上野 成就院 やすらぎ修行会「プチ法話」

御大師さまのご縁日である毎月21日。成就院では「やすらぎ修行会」を行っております。
ご参加お待ちしてます。


第七十五回「やすらぎ修行会」プチ法話 2017/7/21    

2017-07-17 08:14:54 | 第71回~第80回
  愛犬モモと散歩していたときのこと。犬連れのおばさんから、「あら、雑種なのにかわいいわね。どこかでもらってきたんでしょ。お金がかからなくて良かったわね」と言われ、超イラッときました。

 そもそも犬の純血種とは何なのか。『日本犬の誕生』(勉誠出版)を読んでみました。

 洋犬の純血種とは、優れた資質を際だたせようと犬を選別し繁殖させて作出されたもの。「ダックスフンド」は、穴に潜り込んでアナグマを狩るため、地低く足が短い体型であり、猟犬「ポインター」は、獲物の前に立ち片足をあげるポーズである「ポインティング」をすることによってついた名前です。警察犬や盲導犬として活躍するドーベルマンは、税金徴収を仕事としていたドーベルマン氏が警護のための犬種を生み出したため名付けられたとのこと。

 日本犬の純血種とは、明治になり犬種の交配が進む中、はるか古より「日本人」によって飼育されてきた「日本犬」がいるに違いないと考えられ、性質が「勇敢」で「忍耐強く」、純潔であると思われる犬を山間部の猟犬の中に探し歩き、そうして「日本犬」が見出されました。改良を重ねることで作出された洋犬に対し、日本犬は「雑種」を引き算することにより作り出されたのです。

純血種の犬が高級で有能で壮健であるという物語は、社会が共有することで「価値」となりました。でも、それぞれの犬が交換不可能な固有の存在として「いま/ここ」にある。それが貴いこと。モモは、「ブランドもの」ではなありませんが、「ブレンドもの」だ、と胸を張って言いたいです。


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第七十四回「やすらぎ修行会」プチ法話 2017/6/21     

2017-06-21 14:29:48 | 第71回~第80回
食事とは舌で味わうだけではありません。器や盛りつけを眼で楽しみ、出汁のよい香りを味わい…。また、高価なものだと聞いた途端、よりおいしく感じてしまいますよね。そうそう、食事には雰囲気も大切です。気のあった仲間とワイワイ楽しく食べればおいしいこと請け合いです。

 6月6日「じょうじゅいんモグモグ食堂」がオープンしました。お年寄りが多く子どもが少ない東上野において、「子ども食堂を必要としている人」とは誰なのか。各所に足を運んだ結果、社会福祉法人「結ふる」さんとつながりました。

当日、ちょっと緊張した面持ちで寺にやってきました。車いすの子もいましたがスタッフの方がフォローしてくれ無事着席。興味深そうに畳の部屋を見渡しています。この日のメニューは、煮込みハンバーグ、にんじんのグラッセ、コールスロー、わかめとタマネギの味噌汁でした。みんな完食。この日は総勢子ども13名、大人10名、スタッフ8名。33個作ったハンバーグがすべて無くなりました。

 子どもたちは楽しみにしてくれていた様子。おやつを食べないでお代わりをしてくれた子、いつもは食べないブロッコリーを食べた子、普段残してしまうのに完食した子、最後に小さい声で「楽しかった」と伝えてくれた子…。しぐさや表情など全身で喜びを表してくれました。施設に帰ってから「どうしてみんなと食べるとおいしいんだろう」と喜んでくれた子がいたと聞きました。

 スタッフにも、その喜びの波動が感染し、感激の面持ちです。来てくれた子どもたちに「ありがとう」と感謝の言葉を贈っていました。みなさんやる気まんまんです。

 訪れる人も迎える人も、互いに「ありがとう」と言える空間は素敵ですね。「子ども食堂」は何も子どもたちだけのためにある食堂ではありません。


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第七十三回「やすらぎ修行会」プチ法話 2017/5/21    

2017-05-22 10:43:23 | 第71回~第80回
本山での修行中、起床は3時半。法衣に着替え、懐中電灯で足元を照らしながら道場へ向かいます。京都の冬はまさにキーンと底冷えで、快晴でも雪がちらちら、「東山しぐれ」というそうです。

行法を修していると、戸がすっと引かれ人の気配がします。しばらくすると再び戸を引く幽かな音が…。ご指導いただいている佐藤良盛阿闍梨は、毎日欠かさずそっと様子を見に来てくれました。後に聞いた話では、道場に入るや行者に礼拝して着座されたとか。誠に畏れ多い、もったいない。

