇の土留めの法面は石積みでなくコンクリートで固められているが・・・空気がザクザク入って
隙間だらけ(苦笑)。この区間は1935(昭和10)年に開通したようだが、不況続きの昭和初期、
工事の品質も悪化していたのだろうか。趣は満点なんだけどね(笑)




築堤の上に駆け上がる!
旧ガードに向かって草むらを歩くと、ずっと先にトンネルが見えた。


鉄橋もいくつも目にした。川を越え山を越え、橋を作りトンネルを作り、列車を走らせてきたのに、
もうそれは要らなくなった。。。とても寂しいなぁ。

そして人間の作った構造物は自然の中に埋もれていく。今はまさにその過程。廃線跡は悲しくも美しい。。。

江差の町では「江差駅」の名前がまだ息づいていた。

駅跡へも行ってみたかったのだが、とりあえず目的である旧檜山郡役所を見に行こう。

江差ではやはり今日はお祭りらしく、規制が張られていて車を停めるところがない。
仕方なく、知内温泉旅館のご主人のお友達という宿に声をかけると、チェックイン時間までならと
快く停めさせて頂けて助かった!ありがとう~~

板張りの民家や商店が並ぶ通りはきれいに整備されていて、道路はちょっとだだっ広い印象。
元はもっと建物が密度の濃いまちなみだったのではないかと想像するが。。。

まちなみの中ほどで道がクランク状になっており、その辻に面して姥神大神宮がある。
今日はここの渡御祭らしく、揃いのはっぴを着た老若男女がそれぞれの山車を引き回して豪勢さを競っている。


笛や囃子が賑やか!私たちが行ったときちょうど神社前の辻に全部の山車が集結しており、今年の
いちばんが発表されるクライマックス!タイミングがよかったな!


これはニシンのぼり!?前にはハタハタのぼりを見たなぁ(笑)


続く
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えびの駅の木造駅舎

2017-08-26 15:34:27 | 鉄道風景
吉田温泉からの続き。

前回都城から吉都線に乗ったときにホームから見ていたえびの駅を見にいく。古い木造駅舎が残っているのだ。

うわぁ、、、ため息が漏れる美しい佇まい。その前に車を停めるのもはばかられるフォトジェニックな姿。
少し外して車を停め外に出ると、吹きすさぶ寒風。ひぃ~~っ!
駅の周りは建物がなく吹きさらしなのである。防寒グッズを全て装着してからあらためて車の外へ。


ほぉ~っ、全てが木造のまま。風雨に耐えてきた年月に思いを馳せずにはいられない、色あせた
下見板張りの外壁。屋根瓦などは苔むしてビロードのような緑色を呈している。


霧野、という表記が見られるのは、映画の舞台になったため。そのロケの時に、駅舎は古めかしく
化粧されたのかもしれないが、見たところ自然で、特に嫌みなところはない。




改札ラッチは復元かもしれないが、出札口のアクリルパネルなどは現役時代のものに見える。
室内には映画のロケの名残の品々が。


えびの駅は国鉄吉都線の開通にあわせて1912(大正元)年に加久藤駅として開業。
えびのというメジャーな地名が駅名になったのは意外と新しく、1990(平成2)年のことである。


当初は貨物の取扱いもあった比較的大きい駅舎であるが、旅客の需要は少なかったのだろうか、
貨物の取扱いが廃止されたあと国鉄民営化に先んじて早々と無人駅化されている。
もう30年以上も無人のままにしては建物も美しく保たれているのは、やはりロケの時に手を入れた
からだろうか。


