エミール・ガボリオ ライブラリ

19世紀フランスの探偵小説作家ガボリオの未邦訳作品を翻訳しています。

第二章 6

2016-10-15 10:54:09 | 「ファイルナンバー1...
この言葉をクラムラン氏は聞いたに違いない。というのは、彼はこう呟いたからである。
「そうだろうな……」
彼はこれだけしか言わなかったが、その声、身振り、顔つきからして次のように思っていることは明らかであった。『うまく芝居をしたな。しかしこんな芝居にわしは騙されんぞ』
やんぬるかな。この製鉄会社の所有者であるクラムランがプロスペルの言葉を聞いた後、かくも無遠慮に自分の態度を表明したので、従業員たちは首をひねってしまった。というのも、今のパリは悪質な仕手筋の爆発的増加により危機に見舞われたばかりだからである。投機により痛手を受け、古くからの堅実な会社が経営難に喘いでいた。立派な誇り高い男たちが援助を求めて一人一人に嘆願する姿が見られるほどだった。
信用というのは安定と平和を好む珍しい鳥で、なかなか止まることをせず、ほんの少しでも危うげな気配があるとすぐに飛び去ろうとするのである。予め頭取と出納係の間で事前に打ち合わされた『芝居』という考えが十分にあり得ることとして居合わせた人間の頭に閃いた。もしそのような先入観がなかったとしても、時間稼ぎが即ち救済を保証する術策であることを、少なくとも理解はしていた。
フォヴェルほど経験豊富な人間であればプロスペルの言葉がもたらした空気を察知できない筈がなく、彼にとってこの上なく屈辱的な疑いの色が皆の目に浮かんでいるのを彼は見て取った。
「ああ、どうかご安心願います」と彼はすばやくクラムランに言った。「私には他にも資金があります。お待ちください、すぐ戻ってきます」
彼は出て行き、自室まで上がっていった。そして五分後、一通の手紙と株券の束を持って戻ってきた。
「さぁ急ぐんだ、クチュリエ」と彼は社員の一人に向かって言った。「私の馬車が馬に繋いであるから、こちら様と一緒にそれに乗って、ロスチャイルドのところに行きなさい。ここにある手紙と株券を渡して、引き換えに三十万フランを受け取り、それをこちら様にお渡ししなさい」
クラムランががっかりしているのは明らかだった。彼は自分の非を詫びようとしているかのように見えた。
「誤解のないように言っておきたいのだが」彼は言い始めた。「無礼を働くつもりではなかったのだ。我々はもう何年もの付き合いであるし、一度たりとも……」
「もう結構でございます」フォヴェルは遮った。「あなた様に謝罪をしていただく理由はありません。ビジネスにおきましては長年の付き合いも友人も関係ありません。私には支払い義務があり、ここではそれを履行することが出来ませんが、あなたは……急いでおられる。あなたはご自分の権利を主張なさっただけのことです。私の部下と御同行してくだされば、彼の方からあなたにお金をお渡しいたします」
それから興味深々で集まってきていた従業員たちの方に向き直り、言った。
「さぁさぁ君たちは持ち場に戻って仕事をしてくれたまえ」
たちまち金庫室からは、もともとそこで仕事をしていた者たちを除いて全員が出て行った。残った者たちは自分のデスクに戻り、書類の上に覆いかぶさるようにして一心不乱に仕事をしている姿勢を取った。
フォヴェルは、立て続けに起こった出来事のショックからまだ立ち直れず、熱に浮かされたように大きな身振りで、ときおり聞き取れないような叫び声をあげつつ、部屋の中を縦横に歩き回っていた。
プロスペルの方は、立ったまま仕切りの壁に凭れていた。顔面蒼白で茫然としており、目は一点を見つめていたが、思考力すら失っている様子だった。ついに、長い沈黙の後、フォヴェルはプロスペルの前で立ち止った。態度を決め、決心を固めたのだった。
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