佐藤阿闍梨は、毎朝不動堂でのお護摩の祈祷を行っていました。行者は交代で護摩壇の脇に座り、修法、所作を学ばせて頂きました。御護摩の炎に照らされる佐藤阿闍梨のお顔は、低い声で唱える御真言と相まって、神々しく仰ぎ見られました。

そんな佐藤阿闍梨に一度だけ叱られたことがあります。朝の勤行で職衆のお経がどんどん早くなってしまったことがありました。足もしびれるし、早く終えてしまいたいといういいかげんな心からだったのでしょう。勤行後の食堂にて、「みなさんに一言申し上げておきます。お経を急ぐということは、死に急ぐということ」と一喝。シーンと水を打ったように静まりかえりました。

まだ暗いうち佐藤阿闍梨の部屋からは、「チーン、チーン」という鈴の音が聞こえてくると聞きました。起きた後、一座修して勤行に望んでいるのでしょう。

 法の伝授のみならず、その「背中」で「お坊さんとして生きていくということ」をお教え頂きました。ありがたい師でした。修行成満を記念して頂いた飴色に光る数珠をつまぐる度に佐藤阿闍梨の慈愛に満ちたまなざしを思い出します。

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第七十二回「やすらぎ修行会」プチ法話 2017/4/21   

2017-04-20 10:33:23 | 第71回~第80回
東京に住む私たちは「なべやき」と聞くと「うどん」を連想します。が、大船渡で「なべやき」というと小麦粉と黒糖で作る「昔風ホットケーキ」といった素朴なお菓子をいいます。いろりに掛けてある「なべ」で作ったのでその名がついたとか。腹持ちの良いおやつとしてよく食べられたそうです。

大船渡中学校仮設住宅の集会所に伺うと、いつも森さんが、その「なべやき」を出してくれました。森さんは津波の被害に直接は合わなかったものの、全国から支援活動においで頂く方々に何かお返しがしたいと考えたそうです。私たちも楽しく語らいながらお茶とともに美味しく頂きました。

ある時、「なべやき」を勧めたところ、「また、これかよ」とつぶやいたのが耳に入った。「おいしい、おいしい」とみんなからほめられていたが故、よけい心に突き刺さったとのこと。もうやめようと心が折れそうになったが、翌日「ああ、自分は求めていたな」と気づき、変わらず作ってお出しし続けました。

以降、森さんは「なべやき」の御縁で静岡のお坊さんと繋がり、富士宮やきそばの修行へ。そしてキッチンカーを借りて開店。今度は友人から屋台村で代わりに店をやらないかとのお誘いが。とんとん話が進み、若い頃からの念願だったお店が持てることになりました。あいにくお店はかさ上げでなくなってしまいますが、目を輝かせ次の啓示を待っています。

森さんが言うには「あのとき心が折れてやめてしまったら、今の私はなかった」と。誰しも人生においてグッと踏ん張らねばならない時があるのでしょう。でも、それがいつなのかは過ぎてからしか分かりませんが…。

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第七十一回「やすらぎ修行会」プチ法話 2017/3/21 

2017-03-21 09:55:43 | 第71回~第80回
 遍路をしているとき、歩き遍路の方からお寺の応対が悪いという話を聞きました。でもお寺からすると、挨拶の仕方が悪い、納経帳の返却に心がこもっていない、愛想がないなど怒鳴る人もいるとのことです。確かに問題のあるお寺もあるとは思います。が、お遍路さんの中には、自分は尊いことをしているのだからもっと大切にされてよい、そんな思いを持っている人もいるのではないでしょうか。

被災地での仮設住宅の集会所には、食べ物、飲み物、着る物、日用品など様々な物が届けられました。大勢の人がきちんと並んで物品の配付を受けます。震災から2年もたったとき、ある団体が品代100円頂くことにしたところパタッと人が来なかった。仮設のある方は「タダに慣れちゃうと、100円がもったいなく思っちゃう人もいる、『支援慣れ』してしまうのも困りもの」と仰っていました。

不幸な生い立ちを持った青年を、何人かが協力して支援しようと決めました。共に食事をしたり、靴を買って上げたり…しかし、スーパーに行ったとき、欲しい物を断りもなく籠に入れるようになり、食事の後、深夜まで帰らぬようになった。結局、不義理を働き離れていかざるを得なくなりました。自分は人一倍辛い経験をしたから、援助されて当然だと思ってしまったのかもしれません。