霧野駅としてこの駅舎が登場した「美しい夏キリシマ」という映画は、公開が2003年なので
ロケはその前年か前々年だろう。ロケ前はどんな状態だったんだろうな。


ホームに国鉄顔の列車がやってきて、数人のお客を乗せて去って行った。降りる人はいない。


ホーム側から見た駅舎。深い軒がぐるりとめぐっているのは貨物取扱いの名残だろうか。
古き良き国鉄駅舎だ。




吉都線開業時から残る駅舎はここだけといい、登録有形文化財になっている。


静かな時間が流れるえびの駅に身を置く、至福の時・・・


続く
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梅雨逃避行 室蘭本線の駅たち

2017-07-29 13:31:40 | 鉄道風景
6月は梅雨のない北海道へ行こうとスカイマークのチケットを取っていた。
神戸空港は関空より少し時間がかかるが、朝4時台に起きる必要もないし心理的に楽なのだ(笑)。
10時半に新千歳空港着。新千歳は鉄道アクセスが便利なので、空港からレンタカーというのは今回初めて。
空港の勝手がよく分からずちょっと手間取ったが、11時にはレンタカー屋から出発することができた。
ETCカードもセットしたし、一路向かうは室蘭へ!

高速はスイスイ快適だが、山の中なので全く景色は楽しめず、お店もない。。。お昼を食べるため一つ手前の
ICで下りて、虎杖浜のたらこでランチ。


お店の前にはためいていたこれは、鯉のぼりならぬ、ハタハタのぼり?鮭のぼり?ホッケのぼり?


そこからは下道で室蘭へ向けて走るが、室蘭本線の駅を見たい。バイパスに乗らず線路に沿って大回りしよう。
このあたり巨大な工場地帯で製鉄所やコンビナートもある。引き込み線がたくさんあったに違いない。
この辺で車を止めて見て回りたいけど、、、交通量は多く停める場所もない(汗)

御崎駅の駅前にスペースがあったのでちょっとストップ。


駅舎は新しくなってしまったようだが、かわいらしい形の屋根でなかなか雰囲気はある。


ネットで検索して調べたところ、やはりここから貨物線や工場への専用線が広がっていたらしく、
御崎駅は旅客よりも貨物の取扱いを主とする駅だったようだ。今ではちっぽけな棒線駅で想像もつかないが
最盛期の活気に満ちた駅をこの目で見、その場に身を置きたかったなぁ。。


さてまたしばらく走ると、おぉ、ここだ!古い木造駅舎がそのまま残る母恋(ぼこい)駅。
妻壁の小さな丸窓がカワイイ!


駅舎に入ると、出札口のカウンターや荷物扱いの窓口もそれと分かる形で残っているのがうれしい。


部屋の中央にはストーブ!それをぐるっと囲むように椅子が置かれていて、今にも井戸端ならぬ
ストーブ端会議が始まりそうな感じで思わず微笑んでしまう。


待合室からホームへは直進でなく横から出るようなつくりになっている。
ホームの上屋も木の柱と梁でいい雰囲気だなぁ~~


待合所の横には駅前へ直接出られる改札ラッチがある。鉄パイプ製でそっけないが貨物駅主体の駅なので
省スペースで簡素なものにしたのだろう。


跨線橋を渡ってみよう。


貨物列車がバンバン走っていた名残でホームはやはり長く、12両の新快速でも停まれそうだ(笑)。
現在使われているホームは上りと下りがずれた雁行配置になっている。


ホーローの駅名標があちこちに。木製の照明柱も味わいがあるなぁ。


管理を委託されてる方なのだろう、おっちゃんが1人ホームの草花の手入れに勤しんでおられた。
やはり人の手できれいに保たれている駅はいきいきしている。






駅名の変わった響きと共に深く印象に残る駅だった。


室蘭散策の帰りに、輪西駅にも立ち寄った。


やはりここも貨物駅だったような駅のつくりだなぁ。


ここは初代の「室蘭駅」が開設された場所である。現在の輪西駅は昭和3年に開設され、駅舎はその当時の
ものらしい。


東室蘭駅から室蘭までの路線は、元々は岩見沢方面で採れた石炭を港へ運ぶ北海道炭礦鉄道が前身であり、
積出し港である室蘭周辺は一大工業地帯となった。
室蘭の工場夜景を見るクルーズなどあるらしく、室蘭に泊まろうかとも考えたのだが、今回は諦めた。。。


特急の走る幹線から外れ盲腸線のような室蘭~東室蘭だが、かわいい木造駅舎がひっそりと残っているのは
うれしく、そっと隠しておきたい気がする。


続く
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大分温泉ルート 王子温泉と大分港臨港線

2017-04-11 23:08:08 | 鉄道風景
杵築からの続き。

※これは去年の3月の三連休の旅です。

菜の花に覆われた杵築駅を去り、列車で西大分駅まで移動。




再びの西大分駅。あぁ、やっぱり素敵だなぁ!!木造駅舎の貨物駅。これは私にとって最強の組み合わせ。


前々から行きたいと思っていた王子温泉は、ちょうど大分と西大分との間ぐらいに位置し、
どちらからも結構距離があるのだが、どうせなら西大分駅にもう一度降り立ちたかったのだ。
しかしバスが少ない。。。仕方ない、歩いていくか。


おや、これは・・・廃線跡じゃないの!?
おぉ、確かにそうだ!貨物線の線路が大分港まで伸びていたんだな。


大分港と西大分駅を結ぶ大分港臨港線は1950(昭和25)年に開通した約1.5kmの路線。
1984(昭和59)年に廃止された。あぁ、ここもか!!全国で貨物線がバッサリ廃止された
悪夢の昭和59年である。線路は3年後の昭和62年に撤去されたようだ。


は気づかなかったなぁ。


一部が細長い緑地となっているが、その手前は、その先は、どうなっているのか気になる。

よし、後でちょっと探索してみよう。

さて、とにかく王子温泉だ。20分ぐらい歩いた本当に住宅地の真ん中に、それはあった。
おぉ!バス通りから引き込んだ細い道に面した妻壁に「王子」「温泉」の文字が。


う~ん、胸が高鳴る!!


ドアを開けると・・・「いらっしゃいませ」
うわぁ。。。期待を裏切らない古き良きお風呂屋さんの風情。なんて素敵なんだろう!


八幡浜の大正湯を思い出させるがこちらはかなりこじんまりしたサイズだ。
しかしお湯は温泉!!いいねぇ~~


大阪から来たんです。これからフェリーで帰るんですけど、どうしてもここに入りに来たくて。素敵ですねぇ!!
柔和な雰囲気のおかみさんとしばし会話。スタンプもゲット!


ゆっくり浸かってリラ~ックス。身支度を整え荷物も整理して・・・
ありがとう、また来ます~~


さて、西大分駅まで帰る途中、さっきの廃線跡をちょっとたどってみよう。さっきの緑道のところから
国道を渡ってJRの本線に向かって少し歩くと、線路跡が広い道路をズバッと斜めに横断している。


うわぉ~~、レール部分の凹みをアスファルトで埋めただけで、踏切だった名残がそのまま!
今にも貨物列車がやってきそう・・・


国道との間には藪になっているあいまいな空間が。


水路沿いの細長い土地は、廃線跡利用の定番、駐車場として利用されている。一部には建物も建っていた。


もう少しだけ続く。
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箱根の旅 カワイイ!箱根登山電車

2017-01-05 22:01:42 | 鉄道風景
箱根湯本からの続き。

1年ほど前に昔のサスペンスドラマで箱根登山電車が映っていて、いいなぁ、乗りたいなぁ、と思ったけど
今はもう全て新型車両に変わってしまってるんだろうな、と思いながらネットで調べてみたら、今も同じ
車両が走ってるじゃないの!もちろん新しい車両もあるので、うまく古いのに当たればいいなぁと願って
いたのだった。