困ったとき、辛いときに温かな手を差し伸べられる。ああ、ありがたいと心から感謝する。でも慣れてくるとそれが当たり前になり、そして、してもらって当然という慢心が起こる。
 
 支援するにしても人との距離の取り方は本当に難しいです。自分が助けられたときに抱いた感謝の思いは、他の方に振り分けるようにしたいものです。

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第七十回「やすらぎ修行会」プチ法話 2017/2/21     

2017-02-24 13:03:56 | 第61回~第70回
保護犬を譲渡してくれるNPOに行ったときのこと。工業団地の中にあるその施設に入ると、ワンワンと吠え声の洪水でした。飛びかからんばかりに吠えている犬、後ずさりしながら吠えている犬…。憎しみや哀しみをたたえたまなざしを向けられ、一歩ひるんだことを思い出します。

カリスマ・ドックトレーナーの映像を見ました。飼い主を噛んで病院送りにしてしまう凶暴な犬。散歩の途中に暴れ出し、飼い主に噛みつこうとしました。それは飼い犬に対する恐怖心が伝染し、より攻撃的になってしまうのだとか。恐怖心が自分を見失わせるのでしょう。そうしたとき飼い主は、まず深呼吸をするのがよいそうです。犬にも毅然とした態度で向きあうことが大切です。

次は人に触れられることへの恐怖心をなくす訓練、お風呂でのシャンプーでした。温かなお湯につかり心がリラックス、ゆっくり体を洗ってあげると徐々に信頼が醸成されていくのが見てとれます。次の瞬間、撮影スタッフが気にさわったようで突然威嚇を始めました。しかしトレーナーは、体に手を置いて落ち着くまでじっと待っていました。やさしく寄り添っているということを手で伝えていました。

凶暴だった犬は、すっかり落ち着いて穏やかなよい顔になりました。まっすぐに向きあうこと、誠実に寄り添うことから信頼感が育まれていくのでしょう。

 飼い主が変われば、飼い犬も変わる。飼い犬が変われば、飼い主も変っていく。ほんとうに不思議ですね。

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第六十九回「やすらぎ修行会」プチ法話 2017/1/21

2017-01-19 07:59:18 | 第61回~第70回
 福島原発水素爆発の映像を覚えていますか。白煙がもうもうと立ち上っているもの、建屋が吹き飛ばされ鉄骨がむき出しになったもの…。それらを眼にしたとき、ああ、私の未来も閉じられてしまったと観念しました。悲しく、空しく、やるせなく、心にぽっかりと穴が空いてしまいました。これを見てみたい、あれを読んでみたいという希みが、日常を支え自分を牽引してくれていたことに気付きました。

「朝日新聞」(2017/1/5)に西口洋平さんの記事が掲載されました。彼は娘のランドセルが届いた頃、がんに罹患しステージ4であることを告知されます。仕事を続けられるのか、娘にはどう伝えるのか…悩みはつきません。相談できる人がいないことに困った西口さんは、患者の交流サイトを立ち上げます。ガンの種類、ステージ、子の年代など自分と似た境遇の患者を探すことができる。

 抗ガン剤が効いて今は元気に暮らしているとのこと。医師から「今、元気なら3ヶ月は生きられる」と言われ、すべてを3ヶ月単位で考えるようになったそうです。このひと日を懸命に生きるというのは、毎日がとてもシンプルになり楽しいと記されています。

大船渡屋台村で飲食店を営む森さんはこうおっしゃいました。「こうして生きている私たちは津波で亡くなった人の分まで生きなくちゃ」と。森さんの口癖は「おかげさま」。「天使の森ブログ」にはお店の献立などとともに励ましの言葉が綴られます。「ガスもある、水も出る、米もある、店もある、見渡せば幸せだらけ?幸せだなって小さなことでも思うと幸せの連打に参っちゃうよ」と。

死の淵をのぞき込んだ人は、腹がどっしり据わっていますね。最後に森さんのブログから。「今日も一日生きてること感謝して楽しい一日を創りましょう。すべてはうまくいっている」

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第六十八回「やすらぎ修行会」プチ法話 2016/12/21     

2016-12-21 12:57:38 | 第61回~第70回
『一休咄』に、正月を迎え華やいでいるとき、一休さんが「ご用心、ご用心」と杖の頭に骸骨を付け街を歩いて回り、「門松は冥土の旅の一里塚うれしくもありうれしくもなし」という歌を詠んだというお話が載っています。諸行無常を自覚せず、浮かれ暮らしている人々を諫めたというお話です。

『死 Death in Nature』宮崎学写真集(平凡社)は、シカやタヌキの死骸が、土に還っていく様を固定カメラで追った写真集です。なきがらが動物や鳥たちに食いちぎられついばまれ、形を変えていくのは、非常にグロテスクではあります。

雪上に横たわるシカには、まずタヌキが、その間隙をぬってテンがやって来る。そしてキツネ。20日間で骨だけとなり、半年経つと痕跡さえ無くなってしまいます。夏の場合は、腐食が進み死骸が病原菌の巣窟となるので肉食動物は近づきません。すると昆虫たちが活躍し、病原菌の増加・拡散を防ぐ役割を果たしてくれます。自然の摂理によってそれぞれの出番がきちんと決められている。
 
 「〈自然の死〉は細菌や微生物、それに虫たちによって大地を肥やし、植物をはぐくみ、動物たちを育て、自然の営みをなめらかに展開させている」と宮崎さんは記します。死と生とは連続している。人間もその大いなる命の循環の一部です。しかし、死に行くさまは我々の生活から遮蔽され、死が「新しい生命に引き継がれて」いくという実感がなかなか得られません。

 生きる物たちの滅び行く姿を正視し、私が「今」生きているということに思いを致しましょう。

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第六十七回「やすらぎ修行会」プチ法話 2016/11/21 

2016-11-19 19:05:48 | 第61回~第70回
 お堂いっぱいに広がる大きな念珠を、大勢の人が輪になり、ひとつひとつ繰りながら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」とお唱えします。その念珠の珠は直径10センチもあろうという大きさ。これを「数珠繰り念仏」といいます。お寺の行事で、またお通夜の前に、所によっては行われています。

声とは身体に響かせ増幅して発せられます。そして自ら発した声を自らの耳で聞く。声とは耳で聞くだけではありません。お唱えする声は堂内に反響し、他人の声と重なり合い響き合う。荘厳さを増した声の束は、ともにここにおり、ともに祈っている同士という一体感をもたらすに違いありません。

 声とはあちら側とこちら側という隔てを溶解させる、非日常的世界へと誘う手だてであるといってよい。身体に直接訴えかける強い強い力を持ったものです。

 法会に列した人々は、ご本尊や亡き人の存在を感じながら、声を届けたい、声を聞きたいと願ったのではないでしょうか。

 御真言を皆でお唱えする「やすらぎ修行会」も同様の試みです。みなさん自他の所願成就を祈念しながら、一心に「光明真言」をお唱えし、御信心を深めましょう。

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第六十六回「やすらぎ修行会」プチ法話 2016/10/21  

2016-11-07 13:49:14 | 第61回~第70回
10月2日、ミックス犬のももちゃんが成就院の一員となりました。犬のしつけの本を読んだところ、身まかりましたガウガウ犬のチルには、申し訳ないことをしたなと反省しきりです。

生後2ヶ月でやってきたチルを、家族それぞれが可愛がりたいときに可愛がる。犬は「群れ」で暮らし、序列を守って生きてきた動物だそうです。まだ小さいうちに親から離されたチルは、いろいろな行動や言葉に翻弄されどう対応して良いか分からなかったのでしょう。

 その結果、家族という「群れ」の中で主導的な立場になったように思ってしまいます。家族にマウンティングをする、椅子の上に座る、散歩で先頭を歩く、人が食べている物をほしがるなどなど。果ては噛む。家族の中で、しつけに一貫性を持たせ、遊びとしつけの区別をつけるのが大切だと知りました。楽しく帰ってくると不機嫌だったのは、もっとベタベタ可愛がってもらいたかったのでしょう。

 人の目をかすめて、書院でおしっこをしたり本堂でうんちをしたりというのは、そそうをしたとき厳しく叱ったことがあったのでしょう。そうすると今度は隠れてするようになる。叱責とは、叱り責めること。嫌な思いを抱くだけで「しつけ」にはなりません。ほめて育てるのが犬の上手なしつけ方だそうです。

 犬も「自立」することが大切です。犬の場合は、「群れ」の中で周囲と良好の関係性を作りあげ、日々を楽に生きていく術を身につけること。人間が「自立」することにももちろん通じますね。

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