箱根湯本から乗ったモハ1型の2両編成の列車。カワイイなぁ~~♪


ここからは登山電車らしい急勾配をぐんぐん上っていく。電車の路線とは思えない小さいRのカーブを
右へ左へ、二つ折りになりそうになりながらゆっくり進んでいく。カワイイ顔してパワフルなのだ。


途中にはスイッチバックが3箇所あり、そのたびに運転士さんは前へ後ろへ移動して進行方向を
変えるので、宮ノ下までたった3駅なのに30分近くかかる。
スイッチバックで列車交換を兼ねることも。


富士屋ホテルの最寄り駅である宮ノ下駅に到着。箱根湯本から実に340mを上ってきた。すごいな!!
小田原と湯本の高低差は82mだからその4倍にもなるが、不思議なことに運賃は小田原~湯本間の方が
高い。どう考えても湯本から先の方が電力もかかるだろうし設備への負荷も大きいと思われるのに??
湯本から強羅まで行っても400円とは何だか安すぎて、がんばって上ってくれる列車に申し訳ない
ような気になる(苦笑)。高度に比例した運賃にして、古い車両のメンテを手厚くするというのはどうだろう。




宮ノ下駅舎は線路側に三角形の大きな妻を見せ、ハーフティンバー風の意匠のしゃれた建物。


崖の中腹で線路と道路に挟まれて建つので幅はとても薄い。まるでサンドイッチのようだ(笑)。
素敵な妻側の面があまり見えないのがもったいないなぁ。。。


ところで、箱根に行く直前にネットのニュースで箱根登山電車の車両が引退するというのを見ていて、
古い型のモハが全部引退するのかと思ったがどうやら違うようだし、どの車両かなと思っていた。
来年2月に引退するのは、両運転台のタイプ「モハ2」のうち1957(昭和32)年製の110号。
旅の終盤にようやく出遭えた。タクシーの車窓から慌てて撮った(汗)

水色は昭和20年代後半の色に復刻塗装したもの。

強羅駅に到着した110号。残念ながら乗ることはできなかったが、見れてよかった。
長年の間おつかれさま!


続く
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雨の熊本旅 つなぎ美術館のモノレール

2016-12-28 23:09:13 | 鉄道風景
水俣からの続き。

水俣のまちを一通り歩いたので、次の列車で移動しよう。1時間ほど時間があるので、津奈木で下車する。
前回行ったつなぎ温泉に入りに行くか、それともそこからもう少し先にあるつなぎ美術館へ行くか。
つなぎ温泉四季彩は、みかん山モノレールのような乗り物に乗って上った岩山の上に露天風呂がある
面白い温泉。そしてつなぎ美術館には裏の舞鶴城公園とを結ぶ、さらに距離が長いモノレールがあるのだ。
帰る前に汗を流したい気持ちもあるが、つなぎ温泉のモノレールは前回乗ったし、つなぎ美術館へ行ってみるか。。。
時間があれば温泉にも入りに行こう。雨はまだ降ったり止んだり。。。

美術館自体に入らずモノレールだけというのもちょっと失礼かと気が引けるが・・・。

料金を受付で払って2階のテラスへ行くと、いるいる、モノレールが!


レールは津奈木川を超え・・・そこからぐーんと岩山を登る!!そしていったん木々に隠れたレールは
はるか上の方で再び現れ、さらに岩山の陰へと回り込んで見えなくなる。これは楽しい~~♪


数人の年配者のグループと一緒に乗り込んで、出発!


最初はゆっくりゆっくり・・・さぁ、急勾配に差し掛かった。不思議だがコンパートメントは常に
ほぼ水平に保たれるようになっていて、まるで斜行エレベーターのように快適に岩山を登って行く。


ぐんぐん高度を増すにつれ、見晴らしがよくなる。高低差は100mぐらいあるらしい。
モノレールの終点は展望台になっていて、海まで見晴らすことができる。「幸せの鐘」なんかも
あって同乗のご老人たちも鳴らしていた(微笑)


展望台の隣のとんがった岩が重磐岩(ちょうはんがん)と呼ばれる。鉱物名かと思ったが
そうではなく、「ゴジラ岩」とかと同じ固有名詞。溶岩が固まってできた岩山らしい。
モノレールの終点から階段があって重磐岩の近くまで登れるようになっている。もうあまり時間がないが
とりあえずここまで来たからには一番上まで行っておこう。
重磐岩が目の前!柵があって先端までは行けないので念のため(笑)


乗ってきたモノレールも小さく見える。


そのあと、時間がないからと私一人先にモノレールで下ろしてもらうことに。
帰りは貸切状態なので、上も下も横も自由に写真を撮れる(笑)


私を下ろしたモノレールは再び上っていく。






津奈木川に架かる「重磐岩眼鏡橋」も近くで見ておこう。前回時間がなく遠目からズームで撮っただけだった。




橋の中央はほとんど輪石の厚みしかなく、両端は若干壁石が積まれているが、とても薄く洗練されたフォルム。
美形だなぁ!!


そうこうしている間にお客を乗せたモノレールが再び下りてきた。
いろんな角度からモノレールを十分見ることができて満足満足!その代わり温泉に入る時間は
なかったなぁ。


さて、これで今回の旅は終わり。八代へ戻って八代駅前から空港行きバス、スーパーばんぺいゆ号に
乗り込んだところで、ようやく青空が・・・遅いよ(苦笑)

終わり。



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島根の旅 三江線の駅めぐり 浜原駅

2016-12-13 23:56:04 | 鉄道風景
三江線の続き。

江津を出てからたくさんの鉄橋を見てきたがどれも道路橋であり、これが初めて三江線が江の川を渡る橋だ。
なので名前は第一江川橋梁。右岸へも初めて渡る。ここは粕淵駅のすぐ近くで、江の川がもっとも大きく
蛇行するポイントで、隣の浜原駅とは2kmしか離れていない。


ということで、終点の浜原を目前にして粕淵駅で下車。浜原駅での三次行き乗り継ぎには2時間半も
あるので、鉄橋も見に行ってふらふら散策しながら浜原まで歩こうという魂胆だ。
地図で見ると粕淵の集落は割と大きいようだが、駅を下りたら駅前が崖で、上り坂の道路に沿って
古い木造の家が見える。集落は崖の上にあるようだ。


鉄橋を見に行こう。


この橋はそれほど古いものではないことは分かる。
「日本国有鉄道 1974 川崎重工業加古川工場」と刻まれたプレートがついていた。
鉄道橋の横には人道橋が並行している。おおっ、赤川鉄橋みたいだ!!貨物じゃないけどね。

次の三次行き列車が2時間半後、江津方面行きも2時間後なので、列車がゴォーっと駆け抜ける
のを体感することももちろんできないんだけどね(苦笑)

川の真ん中からU字を描く深緑色の淵を眺め、向こう側までゆっくり歩いて渡る。・・・と、カメムシが
ブーンと飛んできた。ヒィ~~~ッ!!退散、退散!!


粕淵はカヌーのできるスポットや温泉施設があり、集落に行けばお店があるかも。しかし、坂道を上って
いくのはめんどくさいな。ん~、いいや、もう浜原へ向かって歩こう。


粕淵駅を出た三江線はトンネルに入る。そのたもとには「とんねる」という名の飲み屋があった。
・・・でももうやっていないようだな。


じめじめした道路を10分ほど歩くと、浜原のまちが見えてきた。


途中まで土手を歩き、道へ下りてまちなかを歩く。もうずいぶん寒くなってきたな。。。
食べ物を買いたいが商店は開いておらず、まちは静まり返っている。




真っ赤な浜原大橋。2連のうち手前の1連は塗りたてピカピカ、奥の1連はケレン後のハゲハゲ状態だ。


そして、到着した浜原駅。木造モルタル塗りの駅舎にたいそう立派なひさしがつけられている。


三江線全通記念の碑があった。三江線が江津から三次までつながったのは、意外にもそれほど昔のことではない。
1975(昭和50)年に浜原駅~口羽駅間の最後の区間がつながって全通となった。


「三江北線」と呼ばれていた江津~浜原の区間は、戦前の1937(昭和12)年に開通しているが、
「三江南線」の浜原以南はほとんどが戦後に開業している。


無人駅であるが、駅舎の他にここで2時間半待ちの運転士さんが休憩を取るための宿舎のような建物もある。


付近をうろついたがお店は閉まっている。おなかが空いたなぁ。。。
いよいよ寒くなってきたし雨もぱらつき始めた。あと1時間あるがもう待合所に入って待とう。




そのうち雨が激しく降ってきた。。。
早く列車に乗り込みたいなぁ、、、と思ったが、さっき乗ってきた車両は江津行き。三次行きは1日2本の
江津~三次直通列車なので、浜原駅にやってきたのは出発時刻のほんの直前。。。あぁ、1時間、冷えた~~


列車に乗ったらほどなく日暮れ。三次まで1時間40分、そしてさらに芸備線で広島まで約2時間。。。
あぁ長い。。。浜原~三次間も芸備線も、今度は車窓が楽しめる日中に乗りたいなぁ。


土曜の早朝から日曜の夜まで、長い2日間だったなぁ!三江線の美しい風景を堪能して、木造駅舎も訪れたし
温泉、建築、廃線跡、橋・・・バラエティに富んだ楽しみがあって充実した旅だった!

終わり。
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島根の旅 三江線の駅めぐり 石見川本駅

2016-12-12 23:29:03 | 鉄道風景
三江線の続き。

江津本町駅から三江線列車に乗って、広島へ向けて帰路につく。この列車の終点、石見川本まで。
今回の旅の間で、この区間を乗るのは実に5回目!何度も往復しているので見どころのスポットが
だんだん分かってきて、事前にカメラを構えられるようになってくる。
これはトンネルのすぐ横に流れ落ちる滝。昨日因原から川平へ移動するときに見つけてから
狙っていたが、ようやく撮れた(笑)


昨日訪れた静かな因原駅、今日停車したらハイキングスタイルの人々が20人ぐらい乗ってきた!
なんだなんだ!?どうも三江線を使ったイベントのようだ。


石見川本駅に到着。ウォークラリーの人々もここで降りていった。
この駅から浜原行きの列車に乗り継ぎとなるが、うまい具合に20分ほど時間があるので
途中下車して外へ出よう。


地図を見ると銀行や商店が並び建ち、石見川本はこの地域の経済の中心であろうことが分かる。
江津を除くと三江線沿線でいちばん大きな町だろう。


1934(昭和9)年に石見川越~石見川本間が開業した当初は終着駅だった。


ここにも池があった!


味わいのある手書き文字の駅名。


まちを歩けば面白そうだと思ったが20分では繰り出せない。残念だがまたの機会に。。。


浜原行きの列車が出る。
江の川はくねくねと激しく蛇行しているが、三江線は浜原の手前まで一貫して左岸を走る。
鉄道が廃止になったあと、江の川の水運を復活させるのはどうだろう!?


鉄橋がいくつも現れる。山間に架かる鉄橋は鮮やかで人工的な色なのに、なぜか景色として調和し
美しく感じるのは不思議だ。


木路原駅。棒線駅で何にもないけど、この趣。。。


これはさっきのと似ているがまた別の橋。栗原橋かな。


昨日最後に訪れた石見簗瀬駅


数々の橋の中でもひときわ美しい水色の曲弦トラス橋は、1954(昭和29)年竣工の吾郷大橋。


あぁ、三江線の車窓風景は飽きることがない。


続く

※文章の一部が認識間違いだったため削除しました。
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